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石切丸と小狐丸(石切劔箭神社) [あ行]

ラルカジノ・ライヴ往路のブログを書いている間に、あれれ……?
ワリワリと咽が猛烈に痛みだし、
風邪だ……。
潜伏期間があるので、べつにラルカジノで風邪に罹ったわけではないだろう。
思い当たる節と言えば、たぶんジュラシック・ワールドを見た映画館だ……。
まあちょっと、はしゃぎすぎました。

風邪ひくの4年ぶりくらいだったので、ひいてもおかしくない頃合いですよね、
と、3~4日寝込み……

正確に言うと、風邪のひきはじめに「とあるもの」でうがいをし、
そのうがいに使ったものにアナフィラキシーショックを起こしてちょっと死にかけ、
具体的には「毒殺未遂」症状と言いますか、
全身が臓器を裏表にひっくり返そうとするので、
体からエイリアンがバリバリ体を破って出るんじゃないかと思うほど痛みました。
心筋あたりが痛みだした時には、さすがにこれはマズいんじゃないかと感じた。

「とあるもの」はごく一般的な飲料で、
最近になって、食物アレルギーを起こすので飲めなくなっていたことは自覚していた。
劇症性の食物アレルギーの場合、今までまったく大丈夫でも、
ある日突然なることもあって、
なったら最後、一生治ることはない(……と医者に言われた。あくまでも劇症性の品目においては)。
うがいであれば、問題なかろうと油断していた。そもそもまるで意識してなかった。
殺菌効果が高いので、風邪のひきはじめには、是非こいつでうがいをば、
と、散見される飲料でもあったので、
ガラガラうがいをしただけだったのに。
粘膜からも摂取するんですねー。考えてみればそうですよね。

あとで医者に「そのまま死んだとしても珍しい話じゃなかったんだよ。なんでうがいしちゃったかな!」と説教されましたが、
「……熱でイマイチきちんと頭が働かなくて、この咽の痛みをなんとかできるならば、飲まなきゃいいのかと思いまして……」

持ち直してきたので、
ラルカジノの詳細や、石切劔箭神社について出だしをupし終えたあたりで、
今度は、治りぎわの風邪と、季節性のアレルギーが合体し、偽ぜんそく症状に。
しゃべっては噎(む)せ、寝ては咳きこみ、起きては咳きこむ。コホン、ぜー。
医者に行ったりしているあいだに、数週間が経っていた。

実は以前、8年間くらいずーっと、その手の、偽ぜんそく症状だったのだが、
大きい病院とかにもあちこち行ったものの、ちっともよくならなかったので、
諦めてほぼ放置していた時期がある。
影響するのは花粉と気圧なのだが、日本っていつもなんか飛んでて、いつも気圧が不安定なのよ。

当時はもう、通りの歩きタバコの煙に、嫌味でやってるんじゃなくて本気で咳きこむし、
車の排気なんて悪夢だし、
オサレなレストランとかでテーブルにキャンドルがあると、
うるさく咳きこむばかりなので、店員さんにキャンドルを下げてもらう始末。
百貨店の香水売り場を通るたびに噎せる、
新聞紙広げたときのインクのにおいで噎せる、
「香ばしいね~」←え……煙い、
ネイルやるときはマスクをかけて頼んでいたし、
石油ファンヒーター、石油ストーヴ……あ? 嫌がらせか……
ベープとか、衣類防虫剤(ナフタリンみたいなの)は、虫の前に私が音を上げるのであった。 
挙げればキリがない、考えてみればわりと普通じゃなかった。

慢性の不健康は、命に別条がない場合、良くも悪くも精神的に慣れるもので、
こんなもんだろう、と甘受するようになっていたのだが、
今の呼吸器専門のお医者に行きつき、
数週間の投薬で、あっさり完治したのだった。
今までなんだったんだ、というほど簡単に。
医者の見立てと薬は、ほんとにピンキリ、体質との相性もあります。

その後、3年間ほどまったく咳知らずで、
咳の仕方を忘れた頃合いに、久しぶりの懐かしい感覚ではあったものの、
思い出して有りがたい心地でもないのだった。
咳に対する耐性もすっかり失くしていたし、こんなに疲れるもんだったか……。

で、続きのブログを書くまでに一か月を要しましたが、
遅ればせながら、
先月の、石切劔箭神社の宝物庫展について今さら書く気満々です。

石切剣箭神社は予想以上に加持祈祷のメッカで、
厄払いやら、安産祈願やらの、
由緒正しき、いにしえの神社でした。
宝物庫展は、穂積殿に位置するところでやっていました。

石切劔箭神社(境内案内図)
http://www.ishikiri.or.jp/annai/

私の経路で語るなら、
本殿を参詣して、
崇敬会館で宝物庫展の場所を聞き、
授与所と本殿の間の通路(なにがしの祈願の小さい蝋燭がずらっと並んでいる)を抜けて、
その奥に入っていった。

神社などの宝物庫展は、靴を脱ぐところも多いですが、
靴を脱ぐこともなかった。
外国の人を連れて行ったりするのに、穴場で良いかも。
(欧米人はとかく外で靴を脱ぐのを露骨に嫌がり、
かなり日本の文化に馴染んでいても、服を脱がされるがごとくに難色を示す人が多いので。)

石切劔箭神社は、京都や浅草のように観光用に作りこまれた営業的な顔はなく、
素朴で質実剛健。かなり古式ゆかしいが、
儀礼的な堅苦しさはなく、あくまでも庶民的。
実にいい感じのたたずまい。

宝物庫展をやっていた一階から半地下(?)は、
発掘跡を一部そのままショーウィンドウで展示している、
神社とは思えない博物館的な構造になっていました。
一見、すんごく広い展示場なのかと思ったら、そんなことはなかった。

宝物庫の展示物のかなりが銅鏡でした。
古墳時代とか邪馬台国とか、そういう時代の銅鏡です。
レプリカとか写しとかではなく、
当時のほんまもんの銅鏡。

もともとこの石切さん、
古墳時代レベルの祭事の場所を礎にして、神社になっていたらしく、
法通寺という古代寺院の跡に建てられているんですね。
全く知らなかった。
この法通寺というのが、謎の古代寺院らしく、かなり古代ロマンをあおる場所らしきことが、
石切さんに置いてあったパンフ(近畿大学文芸学部文化・歴史学科が発行している)で判明。

近年、敷地内で穂積殿を建てたときに、
銅鏡やら、棗玉(なつめだま)の首飾り、法通寺の瓦などが発掘されたらしく、それらを展示しつつ、
御神体の石切丸(神剣)やらの刀剣も併せてお披露目。

宝物庫展の展示場は10人くらいの参列者が列になって、順ぐりに展示物を見て回る。
10人ほども入ると、展示室はわりと混み合う広さです。

銅鏡や、ヒスイ色した棗玉は、
ふーん……と流して見るわたし。
とはいえ、銅鏡はどれも丸鏡の背中(模様が描かれている面)が表に出ているだけでなく、
ショーケースに伏している鏡面部分も見えるようになっている。
ショーケースの内側の底辺が鏡張りになっている展示で、
(あ、この銅鏡は本当に鏡だったんだ)
と、わかります。

そうでもないと銅鏡は、大きい文鎮みたいで、
これ本当に鏡? 
という把握しがたい感じになるので、細かいところまで、さりげなく行き届いている陳列です。

で、肝心の刀剣に。

まず太刀・小烏丸(こがらすまる)の写しが。
太刀と言ってもかなり小さい。
太刀というと大きいイメージがありますが、
鎌倉以前の一般的な長刀は基本、ぜんぶ太刀であり、
打刀という存在が、当時そもそも無いといっても過言でない。
脇差はあくまでコンパクト、こいつがどんどん大きくなっていって、
もうそれ太刀じゃない?的なサイズになったのはずっと後年で、
だから薙刀でなく、大太刀でもない平安時代の長い刀といったら全部太刀です(たぶん)。
小烏丸は、よく鶴丸国永と引き合いに出されて、語られてますよね(鳥つながりの白黒で)。
見るからにほっそりとした一振り(66センチ)でした。
先端が槍に近く、ただ刀らしく全身が反っていて、道具っぽかった。

来国俊の短刀もありました。
来派でも、刀剣乱舞に出てくる来国俊の短刀とは別物らしい。

いよいよ展示場中央の島に石切丸と小狐丸が!
まごうことなき本物です。
中央のケースにあるので、表も裏も見られます。
同じショーケースに、大小という感じで、
上に石切丸、下に小狐丸と並んで展示されてました。

石切丸、刀剣乱舞では大太刀となっていますが、実際の神社では太刀と分類されていました。
太刀とあったが、刀剣乱舞の石切丸に相違ない。
(刀剣乱舞の公式刀剣カレンダーでも、ここ石切神社の石切丸が載っています)。

御神刀であり、ご神体なので、写真撮影はできませんでしたが、
本当に大きく、立派な刀(刃長76.1センチ)。

三条の刀の特徴ともいえようか、
切っ先がシュッとすぼまり小さめなので、豪快には見えない。品があります。

小狐丸は、ぱっと見た瞬間の印象といえば、
三日月宗近にそっくり!
小さい!
「三日月宗近より一まわり小さい、三日月宗近」
という感じ。
三日月宗近と同じ刀匠の手による太刀だと、一目でわかる。

何がそうも似ているかというと、
切っ先です。
東博の三日月宗近はかなり大きい刀でしたが(刃長80センチ)、
スリムに見えて、大振りに感じなかったのは、
切っ先がシュッと小口で上品だから。
小狐丸も然り、同じフォルムで先細にしまっている、スッと慎ましやかな切っ先で、
三日月宗近よりひとまわり、ふたまわりほども小振り(刃長53.8センチ)。

ゲーム内では「大きいけれど、小狐丸」と名乗るそうですが
(……うちの本丸には居ないからよくは知らんが)、
小狐丸という名前は伊達じゃない、小さい太刀です。
小狐丸という名前だけれど、太刀なのだという「大きい」であり、
石切丸と比べるならば、3分の2ほどもあったかどうか。
とはいえ50センチ余りあり、
また平安人は平成人よりも小柄だったでしょうから、
十分に太刀として通用したろう。

石切丸と小狐丸は、いずれも三条らしさはあるものの、
三日月宗近と小狐丸ほど、激似ではない……。

小狐丸と三日月宗近は三条宗近・作。
石切丸は三条有成(三条宗近の息子ともいわれている)作なのだそうだ。
なるほど。そんな感じです。

ゲームでも、小狐丸と三日月宗近が同じイラストレーターの絵によるものなのは、
そのあたりを考証してあるんでしょうね、きっと。
そういえば小狐丸の紋は、石切劔箭神社の紋と酷似したモチーフが使われていますよね。
(石切丸の紋は似ても似つかないが。)

宝物庫展では、
刀剣乱舞に登場していない、
かつまた石切丸のように重要美術品の神剣などでもなければ、
小狐丸のように能に登場するわけでもない、
いわゆる無名の、しかしとても美しい1600~1700頃に打たれた「忠國」という脇差(50.6センチ)が展示されておりまして、
切っ先が大きく、乱れ刃の刃文があでやかで派手だけれど、
乱れ刃=女形という刀剣乱舞の刷り込みイメージが必ずしも該当しない。
妖艶な人斬り庖丁ビジュアル系が、異彩を放っておりました。
歴史的に有名な人物が使っていたとかでもなく、
刀剣乱舞に実装されることはまずないだろうが、かっこいい……良い脇差だ……素敵。
人だかりが無いのを良いことに、熱心に見ていましたら、
道すがら駅から一緒に来てくれた、おばあさんに、
「あんさん、刀、好きなん?」
と言い当てられました。

宝物庫展には神輿(みこし)も展示してあって、
おばあさんの話によると、夏にはこの神輿を担いだ先頭を、
神主さんが白馬に乗って、市中をねり歩くんだそうです。
「このあたりじゃとても珍しい、東京じゃどうかしらんけど、このあたりじゃねえ」
いやいや東京でも珍しいです。そんなの見たことありませんもの、聞いたのすら初めてです。

宝物庫展を見終えて、
北授与所で「石切劔箭神社御神宝」の図録をゲット。
もちろん石切丸も小狐丸も、展示してあったものすべてが全頁カラーで載っている46ページ。
1200円だったか。拝観料もなかったのだし、即買い。
やった……! 

本殿のところに戻ってきて、おばあさんとちょっと名残惜しく、ご挨拶を。

――あんさんに会わんかったら、わたしこんな宝物庫展なんて毎日来てても知らなかったわ
――ここまで一緒に来られて、本当に良かったです。とっても助かりました
――気ぃつけて
――お気を付けて、お元気で!

さっぱりと別れて、
私は駅に向かいました。
帰りは下り坂、新石切駅にすぐ着きました。