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ジャパネスクSF特集 [さ行]

坂口安吾の「不良少年とキリスト」における太宰像と、そういった太宰像を語る坂口安吾もろもろの観点が私は好きで、共感しちゃったりするのだが、次のような文面がある。

(……前略……)
その死に近きころの作品に於ては(舌がまわらんネ)「斜陽」が最もすぐれている。

(……中略……)「斜陽」には、変な敬語が多すぎる。お弁当をお座敷にひろげて御持参のウイスキーをお飲みになり、といったグアイに、そうかと思うと、和田叔父が汽車にのると上キゲンに謡をうなる、というように、いかにも貴族の月並な紋切型で、作者というものは、こんなところに文学のまことの問題はないのだから平気な筈なのに、実に、フツカヨイ的に最も赤面するのが、こういうところなのである。

 まったく、こんな赤面は無意味で、文学にとって、とるにも足らぬことだ。

 ところが、志賀直哉という人物が、これを採りあげて、やッつける。つまり、志賀直哉なる人物が、いかに文学者でないか、単なる文章家にすぎん、ということが、これによって明かなのであるが、ところが、これが又、フツカヨイ的には最も急所をついたもので、太宰を赤面混乱させ、逆上させたに相違ない。

 元々太宰は調子にのると、フツカヨイ的にすべってしまう男で、彼自身が、志賀直哉の「お殺し」という敬語が、体をなさんと云って、やッつける。
(……後略……)

さて、ところでいったん話はそれると見えますが、9/7発売予定の『SF Japan 2009 Autumn』、今回は前半がジャパネスクSF特集です。日本とおぼしき舞台背景で時代物、そのうちのひとつに私の作品が入っています。私は一足先に入手しまして『葉コボレ手腐レ死人花』はp52~、その他さまざまな特集や著名作家ばかりなので、わたし簡単に埋もれます(笑)

でも、笠井あゆみ先生の扉絵には、誰もが目を惹きつけられずにいられないでしょう。えっへん。(お前が威張るなw)
扉絵にいる、クチナシ姫&高良祁月槻の妻のたたずまいにいたっては、まるで物語から抜け出てきたよう。

この『葉コボレ手腐レ死人花』において、

p52「杜若紋」

「かきつばたもん」と振り仮名するところ「かきつばた」になってます。
これ、杜若の部分に「かきつばた」と振り仮名をつけることになり、「紋」は読めるとふらなかったのがアダになったもよう。杜若の字数に「かきつばた」と入りきらない分が「紋」にかぶっちゃって、「杜若紋=かきつばた」と見えるのだ。

p56「香を焚き染めた衣装の衣擦れと共に」

この文章に振り仮名がついています。
「香を焚(た)き染(し)めた衣装(きぬず)の衣擦(きぬず)れと共に」

おや?
なに「きぬず」って。衣装って「いしょう」じゃなくて「きぬず」って読むのか? きぬずのきぬずれ? 
つか、そういった読み方はなさそうですし、わたしそんな振り仮名してないし。私の手元のゲラ原稿コピーも、そういった様相になってない。印刷所でなにか単純な手違いがあったもよう。

あとまたp64において「仇討ち」
まず「かたきうち」と地の文で読むようにふってあるのですが、同頁で主人公が、
「仇討ちとはね――」
と思うシーンではこれ「あだうち」と読みたかった。私はそう振り仮名をふってもおいたの。

ですが常識的に、同じ頁の場合、初出単語には振り仮名をふって、あとは振らないんです。それで自動的に、外されちゃったよ、「あだうち」の振り仮名が。

だけどここは語呂的に「あだうち」って読んでほしかったんだぁ~あああああ! と、しばらく悲嘆にくれる。

そんなこと、物語に差し障る部分じゃない。大したことじゃないんです。ですが坂口安吾も指摘するように、太宰もいちいち、いきりたっちゃったみたいに、作者ってのは、そういう、ちみっちゃいところが、時として気にかかって仕方がないのですよ。内容についてはね、「信じるところをやるだけやって、通じなければ仕方がない」「誰にも好き嫌いはある」と、ある程度なら割り切れる訓練ができていたりするんだけども。

私はまた、振り仮名の使い分けとか、漢字の使い分けとか、けっこう好きなので、面倒くさいほうだとは思うんです。

たとえば「手蹟」は「てせ」とも「しゅせき」とも読むわけですが、これを場面や物語によって振り仮名を使い分けたい。
姫様の手蹟は「てせ」で。
書画骨董の手蹟は「しゅせき」です、といったように。
かたき討ちを「敵討ち」と書いたり「仇討ち」と書いたり。
敵を「てき」と読んだり「かたき」と読んだりとかね。
自分なりに微妙に意味を使い分けたり、字によって受けるイメージを選んだりしているんだが、読み手にとったら些細な、取るにも足らぬ、どうでもいい、読み流して差し障りない部分です。

『黒十字~』においても私は、たとえば「あかり」を
○灯り、
○明り、
○明かり、
で、使い分けてました。
○ロウソクやランプなど炎によってもたらされる質感を強調したいときは「灯り」
○一般的なあかりに関しては概して「明り」
○光とほぼ同義の、特に月光や陽光などであることを意識したいときは「明かり」
みたいな、まあその場その場の雰囲気で。

『作者というものは、こんなところに文学のまことの問題はないのだから平気な筈なのに、実に、フツカヨイ的に最も赤面するのが、こういうところなのである。』

まことにもって。べつにどうってことないのは分かってるし、誰にも何も言えないし、だいたい、自分の誤字やら変換ミスについては、どんなにつらつら探してもなかなか見つけられないのに。自分の書いた作品にちょっとでも見覚えのない景色があると、頁をさらさらさら……とそよいで見た瞬間に、あれ? 風景がちがう、って読む前から気付いちゃうのがなんかいやだよもう。でも実にそんなだったりするのです。
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