So-net無料ブログ作成

厚藤四郎@東博 [あ行]

先日メリル・ストリープのスピーチをネットで見ていて、えらい感情移入していたらしく、
変な力が背中に入っていて、見終えて椅子から立とうとした瞬間に背筋が攣って激痛。
スピーチを聞いて動けなくなった、文字通りに。
背筋ってちょくちょく結構、使っているのが今になってよくわかります。
寝返りが容易に打てない……。

ところで、一月四日に厚藤四郎を見に、東博に行ったんでした。
上野界隈に繰り出す用事があって、
なぜこんな正月明け早々、まだ松の内だというにだ、憂鬱な野暮用を……と思っていたのですが、
おかげで電車も空いていた。用事も早く済んだ。
天気も良いし、これはラッキーだな……。

浮かれ気分で東博まで足を伸ばしたところ、混・ん・で・い・た!
東博のチケット売り場で並んだのは、今回が初めてでした。
考えてみればまあ当然ですよね……外国人観光客や、家族連れ等々。
まず厚藤四郎がお目当てとは思えない面々で、にぎわっていた。

コインロッカーもほとんど塞がっていて、かろうじて最後の一つ二つにありつけた。

短刀、厚藤四郎は、その名の通り本当に分厚かった。物騒な分厚さ。
短刀だけれどなかなかに重そうで、これは鎧通し、確かにな……通るよな……。
重そうだけれど、長刀とちがって重心が手元に来るので、
振り回す必要はないわけですし、突進すれば使い勝手は良かっただろうなあ。

DSC_0018.JPGDSC_0016.JPG
鎧通しの効果は抜群であったろう。
反りがまったくなくて棟側がほぼ一直線。
右の写真は分厚いのが少し伝わるか……(クリック推奨)。

他にも、物吉貞宗とは違う、貞宗の短刀があったりして、こちらはかなり特徴的な刃文で美しかった。
貞宗は亀甲貞宗もそうでしたが、現物は見るからに露骨なまでに美しいです。
(私の写真が今一つなだけです……。)

DSC_0022.JPG
DSC_0021.JPG
クリック推奨かも。

短刀って包丁っぽい……(包丁藤四郎は見たことがないですが、包丁藤四郎に限らず)
短刀は概して包丁っぽいから、目新しさに欠ける……というイメージがあるのですが、
短刀も美しいものは、本当に美しいんですね。

DSC_0023.JPG
DSC_0024.JPG

場合によっては、お姫様も手にしたからなのか、
長い刀にくらべて、美意識や、こだわりがぎゅっと凝縮されていて、
刃文を手元でじっくり味わえる感が。
物によっては一見して区別がつきやすく、乙な世界。

長刀では、長曽祢虎徹が展示されていました。
ちなみにこちらの虎徹は贋作ではなく、真作の。
『刀剣乱舞』の長曽祢虎徹は新選組の近藤が使っていた贋作設定になっていますよね。
贋作設定は、薩長に歴史修正されていたからで、
実際は真作だったらしい説が。昨年ニュースにもなっていました。
http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14778284006693
(これは有りうると思う。
ただ司馬遼太郎が新選組の歴史的概念を正したっぽい記事になってもいますが、
土方や沖田はさておき、司馬遼太郎の近藤は、本当にダメな感じなんで、そこはどうかと思う……。
司馬遼太郎によれば、土方の和泉守兼定が正真正銘の名刀真作なのに、
近藤は贋作の虎徹だったし、
沖田に至っては、幻の名剣ともいわれる菊一文字を託されるという設定でしたよね……。)

こちらの真偽はともかくとして、
展示されていたのは正真正銘の長曽祢虎徹。
大振りで、いやなかんじの切っ先でした。
今まで見てきた長刀の多くは切っ先がスッと美しい代物で、
これで斬られたら痛くないかも、という優美さを兼ね備えていた。
長曽祢虎徹は図太いというか、こいつで斬られたらドスッときてグサッと刺さって、
エグッとなって、ズンと入って無惨に痛みそう!
俄然ごめんこうむりたい感があった。

DSC_0029.JPGDSC_0026.JPG

東博は今回、酉年にちなんで、鳥にまつわる絵画が特集してあるギャラリースペースがあり、
鳥好きの私には、なにそれ天国じゃん超ラッキーな具合で、いそいそと足を踏み入れる。
おもに鶏一択で、日本画の鶏は目つきやトサカなど毒々しい物も多い。
でもひよこを描いた奴や、チャボとかも居たよ!
まっくろくろすけひよこヴァージョンみたいな、かわいい墨絵がありまして、
写真を撮ろうと思ったら、その絵は写真撮影が禁止でした。

刀剣も、絵画も、蒔絵も……写真を撮ってもかまわない品と、撮影禁止のものとがあり、
NYのメトロポリタンミュージアムの場合、シャッターをたかなければどれもOKだった記憶が。
今一つ理由がわからない。必ずしも作品を守るためという判断基準では無さそうだった。

シャッターをたかないと写せないような暗いところに飾ってある、
光への曝露を気にするタイプの品々ならば、わかるんですが、
お隣のよく似た刀剣は撮影OKで、これはダメなの?
お隣のよく似た墨絵は撮影OKで、これはダメなの?
混在していた。
必ずしもすべてが東博の持ち物ではないようだし、持ち主の意向なのかも。

「東博に初詣」というキャッチコピーが書かれたのぼりが、東博の前に大きく出ていたのですが、
たしかに仏像等もたくさん来ていた。
本来ならば初詣以上にご利益のありそうな、歴史的価値の見るからに高そうな面々が、
大小、ずらっと並んでいたが、展示の仕方が今一つ、面白みに欠けて、
仏像自体が大好きな人なら良いんだろうが、見ているうちに飽きてくる。

これは台湾で故宮博物館に行った時も思いましたが、
東洋の博物館の展示方法が生真面目すぎている、単調なゆえか。

伽藍、天井、台座……いろいろを作り上げていって、画竜点睛的な立ち位置にあった仏像と、
いわゆる「目玉部分」だけ持ってきて並んでいる仏像とでは、
空間の全体像や奥行きとの配慮が違いすぎて、
市場(いちば)に並んでいる生鮮と、ガラスケースの向こうで整然と並んでいる食品サンプルほどに、
差がありました。

本館を出た後、東洋館も寄ってみました。
こちらは一転、がらがら。
コインロッカー自体がなかったので、荷物が重かったせいもあり、
全部を見て回れませんでしたが、初めて目にする代物ばかりで、見どころがありました。

DSC_0064.JPG

こういうのとか。 お金がなっている樹といいましょうか。
絨毯敷のフロアで、靴底に優しい。
すでにあちこち見て回った後なので有りがたかった。

エジプトから寄贈されたミイラとかも……初めて見ました。
さなぎ状態で贈られてきたミイラの容器を上下で切って、蓋と本体という形態にして、
中を展示してあり、果たして良いのか、中の遺体をもろに見せてしまって……。
亜麻布で巻かれてはいるが。

東博に訪れたあと、岩崎邸にも寄ろうと思ったものの、足腰がもう限界で帰りました。
携帯の歩数計をチェックしたら、その日13000歩以上、歩いていた。
私にしては、ものすごく多いのであった。

いい兄さんの日 [あ行]

今日は「いい兄さん」の日らしいので、
私が「いい兄さんだ!」と思うランキング上位3位を挙げてみた。
尚、自作品のキャラは除き、完結している作品に限っています。

1位:エドガー・ポーツネル
   (「ポーの一族」)
   高一の時に友人のお姉さんから借りたのが初読でしたが、
   生まれて初めて出会う衝撃の「いい兄さん」だった。
   それまでは大体、兄さんというと、妹や弟に意地悪したり、よくてお味噌扱いにしたりで。
   また歴史上の登場人物だと兄が弟を殺し、
   妹を政治利用したり、セクハラ・パワハラするのがデフォルトなので、
   エドガーは衝撃のいい兄さんだった。

   妹や弟キャラは明らかに今ほど市民権を得ていませんでしたしね。
   私がポーの一族を読んだのは、既にオンタイムより遙かあとになってからですが、
   当時ですら、妹や弟は、兄にまとわりつく生意気なウザキャラで無力という扱いが多かった。
   兄は圧倒的父兄力、家督力を持っていたから、
   しもじもの弟妹は可愛がられるといっても、子分とか、よくて家来同然で、
   兄役の優しさ、懐の深さのステイタスを上げる記号としてのみ、存在していた感がある。

   弟妹は本来なんの疑問もなく邪険に扱ってOK、ことと次第によっては虐げてもかまわない、
   という構図に、読み慣れていた。
   だから妹メリーベルのために身を投げだす兄さん像には、天と地がひっくり返ったのでした。
      
2位:ルルーシュ・ランペルージ(ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア)
  (「コードギアス反逆のルルーシュ」&「コードギアス反逆のルルーシュR2」)
   ほぼすべての行動の原動力は、ハンディキャップを負った妹ナナリーが生きやすくなるよう、
   世界を創りかえる……ですから、濃い。すごい。
   この一点は何があっても全然ぶれなかった。終始一貫していて胸を打った。
   いい兄さんだが、同時に、食えない悪い弟である点も大変良かった。

3位:ユリスモール・バイハン
  (「トーマの心臓」)
   ユーリに妹がいたのを忘れてはいけない。病弱の妹がいるんですよね。
   
   待ってね これがあたしよ
   それはハトだよ
   ハトなの

3位までのうち二人の兄さんが萩尾望都の作品だった。
この手のレトロ漫画の兄さんというと、
「キャンディキャンディのステアがいるじゃないの!」と思われるかもしれないが、
私は断然、弟のアーチ派でしたので……。

圏外だけれど言及しておきたいのは、タッチのたっちゃんですが、
あの二人は双子ですから、正確には兄とは少々言い難い。

ナルトのイタチは「実はいい兄さん」だったオチですが、
それまでの「おのれイタチ!」の刷り込みが凄かったので、
今一つ、実はいい兄さん展開に、私は乗り切れないままでいました。

ハガレンのエドは……(この作者、絶対に弟がいますよね……)
と、わかる感が作品に滲み出すぎていたので、ちょっと……。
エドってば、弟の存在によって自尊心が確立している兄さん感が、やや鼻につきました。
アル(弟)は、あくまでエド(兄)の優しさとか強さとか家族愛とか責任感を引き立てるためだけに、
登場させられてる感が強すぎた。そんな弟をもってして、エドをいい兄さんとは少々呼び難い。
作品は文句なく好きです。エドも決して嫌いではない。

輪るピングドラムの冠葉と晶馬は、病気の妹の陽毬のためになんでもする。手も汚す。
ただあの関係性は、三人とも赤の他人なのを承知しながら、
新興宗教テロがらみで、親に捨てられた子供が疑似家族をやらされていたのが本来の姿だから、
果たして「いい兄さん」としていい定義はなんだ? 
となるので、やむなくランク外としました。

「火垂るの墓」の主人公・清太は作中で類を見ない、
痛々しいほどのいい兄さんぶりをみせる訳なのですが、
作者野坂昭如は実体験をもとに、贖罪として作品を描いたらしい。
実生活においては、野坂昭如は幼い妹を殴りもし、食べ物をぶんどり餓死させた、と。
これは有名で、私は中学生のとき国語教師から聞かされました。
こんなまとめもありますね→https://matome.naver.jp/odai/2137860240391360001?&page=1
原作者・野坂昭如が語った ジブリ作品「火垂るの墓」の真実 - NAVER まとめ

そもそも、清太さん、もうちょっとだけ辛抱できなかったのか、
わかるけど、わかるんだけど、あのさもしい意地悪伯母さんにもう少しだけ我慢できなかったか、
節子のために……節子のためよ……と。
複雑な心境になって、素直に、いい兄さん認定できない。

いい兄さん同3位に「ハンター×ハンター」のキルア・ゾルディックも挙げたいところなのですが、
完結してませんので。
キルアは、いい兄さんという以前に、
言動が謎な妹アルカ(弟?)の一番の良き理解者であるのが素晴らしい。
と同時に、兄のイルミやミルキからすると、
キルアがすんごい扱いにくい、異端児で厄介な弟である点も目が離せません。


言わずと知れたこと [あ行]

では君はアメリカではなんの差別もされずに、心地よく暮らせたんだね、
カリフォルニアは楽園だなあ、
みたいに思っていただいて、半分は正しいけど、
半分は違うかな……と思うのでちょっと付け足しておきます、念のために。

暮らしていく上で、英語を上手く使えない人間に対する白眼視みたいなのは、ものすごく感じました。
英語を上手く使えない人間に対して、心が広かったり優しかったりする人のほうがまれです。
単純にすごい冷たい。率直に物凄く見下されます。
下手するとすごく意地悪な対応や、不誠実な対応をとられかねない。

……おのれ!
と思ったことが無いかといえば、そんなのあるに決まってんじゃん。

留学生同士で、
「母国語しかしゃべれないくせに。母国語の英語を話せるからって一丁前な面して、
どうしてああも威張れるものなのかね。世間知らずってみっともないよね。
英語を上手く話せれば偉いのかよ。ホームレスだって流ちょうな英語しゃべってんじゃん」
と、よく愚痴っていました。

むろんアメリカには、複数の言語を思い通りに扱える人は多数いるけど、
そういう人は概して、英語が拙い相手を決して見下してきたりしないのだった。
超絶寛容だけど、なんでだろう……とか思ってると、
実は両親がアルバニア人で移民二世なんだ、とか。
すごく辛抱強い、なんでだろう……とか不思議な顔をしてると、
実は父親がドイツ人で母親がユダヤ人なんだよ、とか。
あるいは、私は留学経験があるの、
小さいころ海外在住経験があってさ~等々。

逆に言うと、両親がアメリカ人でアメリカ生まれ、英語が喋れない人が身の回りに居ないアメリカ人、
つまりいわゆる「普通のアメリカ人」は、
英語でスムーズなコミュニケーションをはかれない相手をもれなく嫌がる。
大学の教授であっても例外はない。
そう思って、さほど間違ってはいないはず。

英語が下手だと半人前扱いなのは事実ですが、
英語は慣れればある程度、使えるようになる。
おかげで英語が否応(いやおう)なく上達する部分も大きい。
何より、ちょっとやそっとじゃ、心が折れなくなりますし。

人種や性別とちがって、生まれもった存在の根源を見下されたり、
不利益や不自由がデフォルトとして定着している、そんな差別を受けるわけではありません。
気候もいいしね。
そういう点では本当に暮らしやすい所でした。
少なくとも私が住んでいたときは。

アルケミスト的要素? [あ行]

先日、ゲームが開始となったDMMの文アル(文豪とアルケミスト)、
始めてみましたが私は早々に脱落。
個人的に、この文豪の顔ぶれにして、
なぜ梶井基次郎、岡本綺堂、小栗虫太郎、坂口安吾らが居ないのか……。
(三島由紀夫が居ないのはやむを得ない。おそらく著作権が切れた文豪を集めているはずだ。)

別に上記の文豪の作品の熱烈なファンではない。
二~三の作品を齧ったことがある程度だけれど、
しかし、梶井基次郎は……
桜の樹の下には~という、
ゲーム的にも美味しそうな名文を編み出した彼がスルーされてるのは、いただけない。
春に新規投入とか、そういう段取りでしょうか*。

文豪が、弓やら刀、銃や鞭で戦うのが頭悪そうで違和感がすごい。
(当時の文豪なんて無茶苦茶インテリやくざな文化人なのに。)
教師をやってた文豪が鞭(教鞭にちなんで)とかなら合点がいくが、
そういうシステムでもなさそうです。
(たぶん、当時の対象読者層の広さ=標的にちなんでいるんだと思うのだが……。
 大衆小説=鞭、純文学系小説=刃、
 随筆や詩や小説など混合技=弓、詩や児童文学=銃……かな。)

文豪ってば、潜書のたびすごい勢いで空腹になるけど、
[おにぎり](にぎりめし)ばっかり食べてるからでは。
いまに脚気になるぞ。図書館にこもって潜書ばかりさせられるんですし。
きょう日、人じゃない刀剣男士だって幕の内弁当を食べられるというのに……。

そもそも文豪の格付けだけど、これなに知名度順?(怒) 
特殊会話が発生しても、あとで聞き直すことができない仕様なのは、
おそらく今後、変わってくるとは思うけど、
いろんなモヤモヤが納まらないので、続けられなかったのでした。

おそらく一番の違和感の理由は、文豪およびマーケティング対象の設定年齢が、かなり低め?
と感じられる点だったかもしれません。
多くの文豪が夭折なのは知ってるけど、没年齢に合わせているわけでもない。
新見南吉とか宮沢賢治とか……児童小説を書いた文豪が少年的ルックスなのは、
理解の範疇といえども……。
いかんせん皆、見た目が似ている。
(似ていてもアニメ・ジョーカーゲームみたいな絵面であれば私も頑張った。)
服装と髪型、小道具などで区別をつけようとするのだが、
だんだんと、もはや声だけが頼りになって――
あ☆髭切だ、あ☆三日月、あ☆エレンだ、あ☆花沢輝気、あ☆マスタング大佐!

数日で脱落したので、断定的に何一つ語れませんが、
小林多喜二と高村光太郎が良さそうなキャラでした。
一番レベルを上げたのは国木田独歩(弓)。
弓と銃は使い勝手が良く、刃と鞭はいまひとつ頼りにならない印象。
有碍書の潜書風景は完成度が高く、素敵だった。
文豪の内番的装いや、冬場の景種に、お炬燵などがあったなら、
或いはテンションがストップ高だったかもしれません。
ただしこのゲームは設定が図書館と司書室がメイン。生活感が覗くことは無さそうです。

*


絵空事とは異なる次元 [あ行]

先日の金曜日に地上波で映画『ゼロ・グラビティ』(Gravity)をやっていたようで、
私はこの映画、相当、好きです。

近年、我ながら珍しく、ど真ん中ストライク、映画館で打ちのめされて帰ってきた作品で、
後半なんて映画館のシートにぐったり寄りかかって泣きまくっていたもんです(感動以前に、人間としての根源的な恐怖感に打ちひしがれたせいで。さすがにこんな極限状態は無理だよマジでもう太刀打ちできない怖すぎる……と)。
たいていの人が似たような体験をしたかと思います。

DVD化されたとき、すぐさま、そこそこ年配の身内に「見て! 良いから見て!」
と持っていって半強制的におすすめして帰ったのだが、
「見ました」というメールが、あまりにも的外れな感想しか返ってこなかったのだった。

だからつい、
「最近どんな映画を見ても、ぼんやりした感想しかわかないみたいだけど、あんまりにも何を見ても何も面白くない……というのがたびかさなって度を超すなら、体調が悪いか、認知症のはしりか、鬱病かもしれません」
と本気で心配してメールしちゃったくらいである。

それくらい、この映画は年齢や性差を問わず、人間の根源的な恐怖とか帰巣本能とかに訴える、
いい意味でハリウッドだからこそできる普遍性の高い作品だと信じて疑わなかったのだ。

しかし先方の感想は、
「あなたほど宇宙に夢中じゃないし、正直、宇宙のことが良くわからないので、へーえ無重力空間って、こんな感じなのですかね? まさかまさかこんな次から次へとよくもまあ、悪いアクシデントばっかり考えつくものですよね、ある意味でこれも一種の御都合主義的展開」
というのが素直なリアクションだった。

上記のようなリアクションはかなり稀なんじゃないかと、今でも私は思っているが、その人によれば、
「ジョージ・クルーニーが呆気なく退場で、生きて帰ってきたと思ったら、なんかアレだし」
みたいな。

やや、そこは確かにストーリー上、要となる部分でもあるけれども、
そこが映画の感想を左右しないというか、
むしろ、ああいう立ち位置が、実に心憎いキャンスティングなんじゃないか……。

私より年齢が上の世代は、よほどの「宇宙大好き」洗礼を受けていないかぎり、
宇宙に対する憧れも恐怖もさして抱いていないというか、
宇宙について常識的に、知識や想像力が欠如しているのかもしれない……。
私の世代では中学の時「将来、宇宙飛行士になりたい」という理系の女友達とかがいた。

ゼロ・グラビティは、
SFにおけるフィクション部分と、現実に起こりうる境目ギリギリのリアルさが際立っており、
だからこそ手に汗握り、
理系じゃないけど宇宙は普通に好きな私からすると、ノックアウト感が募るのだが。

何がSFで、何がリアルか、その差すらもきちんと区別できない人には、
異空間における単なるパニック映画にしか映らなく、
孤立無援おつかれさん映画としか受け入れられない。

「そもそも宇宙飛行士なんて、大統領よりも、オリンピック選手よりも少ない、
選ばれたごく少数の人しかなれない雲の上の人間だし。——文字どおり雲の上の」
という感覚しか持ち合わせていない人にアピールするのは困難な作品で、ハートウォーミングなお約束が皆無。
その媚のない部分が、余計に魅力的なのかもしれない。

国立情報学研究所というところで私は非常勤で勤務していた時期があるのですが、
そこでは『国際宇宙ステーション搭乗 宇宙飛行士候補者募集』
というリーフレットが誰でも自由に入手できる場所に普通に置いてありました。

こないだ念願の本棚を買って、ようやく搬入と転倒防止器具の設置が済み、
私は今かなり大々的に、本やら、ためこんだ様々なプリントアウトなどを整理している真っ最中。
作業効率を上げるために、やらねばならない雑務だったのを後回しにしすぎていたので仕方ないが、
仕事場が現況てんやわんやで、わりと原稿が手につかなくて困っている。
その作業中に、当時(2008年)の宇宙飛行士候補者募集のリーフレットを見つけた。
スキャンしてみました。こちら2枚ではなくて表面と裏面です。

宇宙飛行士募集2008JAXA.jpg
(クリック推奨。原寸大で見られます。)

宇宙飛行士2008JAXA.jpg
(クリック推奨。原寸大で見られます。)

2008年当時の募集以来、JAXAは2016年現在までに募集をかけていない(たぶん)。
年がら年中、募集していて応募できる職業ではない。
いっぽうで、年齢制限も性別制限もなかったりする。

こういう謎資料をクリアファイルに無造作につっこんで棚に積んでおく癖があるので、
仕事場がどんどん紙に侵食されてきて格闘中なのですが、
これをちょっと読むだけで夢が広がったり、逆に、夢が潰えたりする部分がある……というのは貴重。

この応募条件を見ながら、
(自分には宇宙飛行士に応募するのに、何と何と何の条件を満たせていないか)
(仮に、これと、これと、これをクリアしたとして、さらに数ある資格者の中から万一にも試験の結果、採用されたとしても、訓練業務の一環としてロシア語も習得か。まあ宇宙だものな、英語とロシア語が共通語か)
等々、ほんの一端でも具体的に想像できる余地があるというのは捨てがたい。

宇宙飛行士といえば=「雲の上の人」
ではなく、
どういう資質が重宝され、自分よりも何が秀でて適格であるとされ、必要最低条件としてどんな訓練をこなすのか。
積極的に情報を集めなくとも漠然としてではなく身近で自然に触れえる情報の質が、
物語をどれだけ満喫できるか否かを左右する部分は否めないのかも……。
と思ったりしながら、この手の資料を処分すべきタイミングを逸するのである。



共通テーマ:映画

遠征失敗…… [あ行]

二週ほど前、若冲展待機列を目にしてあっけなく尻尾を巻いて帰ったわけですが、
ブログを書いてしばらくしてから、
「あ……なんでその足で、国立西洋美術館のカラヴァッジョ展を見に行かなかったのかな私は? 失敗したね!」
と気づいたのだった。

昨日の月曜日、上野方面に出かける予定があった。
そこで用事が済んだあと、まず、あんみつ屋の「みはし」に寄って腹ごしらえ。
みはしに行くのは初めてです。
上野界隈では有名なあんみつ屋さんですが、最近知った。
「みはし」って何だろうこのなじみ深い響き……
あ、『黒猫ギムナジウム』にて猫目坊が幼少期を過ごしたのが「三箸屋(みはしや)」だ。
三箸屋のほうは甘味処とはいいがたい場所だが、ある意味「お茶屋」と無関係な場所でもない。

……で、みはし上野本店に。

まず、ふわっと卵が入っているお雑煮(http://www.mihashi.co.jp/menu/ozouni.html)をいただく。
写真のイメージよりお椀が大きかった。
削り節の香りが立って、焼いたお餅といい香ばしく、お雑煮好きだけど外でお雑煮を食する機会って考えてみると殆どなかった。
季節を問わず食べたい系なので、アツアツをありがたく平らげます。
そのあとクリームあんみつを(http://www.mihashi.co.jp/menu/cream-anmitsu.html)。
写真のイメージから受ける印象より、これも一鉢が大きい。

あんみつって、好物でもなかったんですが、ソフトクリームの冷たさと、
冷たすぎない餡やみつ豆や求肥(ぎゅうひ)との絶妙なコンビネーションで、
甘いけど甘すぎず、冷たいけどキンキンではなく、何もかもが頃合いで、美味しい。

で、いざカラヴァッジョ展へ!
事前にHPをチェックして、まだやってると確認済みです。
念のため時間もチェックしておいた。問題ない。

ブータン展を開催中の上野の森美術館をわき見しつつ、国立西洋美術館に到着。

閉まってた。

月曜日、思いもよらない休館日……。
いや、美術館や博物館や図書館関係は、そうよね月曜日、要注意だったのに。

おまけにです、精神的にショックだったようで、上野駅の改札でSUICAを紛失。

いやその……チャージ金額が足りなかったので、券売機でチャージしようとしたら、
《ただいま一万円は使えません》

なに?
これからオリンピックやるとか、国際都市の設備投資とかいってるのに、そもそも券売機の少なさが異常だし(……外国人観光客に取り囲まれて日本人がほとんどいない。日本人は切符じゃなくてみんなSUICAやおサイフケータイなどを使うので)
両替機も見あたらない。
なのに一万円が使えないってどういう了見なんだ……どうしたらいいんだ。

大きいお金しかなかったので途方に暮れ、戻ってきた一万円を手にして、近くのコンビニへ。
仕方なく、欲しくもなかったおにぎりを一個買う。
お金を崩して券売機に舞い戻り、チャージしようとしたら、
パスケースに入れていたはずのSUICAが無かったんです。

あー……あれだねー、さっき券売機で戻ってきた一万円を取ったときだね。
SUICAのほうを忘れたんだな。
まぁちょっと面倒な考えごとで頭がいっぱいだったせいもあるし(←言い訳)、
歩きすぎて横っ腹が痛かったし(←言い訳)、
その場で窓口の駅員さんに問いあわせると「届いてます」

迅速!

「お名前と身分証を」

名前を言って、運転免許証を見せて、返ってきた私のSUICA!
紛失時間、5分弱です。

「これ、受け取るの放置して吸いこまれてしまったんでしょうか?」
アメリカではATMにて、ATMカードを放置して取り忘れた場合、
一定時間を置いたのち、ATMの機械がカードを自動的に吸いこむ仕組みになっています。
次のATM利用者が悪意ある人だったら不正利用のリスクが高くて危険なので、
銀行側が保管しておいてくれるのです。

SUICAもそういうシステム?

「通りがかりのお客様が、取り忘れだと届けてくださったものです」
「うわー……ありがとうございます」

その後はどこにも寄らず、家に帰りました。

ささやかな収穫物といえば、不忍池の蓮。
二週ほど前はショボい有様でしたが、今は葉が青々と茂りつつあり。
とはいえ小学校低学年のとき、もっと見渡すかぎり行っても行っても蓮池に感じたんですが、
縮小したのかな。
こうもささやかだったろうか……?

子供目線を思い起こして、しゃがんで写真を撮ってみたら、
写真に映った蓮池は、けっこう視野を埋めつくす臨場感でした。

2016060614100000.jpg
2016060614110001.jpg

(いずれもクリックすると拡大します。)

Ask.fmはじめました [あ行]

Ask.fm(質問回答サイト)に登録しました。
べつにブログのネタがマンネリがちで困ってるとか、そういうんじゃなくて。
そういうんじゃないから。

Ask.fmに登録している人は匿名で気軽に質問できるはずなので、
気が向いたら気ままに質問してみてください。

私も気が乗ったタイミングで、答えられる質問にはなるべく答えていきます。
質問をお待ちしてます。

https://ask.fm/YuKaNakazato


共通テーマ:blog

おもてなし感 [あ行]

金曜日、羽田空港美術館ディスカバリーミュージアム(第二旅客ターミナル3階)に行きました。

モノレールに乗ったりと、羽田はアクセスにどうしても交通費がかさみがちなんだけど、
入場料無料と太っ腹な羽田空港美術館。
美術館はかなり小ぢんまりしている一室で、広くない(石切さんの宝物庫展と同じくらい)。

第19回企画展「徳川ミュージアム所蔵品精選 TOKUGAWA IEYASU 天下泰平の軌跡」
メインのお目当ては燭台切光忠でした。
フラッシュをたかなければ写真撮影もOKです。

燭台切光忠は、関東大震災で焼失したと思われていただけあって、
黒く煤けて独特の存在感。
刃文を写した古文書らしき文献も添えられていた。
美術館のポスターに、刀剣のポスターが貼ってあって、
燭台切光忠のかつての刃文を写した古文書の絵図面とよく似た写真の一振りが。
「光忠」とあったので、あぁかつては燭台切光忠もこんな感じだったんだろうなあ……と。
黒地に、水しぶきのあがった波のような白い刃文がひだをなして波打っていて、伊達で艶やか系。

ほかもいずれも「本当に結構なお道具をお持ちで……」
という徳川由来の所蔵品。
水戸の印籠とか。
くだんの印籠の元ネタの逸品かぁ。

羽田空港には、修学旅行生とおぼしき制服姿の高校生の団体が居て、
中には空港らしく荷物がカートだったりする姿もあり、
友人(高校時代からの友達)と、
「修学旅行に飛行機とは」
「ハイカラっすよね」
「わたしなんて京都と奈良」
「超、京都と奈良」

美術館を見終わって、
終点(つか始発)である第二旅客ターミナルから、
モノレールで2~3駅・浜松町寄りにある「羽田空港国際線ビル」で、いったん下車。

ここには展望台というよりもしろ展望バルコニーと言える、広々とした展望デッキがあって、
そこでしばらく国際線の飛行機の発着を眺めてました。
すっごい気持ちよかった。

次から次、一分毎くらいに飛行機が飛び立っていくので、
飛行機好きのわたしからすると、たまらない。
好物がパノラマで展開されてます。

自分が飛行機に乗る立場だと、
広いガラス窓越しに、飛行機が飛び立つのを見て待っているときは、わりとだるい。
また見送りに行くときには、自分も飛行機に乗って旅立ちたい熱があおられて、わりと凹む。

そういうしがらみや、時間的な焦りとか、荷物やお土産や天候の心配、一切から解放された状態で、
お天気な空っ風を浴びつつ能天気に発着を眺めるのは、爽快感がとてつもなかった。

ケータリング貨物で機内食を積載していたり、
到着した飛行機に、ボーディングブリッジの四角い蛇腹が伸びていって接続されたりだとか、
こまごまとした所も、俯瞰で眺めていると、いちいち新鮮。
風力発電の白い風車も見えました。
わたし、日本で生風車を見たの初めてだ。

昼下がりでしたが、日が短い。
日が落ちて暗くなってからも、離発着を眺めにデッキに出ました。
外なので夜はさすがに寒かったが、景色がぐんと変わってまた高揚した。
装飾イルミネーションの夜景とは違って、
ライトアップされた一種工業デザイン的な光彩の点滅がSF的ともいえるストイックな美しさ。

スカイツリーも東京タワーも遠くに一目瞭然で、
スカイツリーの、先端のとんがってるところから光線の矢を放っていくみたいなイルミネーションは、
良くも悪くも、おもちゃみたい。

一緒に行った友達は、最先端テクノロジーのガジェットとか好きなのに、
飛行機を乗り物として信用していないらしいのです。
「理屈ではわかっていても、感覚的に、あんな鉄の塊が空を飛ぶなんて……」
「なんでそこだけ原始人みたいなの!?」
そんな友人も、おもむろにスマフォを取り出して、カシャッ カシャッ
シャッターを切ってました。

ロングビーチに居た大学院時代、
車を運転して10分くらいのところにシールビーチという海岸があって、
9月10月と2か月間、わたしは毎日、雨の日も風の日も……(ロングビーチはその時期まず雨が降らないので、雨の日はほぼなかった)夕暮れ時の海岸線に行って、一人で日没を眺めに通ってたことがあります。
その時期、咳が止まらなったのだが、海風を浴びているときだけ、これがまったく出なくなるので。
なんかその時の感覚に近い広がりがありました、展望デッキ。
近くにあるなら毎日通いたい……。

この展望デッキは、鎌谷 悠希の漫画『少年ノート』4巻で、
ゆたか少年と、ウラジーミル少年が再会して、
歌をうたって駆けていくシーンの舞台でしょうか……?
(手元に漫画が無いんで、あやふやです)

羽田はいつ来ても清潔感にあふれ、
内装も色々と小洒落ていて、
おもてなし感満載。
モノレールからローカル駅(浜松町)に着いたとたんの落差がエグかった。


石切丸と小狐丸(石切劔箭神社) [あ行]

ラルカジノ・ライヴ往路のブログを書いている間に、あれれ……?
ワリワリと咽が猛烈に痛みだし、
風邪だ……。
潜伏期間があるので、べつにラルカジノで風邪に罹ったわけではないだろう。
思い当たる節と言えば、たぶんジュラシック・ワールドを見た映画館だ……。
まあちょっと、はしゃぎすぎました。

風邪ひくの4年ぶりくらいだったので、ひいてもおかしくない頃合いですよね、
と、3~4日寝込み……

正確に言うと、風邪のひきはじめに「とあるもの」でうがいをし、
そのうがいに使ったものにアナフィラキシーショックを起こしてちょっと死にかけ、
具体的には「毒殺未遂」症状と言いますか、
全身が臓器を裏表にひっくり返そうとするので、
体からエイリアンがバリバリ体を破って出るんじゃないかと思うほど痛みました。
心筋あたりが痛みだした時には、さすがにこれはマズいんじゃないかと感じた。

「とあるもの」はごく一般的な飲料で、
最近になって、食物アレルギーを起こすので飲めなくなっていたことは自覚していた。
劇症性の食物アレルギーの場合、今までまったく大丈夫でも、
ある日突然なることもあって、
なったら最後、一生治ることはない(……と医者に言われた。あくまでも劇症性の品目においては)。
うがいであれば、問題なかろうと油断していた。そもそもまるで意識してなかった。
殺菌効果が高いので、風邪のひきはじめには、是非こいつでうがいをば、
と、散見される飲料でもあったので、
ガラガラうがいをしただけだったのに。
粘膜からも摂取するんですねー。考えてみればそうですよね。

あとで医者に「そのまま死んだとしても珍しい話じゃなかったんだよ。なんでうがいしちゃったかな!」と説教されましたが、
「……熱でイマイチきちんと頭が働かなくて、この咽の痛みをなんとかできるならば、飲まなきゃいいのかと思いまして……」

持ち直してきたので、
ラルカジノの詳細や、石切劔箭神社について出だしをupし終えたあたりで、
今度は、治りぎわの風邪と、季節性のアレルギーが合体し、偽ぜんそく症状に。
しゃべっては噎(む)せ、寝ては咳きこみ、起きては咳きこむ。コホン、ぜー。
医者に行ったりしているあいだに、数週間が経っていた。

実は以前、8年間くらいずーっと、その手の、偽ぜんそく症状だったのだが、
大きい病院とかにもあちこち行ったものの、ちっともよくならなかったので、
諦めてほぼ放置していた時期がある。
影響するのは花粉と気圧なのだが、日本っていつもなんか飛んでて、いつも気圧が不安定なのよ。

当時はもう、通りの歩きタバコの煙に、嫌味でやってるんじゃなくて本気で咳きこむし、
車の排気なんて悪夢だし、
オサレなレストランとかでテーブルにキャンドルがあると、
うるさく咳きこむばかりなので、店員さんにキャンドルを下げてもらう始末。
百貨店の香水売り場を通るたびに噎せる、
新聞紙広げたときのインクのにおいで噎せる、
「香ばしいね~」←え……煙い、
ネイルやるときはマスクをかけて頼んでいたし、
石油ファンヒーター、石油ストーヴ……あ? 嫌がらせか……
ベープとか、衣類防虫剤(ナフタリンみたいなの)は、虫の前に私が音を上げるのであった。 
挙げればキリがない、考えてみればわりと普通じゃなかった。

慢性の不健康は、命に別条がない場合、良くも悪くも精神的に慣れるもので、
こんなもんだろう、と甘受するようになっていたのだが、
今の呼吸器専門のお医者に行きつき、
数週間の投薬で、あっさり完治したのだった。
今までなんだったんだ、というほど簡単に。
医者の見立てと薬は、ほんとにピンキリ、体質との相性もあります。

その後、3年間ほどまったく咳知らずで、
咳の仕方を忘れた頃合いに、久しぶりの懐かしい感覚ではあったものの、
思い出して有りがたい心地でもないのだった。
咳に対する耐性もすっかり失くしていたし、こんなに疲れるもんだったか……。

で、続きのブログを書くまでに一か月を要しましたが、
遅ればせながら、
先月の、石切劔箭神社の宝物庫展について今さら書く気満々です。

石切剣箭神社は予想以上に加持祈祷のメッカで、
厄払いやら、安産祈願やらの、
由緒正しき、いにしえの神社でした。
宝物庫展は、穂積殿に位置するところでやっていました。

石切劔箭神社(境内案内図)
http://www.ishikiri.or.jp/annai/

私の経路で語るなら、
本殿を参詣して、
崇敬会館で宝物庫展の場所を聞き、
授与所と本殿の間の通路(なにがしの祈願の小さい蝋燭がずらっと並んでいる)を抜けて、
その奥に入っていった。

神社などの宝物庫展は、靴を脱ぐところも多いですが、
靴を脱ぐこともなかった。
外国の人を連れて行ったりするのに、穴場で良いかも。
(欧米人はとかく外で靴を脱ぐのを露骨に嫌がり、
かなり日本の文化に馴染んでいても、服を脱がされるがごとくに難色を示す人が多いので。)

石切劔箭神社は、京都や浅草のように観光用に作りこまれた営業的な顔はなく、
素朴で質実剛健。かなり古式ゆかしいが、
儀礼的な堅苦しさはなく、あくまでも庶民的。
実にいい感じのたたずまい。

宝物庫展をやっていた一階から半地下(?)は、
発掘跡を一部そのままショーウィンドウで展示している、
神社とは思えない博物館的な構造になっていました。
一見、すんごく広い展示場なのかと思ったら、そんなことはなかった。

宝物庫の展示物のかなりが銅鏡でした。
古墳時代とか邪馬台国とか、そういう時代の銅鏡です。
レプリカとか写しとかではなく、
当時のほんまもんの銅鏡。

もともとこの石切さん、
古墳時代レベルの祭事の場所を礎にして、神社になっていたらしく、
法通寺という古代寺院の跡に建てられているんですね。
全く知らなかった。
この法通寺というのが、謎の古代寺院らしく、かなり古代ロマンをあおる場所らしきことが、
石切さんに置いてあったパンフ(近畿大学文芸学部文化・歴史学科が発行している)で判明。

近年、敷地内で穂積殿を建てたときに、
銅鏡やら、棗玉(なつめだま)の首飾り、法通寺の瓦などが発掘されたらしく、それらを展示しつつ、
御神体の石切丸(神剣)やらの刀剣も併せてお披露目。

宝物庫展の展示場は10人くらいの参列者が列になって、順ぐりに展示物を見て回る。
10人ほども入ると、展示室はわりと混み合う広さです。

銅鏡や、ヒスイ色した棗玉は、
ふーん……と流して見るわたし。
とはいえ、銅鏡はどれも丸鏡の背中(模様が描かれている面)が表に出ているだけでなく、
ショーケースに伏している鏡面部分も見えるようになっている。
ショーケースの内側の底辺が鏡張りになっている展示で、
(あ、この銅鏡は本当に鏡だったんだ)
と、わかります。

そうでもないと銅鏡は、大きい文鎮みたいで、
これ本当に鏡? 
という把握しがたい感じになるので、細かいところまで、さりげなく行き届いている陳列です。

で、肝心の刀剣に。

まず太刀・小烏丸(こがらすまる)の写しが。
太刀と言ってもかなり小さい。
太刀というと大きいイメージがありますが、
鎌倉以前の一般的な長刀は基本、ぜんぶ太刀であり、
打刀という存在が、当時そもそも無いといっても過言でない。
脇差はあくまでコンパクト、こいつがどんどん大きくなっていって、
もうそれ太刀じゃない?的なサイズになったのはずっと後年で、
だから薙刀でなく、大太刀でもない平安時代の長い刀といったら全部太刀です(たぶん)。
小烏丸は、よく鶴丸国永と引き合いに出されて、語られてますよね(鳥つながりの白黒で)。
見るからにほっそりとした一振り(66センチ)でした。
先端が槍に近く、ただ刀らしく全身が反っていて、道具っぽかった。

来国俊の短刀もありました。
来派でも、刀剣乱舞に出てくる来国俊の短刀とは別物らしい。

いよいよ展示場中央の島に石切丸と小狐丸が!
まごうことなき本物です。
中央のケースにあるので、表も裏も見られます。
同じショーケースに、大小という感じで、
上に石切丸、下に小狐丸と並んで展示されてました。

石切丸、刀剣乱舞では大太刀となっていますが、実際の神社では太刀と分類されていました。
太刀とあったが、刀剣乱舞の石切丸に相違ない。
(刀剣乱舞の公式刀剣カレンダーでも、ここ石切神社の石切丸が載っています)。

御神刀であり、ご神体なので、写真撮影はできませんでしたが、
本当に大きく、立派な刀(刃長76.1センチ)。

三条の刀の特徴ともいえようか、
切っ先がシュッとすぼまり小さめなので、豪快には見えない。品があります。

小狐丸は、ぱっと見た瞬間の印象といえば、
三日月宗近にそっくり!
小さい!
「三日月宗近より一まわり小さい、三日月宗近」
という感じ。
三日月宗近と同じ刀匠の手による太刀だと、一目でわかる。

何がそうも似ているかというと、
切っ先です。
東博の三日月宗近はかなり大きい刀でしたが(刃長80センチ)、
スリムに見えて、大振りに感じなかったのは、
切っ先がシュッと小口で上品だから。
小狐丸も然り、同じフォルムで先細にしまっている、スッと慎ましやかな切っ先で、
三日月宗近よりひとまわり、ふたまわりほども小振り(刃長53.8センチ)。

ゲーム内では「大きいけれど、小狐丸」と名乗るそうですが
(……うちの本丸には居ないからよくは知らんが)、
小狐丸という名前は伊達じゃない、小さい太刀です。
小狐丸という名前だけれど、太刀なのだという「大きい」であり、
石切丸と比べるならば、3分の2ほどもあったかどうか。
とはいえ50センチ余りあり、
また平安人は平成人よりも小柄だったでしょうから、
十分に太刀として通用したろう。

石切丸と小狐丸は、いずれも三条らしさはあるものの、
三日月宗近と小狐丸ほど、激似ではない……。

小狐丸と三日月宗近は三条宗近・作。
石切丸は三条有成(三条宗近の息子ともいわれている)作なのだそうだ。
なるほど。そんな感じです。

ゲームでも、小狐丸と三日月宗近が同じイラストレーターの絵によるものなのは、
そのあたりを考証してあるんでしょうね、きっと。
そういえば小狐丸の紋は、石切劔箭神社の紋と酷似したモチーフが使われていますよね。
(石切丸の紋は似ても似つかないが。)

宝物庫展では、
刀剣乱舞に登場していない、
かつまた石切丸のように重要美術品の神剣などでもなければ、
小狐丸のように能に登場するわけでもない、
いわゆる無名の、しかしとても美しい1600~1700頃に打たれた「忠國」という脇差(50.6センチ)が展示されておりまして、
切っ先が大きく、乱れ刃の刃文があでやかで派手だけれど、
乱れ刃=女形という刀剣乱舞の刷り込みイメージが必ずしも該当しない。
妖艶な人斬り庖丁ビジュアル系が、異彩を放っておりました。
歴史的に有名な人物が使っていたとかでもなく、
刀剣乱舞に実装されることはまずないだろうが、かっこいい……良い脇差だ……素敵。
人だかりが無いのを良いことに、熱心に見ていましたら、
道すがら駅から一緒に来てくれた、おばあさんに、
「あんさん、刀、好きなん?」
と言い当てられました。

宝物庫展には神輿(みこし)も展示してあって、
おばあさんの話によると、夏にはこの神輿を担いだ先頭を、
神主さんが白馬に乗って、市中をねり歩くんだそうです。
「このあたりじゃとても珍しい、東京じゃどうかしらんけど、このあたりじゃねえ」
いやいや東京でも珍しいです。そんなの見たことありませんもの、聞いたのすら初めてです。

宝物庫展を見終えて、
北授与所で「石切劔箭神社御神宝」の図録をゲット。
もちろん石切丸も小狐丸も、展示してあったものすべてが全頁カラーで載っている46ページ。
1200円だったか。拝観料もなかったのだし、即買い。
やった……! 

本殿のところに戻ってきて、おばあさんとちょっと名残惜しく、ご挨拶を。

――あんさんに会わんかったら、わたしこんな宝物庫展なんて毎日来てても知らなかったわ
――ここまで一緒に来られて、本当に良かったです。とっても助かりました
――気ぃつけて
――お気を付けて、お元気で!

さっぱりと別れて、
私は駅に向かいました。
帰りは下り坂、新石切駅にすぐ着きました。

大阪人はどことなくアメリカン気風? [あ行]

大阪で一泊し、
9/23日13時10分新大阪発の新幹線のぞみで東京に帰る予定。
それまでに、ちょっと大阪のどこかに行ってみたい……。
そう思っていた私は、当初、海遊館を考えていたのですが、
海遊館のHPを確認すると、案の定、ものすごい混みよう。

せっかく大阪まで来ているのだし、
大阪じゃないと行けないところ……行きたいところ……

《石切劔箭神社:いしきりつるぎや神社》はどうだ!
刀剣乱舞の石切丸(大太刀)、小狐丸(太刀)のモデルとなる刀剣が御神宝として存在し、
地元の人には石切さんと呼ばれて親しまれている。石切神社を訪れてみようと思い立った。

キャラの発祥地や元ネタをたどる、いわゆる聖地巡礼が、
ここではほんと文字通り聖地巡礼なので、一瞬、躊躇する。
そもそもいくら石切丸や小狐丸という刀があるにしろ、
ただ神社にお参りにいったところで、当の刀を拝めるわけじゃ……

HPで調べてみたら、なんと! 
9月20日~23日にかけてだけ、限定的に宝物庫展示を行っていると!

なにこの運命的巡りあわせ。
今までのなんだかんだ結構、生きてきてる人生で、
大阪まで自発的に乗り込んできたのは、初めてである私が、
たまたま一泊する、その日程に合わせたかのように、
宝物庫、展示してるのね! 刀、拝めるのね! 
僥倖、ほんとに僥倖なんで、こんなの行かないわけがない。

石切さんには、石切駅と新石切駅とのアクセスがある。
新石切駅のほうが駅から徒歩5~7分と近い。
ハイアットの最寄り駅・中ふ頭

コスモスクエア駅で乗り換え

大阪市営中央線・一番線の電車に乗り、
16駅、しめて所要時間46分。

一度乗り換えればいいだけ、行き方もわかりやすい。
帰りは新大阪に着かなければまずいが、新大阪へのアクセスも悪くなさそうです。

ならば!
新石切側から攻めよう!
朝8時半すぎに出発しました。

ところで大阪の人はみんな歩くの速いの?
ハイアットの最寄り駅である《中ふ頭》まで「徒歩三分です」とホテルの人に教えてもらうも、
3分なんかじゃ絶対無理だし、常にそんな感じでした、大阪。
わたしはハイヒールでもなければ、そこそこ歩くの速いのだが、
歩きやすい靴にもかかわらず、
大阪人の徒歩概念は上り坂とか、ものともしないのか。

さて目的の電車に揺られて、カタカタと進み、
大阪市営中央線は、時間帯なのか、進む方面なのか、終始がら空きでした。
駅についてみると、山がそこそこ迫っていました。
海側から山側へ来たのだ。

事前にネットでググっておいたのだが、
駅にコインロッカーがあるかないか、サイズや値段がわかるという、
今は本当に便利になった。調べによれば新石切にコインロッカーはある。

軟弱な私は、場合によっては荷物を送ろうか、タクシーを使おうかとも考えていたのだが、
実際に着いてみると、たしかに300円のコインロッカーが。
連休中で埋まっているかと心配だったが、
ニ、三、使われているだけで大半は鍵がついている。良かった。
大きなボストンバック一個は問題なく入るサイズで、
さっそくここに泊りの荷物を押し込み、
新石切駅に降りた。出口5番。
快晴。暑かった。

帽子にサングラス姿でうろうろ。
出たとたんに、石切さんへの方角がまったくわからない。
駅の出口までは、石切神社は5番出口、
と書かれていたので、
もうすこし看板的な表示が出ていると期待していた。人通りも極めて少なく、途方に暮れ、
行きがかりの私服女子高生らしき人に尋ねるも、
「えっと~」と彼女も周囲の看板らしきものをぐるりと目で探し、「ごめんなさい、知らないです……」
「いいんです。すみませんでした」

若い人は知らないっぽい。
今度は駅からすぐの交差点を渡ってきた、おばあさんに尋ねました。
「石切神社ってどっちに行ったらいいかわかりますか」
「これから私も行くとこです、一緒、行きましょう」
「あ……はい!」
救世主到来です。

おばあさんは茶色い晴雨両用の日傘をさしていて、私にさしかけてくれる。
わたしは帽子もサングラスもしているし……でもわりと、もやしっこなんで、
日傘をさしかけてもらえると、やはり暑さをしのげる。
しかし、私はおばあさんよりも背丈があるので、おばあさんはのびあがっている。
「あの、大丈夫です。では、持ちましょう」
私が傘の柄にやんわりと手を伸ばすも、
「いやいややや、あんさんほんとスタイル良くてまぁ」
と、断固謝絶、親切な上に褒めてまでくれて、どうしたらいいんだ私は。
素直に、えへらえへらと喜びながら、おばあさんの歩幅に合わせてくっついて進みました。
久しぶりの孫気分で。
普段は見知らぬ人と、こんなふうに同行することはまずないですが、即座に安堵してノコノコくっついていく、こういう時の人を見る目が、私は我ながら優れている、というか運が良いのだ。

「どちらからいらっしゃったん」
「東京から……」
「えぇ……!!?」
「いや、あの用事が! 用事(ラルク)があって! 今日帰るんです、その前に、どうしても来たくて」
「あらーいい所きたわ、あんさんほんと、良いところいらっしゃったわ」
「そうですか?」
えへへ、と喜ぶ。

この石切神社、刀剣乱舞をやっているかたはご存知だろう、
石切丸が、しょっちゅう加持祈祷のことばかり口にして、
戦いよりも加持祈祷が優先、
というか戦いそのものも、穢れをいかに断ち切るかにかかっている。
石切丸のセリフの十中八九が加持祈祷にまつわる中身であるように、
加持祈祷に特化している。厄払い、病魔を祓う専門の神社であるのだと。

(なお、小狐丸のキャラについては知る由もありません……うちの本丸に出現してませんので……。)

「やっぱり今の時代は癌でなくなる人が多いでしょ、
命にかかわるといえば、やはりがんが一番多いねえ」
「そうですよね……」
「たとえば息子がガンになって治療や手術を受けることになったとしたら、
親はそのとき何をしてやれるって。何もできない、そんなとき、
やはり石切さんに通って、手を合わせる、そういう拠り所なんだって、
先日、新聞にも載ってましたよ」
と、おばあさん曰く。

「ほんと、そうでしょうね」
上っ面な返事ではなく、
わかる超分かる、家にも子供のころ生死にかかわる病人が居たから、この思考回路は身近に知っている、
という内心を込めつつ、寡黙に同調します。

病気、病魔の悩みならなんでも祓ってくれるのが石切神社らしい。
東京からはるばる来るなんて、身内に重篤な病気の人がいると思われたら、なんかすまない。
「この期間に限って宝物庫展をやっていて、それが目当てなのだ」
私は早々に打ち明けました。

「そんなん好きなん?」
「はい、わりと」

こっちのが近いからこっち通っていきましょう、と。
おばあさんは歩調がしっかりしていて、つかつか進む。
心臓が悪いから石切さんに毎日通っているそうで、毎日、一時間半、歩いているそうです。
「……毎日、一時間半……!」
オウム返し。そうだよ今日は休日なのに、休日もだ、凄い。
「はちじゅうしぃやで、わたし」
「え、お……若く見えますね!」
最近のお年寄りは、見た目が若いというのは知っていたので、
こう見えて、77、78くらいでいらっしゃるかなあ、と思っていたけど、
84には全然見えませんでした。

孫が東京にいるけど東京にはめったに行かんわねえ、
そうなんですね~

などと、のんきにおしゃべりしつつ、上り坂を10分かそこら、
(気分的には上り坂なんで、15分くらいかかった気もする)
のぼっていくと、神社が左手に!

石切劔箭神社
http://www.ishikiri.or.jp/

それまで閑散としていたのに、神社に来たら、俄然、人が。
賑わっている。
ぎゅうぎゅうではないが、なかなか混んでいました。
お賽銭を入れるまでに、2、3列は待つ感じ。
ぎっしりとした行列になっているわけではなく、まばらな、ふんわりとした列なので、
皆、ゆるい人垣をかいくぐりお賽銭を入れて、てんでに手を合わせる感じ。
頃良い盛況ぶり。
休日だから、普段より人の出があるらしい。

そういえば、おばあさんは、うんと手前の鳥居をくぐる時点でも小さく一揖(いちゆう)してましたね。
何気なく普通に通っちゃったわたしは、おっと……と立ち止まり、そういった小さなチグハグを経て、
手を清めて、そのあとお賽銭を入れて、
二拝、二柏手、一拝礼で合掌……と、
おばあさんの見よう見真似でわたしも手を合わせていると、
せっかくきたんだから、どうせなら鈴も鳴らしたら、と促される。
ガランがらんがらん、と太い縄に自分が振り回されるようにして鈴を鳴らして、
なむなむ……じゃなかった、祓えたまえ、きよめたまえ……。

おばあさんが宝物庫展の場所を尋ねてくれ、(完璧に孫状態。助かりました)
おばあさんと一緒に宝物庫展を見ることに。
拝観料はなんと無料で、
ちょっとした別区画への閾(しきい)を超える感じで、
たしか一度階段を上がり、
それから半地下……? 程度まで階段を下りていきました。

~つづく


共通テーマ:旅行

往路→ラルカジノ:L'ArCASINO@大阪夢洲野外LIVE 2015 9/22 [あ行]

行ってきましたラルカジノ!
私が行ったのは最終日の9/22火曜(9/21が初日)。
いやぁ、今回は会場にたどり着くまでが、正直なところ過酷でした。

そもそもラルクがライヴやるよとフレが出たときに、
まず大阪のホテルと、大阪までの交通手段を手配できるか、予約できるかが第一関門。ラルクのライヴチケット自体の先行販売よりも、数か月前にである。
会場は制限退場なので、場合によってはライヴ終了から3時間かかりますと。
その場合、どう考えても東京に帰ってこられない。いろいろ目算をたててはみたが、泊り以外に方法がない。

シルバーウィークのど真ん中、しかも夢洲。どこです、そこは、なんて読むの?
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに近い埋め立て地・ゆめしまで、
なぜよりにもよって激混みするシーズン、
かような場所でやるんでしょうかねと不平タラタラ思ったのは内緒(もう時効よね)。

いや、もちろんガチでいうなら、
ソロでそれぞれ今まさにガンガン活動しまくっているラルクメンバー全員のスケジュールが合うのがこの時期だったんだろうとか、
暑すぎて急病人続出するような時期を避け、寒すぎで急病人続出するような時期も避け、
野外でライヴやれる季節というのが日本ではものすごく限られているとか、
公共交通手段がある程度確保できるアクセスの場所を、
しかも虫やら蛇やらの被害が心配なあまりライブに集中できない……とかいう危険の少ない場所で(それでもでっかい熊蜂が一匹飛んできた一瞬、自分を含め周辺がピリピリと不穏になりました)、
避雷針を立て、大雨程度ならば決行なんで、そのとき大雨が降っても全員が安全に帰宅できる交通手段を確保できる、
一度に5万人を集客でき、そのための設備を用意できる、
ラルクのメンバーがライヴを気持ちよくできる場所。

そんなこんなを考慮に入れたうえで、
人類未踏ならぬバンド未踏的なことをやってのけるのが好きなラルクがパフォーマンスするとなると、
時と場所が実に限られるのだろうとか、そんなことは、承知のうえでだ。 

アリーナとかも屋外ですが、
今回の夢洲のような完全野外、私は参戦したことがない。
ラルクが野外ライヴしていた昔のDVDを見るたび、
いいなぁ……あの時のあの場所に行けた人たちマジ、僥倖だなぁ……。
野外ライヴは絵になるし、いっそう羨ましさを煽る。
そう、かねがね痛感していたからこそ、行こうと心は決まっていたが、ハードルも高かった。

ラルカジノ特設ホームページを確認するにつけても、
これは体力に自信がなく、野外が苦手な人は不向きなので遠慮すべしと、
直接的表現はないが、再三にわたって示されているわけで、
……はたして私が野外を得意としていたときが一度としてあっただろうか。

チケットを無事に発券してから、ふと真面目に真剣に具体的に気にかかりだす。
事前に脳内でいろいろ想定してみたつもりではあるが。大丈夫なのか。

高校時分ですでに茶道部でごまかしようもなくインドア派でしたし、
中学の時の部活はバドミントン部だったりで、
スポーツやってもあくまでインドア。
野外なんてちょっとした恐怖です。(なによりもトイレ環境が一番に恐怖。)

アメリカに留学して、野外の良さを少しは理解しましたが
(……欧米人は何かっていうとすぐ外で楽しみたがるので)
少なくともカリフォルニアとか、あるいはカナダの西側などは、
湿度温度、もろもろ込みの天候の環境が、日本と比べて段違いでいつでも良いんです。

体調管理、体調管理……
前日なんて緊張と不安のあまりに食事もまともにのどを通らないレベル。横になっても、眠れない。
ぶっちゃけ数年前の自分の授賞式の前日のほうが、よほど心穏やかにスヤスヤ眠れていたぞ。
いつだってライヴ前日はワクワクして、眠り浅いよの、浮かれポンチ病なのですが、
そんなご機嫌なふらふらとは異なり、今回は心配すぎて眠れない。
案の定、当日の体調はすぐれないのであった。

そもそも大阪を良く知らなかった。
修学旅行で駅に降りたことがあったかな、通過しただけだっけなという程度で、ほぼ初めて。
ラルクの夢洲会場へのシャトル発着場所コスモスクエア駅も、コスモ・スクエアと気づくまで、
コスモス・クエア……クエアってなんだろ……何語だろう……ってくらい分かってない。
私には、なまじな海外よりも、よほど不安感をあおる都市なのだった。

おまけに夢洲、てんで良くわからない。
埋め立て地で、なーんにもない、住んでる人とか誰一人としていないわけで、
その手のまったく想像もつかない僻地に向かうのが、はっきりいって嫌であり、
ラルクがライヴやるのでなければ行きたくもないのです。

ライヴ一日目に参戦した人たちが、ツイッター等で当日の様子をあれこれアップしていて、
この生情報が、ものすごく役立ちました。
9/21の夜にこの情報に触れ、これで具体的に対策を立てられた。

――つまりトイレは案の定過酷で、建設現場などに置いてあるボックス型のが並んでいる状態。どこもかしこも万博も顔負けの長蛇の列であることとか(……そりゃそうだよ、トイレ完備のアリーナですら行列だもの)、雨でないのは幸い、ライヴ日和の好天、そのぶん砂利と砂がものすごい埃っぽいからマスクがあると良いとか、靴もそのつもりで行けとか、シャトルバス発着場所近辺にはコンビニも自販機もすぐ見当たらない(……あったとしても、万人単位分あるわけない)飲み物は各自、持参していかないとピンチであるとか、日中暑いから帽子は必須とか、日が暮れると寒いから上着持参必須とか。

わたしはポカリスエットを一本完全に凍らし、一本そのままで持ち、あとホッカイロも持参。
旅先で食べ慣れないものを、食べ慣れないタイミングで、
雑に噛み砕き、胃に流しこむと、消化不良を起こしかねない。
万一、おなか壊したり吐き気なんぞ催したら、このトイレ環境劣悪なエリアでライヴどころの騒ぎじゃない。
わたしは乗り物のうちでもバスが猛烈に苦手で酔いやすいので、
前日からやんわりと食を絶ちつつ、当日は朝6時半から絶食しました。

脱水症状を起こすと大変やばいし、尿毒症でも起こしたら洒落にならないので、
常にポカリスエットをちびちびと飲み続け(12時間で500ミリを2本あけるペースでした)、
胃カメラするよりはポカリ飲めるから余裕かな。
空腹なので、のぞみ内のエアコンが寒くてこたえる。
まさか使うまいと思ったカイロを開封して実装し、
……ライヴパフォーマンスしてくれるのはラルクであって、
わたしは無事にたどり着けさえすればよい。元気にその時間を過ごせればよいのだ、
登山したり遊泳するわけじゃなし、いっくぜ~!

新大阪に12時23分に到着。行く先々で女性トイレがものすごい行列。
通常、誰でもそうでしょうが、日常生活の行動範囲内で、どこにどういうトイレがあるか常に頭にインプットしていますよね。混雑状況とかも。それが旅行先というのはよくわからないから、とりあえずあったら行っとこう、という人も多いし、本当に長旅でピンチで我慢していた人たちもいるし、そういう人の連なる行列に出くわすたびに、待つのはたとえ15分程度であれ、ストレスがすごい。
なんせこのシルバーウィークによ!

頭のどこかでいつもトイレの心配です。

新大阪から大阪まで向かうも、通常ならば所要時間5分とかからぬ一駅の電車が、
茨城(と聞こえたけどそんなことはないか?)どこぞで発生した人身事故で30分~50分の遅れ。
それでも動いていたのでよかった。
本来5分のところを途中で停まって20分はかかった気がする。
大阪駅から出発する、ホテル・ハイアット・リージェンシーまでのシャトルバス13時に乗れなかった。

発着場所を案内所で聞き、
(事前に地図を調べて持参していたが、混雑した初めての大阪駅、方向音痴気味の私に、わかるはずもないのだった)
次に出るのが13時30。待つ。ひたすら待つ。
30分足らず、普段ならどうってことないのだが、
不慣れだし、旅の荷物を持っているし、ライヴ参戦が控えているので、
ただとにかくガード下の、ガードレールのところで突っ立って待つ。日陰でよかった。

ウェスティンやリーガロイヤルホテルのシャトルバスは頻繁に、
しかもきちんとしたのが行き来していましたが、
ハイアットはバンであり、30分に一回で、なかなかに不便。
補助席も全部使って、待ってた人員が全員かろうじて乗り込む状態。
チェックインできたのが14時過ぎ。
少し慌てました。

ここからラルカジノのライヴ会場に向かうのだが、
会場には公共の交通手段はなく、ラルカジノのシャトルバスに乗る。
その発着場所・コスモスクエアには、
14時までに着くのが推奨、と公式ツイッターが前日に発表していたのですよ。
ライブは16時から。
道中の所要時間は15分程度なのだが、なにしろ人数が多い。

部屋でライブ用に荷物を入れ替え、身支度を準備万端にして再出発。
ハイアットからコスモスクエア駅はわりと近いので、発着場所に15時前には到着。

行列を覚悟していたが、ピークを越しており、
ラルカジノ用シャトルバスがものすごく頻繁に、ものすごい台数行ったり来たりしてたので、
停滞していなかったのは気分的に、すごく救われました。

発着場所はもっぱらTシャツに長ズボンの女性スタッフが案内してくれ、
いやいやでも、ダラダラでもなく、砂埃にまみれて暑い中、女性スタッフが皆きびきびと行動しているのだった。
バスに乗り込み、シャトルバスに揺られて、夢洲特設会場へ。

この道中を行き交うのはラルクのシャトルバスだけ、渋滞等はなく、びゅんびゅん進みました。
周囲は舗装道路と、あとはひたすら荒野と海。
海と言ってもリゾート地の海ではなく、埋め立て地の海なので、もう殺伐としているといったらない。
どこまで進むのか、目算がつかない荒れ野を突き進む。
店一軒あるでなく、ラルカジノの華やかな看板が目に入っても、ときめかない。
不安が増すばかり。
バスを降ろされても、会場までけっこう歩き、会場に着いてもトイレは案の定ものすごい行列で、
心の底から絶食してきてよかったと、これほど感じたことはない。

せめてアリーナクラスでやってくれ、今後はアリーナでと強く願うのであった。

帽子にサングラス、日が照ると暑いので凍らしたポカリを首に当て、
会場は、特設遊園地と縁日状態でしたが、砂埃が煙っていて、何一つ輝かしく見えず、
15時20分くらいには会場の座席に着いてました。
開演は16時の予定ですが、いつも25分遅れで開始するのが通例なので一時間待機。

会場内、やはりいつもよりは男性陣が多かった。
女性は二の足を踏みますよね。
来ている女性陣は、常よりもかなりの割合でどこから見てもラルクのファンと一目でわかる。
前から見ただけとか、後ろから見ただけとかじゃなくて、どこから見てもわかるグッズ装備。
確かに、ここまで隔絶した場所に来ちゃったら、誰の目を気にする必要もないのだ。
わたしも泊りなんだし、昨年のライブグッズ、通販ゲットしたTシャツに着替えてくるべきであったのか……

この……砂にまみれたパイプ椅子、行列、キッチュを目指した張りぼての世界のために、
こんなところまで来てしまって……気おくれがする、
正直もう帰りたい気がするかも。
映画ダークシティの「シェルビーチ」の看板なみに、張りぼてに見えましたし、
映画バクダットカフェ並みに砂っぽくて見渡すかぎり途方もなく居場所がないし、
ハーメルンの笛吹きに誘われてゾロゾロきちゃった、大きな子供って感じで、
ほんとちょっと死にたいくらい、意気消沈。
前後左右に座っている人たちも皆、すごい無言、ぐったり、げんなりしている気配。
こんなにも周辺近隣を気にしなくて良い環境なのだから、
せめてラルクの曲やPVが、ガンガン掛かっていれば元気も出そうなものなのに。

……ラルカジノというカジノの設定なので、ルーレットとスロットの回る効果音が、
場を盛り上げるために耳障りに流れているだけで、かえって空回りして騒がしいばかり。
日が翳ってきて、涼しい海風が吹いてきてくれたのが最大の救いでしたが、
その分よけいに、この張りぼての世界に連れてこられてしまった、虚しさが募り、げっそり……。

それがだ。
ラルクのライブが終わる前には、帰りたくない……! 終わらないでほしい……!
最終日、今宵かぎりの竜宮城ラルカジノ、
永遠に続いてほしいと心の底から全身でそう切に願っていたんだから、すごいよラルク。
魔法か。
いや魔法だと後々、醒めたり色褪せたりするマジックで一時的だが、
いまだ醒める気配はない。魔力だ。

ラルク登場により、ライヴ会場がラルクという存在で一気に、スパーンと、
このうんざり気分を払拭したかというと、必ずしもその手の無条件の神っぽさでもなかった。
存在もだけど、やはりライヴの中身が良かった、そうでなきゃ来ないよこんな無理してまで。
そりゃまあラルクが出てきた時点で、即、総立ち。
わたしも7割がた晴れやかな気分に一変してましたが、
特効薬が血をめぐるみたいな効果のまわりかたをした今回のライヴ。
何段階か効き目の段階と、周期のような階層があり、
これがMAXだな、と思うとさらにぐるっとまわって次のMAXに行くぜ、
という経路をたどって、
終盤手前あたりの新曲披露で、
……これだからラルクのファンはやめられないんだ、と爽やかに強く自覚するのであった。

今まで私が行ったラルクのライヴは、
ここに魔法陣を敷いたら、すごい純度の高いでっかい賢者の石の結晶ができそう、
という会場の研ぎ澄まされた空気感が充満する感じがありました。
今回は、ゴシックや高踏的にしびれるような陶酔感とは対極。
野外のちょっと泥臭い、ロックでキッチュで原点回帰っぽいカジュアルなラルクであり、
解放感、楽しさ発散がすごい。ラルク主催の宴(えん)たけなわ・もちろん酒類ゼロで。

ほぼ飲まず食わず眠らずでフラフラのはずなのに、
いまラルクきめてる最中だから、超元気だから!
細かいことはどうでも良くなる、エネルギーがすごかったよ、野外。

……ちなみに、これはあくまで私個人の感じかたですから、ほかの人がどう思ったかは知らない(笑)

以前の自分のライヴレポまがいのブログ記事をふりかえってみたときに、
《ハイドは金のラメを織り込んでいる衣装》と記述している。
でもどうやら、あとでオフィシャルが出した写真等で確認するに、ラメは入ってないのかも……
照明のせいだったのか、その時の雰囲気で私にはキラキラまじりに映ったのか……

と、今回もそういうのは多分にあるかも。

よくライヴの感想で「号泣した」と書いているツイッター等を見かけもするが、
私が行ったライヴで、実際に号泣している人を目の当たりにしたことは一度もないんで、
あれは主に心の中の心象風景的なことを語っているのか?
(DVDとかではそんなシーンも見かけますが)。

目的がバラバラな烏合の衆ではなくて、皆一つの楽しみのために集まっているので、
一体感があるとはいえ、
やはり会場は広い。人数も多い。
場の空気感がもう誰が泣いてても全然わかんない感じなのかもしれないが。
「号泣した」という書きこみを見かけるたびに、
いつもちょっと、(え……なに、そんな感じなの)と、
引き気味になったりする、あまのじゃくな私なんですが、
なんだかんだで超絶楽しい……元気になれる、超良かった、
というのが押しなべて私のバイアスを通した今回のライヴ参戦体験です。

長くなったので、具体的な曲目等の感想は、
~つづく♪



共通テーマ:音楽

裏の姿 [あ行]

気付けば刀剣乱舞のことばっかりブログに書いているが、
べつに刀剣乱舞ばっかりやっているわけではありませんよ、念のため。
今となっては、さほど……。毎日、内番と鍛刀だけは怠らないが。
わが本丸では、運営により配られた《おふだ》も、一枚たりとて御利益はありませんでした。

とはいえユーザーが爆発的に増えたおかげであろう、
あちこちでリアル刀剣の特集を組んでくれるし、
ニコニコでもどんどんキャラモデルが美しく登場するしで、お祭り状態だから、つい。
花火があがっているうちに楽しみたい。

そんな刀剣乱舞、21日に運営からの告知で、
「和泉守兼定(太刀)、同田貫(太刀)、大倶利伽羅(太刀)の刀種が、
明日より太刀から打刀に変更となります」と。

青天の霹靂で、私は目を白黒させている。

太刀か打刀かを決めるザックリなポイントとしては、
サイズ、時代、銘の位置などが挙げられるが、
一概に言えない。
あと実際、使い手がどう使ってたか、ってなあたりもポイントかと思うが、
このへんは最近では皆、知ってる情報かと思うので、ここでは割愛します。

問題は、彼らのもととなる刀が実際、打刀分類かもしれないんだよとかいうことよりも、
(いやいや、だって、そんなことこっちは薄々、勘付いている上で、
設定を呑んでプレイしてたんですよ。
太刀だねそうだね、キャラデザも性格も役割もまさに太刀って感じだもんねそうだよね、
と、信仰してたわけだから)

「ないがしろにされるべきでないのは、こいつは信仰を揺るがす問題なんだ」ってことです(笑)

……実際の信仰も結構そういう、外から見れば「どうでもよくね?」ってところに、
ユーザー(信者)にしてみたら許しがたい地雷があるのだろう。

「ええとこれまでキリスト教と一線を画していたユダヤ教(太刀)ですが、
イスラム原理主義過激派組織と戦うために、
プロテスタント(脇差)と手を組んでもらいます。

そのためユダヤ教(太刀)は、明日からはキリスト教です。
カソリック(初期刀)や正教(打刀)と同類となります。
みんな仲良く開眼してね」

と、いわれるような通達です。面食らうでしょ。

「もとを正せば、ざっくりだけど、
ユダヤ教の聖典や訓えが、キリスト教の旧約聖書の元になってるわけだからさ。
むしろ分裂したのが正されたと考えるべき。喜ばしい事態だよ」
とか周囲が言っても、ユダヤ信徒の気持ちを逆なでするばかりで、火に油を注ぎかねない。

……んなこと、こっちは百も承知でユダヤ教徒やってきたんだ、と言われそうです。

子供のころ、
「ナチスは、ユダヤ教徒であろうと、カソリックに改めれば強制収容所送りにしない」
という場面を映画で見て、
「なんでみんなカソリックに改宗しないんだ、馬鹿真面目にもほどがある」
と思ってたが。

改宗する人が出るのは当然だし、改宗する者たちを咎められはしなくとも、
とてもじゃないが改宗なんかできない、という信徒がいるのも、至極当然なのだよな。

という、ここまでは前ふりで、
今回のブログの本題は、
東博に展示されていた三日月宗近の展示方法を目の当たりにしたときの、違和感について。
今回の太刀・打刀の刀種変更の一悶着のさなかで、
ふと思い起こして気になったので記しておきます。

一般的に、銘は刀の正面に入っています。
流派によって裏に入れたりもするが、一般的に正面。
正面とは、刀を帯びたときに外側にくる部分。

だから展示した時には、茎(なかご)=つまり柄(つか)側を左に。
そのとき銘が見える、正面の状態で展示されるのが一般的です。

その状態で、刀身が刃を下にうつぶせて、背中を反っていたら太刀。
刃を上にして山なりに置かれていたら打刀、というのが、ざっくりな見分けかたになるわけです。
銘がない刀もあるし、まあ色々と、例外はあろうかと思う。

脇差の骨喰藤四郎みたいに、素敵な彫りが施されていると正面がわかりやすい。

いっぽう東博に展示されていた国宝の三日月宗近。
こいつは茎(なかご)が右側に置かれていました。
刃先が左側にくるかたち、
通常とは左右逆向きで、展示されていたんです。

なんで?
深い意味があったのかな。

ほかの刀は軒並み左側に茎(なかご)がきて、切っ先が右側に配置されていたのに。
その三日月宗近ブースの違和感が奇妙すぎて、
「美しい」とか味わう以前に、
なんかしっくり来ないモヤモヤ感のほうが募った。

海外に輸出された左右反転漫画とか見ると、
すごく気持ち悪くて、すんなり内容を咀嚼しがたくなる、あの感じですよ。

おそらくは、三日月宗近と呼ばれるゆえんの、
三日月型のうちよけが沢山わかりやすく刃紋に出ている面を表側に見せるためか?
と推測できるんだが……。

それとも三日月宗近は切っ先を左にしなくてはならない、お約束とか作法でも?

ちょっとググったところ、根津美術館で4年前に展示されてた三日月宗近は、
左側に茎、右側に切っ先という、ごくごく一般的な正面展示をされている。
三日月宗近特有のお作法はなさそう。

とすると、やはり話題の三日月の打ちよけを見せるため?

解せぬ。
正面あっての裏の顔だと思うのだ。

もし三日月を見せるためだったら、
正面は正面として配置して、
裏に回って見られる状態にしてほしかった。
東博はスペースも広いし、
前からも後ろからも見えるショーケースに入っている展示物もいくつもあったのだ。
正面と裏がはっきりわかる展示にしてほしかった。
しれっと左右逆に置かれているのが、気色悪かった。
(んで誰ひとりとして、その事実について言及してないよ……)
着物のあわせを逆に着付けている人を見ちゃったときの感触。
絵の向きを変えて展示したら大変な間違いであるように、
そこはちょっとさ……天下の東京国立博物館がなんでもありなんて、ありなのか……と。


エーテルとクロロフォルム [あ行]

まだやってんの……!?

……と周囲の人間に言われるんですが、いまも『カンパニュラの銀翼』の英訳チェック中です。
今月末には終わらせたいが……。

なんか途中で英訳者のかたの集中力が若干、尽きてきている感が……
一文やフレーズのみならず、段落がごっそり抜けている箇所も少なからずあり、
単なるケアレスミスなのか。
と思うと、恣意的な省略と思われる部分も多く、
どうやら面倒くさくなると、ざっくり中身を変えて省いちゃうのよね。ダチョウとエミュのくだりとか。
……ややや。ここまるっきりないぞ。
あ、全く身に覚えのない単語の羅列が……。
いずれもが、省かれたり変えられたりしては困る重要なポイントなのである。

で、私が英語で文章を書きくわえたり、
書き直したりせねばならない箇所も……という有様なのである。
そこはしかし外国語なので、すらすらとは捗らないのである。予想以上に。

むろん、私一人でこんな大量に訳せる筈がなく、訳者さまさまなのです。
英訳者が言語能力が長けていることは予想がつくのだが、
根本的に小説のなりたち、小説というものの何に気遣いが必要か……が、
若干Questionableなのは否めない……。

誤訳はもちろん、
物語に齟齬が生じる訳というのは困りものです。
訳文のテストだったら、けっして間違いにはならなくも、
単に、英訳文が文法ミスなく仕上がっていれば、
小説として通用するというわけじゃない場面は多々あるのだった。

たとえば。
81~82頁くらいに出てくるシーンで、
重傷を負って担ぎこまれてきたベネディクトに、殺してくれとシグモンドは頼まれる。
が、シグモンドは医者に命じるのだ。

《医者はガーゼにエーテルを染みこませ、ベネディクトの口元にしばらくのあいだ押し当てた。》

The physician moistened some gauze with ether and held it steady under Benedicts's nose.

と訳されています。全く問題ない。

で、後になってその時の出来事をシグモンドが回想し、エリオットに告白する。
かいつまんで当時の状況を説明するシーンが340頁目。
ここに至るまでに、当然すごく色々なことがあったわけで、訳者は忘れてしまったのだろう。

《私は医者に頼んで薬を嗅がせて、ベネディックを無理やり眠らせたんだ。》

この場面では、特に何の薬剤で麻酔をかけたか具体的に明記してはいないのですが……。

I had the doctor force him into sleep with chloroform.

→私は医者にクロロフォルムで彼(ベネディック)を無理やり眠らせたんだ。

クロロフォルム使ったことになっちゃってるのよ。
眠らせる薬→クロロフォルムと訳したのでしょう。
別に間違いじゃない、訳文としては。

しかし小説の翻訳としては大いに間違っている。

エーテル使って眠らせたので、ここで麻酔薬(narcotic)とせず、
あえて具体名を入れるのならば、前訳のとおりにether(エーテル)と訳してくれないと困るんだ。
クロロフォルムとエーテルはまったく別物の薬剤。
クロロフォルムは当時、etherほど普及していません。歴史背景の描写としても欠陥があるかと。

この話、幻想文学という把握もされていますが、ミステリーでもあるんで、
薬剤の名前が変わっていると、まるで他意があるかのように。
シグモンドが意図的に、エリオットに当初と異なることを織り交ぜて話しているのか?
エリオットを騙すつもりなのか?
それとも当初の記憶が覚束ないほどになっている?
……とか色々な齟齬が生じてきて、物語が成立しなくなる。
断じてクロロフォルムではいけない。

又、たとえば家系図のところ。

《リリィ・ウェラーは、エドガー・ヒューと結婚し、娘ラヴィニア・ヒュー、息子ヘラルド・ヒューを産んだ。》
――(中略)
《ヒース・コレットはラヴィニア・ヒューと結婚した。二人の間にできた子供は――(後略)》

ここで、ラヴィニアが最初、Evaniaと訳されています。
ヘラルドもGeraldoとなっている。
まず私はGeraldoをHaroldと直すのですが、
多分これは訳者のかたが、〔Haroldとしたいのなら、日本人はハロルドと書くのではないか。
ヘラルドの語感を生かすのならGeraldoのほうがそれっぽい〕と思いたったのだろうと予測。
わかります。直しますけれど。

で、ラヴィニアも、私のイメージではLaviniaのつもりだったのだが……とEvaniaねえ……
……どんなもんかしら、
と、次の《ヒース・コレットはラヴィニア・ヒューと結婚した。》の英訳を読み進めると、なんとLaviniaとなっている。

……ぬ。
語感で名前を訳するんなら、せめて統一してくれないと、
その都度、その都度の感覚で訳されては、いただけない……。
Evaniaと、Laviniaでは別人です。
それだとトミー・コレットが、誰の血を脈々と受け継いできているのか。
その重要な血縁が、途切れてしまうではないか。
齟齬が生じ、辻褄が合わない、小説のミスになってしまう。

たぶんパッと見て、大した意味がない一文に思えたのかもしれませんが。
大きな瑕疵に繋がってしまうんです。

不老長寿(eternal youth)を、Immortality(不死身)と訳されていたりとか、
こういうレベルの、文法上は誤訳とも言いがたいが、
小説上は、おもいっきり誤訳というのが物凄くあります。
不老長寿=不老不死と思ったのか?
しかし作中でしっかり、「不死ではない」と言ってるそばから、Immortal、Immortalって、
もうわけが分からないよ……(笑)

わたしは小説家になるまでは、大学の研究室の非常勤勤務でしたが、
そこで学術論文の翻訳チェッカー的な仕事も、わりと折にふれて携わる機会がありました。
この手の作業にある程度、馴染みがあるし、
一人の目では大量のミスがすり抜けてしまうのはわかります、なにしろ母国語じゃないから。
母国語だって、初校・再校と校正が必要なのだ。

学術論文は小難しいといえども、小説ほど長くない。
長いものは、チャプターごとに担当の学者がそれぞれあてがわれる。
学術論文・翻訳アンソロジー的な一冊を作り上げるのも、わりと一般的。
そんな短い訳でも、下訳チェックの時点で、ざっくざっく考えられないようなミスが……。
……こちら本当に専門家が訳してらっしゃるの、まじで。
……みたいな状況も珍しくなかったもの。
(日本の一流大学系で、自分の研究室を持って、留学経験もあって、おまけに准教とかじゃなく、教授だったりするお歴々でもです。)

他の作家の方々は、誰しもこの手の地道な作業を自分自身で網羅してきているんだろうか?
英語にアレルギーの人はどうなるんだ。

何ヶ月を要しても、一円にもなりはしないが、ただひたすら自分の小説への情熱で、
しこしことやる。
(しこしこ……とは最近、辞書の意味からやや外れた用途を多く見かけるが、本来の意味で、しこしこと。)
そんな作家って少ない気がする。みんな私よりもずっとスケジュールが差し迫って忙しいだろうから。
このわたしでもスケジュールのやりくりに困るほどだ。
こういう作業嫌いじゃないから……救いですが。

有名作家は、物語を精読・熟読したうえで、校正してくれる優秀な英訳チェッカーが居るのかも。

あ、でもたとえば村上春樹とか、当人も翻訳をしたりと、
それでいてまた海外で通用する英訳作品を出している作家は、
自分の英訳作品にも、やはり隈なく、目を通していると考えるべきだろうなあ。

そんなですが。

「ああ。そうしておくれ」
(292p、シグモンドの台詞)

→"See to it that you do not, please,"

……と訳されているのに出会ったときは、
この語調、まさにシグ! 本来、語るべき英語でまんまシグ!
と痺れたりと、
そんな素敵な英語も盛りだくさんなので、
私自身、できあがりを猛烈な不安とともに、物凄く楽しみにしながら、進めています。



共通テーマ:

思ったんだ [あ行]

海外ドラマのシャーロックが巷で流行ってるっぽいのは結構、前からですが、
わたしは映画(……ロバート・ダウニー・Jrがシャーロック・ホームズで、
ジュード・ロウがワトソン医師)ヴァージョンが好きなので、ふーん、と受け流していた。

シャーロックが、いろんな探偵ものの先駆けとして、金字塔なのはわかるけれども、
「だって名探偵ものならエラリー・クイーン作のドルリー・レーンが断然いかすよ! ダントツだよ!」
個人的にはそう思っている節もあります。小中学生時に読んだ以来なので、だいぶ忘れてますが。
ドルリー・レーン、今ハリウッドで映画化するならヴィゴ・モーテンセンに演じてもらいたい。

ウィキペディアに《エラリー・クイーンは後期シオドア・スタージョンが覆面作家をやっていた》
と載ってるので、
「エラリー・クイーンの世界観は、なんかすごい。
ドルリー・レーンってば、まじやばじゃん?」
……と小学高学年とか中学時代に、わたしが感じ入っていたのは、なるほど一貫性があったのだった。

(わたしはかつてSFJapanの新人賞受賞の言葉において、
シオドア・スタージョンが好き、と明言しております。あと萩尾望都と太宰治と、ブロンテの嵐が丘。)

海外ドラマのシャーロックは、
シャーロックの世界観を現代に焼き直してうまいことアレンジしてるので、
今さら感を払拭しつつ、往年のファンおよび新規ファンを揃って獲得している。
ではシャーロック・ホームズの内容がとりわけ際立って面白いかというと、
実際のところ、シャーロックとワトソンとの相棒としての掛け合いが、
バディものとしても成立し、
たとえ内容や犯人やトリックは知れていても、いつの時代も人気を博するわけですよね?
んでもって、探偵もののクラシックで、正統派色の強いあたりが。

だったら、日本でも往年のバディものの探偵を、現代版にアレンジしてテレビ放映すればいい。
子孫とかいう設定じゃなくて、思いっきり現代に焼き直して。
と、思い至ったのだが、
……日本においては、
引き立て役とかではなく、上司と部下などの上下関係にもなく、
対等に場を張って、たがいに助けあえる相棒がいる名探偵って、
そうそう、居ないのか……。
探偵してる合間に、ほんのり色恋に発展してもおかしくなさそうな男女とか、
もうこの人たち、恋のさやあての合間に探偵してるんだよなあ?
というタイプの男女コンビではなく、
あくまで気心の知れた男同士の相棒で、
しかし男同士だから容易には踏み込めない一定の緊張関係も維持しつつ、
しかもシャーロックとワトソンのような……みんな知ってる往年の推理小説の登場人物……。

江戸川乱歩作の名探偵、明智探偵と、怪人二十面相が組んでバディものやったらどうだ。
相反する二人がなぜ組んだのかは、各回を追って、難事件を解決していくつどに徐々に仄めかされ、
次第にエピソードを重ね、犯人を追いつめるごとに、明かされていくのだ。

みんなが知ってる明智探偵は、なぜか今、車イスで、足が悪いらしく、杖をついたりしていて、
以前のような活劇に向いた探偵業ができなくなっている。
なので、立場的には安楽椅子探偵。
現場に足を運ばないで、ほぼ家で推理をする。

で、現場に足を運んで、ごりごり探偵するのは二十面相がやるわけです。
怪盗が、どうして名探偵・明智君と組んでいるかというと、
どうやら明智君が脚を悪くしたのは、二十面相のせいらしいからだったりする。
怪人二十面相は明智君に助けられ、
……そう明智君は愚かにも二十面相を助けたせいで脚をやっちまって、
後遺症が。

二十面相は罪悪感から、明智君と組んでるわけです。
対等に競い、対等に犯罪ゲームを楽しみ、対等に挑みあうにあたって、
これでは俺のプライドが許さないのだ、
とかなんとか自分に理由づけして。ライバルに塩を送り、協力する。

二十面相ってたしか怪盗ですよね。人を傷つけたり殺したりしないのがモットーなのに、
肝腎の明智君を傷つけちゃった、ばかな俺様……と人一倍、後悔してみたかと思うと、
……馬鹿な明智が、あそこまでおっかけてくるからだよ、無茶しやがって……、
とか逡巡する。
そのへんの経緯は、足がしゅんしゅん動く時代の明智君との回想シーンが織りこまれ、
視聴者に、断片が明かされていくわけです。

では古典ミステリの焼き直しをするにあたり、
どの事件を焼き直すのか。
そこはそれ、二十面相が、
往年の衒学趣味な名探偵・キレッキレの法水麟太郎(小栗虫太郎作)とか、
ぼっさぼさの金田一耕助(横溝正史作)に扮して、
現場に脚を運んで、解決するわけです。
「二十面相」ゆえに。
扮装はお手の物だから。

法水も、金田一も、日本の往年の名探偵は、ぜーんぶ二十面相の扮装という設定。
明智探偵の頭脳とひらめき、二十面相の用意周到な罠で、
小栗虫太郎の推理小説の事件とか、
横溝の推理小説の事件とかを
現代に焼き直して、がんがん名推理していく。

いやちょっと待てよ、明智君は自分の相棒が元二十面相だと知ってんのか、どっちなの!
気付いていて、知らないふりしてるお人好しなの? と見せかけた腹黒?
"Keep your friends close but your enemies closer."
(友は身近に、敵はより手近に置いておけ)
とかいうモットーを壁に貼ってたりしてさ。
二十面相に復讐する機会をうかがうために、手元に置いて見張ってるのか……?
そう視聴者がやきもき、ヒヤヒヤするところもあり、
実際はもちろん最初から明智君は薄々、勘付いており、
シリーズ途中のある事件をきっかけに確信に至る。

しまった気付かれたと、姿を晦まそうとする怪人二十面相にむかって先手を打って、
「君は今後も僕の手足となって働きたまえ」
とか言って引き止めたりするんだ。
「僕がリハビリで回復するまでしばらくのあいだは杖の代わりだ」と。
リハビリ断念してたくせに。

江戸川乱歩は来年が死後50年で、
たぶん50年を節目に著作権が切れるので、
今後ひとしきり、メディアに色々、料理されるんじゃないかと。
リヴァイヴァル的な旬を迎えるかもしれない。
だから今から江戸川乱歩はメディアにとって狙い目なんじゃなかろうかと推測する。

小栗虫太郎は既に50年経ってるし。

しかし小栗虫太郎の書く事件とか、
横溝正史の描く事件って、
現代にそのまま焼き直しすると、
ちょっとアレな(……いろんなコードに抵触しそうな)難題が多いので、
そこは、クドカンが脚本にしたらいいと思うんだ。

クドカンはオリジナルよりも、アレンジがすごくお得意な感じがする。
オリジナルな脚本も、いろんなパロディがぎっしりだし。

監督とか演出は『ケイゾク』とか『TRICK』シリーズの、堤幸彦がやったら、
クドカンと堤幸彦のコンビは『池袋ウエストゲートパーク』で面白いのは立証済みだし、
視聴者はきっとすごく楽しめます。
おもに私がにやつきます。


共通テーマ:テレビ

あとがき [あ行]

このたび刊行の『コンチェルト†ダスト』、
圧倒的に「置いてないよ」との声が多いです、すみません……。
ほんと、マイナー作家のニッチな作品なんで……。注文してやってください……。

今回の単行本には、あとがきがありません。
今まで出してきた単行本はすべてあとがきがあったので、ちょっと面喰らいました。

『カンパニュラの銀翼』のときは、私個人のあとがきはないかわりに、
第2回アガサ・クリスティー賞受賞の選評が入っていました。

――あとがき必要ないですか? 
と確認したところ、
――必要ありません、ご心配なく
と担当編集者から連絡がきたので、おそらくそういう仕様なのかと思います。

あと今回の『コンチェルト†ダスト』、私としては前編・後編の前編のつもりで書いているので、
作品の世界観はまだ続くのだから、
いきなり作者が出てきて、あとがきと称してべらべら語りだされては興醒めでもあろう。
なくて良かった、と思ってもいます。

ただ作者の私としては書き上げる気満々なのだが、
かならず後編が出るという保証はなく、
尻切れトンボでは、お話にならないので、一冊でもきちんとお話として通用するよう、
大きな節目でまずは幕を閉じています。

後編が出るまで待とうと思っている読者の方は、
先々に不安がありますから、まずは今回の『コンチェルト†ダスト』を読んでみてください。

……で、あとがきに書こうかなあ、と思い浮かべていたいくつか、
現時点ではひとまず胸に留めおくとして、
ブログだからこそ書けるあとがきを、記してみようと思います。

作中にいくつかピアノ曲が出てきます。
有名どころで、曲名を聞けば曲がすぐに思い浮かぶタイプのピアノ曲です。
また、たとえ曲を知らずとも、ストーリー展開に差し支えがないように書いています。

ただ、共通言語として曲が語られている部分も若干あるから、
まったく知らないとやっぱりイマイチつまんない、ってな人もあるかもしれない。
私自身、曲を知っていても曲名だけではピンと来ない、という音楽は世の中にかなりあります。

それでも例えばパガニーニ作リスト編曲の『ラ・カンパネラ』とか、
タイトルがついている曲は、ましです。

誰それ作曲の作品集・何番・何楽章とかいわれたときには、
「?」

たとえばショパンのマズルカっていっても、
マズルカっていっぱいある。どの曲が何番だ?
……と容易に混乱に陥ります。

クラシック曲は、演奏者によって曲のニュアンスやイメージ、解釈が相当異なりもします。
『コンチェルト†ダスト』の作中内で言及されている曲のうち、
この奏者が演奏しているこの曲がイメージに近い!
……ってのを、ありがたくもYoutubeで見つけられた分、ここに挙げます♪

♪Chopin: Etude Opus 10 No.4 

http://youtu.be/p0wMR1Qadpw
Chopin: Etude Opus 10 No.4 Maurizio Pollini
実際この動画の青画面上で曲番号がまちがってる。Youtube上で指摘されてます(笑)

 →同曲の別奏者はこちら。上のYoutubeは指使いがわからないので。
 
http://youtu.be/vS_foc_NxI0 
Valentina Lisitsa (Chopin 24 Etudes DVD track) Op. 10 No. 4
 Polliniの演奏のほうが私には好みです。

♪Chopin Mazurka Op.63, No.3

http://youtu.be/lNWJt4orpZc
(Zimerman)Chopin Mazurka Op.63, No.3

Zimermanがまだ若い。1970年代後半頃のミュージックビデオ。
この曲はピアノ自体の響きもまたいい。動画の音質は古いのに。
とくに低音の響きが好き。高音もありきたりにきらびやかな鳴り方をしないなあ……。
絶妙に曲とマッチしてるのよなあ、
と気にかかってググったら、すぐ出てきた。

《ツィマーマンは楽器を自分のコントロール下におくことを徹底しており、
公演ではプログラムで演奏する具体的なレパートリーに合わせて自己の所有するピアノを入念に調整し、それを世界中のホールに運搬し持ち込んで演奏することで知られている。
更に、公演にはピアノ調律師と同行し、共同でピアノを各会場のホールの特性に合わせて調律するなど、音の響きのコントロールに対し比類のない情熱を傾けている。……ウィキペディア》

ど・う・り・で!
若いころ東側諸国にいて、物資不足ゆえ自分で部品作りから調律までこまめに一からするしかなかったのが嵩じたらしいです。

コンチェルト・ダスト

コンチェルト・ダスト

  • 作者: 中里友香
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2013/09/20
  • メディア: 単行本

煙弾アドレナリン [あ行]

なんだかんだいっていつの間に……『進撃の巨人』の漫画を10巻まで読み切ってしまい、

ナナバさんっ……!! ……なんてこと……ッ!

となったあげく今月出る11巻をまだかまだかなと待機中です。

いっぽうアニメのほうは、第16話までにいろいろ思うところがあり。

……ジャンが、骨のかけらを拾い上げながら、調査兵団に入る決心をする場面は、漫画では泣きそうになるくらい良かった、アニメではマルコの死体発見から火葬シーンまでの一連の流れが分断されて描かれたので、感動も分散された……。進撃アニメは原作者の意見も真摯に反映されているみたいで、それゆえに面白さがブレないけど、こういう……エピソードを変更するわけじゃないけどアニメの尺の使いかた云々に関しては、漫画家さんはあんまり積極的に口を挟めないのかなあ……とか残念がってみたりする。

……それから各所で言及されているけど、なんで調査兵団の死亡率が、原作と比べて下がってたんだろう? 
原作の調査兵団および、新兵初陣の死亡率の高さって、
巨人をろくに見たこともない今までの調査兵団志願兵なら無理もないし、妥当なんじゃ……。

今回の104期の入団志望者は訓練兵トップクラスの新兵。
巨人の襲撃にも生きのびてきてるんだから、原作どおり、非常に高いリスクを提示されてなお入団の覚悟をするほうがいいなあ。アニメ版の死亡率では彼らの決心が、ちょっぴり安物に見えやしまいか……。

というか私が訓練兵ならば、原作どおり『調査兵団4年間に9割以上死亡・新兵初陣5割死亡』と言われたら、ぜったい自分死ぬよ……と、震え上がって降参するか覚悟する。

アニメ版の『4年で6割・新兵初陣3割』の死亡率だったら、
私はやれる、あの襲撃を生き延びた私なら絶対生き残れるよ! やってやるさ、くわッ! と燃えはしても、死を覚悟して怯えながらも入団とはならないなあ。

ひょっとして、きたる第57回壁外調査の異常事態発生による危険度の高さをかんがみるに、もともと死亡率が高い設定だと『常軌を逸した事態』が際立たないとして、変更したのか。

……オルオが厩(うまや)の傍で、おそらく兵長待ちしながら、エレンと話すシーン。漫画ではオルオがコーヒーをすすってはいなかったのだが、アニメでは厩の超そばで! コーヒーを飲むか? あそこしか場所がないならまだしも……。馬糞とかのにおいが超芬々とするであろう場所で、いくらオルオであっても、コーヒーを口にしないんじゃないのか……? 

……ハンジさんの描写は回を増すごとに原作と乖離していく。原作のハンジさんの良さがアニメに反映されてなくて悲しい……

原作を先に読んじゃうと、やはり素直にアニメを楽しめなくなってきて、賢明じゃなかったかなー。
と感じるに至っていたのだった。
が! 今回第17話、ついに第57回壁外調査開始で、そういうの全部ふっとびましたね。

熱いね! 息をつけずに30分があっつう間、濃密かつスリリングな展開の再来!
危険度によって色を変える信煙弾の醍醐味が、白黒漫画だといまいちわからないわけだけど。
アニメOPで緑の煙弾が空を渡るシーンを見たときから、期待しまくっていた。
その予想をはるかに上回る、恐るべし壁外調査。半端ないです。
ちょいちょい足してある描写が素晴らしいわー。

『進撃~』は例の能力持ちのキャラクターの人間性と、巨人発動もダイナミックで劇的でむろん面白い。くわえてあくまで普通にカテゴライズされる(実際のところまれにみる逸材&切れ者の)新兵からベテランまでが、ものすごく果断に富んでいる。
主役株から脇役、モブまで、しかし分け隔てなく殺られるときは呆気なく無残にやられるんだから。
回を重ねていっても油断ならなく、息もつけません……。

来週からは正座で待機です。

折り合い [あ行]

あんなに『進撃の巨人』は無理よう! 巨人が生理的に無理だもん!
と言い張っておられた友人(下記参照)が、
『リヴァイ兵長はリーダーシップのある飛影(幽遊の)』らしいよ……
という一声に心揺さぶられ、
ニコニコの有料配信で、アニメ放送分を全話網羅。すぐに追いつき、
漫画を全巻購入し、出ているところまですべて読みきっていた。
巨人については、「もう慣れた。気持ち悪いっちゃ悪いけど……」だそうです。
人が無残に死ぬ漫画とか映画とかあまり得意じゃないと言ってるくせに、
どういう風の吹き回しなのか、割とこのパターン(笑)
2週間たらずでエキスパートになってるではないか!
わたしは……うれしい。

わたしは原作を読みたいのは、やまやまなのだが!
漫画を、アニメより先に読んでしまわぬよう、ねばれるか瀬戸際です。
漫画からアニメを見ると、いつもアニメのドキドキ感が急激に冷める。
落ち着いて鑑賞・分析するに至るので、今はハラハラしておきたいというか。
ネタバレは、いくらでも平気でむしろ率先して知りたいが、
実際に物語に触れてしまうのは話が別です。
Hunter x Hunterくらい、読んでからアニメまでの期間があいていると(10年くらい?)
適度に忘れていてベストなのだが、Hunterの連載が異例であって、普通はそうはいかない。

世の皆さんはこの辺、どうやって折り合いをつけているのか、非常に気にかかります。

俺か。巳年の蛇。年男だよ (参照元:27p--黒猫ギムナジウム) [あ行]

新年です。
猫目坊が巳年の年男でした。

いやな質問=いい質問 [あ行]

2012年11月24日から発売中のSFマガジン(2013年1月号)に、
中里友香インタビュウとしてインタビュー記事が載っています。

このインタビュー、書面(メール)でやりとりしたのですが、
結果的に、掌握小説ぐらいの量をみっちり私めが語ってます。

それがもうなんていうか投げかけられる質問が実に、
いやな質問――なんですよ。

内角深く切りこんでくる、いやな球種のストライク!

答えにくい質問は答えないという手も残ってはいるのですが、
答えにくいからと、見逃しをしていると、どんどん追いこまれるのは自分だけなので、
詰む前に一つ一つきっちり対応していくしかない、という。

簡単には対応できない嫌な球種ってのは、
要するに、すごく優れた球筋なわけですよ。
いちいちもって、良い質問。

よく映画とかで、ありませんか。
核心をついて厄介な質問を無心にしてよこす生徒に向かって、教師が言いよどみ、
「・・・・・・いい質問だ。あとで教官室に来たまえ」

級友にくすくす笑われて、主人公が教官室に参ずると、
先生が、教師と生徒としてではなく、一対一の人間として、

「知りたくば、この発禁本を読みたまえ。ちなみにこの件に関しては今後一切、他言無用」

と真実への鍵を渡してくれるという。

で、のちに先生は真実を主人公に漏らした罪で、
当局に殺されたりとかして、(真実に近づいた主人公をかばうためにね)
主人公は先生の遺志を引き継いで、なんかいろいろ大変な目に自ら巻き込まれていくんだよなあ。(遠い目)

興味のあるかたは、お手にとって読んでみてください☆

トラックバック(0) 

いまさら [あ行]

遅ればせながら年末のNYの写真をアップ。

写真


トラックバック(0) 

エヴァ化 [あ行]

ギルティクラウン#10のエヴァ化がすさまじい。

続きを読む


トラックバック(0) 
共通テーマ:アニメ

……お [あ行]

『黒猫ギムナジウム』が12月1日に発売になったとたん、
アマゾンのマーケットプレイス(中古本市場)に出ていた私の絶版本の『黒十字サナトリウム』が、

続きを読む


トラックバック(0) 
共通テーマ:

えいりあんVSやくざ、もとい「カウボーイ&エイリアン」 [あ行]

そういえば10/10に「カウボーイ&エイリアン」の試写会が当たって、
読売ホールに見に行ったんでした。
私はネットで応募したけど、
もともとファミ通の雑誌が催す試写会だったせいか、
来ている人は男性陣が圧倒的に多くて、前がぜんぜん見えなかった。
一緒に行った友人は、途中退席して、立ち見してました。

わたしは基本、公開前および公開中の映画のレビューをブログでしないと公言しているのですが、
試写会ご招待ってのは、しかし「レビューを口コミしたりブログとかにアップして、広めてね」
っていう暗黙の了解があってこその、企画なのかしらね、とも思うので、
ざっくり内容をおさらいすると、
アメリカの開拓時代を舞台にした『銀魂』でした。
『銀魂』を知らない人にとったら、なんのこっちゃわからないでしょうが、
まあ映画の中身を見る前から知ってても、つまらないし、ね。
いっぽう銀魂を好きな人にとったら、それはそれでまあ問題ないじゃないかと(笑)
「モンハン篇(ゲーマー星人篇)前半」+「歌舞伎町四天王篇」みたいな感じ?……です。
銀さん≒ダニエル・グレーグ。

それと気になったのが、このエイリアン、
同じくスピルバーグの映画『Super 8』のエイリアンと造作やら設定が極めて似てます。
むろんすべてが同じではないけれど、あんたがた遠い親戚同士のエイリアンですな!
というレベル。
トラックバック(0) 

王道 [あ行]

物語の展開においては、バトルものでもスポーツものでも、
あんまり王道に感情移入できない、わたくしなんですが。
王道は、ベタ過ぎる。反吐が出るわ……。

裏をかく機転とか、陰謀をたくらむ腹黒さとか、法の目をかいくぐれる狡猾さとか。
あでやかな美しさ、どろどろした憎悪の力強さに、ぐっとテンションがあがり気味になるのは否めないんですが。

リアルのスポーツにおいては、今回のなでしこジャパンのような王道な勝利が――
強豪ドイツを破ってにわかに注目されたり、
決勝でランキング一位で格上のアメリカ……スタイリッシュで俊敏なアメリカ人選手たち……
かれらを相手に、
点を先取されつつも、追いつき、追い抜きをくりかえし、
最後の最後のPKで、がっつり正々堂々と勝つ、
という、往年のジャンプ漫画も顔負けなくらいが、ぜったい頼もしいです。

澤選手の同点ゴールは瞬殺でしたね。
!?
と、気づいたときにはゴールネットに突き刺さってました。
トラックバック(0) 

いまさら脈絡もなくチェブラーシカ [あ行]

今時なぜ、パペットアニメ、チェブラーシカについて書くのか自分でもよくわからんが、まあいい。
(単純に思い出したからなんだけど。)

「チェブラーシカ」の世界観ってけっこうシュールで、
ワニのゲーナは、昼間は動物園で働いていて、すなわち
=はだかになってワニの檻に入って、のんびり見世物になっている。
で、よるになると服を着て帰宅。
言語もしゃべるし、文字も綴れる教養に満ち、んでもって根っから紳士。

でもワニだから。
ふつうの人間社会で、いくら服をきて、二足歩行しようが、ワニだから。
私も、ワニは無理。ワニと仲良くなるってムリ。

だから孤独で、そんなところにチェブラーシカ、これまた正体不明のちっちゃいむくむくしたやつが、
あちこち、たらいまわしにされて、捨てられていたところ、ワニと出会って友達に。

で、話の中身はソ連時代のロシアの道徳みたいな、
各エピソードは見え透いているんだけど、
シーンとシーンの小さなすきまに、なんかやけにせつない描写が入るのだ。


3分17~6分20秒までが大好き。

ワニのゲーナと、チェブラーシカが、スリのばあさんに切符を盗まれ、汽車を降ろされる。
で、歩いて帰ろうってなり。

「いいかい、線路に沿っていけば、がたがたみちも、沼地もない」
「そいつは素敵だね」

……てなこといって進むんだけど。

「重いの?」
と、チェブラーシカ。で、ゲーナが
「ああ、おおいに重い」

するとチェブラーシカ、いいこと思いついた、とばかりに
「ぼくがゲーナの荷物を持ってあげる。
で、ゲーナが僕をだっこしてくれれば、いいよ」

おい!

突っこみいれたいのだが、チェブラーシカは天然です。
で、ワニもアホなのか、(所詮ワニだしな)
「そいつは名案だ」
って答える。

荷物&チェブラーシカをかついで歩くうち、ワニは疲れて荷物をひとつひとつ下ろしていって、
いつしかチェブラーシカだけ抱っこして、線路を進み、

「いいかい、線路をたどっていきさえすれば、 決して迷うってことはないんだ。わかるね」
「うん、わかるよ」

っていう矢先に、分岐点にきて、あげく行き止まり。

……っていうシーンが、笑っていいのか、せつないのか、もう!

結局、その道中に密猟者を見つけて、スリのばあさんと手を組んで連中をやっつけ、
帰りは仲良く汽車の上に乗って帰るんだけど。

○Cheburashka - Goluboy vagon(Japanese Subtitle)
http://www.youtube.com/watch?v=dzYNF9jeaSo
わにのゲーナが歌う「空色の客車」

なんだこのワビサビのある歌は!

日本語の歌詞は少々意訳してあるみたいで、
私はロシア語はさっぱりだけれど、
「ひろがる台地に広い線路がのびていく、
そして地平線に突きあたる」

というところは、本当は、

「まるめてあるカーペットみたいに、線路はどこまでもくるくると伸びていって、
いつか空へとたどりつく」

みたいな歌詞らしい。

空へとたどりつくかもしれない汽車だから、空色の客車なわけで、
だからこそ彼らが、どこまででも遠くへ行っちゃいそうなエンディングなのである。

ワニのゲーナは、このアコーディオンが得意楽器らしく、隠れた才能の持ち主なのだが、
だったら動物園で見世物のおつとめしてないで、大道芸人にでもなるとかすればいいのに。
いざってとき(?)に、いざって相手にしか聞かせないっつうか。



「アメリカの高予算クソ映画よりよっぽど感動的だ」
というロシア人のコメントに、アメリカンが、
「自分はアメリカンだがこの曲もアニメも大好きだ、ねたみでケンカ売るなよ、ついでにアメリカ映画も高予算ばっかとかぎらないっつの! 世間知らず!」
みたいなコメントをし返しているのが、これまたウケます。
トラックバック(0) 
共通テーマ:アニメ

異形コレクション Fの肖像 [あ行]

これ、ゲラになって初校が来ていることを考えれば、もうオープンにしていいんだと思うのだが、
ひょっとして、毎回異なる異形テーマの今回「フランケンシュタインの幻想たち」
これは発売当日まで伏せておくのがお約束とかだったらどうしよう。

『異形コレクション(光文社)』に、書き下ろしの短編 † セイヤク † が掲載予定です。
ホラーアンソロジータイプの文庫本になるのだと思います。

……というか、異形コレクションって、一般的にはホラーという枠組みなのだな。
私の中では「怪奇」のイメージ。

『異形コレクション』に載せていただくのは初めてなので、
詳しいことがわからないが、たぶん9月発売予定かと思われます。
トラックバック(0) 

嘘つきのパラドックス (自己言及のパラドックス) ① [あ行]

工事中のくせに記事を足す。
いいのかそれで。

「コードギアス反逆のルルーシュR2」を見直してます。
なんで今頃?……って、米国版(正規品だよ)は今頃Turn 19までが出たのだよ。
米国版だと一枚分のDVDケースにDVD2枚装備。一枚のDVDに3話ずつ入っていて、
まとめてがっつり見れる感も、場所を食わない感じも、なにかといろいろ有難い。
むろん日本語で見るわけだが、英語の字幕をつけたきゃつけられるし、
英語の吹き替えを聞きたきゃそれもよし(そんな馬鹿げたことは、まずしないがな。台無しだもの)
まあ楽しみ方が増えるというもの。

これ、去年の10月に予約して、11月くらいに出るはずなのが、出たの今頃よ。
アメリカどんだけ景気が悪いんだろう。

コードギアスの何が好きかって、怒涛のストーリー展開、だらだら続けないテンポの速さとか、
つまりそれは一話一話に凝縮されてる内容の濃さとか
(これで1シーズンやっても持ちそう、ってのを一話分でがっつりやる)。

強力なSF設定、SFガジェットに振り回されず、
SFを存分に使いこなして尚ぶれない根底のストーリーラインとか。
さまざまな登場人物の腹と思惑、因縁と。
妹キャラや弟キャラが、兄キャラ主人公にとって安易で都合のよい「生きる目的」「救出すべき姫」「従順かつ頼れるお供」とならない点も。

主人公は、ほとんど悩まない、悩むシーンがないあたりも、
つか、ルルーシュはしょっちゅう苦境に陥って、カリカリ悩むっちゃなやむが、
それは戦略的に頭を悩ませているのである。
いろいろ企てる悩みであって、トラウマ風に悩んでみせない。
だが猛烈にすさむ、荒みまくり。
憎悪がエスカレート、あれよあれよと、どんどん非情で過酷な状況に、敵も自らも追い込んでくとこや。
そのくせお育ちの良さが、ちらほら滲みでちゃう、高潔なほころびとか。

で、この物語の落とし前、最終的にどうやってつける気なんだ、と思ったら、
みごとに派手にやってみせてくれたところとか。
それだけでなく、いろいろあるんですが。

そんな中で、私がこうも「面白いなこれ」と、はまったのは、
たぶんルルーシュの台詞まわしの良さにあります。セリフ。
内容云々以前にセリフ。
ルルーシュは、とかくいつでもセリフを言っている。
ルルーシュ=ランペルージだったり、ゼロだったり、ルルーシュ=ヴィ=ブリタニアだったり、
その役目役割の言葉を自らを使い分けて、
相手に聞かせるべき言葉、あるいは相手が聞きたい言葉、言わなきゃならないメッセージ、
伝えるべき必要な情報を計算高く言うせいで、ほとんどの言葉が、まず「台詞」。

なにかしら裏腹だったり、あざとかったり、いつでも100%真実なときがない。

くわえて当人のモノローグがあり、
だいたいが上品な罵倒、皮肉な悪態、自嘲めいた黒笑い。
この話、ルルーシュが喋りっぱなしなのね。
モノローグの洪水が、最早ほとんど文学チック。
文語ではないけど、今どき口語であんまり聞けない言葉遣いを、違和感なく、立て板に水ですよ。

たとえば、R2の有名どころである(?)
「さんざん使い倒して、ボロ雑巾のように捨ててやる」
この手のセリフは、今までにも冷酷に淡々と述べる、不感症気味なクールキャラとか、
又はちょっと低脳なやつが、グヘグヘ笑いながら言ったりするのなら見たことある。
が、
自分に「弟」を語り、偽りつづけてあいつもこいつも手にかけてきたスパイを、
ついに篭絡し、おとしいれた瞬間。
悪だくみに満ちた、なめらかな昂揚感ある声で。
標的への憎悪と、自己満足の確認として、悪辣なモノローグ、言ってのけます。
もう爽やか。いっそ、すがすがしい。もっとこの声を聞いてたい、何度も見たい、ってなるのです。

そんだけ喋るルルーシュのくせに、感情を直接、ぶちまけない。
打ちのめされて、腕にヤクを決めそうになったときですら、
それを見咎めたカレン相手に、上品かつ卑猥にネチネチ迫ってみせて、見事ひっぱたかれました。
あれ、明らかにひっ叩かれにいってたし。ひっぱたかれるように誘導してたし。
ルルーシュの期待通りにひっぱたいてやるカレンは、えらい。友情に厚い。

スザクに向かっての「裏切ったなスザク、俺を裏切ったなああああ!」
でさえ、裏切られたって事実を口で確認してるだけで、
起こった状況を言い表してるに過ぎない、リアクションなわけです。
http://www.youtube.com/watch?v=MAc3anRYhR4

そんなルルーシュが唯一、心底、自発的に内面の感情を吐露したときが、
私は全体を通じて、二回くらいあるかと思っていて、
一つは最後、妹ナナリーに「ああ……」って答えたその短い溜息めいた返事を入れるべきか。

んでもう一つは、「ナナリー死亡」の報せが入ったあと。
偽りの弟ロロのロケットを、携帯ごとひっつかんで、投げつけるシーンです。
あの罵倒のシーンは唯一ルルーシュが本気で本音をぶつけちゃった、
自分を見失ってるぞ、な場面で、
その、今どきの若者と思えぬ台詞まわしが、とにかく私はツボに来てたまんない。

「どうしてお前が持っているんだ――
これはナナリーにあげるつもりだったんだよ、ナナリーに!
お前なんかがナナリーの代わりになるものか、この偽者め!

まだ気付かないのか……? 俺はお前が嫌いなんだよ、大嫌いなんだよ……!
何度も殺そうとして、ただ殺しそこねただけだ。

出ていけ!
二度と俺の前に姿を見せるな。でていけ!!!

……あーあ、言っちゃった。何度も殺そうとして、殺し損ねたことまで言っちゃった。
「この偽者」って、ロロがあきらかにダメージを受けるの知ってて言わずにおれなくなってるじゃん。

ちなみに字幕はこうなってます。

Why do you have this?!
I wanted to give this to Nunnally! To Nunnally!
You think you can replace Nunnally in my heart?! You damned imposter!

Haven't you figured it out yet?
I hate you, I despise you!
I've tried over and over to kill you,
but I just keep missing the chance!

Get out of here!
I never want to see you again!
GET OUT OF HERE!

で、これを再び、そのまんま日本語に直すと、

なぜお前がこれを持っている?
これはナナリーにあげたかった、ナナリーに!
お前が、俺にとってのナナリーの代わりなどつとまると思うか、この偽者が!
まだ分からないのか?
お前が嫌いだ、軽蔑してるんだ、何度も殺そうとした、ただその都度、機会を逃してきただけだ。

でていけ!
二度とお前に会いたくない。
出て行け!

――になります。
違うよね。
You damned imposter!
は、おぉお~! ぴったり! さすがプロの字幕職人。
でもあとは同じ内容でも当然、最初のオリジナルのほうが、ルルーシュらしさが出まくってるわけで、
この差異にあるルルーシュらしい言い回しがツボなのです。

ちなみに吹き替え版では、これまた字幕とかなり違っている。
英語字幕って、英語のキャプションとは違うのね、ほんと。
(キャプションは、たぶん耳が不自由の人を想定しているため、咳払いとか、溜息とかまで、全部入っているのですが。)

吹き替え
What are you doing with this?! It's Nunnally's.
I wanted to give this rocket to nunnally, Not to You. TO Nunnally.
You think you can ever replace Nunnally in my heart? You're an imposter!
Haven't you figured it out yet? I hate you. I loath you, I despise you.
I've been trying to kill you but I just keep missing the chance!
Get out of here! I never want to see your face again!
I said GET OUT!

一見、ルルーシュの原文台詞を忠実に訳してるのは字幕のようで、
実はこの吹き替えのほうが、かなり、ルルーシュの言い回しにこもってる細かなニュアンスを、
適確に伝えていますね。
I loath you,
すごい。ルルーシュの「大嫌いなんだよ」に込められた本気の悪意が来る。
吹き替えの声がイマイチすぎで、台無しだけどな。

尚、ちらっと聞きかじったのだと、英語版はニーナだけ、当人かというくらいそっくりそのままです。

――②につづく

リンク


トラックバック(0) 

裏切り復活 [あ行]

と、街頭で発見してテンションがあがる。

斬捨て御免!
とか
反逆のルルーシュ!
とか
必殺仕事人!

とかに通じる、なんだこのピカレスク風なカッコいい響きは。

よくよく見たら「厚切り復活」。
フランチャイズ系焼肉店の幟広告でした。なな。

---続きを読む---


トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

あ? さとう君? 俺。 [あ行]

こないだは、どーもね。
あ゛ーちょっと聞きたいことあってさー、電話くんないかな。じゃ。

ってな具合で、いかにもグロッギーで感じわるーいヤカラから携帯に留守電が入っていたのが、
ぽつ、ぽつと一週間に一回くらいずつ。今週で計三回目。

間違い電話なのね、この番号。
佐藤君じゃないよ、わたしですよ。

と、思いながら放置……していたんだけど……これって新手のワン切りだね? 

私は携帯電話を、ポータブル公衆電話&留守電、という使い方しかしない。
あーら今日も充電切れてたよ。10日に一回だとやっぱり無理があるかね。
ってな具合なのだがそこに態度悪い不愉快なだるだる声で、昨日は朝に留守電が残っていたのである。
「あ、佐藤君? あのさー何度もかけてるんだけど、聞きたいことあるんだわ、0・・・・・・・・・・にかけてきてくんない? じゃーー」
朝に似つかわしくない、徹夜明け二日酔いみたいな、例の声だ。

携帯電話にいちいち番号述べるかね。留守電とともに着信履歴が自動的に残るのに?
どうしてもかけ直させたいんだね? ついに業を煮やしたね?
そもそもだ、オレオレ詐欺的に、おれ、と言って三度とも名乗らないけど、どうなの。
おまけに佐藤君、って。べたすぎるよ。間違い電話がかかってきても不審でなさそうな、メジャーな苗字すぎるだろう。

「このまま何度もかかってきたら鬱陶しいし。着信番号にかけなおして、ちがいますって教えよう」
と、うっかり親切心を起こさせる手口なのでは。
で、ワン切りと同じ、着信番号にかけたら最後、変なのにつながって妙な請求、来ちゃったり。

最近はみんなワン切りになんか、かけ直さなくなってきていると思うし、だからずらっと並んだ番号リストを、機械でなく人間がかけるんでは。相手が出たら無言で切って、出なければマニュアルどおりに留守電に吹き込んでいく。携帯ってけっこう出られないもんで、必ず留守電設定になってるし。一回目はこの文言。二回目はこの文言。って決まっていて、正のしるしをつけてカウントしていくんでは。

なにしろ声とはいえ、柄の悪いこと、この上ない。
佐藤君、たちのわるい先輩から変な連絡がつかなくて良かったね。どうせ面倒をおしつけられるだけよ。それをわかってて佐藤君、さてはデタラメな番号教えちゃった? 

って感じだ。

たとえばそれがよ、大川ロイ・マスタング大佐みたいな、陽気で威圧感のある声で、「佐藤君か。先日はいろいろ助かった。確認したいことがある。至急、折り返してくれないか」とか言おうものなら、佐藤君、切れ者の上司が、なにか留守電に吹き込めないような機密の用件があるっぽいから、直ちに連絡とらないとまずいよ。……ちょっともう、大佐ったらこの番号ちがうから、連絡してさしあげないと、みたいな律儀な気分にさせられる。

あるいは、緑川光ふうな美声が紳士的に一途な感じで「佐藤君。たずねたいことがある。かけなおしてきてほしい」と言うのであれば、ちょっと佐藤、あなた告られるわよ。困っちゃうな、佐藤君は無視してるとか、つれないとかじゃないんです、番号ちがいですよ、よく確かめてください、って教えてあげたくなっちゃうだろうに。

ワン切り業者も、そのくらい声の演出を整えないと。

でも売れない無名の声優さんが、声の仕事にスカウトされたと思ったらワン切り業者だったりしたら哀しい。電話声だけで相手を落とせる技術の持ち主であったなら、その人は声の芸を極めていくべきです。ええ、そうです。
トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

伊藤計劃氏 逝去 [あ行]

わたしがこの人のブログを読みだしたのは、たぶん2007年7月で、佐藤亜紀氏のブログを読んでいたときに出てきて、なになに……? と見に行ったのがきっかけ。

過去ログから読み漁りだしたのだけれど「ブラックホークダウン」の映画の批評が的を射ていて、それからはせっせとこまめに読みに行くようになった。わたしは「ブラックホークダウン」をアメリカの映画館で10回くらい見たのだけれど、日本の友人にすすめてもことごとく評判悪く、無論、映画は好き嫌いがあるので、嫌いとか苦手とかそういう嗜好はもっともでいい。ただ、そうでなく日本での受け止められかたが、何やらことごとく偏っている様子で。おまけに日本に帰国してからテレビでやっていた吹き替えの翻訳にぶったまげ(間違ってはいないけどそれは誤解をまねく……というかこの映画の一部分しか分かってないよ、そこカットするのかよ、全体の意味が違っちゃうよ等々)いろいろモヤモヤして、ああ何、もう私ってマイノリティでいちいちこだわってたらやってけないかな、とか思っていたときに、伊藤計劃氏の映画の評を読んで、なんだか安心したのだった。あ、ここにちゃんとこういう人が居るんだ、と。

そんなこんなしている間に、私も日本SF新人賞で受賞できて、作家になれたので、もしかしたら会えるチャンスあるかもしれない、と思っていた。会ったところで、私は伊藤計劃氏みたいなタイプのSFを書いていないし、あんまり詳しくマシーナやら武器の説明を延々されてもわからないし、メタルギアとか全く知らない(ゲームをやったことすらない)けど、ブログいつも読んでるんです、ってご挨拶に行きたかった。年齢も近いし、高校時代の同級生の友人が武蔵美に行っていて、伊藤計劃氏はムサビだから、もうこうなったらこじつけで(たぶん学科がちがうんだけど)そのへんから話題切り出してとにかくおしゃべりしたいんだ、映画の話をしたいんだ、私、けっこう秘密機関萌えなんですけど、もしかして伊藤さんもそうじゃないですか、と打ち明けたいんだと、そんなチャンスを漠然と夢見たりしていた。(たしかそれっぽいことがハリポタの「不死鳥と騎士団」の批評で書いてあったのである。ハリーが魔法省だか情報省で異端審問チックなのにかけられて、ちょっぴりつるし上げ食らう冒頭のシーンですでに満足「官僚および審問会大好きな伊藤~」と。)

私は、伊藤計劃さんの「虐殺器官」などの出版物よりは、もっぱらブログの読者にすぎなかったのだけれど、しかも本が出版されてからは、ブログに品が出てきてしまい(笑)、文体も格が出てきてしまい(笑)、ちょっと本音が見えにくくなったりもしていたんだけど(笑)せっせと見に行っていた。

ブログにあった氏のスタンス「病魔と闘うとか言ってる人見るとちょっとうんざりする、まあそういう人はそういう人でいいけど、悪いけど戦いたかないし、逃げれるなら逃げてーよ、逃げられないからしょうがなく受け止めつついるんだってば」みたいな(私の要約なので偏ってるかもしれないけど)そんな伊藤計劃氏のドライでやさぐれ気味だけど、絶対ユーモアを忘れずに、だけど時々どうしようもなく弱気になったりしているのが、人を惹きつけ面白く哀しくて目が離せなくて、とにかく良くなってほしかった。

しばらく快方に向かって見えたときもあったのに、ただ今年に入ってからは更新がずっと途絶えていた。気にしながら、まだかな、更新まだかな、またいつもみたいに退院しました映画見ました、と007とボーンシリーズの比較とかやってくんないかなあと思って、今日も更新はまだで、佐藤亜紀氏のブログに寄ったら、伊藤計劃氏とか遺体とかいう文字が飛び込んできて、ちょっと一瞬受け止めきれずにうろたえた。

日本SF新人賞受賞作家は、ほぼ自動的に日本SF作家クラブの会員になるので、私も日本SF作家クラブの会員なのだが(幽霊会員みたいなもんだけど)、ほんの先日、今年に入ってから、伊藤計劃氏をSF作家会員に推薦という議題が提出されて可決されたばかりだったように思う。もしかすると来年とか日本SFの総会のときに、お目にかかれるかも! と思っていたのに。伊藤計劃氏のほうが年齢も作家デビューもいろいろ全部先輩だけど、年齢もデビュー時期も近いので、なんとなく勝手に親近感を覚えていた。友達にも「この人のブログでこんなこと言ってたんだけどさ」と日常会話のネタに出すほどだったから……。

結局、若いときの癌って手遅れになるとあんなにほうぼう手を尽くしている感があったのに、ずいぶん医学は進歩してるのに――。氏がSFに傾倒したのは、勿論もともとの好みとかあったろうけど、伊藤計劃の書く世界では伊藤計劃の病気なんか治せるような世界だったからじゃないのか(ちがうかもしんないけど、もう突き止めようが無い)
あーあ!
と、残念な気持ちでいっぱいです。残念だったのは一番本人だと思うけど。だって今年こそは元気になって、とブログに書いてあるんだ。http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20090107

私が一番好きだったブログは2007年8月2日付の「ある麻薬の話」
たぶん最初ラフで打ったときから、数日後に誤字や文体を少し修正したと思われて(気に入っていたので幾度か読みにいったときにそう思っただけなので、くわしくはわからないけど)私は最初の、ちょっと文体、はちゃめちゃ気味だけどリアル感吐露、みたいなほうがヴィヴィッドに良かった。……のだけれど、修正後のでも存分にいいです。
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20070802
=====

続きを読む


トラックバック(0) 
共通テーマ:blog