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深読みか、あるいは暗黙裡の当然 [は行]

ここ数日、各種メディアを騒がせている厚労省元次官連続殺傷事件で、
犯人の子供時代に容疑者の父親が、ペットの犬を保健所に連れていき処分、と耳にした。
で、ふと『窓ぎわのトットちゃん』を思い出し、おや?……と思いつくことが。

「ロッキーがいなくなった」というエピソードがある。
窓際のトットちゃんは小学校時代の私の愛読書で、ゆえになにしろ記憶があやふやだけど、
トットちゃんの家では賢いシェパードを飼っているのだ。ロッキー、一家の愛犬。
で、一時は問題児とおもえたトットちゃんも電車の学校で日々楽しく過ごしているのだが、
次第にぼんやりと、戦争の気配が色濃くなる。話の色調も徐々に暗くなってきて、
やすあきちゃんが死んだりとか、物資不足で自販機からキャラメルが出てこなくなったりとか。

そんな矢先、追い討ちみたいにシェパードのロッキーが死ぬのだが、
トットちゃんが留守中に、お母さん曰く「居なくなった」と。
そのあまりの歯切れの悪さと困ったようなうろたえ方に、あ、ロッキーは死んだんだ、とトットちゃんは即座に気付く。

で、だ。
これって大人になって読んでみたらすぐ気付くのかどうか(あいにく手元に本が無い)、
ロッキーは時勢が時勢がために、大型犬だし、殺処分されたんじゃないかと。
だってちょうどトットちゃんの留守中に犬が死ぬなんて。タイミングが計画的に嘘くさい。
しかもお母さんが、トットちゃんを悲しませまいと本当を語らないその漠然とした回答が「あのね、いなくなっちゃったのよ」
なるほどいなくなったんだ、手元で死んだわけじゃないんだ。
当時読んだときは全くそこまで気がまわらなかった。あるいは深読みだろうかな。



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