So-net無料ブログ作成

どっちも [た行]

キリスト教でなく本当は吸血鬼を書きたかっただけだとか、いやいや吸血鬼になぞらえて本当は哲学を書きたかったんだろうとか。ちがうちがう宗教談義や様々なセオリーは効果音、物語の肉付けにすぎなかろうとか。いえいえエピソードは見せかけだとか、いやいや民俗だの宗教だの伝説だのという薀蓄は、賢げな羅列にすぎなくて、べったべたな背徳世界をやりたかっただけだろうとか。硬質文学ごっこにみせかけた少女漫画だ、華麗な表紙を見てみろとか。いいやその逆で、純文筋だなど、まあいろんな読みとり方があって然るべきだけれど、作者としては全部だ! 全部、書きたかった、全部本気で書くのだ。(だいたいキリスト教やマイノリティを抜きにして真正の吸血鬼は語れないよ。)

量産型ベストセラー作家で原稿依頼がいっぱいあって仕方がない、書きたいアイデアはもう使い尽くしてたかがこれっぽっち、カサを増さなきゃ、みたいな小説家は、この出版不況のさなかにさして居ないのでは。(居るの?)
分厚い本や、字が詰まっている本はまず敬遠される昨今なのだ。凝縮された文面を読みたい人は、昔の文学読みますよ、現代作家はもうちょっとスカスカした字面で、わかりやすくキャッチーな読み捨て作品を書いてればいい、通勤で読むんだもん、みたいになりがちな世相において(無論そんな読み手ばっかではない)それでも「書くんですってば」と作者がおしすすめる中身だ。自分の内で無駄を入れる余地などなく、書こうとする中身に決まっているのだ(私からすると)。

だから例えば、そうだな佐藤亜紀(敬称略)の『ミノタウロス』において、作者が本当にやりたかったのは後半の若者三人の無謀な横行だ、という読み取りかたも当然ありだけれど、前半の不穏な兄貴の存在も絶対書きたかったはずだ(……と私は思うし)。

だからたとえば森鴎外の『高瀬舟』において、鴎外が本当に書きたかったテーマは「足るを知る」か「安楽死」か、いずれか――などという設問は愚問だ(……と私は思うし)。森鴎外についていえば兼業作家でおまけにあんな短編なのである。書きたくもない中身を織り込ませたる余地なぞ無いはずだ。にも関わらず、どちらが作者の意図する本当のテーマか、レポートを仕上げろ、という課題を出されていた知人がいた。私の高校では国語の先生がそんなピント外れじゃなくて良かったよ、と思った記憶がある。

むろん物語には本筋となるバックボーンが必要で、学校の国語の授業では「読み取り方」を教えてくれるわけであり、読み取り方にはたしかにある程度、正しい読み方がある。ただその弊害で、要点と意味をつかんで本筋を見失わないロジックにのみ終始し、物語内の情報に極度の優劣をつけ、本筋以外は目くらましの無駄だと言い切り、読書の味わい方を知らない人も結構多い。

つまんない本を無理に読まされるだるいときにも課せられたように読む状況は起こりうるけれど、本を読む行為全般において、テスト問題を解かされるみたいな読み方しか出来ない、味わえない人がわりと居るのだ。この手の、自分はデキる人間だとおごっている人(そこそこの実績をあげてきた社会人に多かったりする。たとえば『銀魂』の動乱篇前半の伊東みたいなタイプかな)に共通してありがちなのが、物語の味わいについては好みだとか嫌いだとか萎えとかツボとか萌えとか燃えるとか、そういう語でしか時として表現し難かったりするせいで、レベルの低い読み方だと思い込んでいるのである。萌えにのみ特化した話をモエモエと享受する一部の人が軽蔑されるのと同じくらいに、頭脳で情報を選別することのみを正しい読書と信じこんでいる、自称・頭脳派一本槍の、感情派のくせに頭の固いかわいそうな人も、同等の読書レベルだってことに全く気がついていないらしい。

コメント(5)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

コメント 5

コメントの受付は締め切りました
すらごびる

はじめまして、mixiの足あとからおじゃまします。

短い小説でも、長い小説でも、背景というか世界観が大事なんだと思います。たとえ、直接書かれてなくても、読み取れる世界観がないとつまらないです。

って、2,3行でまとめたら叱られそうだなwww

by すらごびる (2009-02-11 10:04) 

中里友香

コメントありがとうございます。
本当はどんな読み方したって自由です(笑)当ったり前ですが。
私はこういうスタンスでおりますのでよろしく、という意思表示を一度きっかりしておこうと試みたのでした。
世界観、大事ですよね。世界観ができあがっていればその世界で読み手は遊べますしね。

by 中里友香 (2009-02-11 13:29) 

ame

僕もmixiの足跡からお邪魔しました。
受験の弊害なんですかね。作者の意図を「読み解く」ことに終始して
些細な表現の妙だったり、背後にある世界で遊べない人は確かにいます。
実学書や会社のレポートでもあるまいに、そんな読み方ははっきり言って邪道です。
大体、文学者なんて答えの無い問いに鬱々と悩んでいる連中が多いんだから
それに付き合って、自由に、「テキトー」に読むのが文学書の読み方なんじゃないかな
と思います。

by ame (2009-02-13 14:01) 

中里友香

コメントありがとうございます。
このときの作者の意図はなにか。
……とか、それもいいけどその前に読み手のあなた自身はどんな気持ちになったんだ、って話ですよね。

by 中里友香 (2009-02-14 14:47) 

たーくん

先日、斎藤美奈子の「文芸誤報」の巻頭に文学作品を10倍楽しむ方法として挙げられている中に、「小説に教訓を求めるな」というのが挙げられていて「教訓読み」は学校教室の悪しき弊害で小説のテーマを探すのもやめた方が良いと書いてありました。

また、その意見に縛られてしまうのも新たな束縛を受けることになるのだと思います。きっと自然体で良いのだと思います。テーマや教訓を探すのも自由だし、ひたすら読み飛ばしてアー楽しかったでも良いのでしょう。僕は文学部だったのでついつい「深読み」しちゃいます。
by たーくん (2009-02-17 13:30) 

トラックバック 0