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グラブル山姥切もパーティに無事に編成できました。 あとは期間中に上限解放を [か行]

活撃/刀剣乱舞 #12 『箱館戦争』

今回が最終回だと思って見ていましたが、
次回が最終回なんですね。
最終回の一つ前だけあって、気合いが入っていて、
製作側の気迫がひしひしと伝わってきて、とても良かった。

物語の展開としては、正直、御都合主義の最たるもの――。
物語には、たとえSFだろうとファンタジーだろうと、作中の世界におけるルールってのがあり、
そのルール作りがSFやファンタジーの肝だし、
異世界の世界観を堪能する醍醐味だったりするわけなのだ。が、
活撃の場合、その設定が、謎のゆるふわ具合で進んでいく。

当然、物語の展開もいちいちカオスすぎて、もうつっこみが追いつかない。
もはや、突っこみする気も起きない。
むしろ、活撃においてそんなこと、いちいち気にするのは無粋!
今回、カオス具合が振り切れていて、とりあえず物凄くワクワクした。
もう有難う、活撃、ありがとうである。

赤々とした焼け跡の渦中で対峙する、堀川国広と和泉守兼定という構図は、
胸が熱くなる、充実してくるものがあり、
いつまでもこの対峙を見ていたいくらいだった。
なんだったらみっちり本気で一戦交えてほしかった。
が、あくまでも堀川君が丸腰……ではないが、おのれの武器を手にせず、
捨て身で兼さんと向き合って、真剣かつ冷静に挑発しているので、
いっぽう抜刀して刀を振り上げた兼さんとしては、
武器を手にしているのに、(本来ならば相棒かつ助手の)堀川君を前に、
精神的には徒手空拳っていう。そのあべこべ具合が、まことにグッとくるのでした。

この両者の対峙あるいは和解は次回に見送りで、
いきなり審神者が出てきて、じゃあ箱館行っちゃいましょうよ、となるところは、
お前、おちょくってんのか、ってレベルでいい加減だと思いましたが。

一転して箱館戦争にて、
第一部隊が、時間遡行軍を相手に華麗に助太刀に入ってくる戦闘シーンで、
もう、本当に活撃に感謝しかできなくなった。
期待していなかった分、猛烈にテンションがあがりました。本当にありがとうございます……。
短いシーンでも充実していて、とても良かった……。

隊長・山姥切をはじめとして、髭切、膝丸、大典太が神業具合を発揮して、
ほんと理想的にアニメで具現化されていて素晴らしかった。
とくに山姥切国広は活撃で、ひときわ愛されてる感じがする。
(欲を言えば、国広兄弟同士として、これまでに山姥切国広が堀川国広に、
なんらかの助言を与えるシーンがあっても良かったんじゃないかと思うが。
骨喰と薬研は、藤四郎兄弟としての会話があったのだからねぇ……。)

第一部隊があくまで助太刀というスタンスで、箱館戦争に登場してきたのも良かったし、
うち三日月と骨喰がまだ来ないので、こちらは次回に持ち越しできっと必ず登場して、
良いところで助太刀に入ってくれるにちがいないし。
無論、第二部隊の薬研、鶴丸、蜻蛉切も、最高にかっこいい頃合いで、加勢に来るに決まっている。
ああ、もう今から次回へのワクワクが止まらない。

「時間遡行軍、その数、およそ千体!」
ってな台詞を聞いたときに、いくら最終回を派手にするったって、
そりゃちょっと盛りすぎなんでは、
千体とはアルジャジーラもびっくり、ざっくりの勘定すぎる……と思いますが。
そこまで煽ってくれたら、もう期待するしかないじゃない。

しっかし審神者もわざわざ来るなら、
そうだ、忘れてましたが、これを……と、
去り際に刀装とか馬装備を置いていくとか、お守りを託していくとか、
来たなら来たなりに気の利いた仕事をしたらどうなんだ、とは思います。
(活撃審神者に厳しい、わたし視聴者審神者である。)
そうすれば兼さんも、あんなに走り回らなくても、
箱館戦争の山道で馬を飛ばせる。
ゲームの設定から逸脱しないし、そのほうが、かっこいいと思うしな。

堀川君が土方さんの助手として、
誠の印をつけた黒い服を着て、しれっと一緒に居るシーンで、
やるな……こいつ……さすが……。
と内心でニヤッと笑いそうになりました。楽しみだ、次回がとても楽しみだ。

第二部隊の兼さんたちおよび第一部隊は審神者の力で、
時空を超えて箱館戦争にやってきたわけですが、
いっぽう第二部隊から自らはぐれた、堀川国広は、どうやって箱館戦争まで来たんだろうか。

薩摩藩邸の火事の時空で土方さんを見つけだして、新選組に入って、
そこからずっと土方さんの助手をして、
土方さんがどんどん北へ北へと……ついには五稜郭に到達するまで、
近藤さんを失い、沖田君は病に倒れ……だんだらの羽織姿を黒服に改めて……。
一度ならず二度までも、そういう辛苦を共にしながら、ずうっと同行してきたんだろうか。
とすると年季がちがうぞ。

あるいは刀剣乱舞のゲーム内で堀川君が極の修行で新選組に潜入したみたいに、
堀川君は独自の旅道具を持っていて、時空を渡れたんだろうか。
この辺のSF的な部分は、活撃の作中でくわしく解明されることがなさそうだけれど、
個人的には気になります。



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グラブルと活撃のコラボが評判良くてやろうかすごく迷っている [か行]

活撃/刀剣乱舞 #11 『鉄の掟』

かつて(2~3年ほど前)アルドノア・ゼロというアニメがありまして、
音楽が『進撃の巨人』の澤野弘之さんで、
なんか良さそう~と思って見だしたのだった。
それなりに毎度、一喜一憂しながら、次回の展開を楽しみにしつつ見ていたのだったが、
1クールの最終回を見終えたときに、

……あ、これは……アニメと私の大変不幸な出会いだった。
これ以上なにかあるかと深追いして関わろうとしないことが、一番得策だ。
長い人生、いろんなアニメを見てくれば、たまにはそういう、
反りの合わないという作品もあるよね、さようなら……

と、2クール目をけっして見ないことを固く決心させるに至る作品だったのですが、
今回の活撃はアルドノアの最終回を見終えたときの感覚に限りなく近かった。
(まだ最終回じゃないから希望はある。)

色々と場面展開がおかしかったですね。
つなぎ方? 

しょっぱなから、
堀川国広が宿屋に戻っていない、え、どこいったんだって時点から始まるところで、呆気。
いくらなんでもそれじゃ、第二部隊が無能すぎる描きかただし……、
こんのすけ、おまえ何のために同行してるんだ。
その無駄にハイテク機能を装備してるのは、なんのためだ。
部隊の刀剣男士ひとりを見つける機能がないってことが、にわかには信じられないで、
視聴者審神者、困惑してます。

活撃の兼さんて難しそうな顔してるばかりで、面白みがないだけでなく、統率力もないの?
堀川が一時、行方をくらます展開にするにしたって、もうすこしなんかやり方が有ったろうに……。

火事が起きたと思ったら、あっという間にあらかた焼け落ち、
その渦中に立っているのに、一面、焼けあとになっていたり、
この場面の次に、この場面がなぜこう続く……ということの連続で。
もはや活撃の登場人物のうちの誰かの悪夢を、仮想現実として味わわされている感じが。
ひょっとしてそうだったんだろうか。

堀川君は兼さんの羽織をいつのまにゲットしてたんだか、
それにしても意外にも今回、一番まともに感じるのが堀川国広だった。

この活撃の世界観と設定なら、おそらく歴史抑止力が働いて、
土方さんを箱館戦争で死なせないように細工しても、
2205年の歴史に問題はおきない気がするよ。

意図的だろうとなかろうとだ、あんなに矢鱈と人が死に、歴史が史実通りになっていなくとも、
「歴史抑止力が働いて2205年の歴史は変わっていません」
ってことの連続なのだ。
悩むだけ損だから、もうやってみなよ、応援するよ。
(駄目なら、さらに時間を戻ってやりなおせばいいだけじゃない?)

土方さんって有名だけど、一人の侍に過ぎないし。
かりに新選組をまるまる助けても、あの分ではおそらく歴史は、歴史抑止力が働いて、
2205年時点ではべつに変わってない気がするよ。

活撃の和泉守兼定が、今回のラスト、あれで本当に堀川国広を折っていたとしたら、
原作ゲームの世界観や設定と、乖離がはなはだしすぎて、
脚本にも兼さんにも私は超幻滅しますが、
それはそれである意味、アッパレと言わざるをえない、振りきれっぷりではある。

こと、原作ゲームで堀川国広を極の修行に出した審神者からしてみますと、
そこまでやってくれれば、公式公認の二次創作として、
原作とは完全別物、別ルートとして咀嚼できます。

が、おそらくは思わせぶりな次回への引きに違いなく、
次週、軟着地して一期を終えそうな予感がしています。

ところでタイトル『鉄の掟』は、刀剣男士の守るべき掟と、
新選組の局中法度にかけているのかと思って見ていたのですが、
これは鉄之助(市村鉄之助)の鉄にかけた、鉄の掟、なんですね。
鉄之助、すごい美少年でした。

で、グラブル――



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気づきと肩すかし [か行]

活撃/刀剣乱舞#3『主の命(あるじのめい)』

相変わらず映像は桁違いに綺麗で、
江戸時代末期だ、ここは本当に江戸時代末期だわ……
と、リアルに感じられるレイアウトと構図の良さ。

偏りは相当あれども、第二部隊・刀剣男士それぞれに一応スポットが当たるシーンがあって、
(陸奥守吉行クラスタはさぞや嬉しかろう……出番の8割がたが陸奥守だったですね)
時間遡行軍との戦闘シーンも、何回も見たいくらい洗練されていて見ごたえがある。

が、小学校高学年向けくらいに作った内容を、うすーくうすーく引き延ばしている感じで、
物語面でいえば、見ているのがかなりきつい。
誰もが振り向く息を呑む美形だけれど、話が相当、底が浅くてつまんない人と付き合ってる不完全燃焼感て、こんな?

今回は、深読みする気も失せるほど内容があまりにも薄かった。
シリアス展開なのに内容がないのは、あてが外れた。
堀川国広の服装が作中で現地の人間に初めて言及されていたけど、
いやいや、ほかの刀剣男士の風体はスルーでいいの?

やはり擬態シールドなんてあるわけもなく、当然あの身支度のまま目撃されているわけで、
(Fateみたいに英霊が人目に触れるときは現代衣装に着替える、という工夫もないわけだな)
下手したらこれ、設定や内容考察とかするだけ無駄骨かもしれない……。

たぶん現時点で私が引っかかっている最大の物足りなさは、
刀剣男士が、付喪神であるよりもむしろ単純に刀の擬人化として扱われていて、
全然、神様っぽさが伝わってこない点かもしれません。
長い年月を経て存在してきた、あるいは語り継がれてきた隔世の存在感が皆無。

審神者を主あるじと言い過ぎですしね。
(刀剣男士はサーヴァントではないはずなのに。)
そもそも刀剣男士、君らがちょっとした神様なんだからな! 末席の部類とはいえども。

第二部隊がひときわ人間くさい面々で構成されているせいも多分にあるが、
いくら人の形をして、いくら人間の真似事をしていても、厳然としてある、
こいつらやっぱり付喪神なんだ……
と感じさせられる異形・人外感が、私が刀剣乱舞をこよなく好いている所以の一ツなので、
現状、活撃アニメにおけるそういう部分の欠如が、物足りなさの理由であろうかと。

鶴丸国永が出てきて第二部隊に入ってくれれば、或いは今後、進化するかしら。

というわけで内容考察とかを一切放棄し、
うわー綺麗だな~かっこいいなあ~
戦闘シーン、ほんとキレッキレで素晴らしいな……
という、物語仕立てのPVを観賞する楽しみかたに替えたら、すんなり楽しめた。

夜遅くにやっているんだし、
一日の疲れを忘れて、何も考えずに楽しむのが「正しい」見かたなのかもしれません。


カラオケボックスの空調はいつも調節しずらい [か行]

久しぶりにカラオケに行ってきた。

その友人とは15年くらい前には、泊まりがけで夜8時間くらいカラオケボックスにこもり、
食事もとらずジュースだけで、ぶっつづけで歌ったこともあります(無論シラフ)。

2人で交代で歌っていくわけなのだが、当時は入力も液晶画面じゃなかった。
分厚い曲集のページを繰りながらリモコンで数字入力。
間違った曲を入れてしまうミスも私は多々あり、
誤入力した予約を取り消したいがあまりに謎ボタンを押して、
友人が気持ちよく歌っている演奏をぶつ切りで止めてしまった苦い思い出も……。
いや、あれは液晶画面に切り替わりたてて、不慣れの時分だったかなあ(遠い目)。

その頃は一緒にカラオケに行く先輩もいたりと、
映画とかより趣味嗜好が分かれずに、カラオケは無難な遊びの部類だった。
今となっては、カラオケに行くのは私はその同級生とだけです。
しかも一年に一度行ったら良いほうかも……。

2時間コース。
昨今まともに歌える曲がない。
新曲を知らないとかではないんです(かつてより今の私は日本のCDをよく聞いている)。
歌える曲が激減したのは、最近私のよく聴く曲、
好きな曲の類が、いずれも難易度が高すぎる。
私レベルの素人がいきなり初めて歌って、まともに歌える曲ではないからです。
まず音域が広すぎる。
(趣味でないのに歌いやすい音域の曲を物色する甲斐性など、むろん私にあるはずもない。)

単に高すぎる曲であれば、キーを下げて設定して歌えば良い。低くても同様。
もっと高かったり低かったりするならば、1オクターブ上げたり下げたり、
自分で調節して歌うことも可能だったが、
音域の幅が広いと、その手のコテ先では太刀打ちが不可能です。

和気藹々と、2人で気楽な罰ゲームをこなしているみたいな空間に。
罰ゲームといっても双方が同じ条件なので、それはそれで面白い……
というか、友人はそれでも歌がうまいので良いんですが、
友人のほうは私の苦戦ぶりを聞かされて苦痛なんじゃなかろうか。
そこは長年の付き合いで、良しとされているけど。

そんなでも懲りずにカラオケに行くのは、昨今のカラオケは映像も音楽もハイクオリティで、
アーティストのPVが見られるのも珍しくない。
音程がとりにくければ、ボーカルサポートがついている。
CDやプロモビデオを流しながら一緒に口ずさむ調子で、
音の良いカラオケを気軽に楽しめる。

私も友人も、音楽全般が嫌いじゃないので、
好きなタイプの音が流れてるだけで、まあわりと幸せだし、
友人に推し曲をさりげなく布教している気分にもなる。
自分自身も、ふだんは辿りつかない、友人の推し曲を知る機会であったりも。

今回失敗したのはJoysoundを選んでしまったからです(ダムでなく)。
薄っぺらい電子音なんですね。
サポートボーカルっておいこれ、ニコニコのボーカロイドでも、もうすこし表情豊かに歌ってくれるぞ……。
おかげでメロディアスな曲も軍歌ばりなノリに。

はもりもコーラスも、ほぼ皆無なので、
大昔のカラオケで声を張り上げる感じに似て、
ほぼ自分の苦しい歌唱力だけで、勝負せねばならず、わたしは大いに悪戦苦闘。
終始、違うんだよこんな曲じゃないんだ嘆かわしい、とぼやいていた。
――これ初めて歌うから、ちゃんと歌えるか分からないから、次の曲を早めにいれて、ごめん、

今までは、わざわざ枕詞で注意喚起してた台詞だったが、
「いちいち言わずに略すけど、チェッカーズとか毎回恒例の懐メロ系以外、
全部、私が初めて歌ってみる曲だから。わざわざ言わないけど、そこんとこ頼む」状態に。

私の場合、終盤にむけて選曲が苦しくなると、アニソンに移行しがちです。
ちょっと前まではアニソンといっても、アニメで流れる部分以外を知らないと、
途中でガラッと曲調が変わって、立ち尽くすことも多かった
(座ったまま歌うので、精神的に立ち尽くす)。
最近はそんな惰弱なカラオケの歌い手のために、便利な仕様が。

アニソンに採用されている曲も、アーティストの曲として入力する場合と、
アニソン設定で入力する場合とでは、収録時間が違っている。
アニソン設定で入力すると、アニメの主題歌に採用されている部分だけが、
アニメ映像で流れる――というバージョンも多いのだ。

(アニメ映像を見ながら好きなアーティストの曲をフルで歌いたい時には、
1分45秒ぐらいでぶつ切りになって、悲しい気持ちになります。)

アニメ視聴で主題歌として耳慣れているだけの私にとっては、格好の志向である。
推しアニメへのお布施にもなりますし。
さっそく『進撃の巨人』一期、リンホラの『紅蓮の弓矢』を選曲したところ、

歌詞が出ない!

いいですかカラオケボックスで歌詞が出ないんですよ!
この曲は都合で歌詞が出ませんという旨の注意書きが、画面に出てきて、
ドイツ語のフレーズが出ないだけなのかと思いなおそうとしているうちに、
まったく一文字も、歌詞が出ないまま曲が進む。 

面喰らいつつ、

~♪
踏まれた花の名前も知らずに
地におちた鳥は風を待ちわびる
祈ったところで何も変わらない
明日を変えるのは戦う覚悟だ
屍踏み越えて 進む意思を嗤う豚よ
家畜の安寧 虚偽の繁栄 死せる飢狼の自由を
囚われた屈辱は反撃のコウシだ
障壁のその、獲物を屠るイェーガー!
ちゃらららんらんら ちゃらららんら(←出鱈目の歌詞すら浮かばなかった)その身をやきながら
黄昏にを穿つ 紅蓮の弓矢~♪

サンホラで歌詞が絵文字化されてたのは出くわしたことがあったけど、
まさか丸々まったく表示されないとは思わなんだ。
紅蓮の弓矢は好きなオープニングだったので、毎回きちんと見ていた。おかげで、
意外に歌える~あはは!
ポジティヴな私でしたが、
あとでググって確かめてみて、俄然、苦笑い。

紅蓮の弓矢
http://utaten.com/lyric/Linked+Horizon/%E7%B4%85%E8%93%AE%E3%81%AE%E5%BC%93%E7%9F%A2/#sort=popular_sort_asc

肝腎なところ [か行]

http://www.cnn.co.jp/world/35097566.html
→CNN:母子施設跡から多数の遺体、乳幼児や胎児か アイルランド

『黒十字サナトリウム』の舞台背景を地で行っている。六章にチラと出てくる第三別館に近い。
あの章の記述は、無縁仏や乳幼児の埋葬方法やらを調べていく過程で
「ありうる」と感じた設定を、練っていったわけだから、
まあ本当にありうる……わけではありますが……。
『黒十字サナトリウム』の悪名高い第三別館の設定は、
少なくとも第一次大戦よりも以前の東欧のつもりで書いていました。

いっぽうCNNの記事は、さほど昔でないという事実に引く。

アイルランドは寒村とかいうレベルじゃない、貧しい国だったわけだし、
時代背景的に、まぁ言われてみれば当然ありうる……という場所ではありますが。
――アイルランドの堕胎禁止問題は深刻ですし。(参考までに→http://www.christiantoday.co.jp/articles/11918/20130717/news.htm

1925年~61年当時の未婚女性が無理に子供を産んでも、
子供の行く末は少なからず、この保護施設跡に埋められ隠蔽された遺体になる結末を辿ったのか。
当初は、結核や、はしかなどの流行り病で死んだ(もっと昔の時代の子供の)遺体が、
数十人ほど埋められているだろう、と釈明されていたようですが。
悪質なネグレクトがあったことはすでに立証されているので、
ここまで数字が大きいと、保護施設で組織的に子供を始末していた可能性が当然、出てくる。
さもなきゃ、しかるべきお墓があって良いんです。

とっさにギレルモ・デル・トロ制作の2007年のスペイン・メキシコ映画
『永遠のこどもたち』を思い出しました。
あの映画では孤児院の6人。
いっぽう現実のアイルランドは、36年間に796人で、桁が違いすぎるが。

妊娠35週の胎児の遺体もあるということは、
カソリックの修道女施設が、
表向き堕胎を禁止しながら、裏では堕胎をさせていたのだろうか。
社会のひずみは弱者が全部、受け皿となる典型の見本みたいな跡地だ……。

それにしても日本語の記事の文面、人骨の痕跡が「浄化槽に隣接した複数の地下室で発見された」
これ、どういう状態だったのか、曖昧すぎて具体的にさっぱり分からない……。
英語でこんな記事ありえるのかな。

日本語のCNNの記事は、英語の参照元が載っていません。
Amnesty International,
Ireland,
796,
CNN
と、キーワードを入れてググってみたら、一発で出てきました。

→Ireland: Human remains found at former home for unwed mothers and babies
http://edition.cnn.com/2017/03/03/europe/ireland-tuam-human-remains/

まったく同じ記事で、日本語版はこの記事の和訳にすぎないのですが、
思った通り、情報がところどころで抜け落ちているんですよね。
意図的に、表現をやわらげるために情報を抜いているのかと思われる。
たとえば日本の記事は施設名が書いてない。
英語の記事はもちろん、施設名から書いてあります。
St. Mary's Mother and Baby Home。

ほかにも、日本語の記事では「地元の歴史家」とか「カトリック関連団体」とか「修道女」とか、
ニュースとしてそれありなんですか、というふわっとした記述にぼかされていて、
これ以上、深く調べることができないようになっている。

英文記事ではきちんと明記されています。その名前でググれば、もっと詳しい状況がわかる。
たとえばこれ。関連写真17枚。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2651766/We-need-dig-babies-graves-Ground-Penetrating-Radar-reveals-lies-beneath-Tuam-Home-site.html#i-65c945ad26967efd
796人が埋められた土地と、当時の修道女の立派なお墓が対照的。
大量の子供の遺体が埋められたとおぼしき、複数の地点についても図解があります。

これら英語版の記事によれば、しかるべき家族のところに引き取られた子供も存命しているし、
数年間、施設で暮らしたのちに、
自分の子供を引き取れる状態になった生母のところに帰った子供も存命中なのがわかります。
(今でいうペットの保護施設みたいな感じで、育てにくい子から始末されたんじゃなかろうか……。)
子供がまったく居なくなってしまえば、始末しているのが周囲にバレますしね。

でだ。
日本語のCNN記事にある、「浄化槽に隣接した複数の地下室で発見された」という文面ですが、
原文のCNN記事では→Human remains were found in the chambers of an underground structure next to a septic tank which could have been used for sewage storage or treatment

浄化槽と一口に言っても、大規模なものから小規模なものまであるわけで、
septic tank=浄化槽、汚水処理タンク (septic=腐敗物)
sewage storage=下水タンク、汚物タンク
sewage treatment=下水処理

原文からは、単純な浄化槽というよりは、
どちらかというと下水処理施設の汚物タンク、その浄化槽という状況が浮かびあがってくる。

日本語にある「地下室で発見された」という文面だと、
隠し部屋でもあったのか? お仕置にでも使う部屋にでも閉じ込めて、放置したのか?
想像と疑念が交錯する余地が次々と出てきますが、
the chambers of an underground structureと読めば、
これ、部屋とは全然かぎらないじゃん! 

小野不由美の『屍鬼』に出てくる、追いつめられた屍鬼が一斉に逃げこむ、パイプライン。
ああいった所に、施設の子供の遺体をつぎつぎ遺棄していった、とも考えられます。
下水処理の浄化槽に隣接しているなら、
使われなくなった下水道の場合もあるだろう。

浮かび上がってくる光景が、がぜん、異なってきます。

……付記 そもそもhuman remains……


五虎退と鬼切@江戸博「戦国時代展」 [か行]

22日、日曜日、江戸東京博物館の「戦国時代展」で、今度は五虎退と鬼切(髭切?)を見てきました。
五虎退は粟田口の短刀。
鬼切は刀剣乱舞の髭切と同じ刀剣なのかもしれない一振りです。
 
  鬼切の伝承はけっこうほかにもあるらしく、
  この鬼切が「源氏の重宝、髭切さ」と同一なのかというと議論の余地はあるのだろう。
  ただ今回の鬼切のキャプションを読むに、
  「源氏の重宝である」点は、間違いなかった。

大寒特有の極寒が続いている中、日曜日はぽっかり天気が良くて、暖かかった。
真夏と真冬は出足が鈍りがちな私も、ほいほいと出かけた。

着いたのは4時過ぎでしたが、混んでいました。さすが日曜。
おそらく一番混んでいたのは、昼過ぎ2~3時ごろだったのでは。
大量の客が、博物館から駅へと向かって出てくる中で、
一人逆行して江戸博に突き進むわたくし。

この分ならけっこう客も捌けているだろうな……と期待していたのだが、刀剣のところだけ行列が。
刀剣乱舞の刀が目当て、といった感じの閲覧者が3割ほど。
あとは、せっかくだから見ておこうかといった感じの入場客だったと見受けられた。

前回、宗三左文字が置いてあったところに、
正宗の打刀があって、これが一番、切っ先が大きくて派手だったので一番人気で、
人だかりがなかなか動かないのだった。
(正宗の刀剣は、ゲームの刀剣乱舞にはいない刀です……。)

なぜ、わざわざ一か所に目ぼしい刀剣を、まとめて展示するんだろうか、こんなにくっつけて……。
昨今の刀剣人気を鑑みれば、混むことはわかる。事実、行列用のパーテーションも用意してある。
行列をつくるのが一種のステイタス、学芸員の誉、展示成功の証なんだろうか。
アカデミックな分野では、最も見やすい快適な環境を提供することが、
最善策なんだろうと信じていたのですが、
若冲展のあの信じがたい行列といい、
行列こそ集客のステイタス、行列のできるラーメン屋さんと同じ観点なのかもしれない。

まあ各、学芸員とか博物館とか企画展の方針ごとに、きっと差があるんだろうなあ……。

といったようなことを考えながら、周囲の展示物に遠目に目をくれつつ、待つ。
刀剣にたどりつくまで25分ほど待ちました。

宗三左文字を見に行ったときは、パーテーションがあって、人だかりができていても、
平日だったし行列になってはいなかった。
今回はみっちり2列ずつ5レーンになって並ぶ。
皆ある程度、じっくり見ているがゆえに、列になっていた感じ。

私はそこそこ背丈があるので、私が前に立つと後ろの人は圧迫感を受けるかもしれず、
こちらとしても、咳払いとか睨まれたりすると台無しなので、
博物館や美術館では、けっこう前後左右を気にする。
立つ場所と、正面をふさぐ時間を気にしつついるので、じっくり見られないときも多い。
だからいつもは、ガラ空きになりそうな日程と時間帯を極力、狙って行くのだが。

今回は、順繰りに進むぶん、後ろから見えるかチラチラ気にする必要がない。
いざ自分の順番がまわってくると、宗三さんを見に行った時よりも、
自分の持ち時間分は、周囲を気にしないでガン見できました。
正宗の豪快な刀剣が人気だったこともあり、
鬼切なんてガラガラで、
いいの? わたし正面まるまるみっちり占領しちゃっていいの?

粟田口の短刀、五虎退はとにかく華奢でした。
厚藤四郎を見たばかりだったから余計そう感じるのかもしれないが、
身幅も厚みも、厚の半分くらい。
とにかく白い。
鋭利。白さのせいか、鋭利なのがすごく引き立って映る。

刀剣乱舞2017年2月のカレンダーや、今回の戦国時代展のショップにある五虎退の写真では、
黒い地肌と白い刃文がくっきり映っている写真なのだが、
実物はとにかく白いです。
プラチナというよりは、白金めいた白さ。
よくよく近づけば、黒い地肌と白い刃文の差がわかる感じ。
遠目にした時点では、ほぼ真っ白。
白銀の世界の白です。

刀剣乱舞のキャラクターは、有名な持ち主に似せてくる場合と、
刀剣そのものの擬人化もとい付喪神化の場合とがありますが、
五虎退はあきらかに、刀剣そのものの具現化で、だからあの華奢な姿、
肌も髪も淡雪のごとき、あのキャラなんだなあ……と、納得。

でも鞘とかの拵(こしら)えは、ゲーム絵の水玉模様とは全く別物だった。
(歌仙兼定などは歌仙拵えの鞘も、ゲーム上で完璧にそのまんま再現されています。)

――ちなみにゲーム上の、おどおど気弱な短刀・五虎退は、
極めてきたら謎テンションな不思議ちゃんと化していて、面食らいましたが、
「ぼくが死んだら~」と朗らかに語りだすあたり、いいですよね。
極めてきた短刀は、他の大きな刀剣よりも、死に直結した台詞を当然のごとく口にしますね。
短刀って、ほかの刀剣と比べても、戦いの道具とか御神刀になるとかいうより、
切腹したり、御枕刀として用いられる機会が多い。その立場上、死を達観あるいは熟知してる感が、
頼もしくって好きです――。

展示は左から、正宗の刀剣、粟田口の五虎退、長巻(薙刀によく似た大太刀)で、
一番右端が、鬼切でした。

鬼切は遠目にも、あ……あれは鬼切!
舟形というか。舟底を髣髴とさせる反りが深い。
一目で物騒さが伝わってくる太刀でしたが、大太刀といわれても違和感ないくらい。
大きく感じた。
大振りで切っ先が小さい外見は、三日月宗近に似ていました。
だから全体的に優美っちゃあ優美なんだが、
樋(ひ・刀剣の背中側に掘られている溝)が通っている点が、三日月よりも断然、実戦向き。
芯が通っていて、頑丈そう。見るからに物騒で骨がありそう。
鬼切か……そうね鬼くらい斬ったろうね……。
自然、見ているこっちの背筋がしゃんとする感がありました。

名刀や名剣は長時間見ていると生気を吸い取られるとか、
とくに女性は刀と相性が悪いから危険とか、
すごくまことしやかにネット上で出回ったことがあったなあ。
刀剣乱舞由来の刀の展示が始まるよ、となったくらいの時期だったか、
「自分は気分が悪くなったことがある」という実体験と共に語られていた……。

個人差があり、感覚的なもので、一刀両断できはしないが、
あれって一種の「女性が入ってくんな」のステマ的な流言だったのかなあ……と思い至った。
名刀で退散するのは悪霊とかだったりするんですよ。
名刀を見てると女性は気分が悪くなりますって、……え? どういうこと?
また、女性は刃物と縁がないとでも……女性のほうが料理してない? 

私は昔から刀剣好きだったし、
刀剣を見ると気分がスッキリ、モヤモヤが晴れはしても、生気を吸い取られる気はしたことがない。
まあ……そう長時間も拝める機会が無いからな……と思い直したりしてましたが、
刀剣研磨の研ぎ師の女性もいるくらいだし、
刀の大小を寝室の床の間に飾って寝るのが武士のならいで、
だったら武家の奥方なんか一体どうなる……。

そういえばアメリカに留学していたとき、沖縄出身のM子さんという人がいて、
私より3歳年上、けっこう仲良しだった。
「やまとんちゅ……本土の人間は床の間に刀の大小を飾る。
沖縄では床の間には三味線を飾るものなんだよ。
そのくらい精神性が異なっている。むかしっから沖縄の人間は、根っから争いが嫌いなんだよう」
熱く力説されて、ぐうの音も出なかったことならば、あります。


亀甲貞宗@東博 [か行]

端的に言うと、国宝・亀甲貞宗の刀は繊細かつ端麗。
一見して、胸打つような白刃の光沢が、やや繊弱な印象、
どちらかといえば細身で、スッと筋が通った感じの反りが、
おおお、国宝。
……という気品あふれる美しいたたずまいの一振りでした。

ゲーム刀剣乱舞の亀甲さんについては、私は10月15日くらいにゲット。
我が本丸しては上々の出来!

その少し前に太鼓鐘貞宗、通称・貞ちゃんをイベントマップでゲットし、
あとはひたすら明石国行……明石国行……。
うわごとのように、明石……明石よ……いい加減にもう、へそ曲げてないで出てきてくださるまいか。
イベントマップ2面を突撃しつづけ、ようやくゲットしたのでした。
実装2015年5月1日から、ほぼ一年半の年月を要して、やっとか!
イベントマップは難易度が低かったので、惰性でプレーしていたために、
明石の顕現場面を思いっきり見逃す……。
ともあれ来てくれて嬉しい、明石国行! 
三条大橋をどれほど往復しただろうか! 明石狩りの間に、どれだけの刀剣がカンストしていったか。
どれだけ検非違使が出て、どんだけ虎徹兄弟、源氏兄弟がお目見えしたことか。
どれだけのお守りを発動させたことか!

たびたび開催される明石ドロップイベントでも、いっこうにお目見えする気配はなく、
我が本丸においては、三日月宗近ゲットまでの期間と肩を並べる、
入手困難な、得難き刀剣であった、明石国行。
口調と台詞がいちいちツボである。
平野君となにもかも正反対すぎて、中の人が同じだなどと、知ってからも信じられない。演技の幅。

その感激が冷めやらぬうちに、(翌日でした)
すんなりやってきたのだった、亀甲貞宗。
2016年8/23に実装された亀甲貞宗につきましては、
(どうせうちの本丸にすぐ来てくれる筈ないじゃん)
気長に構えていたので、虚を突かれまして。

現時点、もっとも戦闘困難とおぼしきマップから、2カ月足らずでドロップ。
我が本丸の運を鑑みると、異例の早さ。ボスマスA勝利・20回くらいだったか。
とりあえず「こんのすけ」企業ゆるキャラ上位記念、ドロップ率倍増キャンペーンに感謝。
重畳重畳……なのは、いいんですが、
そんな立て続けに、眼鏡キャラが登場しても、心の準備ができてないし、
飽和状態ですよ、なのである。

そのため「六角形の眼鏡って……亀甲アピールやりすぎじゃない?」
マント裏地と鞘の模様までもれなく亀甲模様とか、
(刀剣というよりは、蜂の巣の妖精みたいなのがきた)
と、そんな精神状態で、亀甲貞宗を見に行った。

ゲームのキャラと、実体の乖離がここまで凄まじい刀剣も珍しいな……
という印象を私は受けました。

実際の国宝刀剣・亀甲貞宗のたたずまいを、
ゲームのキャラに無理やり当てはめるなら、
山姥切国広に、襤褸布のかぶりものを脱いでもらって、
声は骨喰藤四郎で、
「綺麗とか……言うな。さわるな……」
と顔を背けちゃう感じ。
伝わるだろうか。

亀甲マークが茎(なかご)の裏面に、上品かつ秘めやかに彫り込まれており、
今回は裏が例外的に、表を向いて展示されていました。
(東博展示のキャプションにも、その旨が言及されていた。)

このひそやかに亀甲文が入っているところが、ゲーム上のドM設定にマッチしてはいる。
ただし! ゲームキャラの亀甲さんは、
ナルシスト気味自己アピール全開!
思いのほか天真爛漫で元気いっぱい!
ゲーム上の貞宗の刀剣は、もれなくハツラツとしていて陽気ですよね。
物吉貞宗しかり、太鼓鐘貞宗しかり。

刀剣乱舞公式における亀甲貞宗の紹介文、
「気品薫る貞宗の風格。白菊のごとき美青年」
かかる付喪神像は、なるほど実在の刀剣である亀甲貞宗と、たがわない。
またゲームキャラの亀甲さんも、その紹介文と大きく、ずれてるわけでもないのですが、
ゲームキャラの亀甲さんと、国宝の刀剣・亀甲貞宗は、大きく違った。

写真を撮ってきたものの、案の定よく撮れていない。
シャッターを焚けないせいもあるけど、急いで撮るのでピントがぼけすぎ。

2016101915570001small.jpg
2016101915580000.JPG
指裏に亀甲文。

私の携帯の画質が今一つというのも大きいのですが、
ありがたいことに国宝ですので、こちらで確認できます。

http://www.emuseum.jp/detail/100193/001/002?word=&d_lang=ja&s_lang=ja&class=&title=&c_e=®ion=&era=&cptype=&owner=&pos=97&num=3&mode=detail¢ury=
e国寶  刀 無銘貞宗(名物亀甲貞宗)
茎の裏の亀甲紋がお分かりいただけるだろうか。
(サイズ調整できます。表側も見られます。)

実物を生で見ると、静かな感動があります。
東博で11月13日まで展示しているようです。
私が行った10月中旬は、備前長船派・光忠の刀も展示されていました。
燭台切光忠とはもちろん別物ですが、
同じ長船派の光忠なので、燭台切光忠が焼けて黒く煤ける前の姿を想像できます。
乱れ刃(……もとい丁子刃)が華々しい色気を放っておりました。

2016101915580001mitutadaosahunesmall.jpg
光忠のほうは、刃文が少し写真でもわかるだろうか……。
2016101915580002trim.jpg

昨年七夕あたりに、三日月宗近を見に行ったときには、
ゲーム審神者とおぼしき面々がわらわらと。大雨だったので、それでも随分、空いていたようだったが……。
今回は晴れた昼下がりに行ったのですが、
ゲーム審神者とおぼしき人は、おそらく私と、あと(あの人、多分そうだな……)という一人くらい。
お互いに無言でさりげなく、(あの人たぶんゲーム審神者でお目当ては恐らく亀甲さん)と、
互いにチラ見で認識しつつ距離感を保って刀剣鑑賞を終えられる感じでした。
外国人観光客が疲れ切った足どりで、だるそうに漫然と見て回ってる姿が圧倒的に目についた。

ところで余談ですが


行間を読むというのはこういうことだよエリオット [か行]

そうシグモンドも『カンパニュラの銀翼』で言ってました。
(正確には「文間を読むとはそういうことなんだよ、エリオット」)

ポーの『大鴉』に関する考察的な①~の続き。

私は実は、それほどエドガー・アラン・ポーに親しんできたと誇れるものはなく、
留学先の大学の英文学の教本に載っていた
Cask of the Amontilladoについて、
中間試験用の小論を書いて提出したことがあるくらいでした。

今回、文芸作品の翻訳に携わるまで、ポーに関して原文で扱ったのは、
その短編にも満たぬくらいの掌握小説Cask of the Amontilladoだけ。

日本に帰国してからは『アッシャー家の崩壊』(佐々木直次郎翻訳)を、
青空文庫からダウンロードして、これは好きな作品で何度も読んだ。

あとの作品は常識の範囲で知ってはいるけど、通読したことはない、という状態。

日本語でも英語でも、そうまともに読みこんだことはなかった分、
偏った先入観もなく、まっさらな気持ちで深々とポーの文章に真っ向勝負で、潜っていった。

エドガー・アラン・ポーの『大鴉』の行間から私が何を感じとったか、
この作品を訳す上での全体的な色調やトーン(翻訳の方針、出すべき統一感)
隙間から見える景色とは、
端的に言って
「水、水辺」です。
……詩の舞台は、深夜のと或る部屋、暖炉・扉・床・窓辺・机・椅子近辺なのですが。

『大鴉』はざっくり言えば、
あの世とこの世の境目が夜更けに交わるような状況や錯覚を描いていて、
日本的にいうなれば、彼岸と此岸。

実際ポーも、大鴉がどこからどこにやってきたのかを、 
nightly shore
Night’s Plutonian shore
whether tempest tossed thee here ashore

などという語で表している。
彼岸と此岸という意識は、私が勝手に行間から汲み取ったのではなく、
作中でポー自身によって、かなりクリアに言明されているといえるかと。

韻を踏むための技巧のせいもあるとはいえども、
Night’s Plutonian shoreに至っては複数回、出てきます。

又、たとえば扉の上に掛かっている胸像を描写するとき、
placidという、
穏やかな水面を描写するときによく用いられる言葉を出している。

さらには、
as if his soul in that one word he did outpour.
このoutpourという語も、
感情のほとばしりを意味する動詞とはいえ、
水を扱うときの語。

ポーとしても、
水際や水辺といった雰囲気がひたひたと迫るように意識して、
あえて、この手の語を選んで、描いている。

stillness gave no token,
このstillnessも水を思わせますね。
Still water runs deep という諺がすぐ浮かぶ。
(ちなみに私はこの諺が意味深でなんか好き。)

このstillness gave no token,
「水を打ったよう、波風の兆しも見えぬ」
と水を意識して、私は訳しています。
このstillnessという語も『大鴉』の詩で度々、登場します。

詩の最後でも、
僕の浮かばれない影をfloatingという言葉で描写している。
Floatも浮くという、水にまつわる言葉。

逐一、挙げていくときりがない。
作中が、いちいち水を想起させる語で満たされている。

少なくとも私の中では、知らず知らずのうちに、
彼岸と此岸の往来、夜の水際の意識が、
脳内イメージとして蓄積されていたわけです。

訳す当初は、さほど強く意識していたわけではなかったけれども、
なるべく水を意識したいというイメージが、
無自覚のうちに芽生えていたらしい。

推敲する段階ではもう自分でもかなり意識的に、
水辺にこだわって一語一句を選んでいました。

冒頭のWhile I nodded, nearly napping,
「うつらうつらと舟を漕いでいた、まどろみかけていたところ」

うたた寝していた、居眠りしていた、といった系列の表現の中で、
「舟を漕ぐ」という表現をまず選んだ時に、
『大鴉』を訳していく上での雰囲気の方向性が定まったのだった。
あとは、夜の水辺の気配の中から、言葉を掬い上げていく作業。

there came a tapping
「雫のしたたり落つる音」

tapというのはもともと、タップダンスとかのタップ。
カツカツいう音なわけですが、
カツカツ、こんこん、コトコトといった類のオノマトペを安易に使うのは避けたかった。

日本語はオノマトペがかなり特殊というか、豊富にありすぎる。
もとの英語がオノマトペを使っていないので、
「もしもエドガー・アラン・ポーが現在、日本語が母国語になっていて同じ詩を書いたとしても、
絶対このオノマトペを使うと思う!」
と、よほど確信できる、しっくりくる語がない限り、
こと、詩においては、慎重に扱わなくてはいけない、と思っていました。

tapという単語はtap water (水道水)とかのtapでもあります。
やはり液体に関連する語。

tap(タップダンスとかのタップ)とtap(水道水とかのtap)とでは語源が全く異なるので、
はたしてポーがこの同音異義語を意識して、tappingを使ったか――
については、人によって解釈が異なるかもしれませんが、
私は無関係ではないと思った。

私自身が小説を書くときに、同音異義語は時としてかなり意識して用いている。
―隠微と淫靡とか―
―凶器と狂気とか―
―片身と形見とか―

隠微にいやらしい淫靡の意味はないのだが、
そこはかとなくそういったニュアンスを秘めたいときに使う。

凶器を、武器と言わないでわざわざ凶器と書くときには、
使うほうに必ず非があり、その非は、なんらかの狂気を伴うものかもしれない――

という可能性をさりげなく示唆したり、知らず知らずのうちに植えつけたりするときに使います。
なんとなく感じさせる雰囲気を言外に醸し出したいときに、
作家は――少なくとも私という作家は、そういった手法をとることも多い。

片身と形見については、
短編「セイヤク」や「゛極東での若き日々”」で、
実際かなり意識的に使った経験があります。

セイヤクのときには、編者の井上雅彦先生がこの同音異語に、
すぐさまピンと気づいてくださって
「いいですね」とコメントをくださった。

゛極東での若き日々”
においては、担当編集者がむしろ全く気付かず、
「なぜ片身のようなヴァイオリンという言葉を使うのか、単にヴァイオリンで良くないか?」
小説家は書き手のプロ、いっぽう編集者はいわば読み手のプロなので、観点が全く異なるのだ。
(尚、小説家が書き手のプロで、編集者が読み手のプロという、
この認識が双方で食い違うと、仕事をする上でギクシャクしがちだ。)

で、私はここぞとばかりに、かなり熱く、
「ここは片身という語から、形見というイメージを読者にできればそこはかとなく感じてもらいたい。
実際はそうと気づいてもらえずともよい。
知らず知らずのうちに作品の雰囲気にそういう意識を浸透させたい。
そういった意図で、片身という言葉をあえて入れている。
セイヤクという短編では、そこを評価してもらってもいる。そのときのと同じヴァイオリンです!」
と力説して、小説に書いた記憶があります。

小説に限らずとも、日常において語感と語意というのは意外にも作用しあっていると思う。
まったく同音なわけでなくとも、
たとえば「姑息」という言葉を「一時しのぎ」という本来の意味ではなく、
「卑怯な」といったニュアンスで使う、
いわゆる誤用のほうが、現況、7割の日本人に浸透しているらしい。
これは「姑息な」という音の語感が、「こしゃくな」という語感と似ているからでは?

『大鴉』の詩の中でtappingという語に出会ったときに、
私は水や液体のイメージを喚起されつつ、何か打ちつける意味をまっさきに受け取った。
そのニュアンスを的確に表せたら、と思い至ったのが
「雫のしたたり落つる音」

 尚、今回、翻訳し終えた後に、
 過去の訳者の『大鴉』の詩を二編ほど、探して読んでみました。
 いずれも「ほとほとと」という語が用いられていた。
 ほとほとは素敵ですが、
 原文はthere came a tapping
 a tappingなので、1タッピング。
 一方「ほとほとと」だと複数回、物音が鳴ってるような感じが強調される。
 無論a tappingで「ほとほととした音」1セットと考えることもできるし、
 オノマトペは雰囲気音感なので、一回二回とか厳密に数えきれる数量ではないのだが。
 
betook myself to linking fancy unto fancy
「夢幻の淵へと糸を垂らして爪繰った」

「淵」という語を出さなくても訳せますが、
前述の「舟を漕いでいた」という表現と同様に、
水を意識した「淵」という語を使ったほうが、より水際としての統一感が出ます。
押し寄せてくる彼岸と此岸のせめぎあい、
夜の淵の深みのような気配が、
ムードとして色濃く出るかと。

……と、まぁそんな感じで、終始、行間に、
ひたひたと夜の水辺を感じつつ、訳し終えたわけでした。

E・A・ポー (ポケットマスターピース09)
が刊行となったのち、本の編者であり立役者でもある翻訳家の鴻巣友季子氏から
「どのような経緯で、--a tapping--を--雫のしたたり落つる音--
と、中里流に訳すに至ったのか」という質問を戴いた。

「水です」
ちょうどこのブログに書いているようなことを、長々お答えしたところ、

《いいですね。tapと水、水の雫は自然と結びつく》
と、賛同いただけてとても嬉しかった。
《ついでに言うと、rapはlapとも重なる。波がひたひた、のような》
と。

まさに、そうでした! 大鴉の原文は
…napping
…tapping
…rapping
と韻を踏んであって、
rapはラップ音のラップ、連想されるlapは波が打ち寄せる、潮の満ち引きなどをあらわす動詞です。

さらには、
《ガストン・バシュラール「水と夢」にも、ポーにおける水と死と夜についてのimageryについて書かれていた》
とのこと。

……水と死と夜……
なんと私の琴線に触れる語であることよ!
私はガストン・バシュラール「水と夢」という著作を、
恥ずかしながら、まったく知らなかったので、
――読もう!

以来、ひそかに息巻いているのだが、
いまだ実行に移せていません。



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歌仙兼定登場@永青文庫 [か行]

実物の歌仙兼定を見にいってきました。

7/9日から始まった歌仙兼定の展示、
混むかもしれないと、7/14日、すいてる昼時を狙って友人と行きました。
おかげで暑かった! 

あまりに暑く、ぶっ倒れるのも馬鹿らしいと満場一致(二人ですが)で早稲田駅からタクシーを拾う。
複数人で行く場合、この手段はこの時期、かなり有効かと思います。
普段インドア派すぎるというのもあるのだが……
あそこまで暑いと思考回路が正常に機能しないので、炎天下で迷うのも、無理だ!
東西線早稲田駅から1000円区間でした。

永青文庫界隈は、早稲田大学や日本女子大やらのキャンパスが連立。
永青文庫近辺になると、にわかに鬱蒼と深緑に囲まれて、別世界。

永青文庫は、もともと細川邸のうち事務所だった建物を再利用しているようで、
使用人達の詰め所とか、屯所とかそういう感じだったのか?
当時の洋館の面影を色濃く残していて、ややさびれた感も、味わい深いです。
階段の手すりの位置が異常に低いのに驚く。

館内は美術品があるので、猛烈涼しい。
公式ページにもあるように、上着持参が賢明です。
永青文庫は美術館といっても小ぢんまりしているので、
ひょっとしたらコインロッカーないかな……と危惧していたのだけれども、
ばっちり完備されていて、かなり助かった。

歌仙兼定は展示期間が長いので、私が行ったときは、さほど混んでいませんでした。
ありがたい。じっくり堪能できます。

四階から展示となっており、四階から二階までが展示場。
下に降りてくるという順路で、歌仙兼定は四階の奥・中央に。
薄暗い、もと洋館の古めかしい空間に、ライトが当たっている展示品が並んでいて、
天井が高くゆったりしていて居心地がとても良かった。

歌仙兼定は印象として、打刀としては小振りでした。
《片手で振れるように寸法がやや短くなっている》と説明書きに。
――細川家の目録には脇差の項に書きこまれてありました。
「大振りの脇差」として通用するサイズ感です。

まっすぐ一本気な歌仙っぽく、刀身はやや図太めでまっすぐ。
先端にかけて若干の反りが入っています。
(切ッ先は猪首だったか。うろおぼえ。)

細川忠興が、部下の不調法を罰するためやら、悋気に任せて、三十六人斬ったから、
三十六歌仙になぞらえて、歌仙兼定なわけですが、
細川家側の記録にその旨は明示されて残ってはないとか……
(細川家の性分として代々語って誇れることでもないだろう)

ごくわずかに微細な刃コボレも見られて、使いこんだ感がひしひしと伝わる刀身でした。
そのせいか若干、刃先はよく研ぎこんだ庖丁の風合いに見えないこともなかった。
まさに人斬り庖丁感です。

刀身にひきかえ鮫皮(……エイかも)を漆で燻した鞘が、白と黒のある種天然の水玉模様*で、
スタイリッシュかつポップでおしゃれでした。
この歌仙拵えの鞘、のちに「肥後拵え」と呼ばれたものが、ほかにも何点も展示してあって、
軽そうで、使い勝手も良さそうだった。
鮫というと、文字通り鮫肌でブツブツざらざらが残っている仕立てが一般に多いと思うのだが、
つるっと平ら(エイだから? 燻して漆でコーティングしてるから?*)
エナメルっぽい質感に映る。
ごてごてした飾りがないこともあり、洗練されてます。

今回は展示のお題目が「歌仙兼定登場」なだけあって、歌仙兼定に関連する展示となっており、
細川家というと茶道具の目利きというイメージがあった分、
茶道具のたぐいの展示がなかったのが、私としては少々、残念だった。

とはいえ大半は刀ですが、石棺なみな長持の数々や、
当時の自筆のカルタ(百人一首が書いてあった)とか、
和太鼓——これが、きらびやかではないのだが、色合いがシックで上品な風格が極まっている。
また梨地に秋の花々、川が流れている、蒔絵のほどこされた、今でいうピクニックセット(徳利とか重箱とかが小さい箪笥状にしつらえらえれている)のとか、
ほんともう、風流かつ雅の極み。
華美過ぎず、かといいワビサビの過ぎた野暮ったさがない。
今回、目にしたのは細川家伝来の逸品のうちのごく一部なのだろうけど、
終始一貫して細川家の毛色って、ほんと良いセンスしてらして……と感じる、
私好みでした。

そんな中で、一振り、今まで私が目にしてきた太刀の中で一等好きだ、
運命的な出会いに匹敵するくらい一目ぼれだ……
という大振りのとてつもなく美しい太刀がありまして、
歌仙兼定につられて行ったのに、わりと記憶に焼き付いているのは、その一振りの太刀であった。
国宝・豊後国行平・作

http://www.eiseibunko.com/collection/bugu3.html
これですね。

写真で見ると、いまひとつよく存在感が伝わってこないのだが、生の刀身は素晴らしくきれい。
死神みたいな変な模様が柄ちかくに彫りこまれてるのが謎でしたが。
これの役行者っぽい人物は、永青文庫のコレクションHPによれば、
実際は裏なんですね……。
表に配置されていましたよ。
たぶん銘を見せるためなのだろう(この作者は裏に銘を入れる人らしい。)
展示は裏側に倶利伽羅龍が入った状態で置かれていた。実際は倶利伽羅龍が表なのだな……。

永青文庫は、刀の表裏とか、置き方に関しては、はっきりいって、しっちゃかめっちゃか。
柄(茎側)が左だったり右だったり……自由すぎる。
見せたい面を表にするためといえど、どちらかに揃えてくれねば……せめて注意書きを添えてくれ。
どんな刀だろうと、刃が上向きに置かれていた気がする。
ちょっと、どうなのと思うのだった。
(それとも細川家独自のこだわり展示法だったりするんだろうか……)

豊後国行平作の太刀は、
刀身がプラチナめいた白っぽい輝きを放って、ややほっそりとしつつも大振りで、
弓なりの反り具合の優美さといい、
切っ先が、異空間を切り裂いて時空に溶けいるくらい滑らかに研ぎこまれており、
息を呑む美刀。
……ほしい。
いや見られただけでもうれしい。

歌仙兼定と関係がないものとしては、踊り場にあった書棚とか、
近世になって細川家の人がフランスに8年留学していたときの数学のノートが興味深かった。
目をみはる麗筆なペン字で、フランス語で数式などをノートにとってあり、
フランスに8年もいれば書けるか……? とも考えたが、
自分を鑑みるに、
私は足掛けで9年くらい(実質いたのは正味6年ですが)アメリカに居たけど、
英語でこれほどきれいにきちんとノートテイキングできたかと言えば、
比べ物にもならない。足元にも及ばない。
もっといえば、日本語でもあそこまで完璧なノートを取れたことはない。

おそらくは、当時も西洋の授業法として、
板書きをひたすら書き写せばよいというスタイルではなかった筈だろう。
仮に後でまとめなおして書き直したのだとしてもだ、
ただ由緒と財力ばかりの「ええとこのぼんぼん」とは格が違うインテリぶりを、
さりげなくもまざまざと見せつけるノートでした。

永青文庫の季刊誌95を買って帰りました。
季刊誌95は写真の色味も綺麗。

今回の展示《歌仙兼定登場》の図録も売っており、
図録と一緒に季刊誌を購入している方々が多かった気がします。

図録もオールカラーで、展示品すべてが載っていたかと思いますが、
私からすると説明文の入れ方が斜めになっているレイアウトが違和感があったのと、
写真が小さく、かつまた実物と比べて写真の色がかなり見劣りするので、控えました。

以前ゲットした石切丸や小狐丸が載っていた石切劔箭神社の図録は、
図録の写真自体がすごくきれいで、文面も鑑賞に値する出来栄えだったので、
そういうのをイメージしていたが、あくまで思い出アイテムにとどまる感じ。
思い出アイテムとしてなら図録も買って損はないのかも。

永青文庫を出たあと、徒歩五分弱の新江戸川公園にある松聲閣(しょうせいかく)へ。
永青文庫から新江戸川公園はつながっていて、木々の中を歩くので、
階段も多く足場は悪いけれど、暑くはなかった。
松聲閣はもともと細川家の学問所だったそうです。
今は一般利用できるようになっていて、文京区の人ほんとラッキーだな!
いろいろ補修されて畳はまだ青々として、新しい畳の匂いがしていました。
すごく急勾配な階段とか、狭い廊下や縁側などは、昔の日本邸宅の趣が随所に。

お目当ては歌仙兼定のイラストレーター・ホームラン拳氏の描きおろしイラストの展示。
等身大の歌仙兼定のパネルと並んで、イーゼルに展示されていました。
描きおろしイラストは、歌仙さんが持つ歌仙兼定の鞘と刀身の再現率が半端なかった。
さすが公式・永青文庫とのコラボ! まごうことなき歌仙さんと歌仙兼定だ。

等身大パネルは予想より大きかった。衣装がかさばる系ですしね。
歌仙さん、等身大パネルだと顔が小さく、背がすらっとしたのが際立って、美丈夫でした。

*追記


今後もブログは通常営業 [か行]

Ask.fmを始めてから、
信じられないくらいに当該ブログのアクセス数が激減し、
たまに検索ワード(包丁・殺傷力とか、東尋坊・行き方とか)に引っかかって、
事故的にやってくる人くらいしか、立ち寄らなくなったようなのですが、
このブログは今後もこれまでの不定期ペースで続けていきます。
(むしろAsk.fmに既に飽きかけている。フォントやフォントサイズを変更できないし、自動生成される質問は似たり寄ったりだ。)

元来、物凄くニッチなブログですので、
アクセス数を気にしてはいなかったんですが、
カウンターが壊れたかしら?
というほどなんで……これは何か誤解されている気がしました。



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ゲットー解体と『シンドラーのリスト』 [か行]

私がアメリカに留学していたのは2000年前後ですが、
(大学院留学中に9・11が起きたのだった)

留学中の当時、3月のこのあたりの日曜の夜には、必ずと言ってよいほど、
映画『シンドラーのリスト』をノーカットで、みっちりテレビが放映したものでした。
最近この時期にアメリカに居る習慣がないから、わからないけど、
ひょっとしたら今でもそうなのかどうか。

日本が終戦記念日近辺に『火垂るの墓』をノーカットでやったり、
夏休みとか冬休みなど、大きな休みに、ラピュタやトトロや魔女の宅急便やら、
懐かしのジブリアニメをノーカットで放映する風物詩みたいに
『シンドラーのリスト』はノーカット。3時間以上。
たしかFOXが、しかもCMを全く挟まなかった。

大きな場面切り替えの部分で、
~ただ今、ごらんの番組は映画『シンドラーのリスト』こちらの会社が提供してます~
と隅にちっちゃく出すくらいで、全編、全面リスペクト。

ジブリアニメがノーカットなのは、まぁ言ってみればテレビ局側のサーヴィスですが、
シンドラーのリストの場合、がっつりR指定映画ですんで、
土日のゴールデンタイムに、テレビでお茶の間に流せない映画のたぐいなんです。

アカデミー賞を総なめにすると、そのへんが治外法権的な扱いになるというか、
題材的に、ものすごくシリアスでもあるし、
「これ下手にカットすると面倒くさいから全編そっくり提示する、きちんと見ろ」
テレビ局が使命みたいな感じでやっていた印象を受けた。少なくとも私は。

で、題材が重いから、うっかり見るのはやめとこう……と思っていても、
ついテレビをつけたときに見はじめると、もう全部見なければならなくなる。
私を含めた留学生連中の大半が、けっこうそんな感じでいました。

描かれている題材と中身の重要性もさることながら、
映画としても物凄く魅力的にできていて、
重すぎる題材でも長い映画でも最後まできっちり惹きつけて見せる起伏と執念があるし、
技法としても、曲も画面も役者もみんな溶けこんで一つになって世界を作り、映画を構成している。

私が一番最初に見たのは、
日本で高校生だった時、友人3人と映画館に繰り出してで、
いろいろ衝撃で胸がいっぱいで無口になって映画館を出たのだった。
いっぽう友人の一人は「良い映画を見るとおなかが減る」といって、
すぐにクレープを買って、糖分を補給していたのを思い出します。

『シンドラーのリスト』
なぜこの時期にテレビで流すかというと、
題材となっているポーランド・クラクフのゲットー解体が3月13日、14日中心に執行されたからです。

ユダヤ人が殺されるシーンは、いかなる場面でも度肝を抜かれるし、
アウシュヴィッツのシャワー室のシーンはもちろんなのですが、
見ていて一番きつかったのは、3月に起こったゲットー解体の場面。
……なにしろアウシュヴィッツまでいくと、ある程度あきらめもついてくる。

ゲットーの時点では、家や財産を没収されたとはいえ、
最低限といえどまだ人間らしい生活を送っているので、
希望が残っている。
そこに突然ナチスが踏みこんでゲットーを解体しにくるところが、すごく堪(こた)える。

Itzhak Perlman - "Schindler's List Theme"

https://youtu.be/WPsAR9Sx-JQ

家屋敷に住んでいるユダヤ人を、
トランクに荷物をまとめさせ、まずゲットーに住まわせて、
次に、住んでいるゲットーを解体して、夫婦も家族も男女ばらしてアウシュヴィッツ送りにして、
アウシュヴィッツで強制労働に従事できなくなると、ガス室送りに。

その要所要所で、規格外をひたすら殺し、
その場その場の殺害を免れさせたとしても、
坂道を転げ落とすようにして、ユダヤ人を貶めていく過程の、
まず家、宝飾、服、次に髪、死なない順に身ぐるみはいでいって最後にガス室に送る。
一見、無軌道な殺戮と、
ナチス特有の几帳面な緻密さのコンビネーションでひたすら病的、片時も気が抜けない。
(ジャーマン・シェパード犬や、聴診器やらの、ドイツのお家芸である技術の結晶を
ユダヤ人狩りに遺憾なく発揮しすぎる描写も背筋が凍る。)

労働力がほしいから奴隷労働に就かせるとか、
財産没収が目当て、
いやキリスト教化が真の目論見だとか思っていると、
結局のところ民族浄化が最終目的だったんだなというのが、知っているけど途方もない。

当時、わたしは親世代にまで、せっせと『シンドラーのリスト』を、お勧めし、
アメリカでビデオを買って、見てない友人には個別上映会も辞さなかったのだが、
この映画、意外にも人によっては不評。

親世代は、
「ドイツ人でナチ党員のオスカー・シンドラーじゃなくて、彼の下で働くユダヤ人の眼鏡かけたおじさん(ベン・キングスレーがやってたイザック・シュターン)この人を主役にしたら良かったのに」
シンドラーが女好きで遊び人だったのが、気に食わなかったご様子。

……シンドラーが単なる人道家だったり、聖人君子だったりしないナチ党員な史実が面白いのに。
(私は『コルチャック先生』は申し訳ないが途中で寝た。座席が悪くて字幕が見えなかったせいもあるけど。)

聖人君子でなくとも、人道家でなくとも、まっとうな感性の持ち主なら、
ナチスがやってるユダヤ人殺戮を目の当たりにしたら「信じられねー」わけで、
そこで尻込みしなかったのは、シンドラーに博打うちとホラ吹きたる才覚があったから。
真っ向勝負でナチス相手どって戦って勝てっこないと知っているシンドラーは、
手ごわいナチスの高官を相手に、賄賂と買収、汚い手段を使ってでも、
ユダヤ人を助けていく、そこが味わい深い。

拝金主義で、お金の力を行使する快感が大好きなシンドラーだからこそ、
金の力の旨味を最大限に利用する。
全資産をなげうって、ユダヤ人助けに乗り出して、
ナチ高官のアーモンと駆け引きし、取り引きに至る。
淡々と描かれる人間ドラマとしても見ごたえがあるのだ。

ところで、ユダヤ人殺戮ナチスもの映画で必ずといって出てくる、
ユダヤ人がゲットーに移されるとき、ドアの近くで細長い留め金を引っこ抜くシーン。

私は当初、ユダヤ人はドアの蝶番の芯に、ゴールドを使っているのかと思っていました。
歯に金(きん)をかぶせて仕込んでたり、とにかく財産を隠し持つことにぬかりないので、
こんな意外なところに金を使って隠す風習があるのか……
蝶番の芯を外しちゃったら、ドアをうまく開けられないし、Not Welcomeってことで、
家を奪われる者の、せめてもの抵抗か、
と勝手に感心していたのだ。
実際はメズーザー(Mezuzah)という小さいお経が刻まれた厄除けであり、
信仰の証なんですね。

かなり最近まで知らなかった。


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ゴシック映画ばかりを見てきたわけではない [か行]

たまにほとんど発作的に、衝動的に見たくなる古い映画というのがあって、
そのために場所をとるビデオテープだったり(時代を感じる)、
DVDだったりをどれも持ってはいるのだが、
一から全部見てると時間がなくてキリがない。
そんなときにYouTubeは、実にありがたい。
結構な確率で、見たいシーンだけ選りぬきで見られるし……

と、時間を有効利用しているつもりで気が付けば4時間とか経ってるの、
本当勘弁して欲しいよね...。

† シェルブールの雨傘

https://www.youtube.com/watch?v=Zs1NmsA-n-Y

往年の少女漫画や昼ドラは、
この時代の洋画の影響を、もろ受けまくりなのだなあというのも感じつつ、
カトリーヌ・ドヌーヴが可憐を極めていて見入る。

徴兵で別れわかれになった若いカップルが、
なんかいろいろあって、
ガソリンスタンドで再会するラストシーンにと↓。


Les Parapluies de Cherbourg (Finale)
https://youtu.be/JFSsUasp9dw

男のほうは別の女性との間の息子に、フランソワと名付けてて、
先に結婚しちゃったカトリーヌ・ドヌーヴは、彼との間の娘に、フランソワーズって名付けてるとか、
男のほうが、あえて傘一つさしかけてやらないところが、あぁ……まだ好きだから恨んでるんだなぁ。
等々、いろいろ皮肉で、ほろ苦い。

私は2000年あたりにデジタル・リマスターDVDがアメリカで発売になったとき、
初めて見たのだった。
古い映画は、だるかったりしがちなのに、
昨今なじみの映画の原風景的なシーンも多いので、
懐かしいやら、新鮮やらで、今でもたまに見たくなります。

† 太陽がいっぱい(ラストシーン)

Plein Soleil (Scène de dernière) : Alain Delon
https://youtu.be/eFOJfVo7XqI?t=2m18s

このラストシーンはビデオ時代もう本当に何回見たかわかりません。
アラン・ドロンが冒頭あたりでは、猫をかぶってたのが、
どんどん本領発揮しだして、このエンディングを迎える。
ラストの眩しい刹那的な感じが大好きだ。

† マレーナ

Malèna (3/10) Movie CLIP - Causing a Commotion (2000) HD
https://youtu.be/ZTAVOF3D4vY

マレーナ(モニカ・ベルッチ)が町を歩く有名なシーン。

夫が戦争で帰ってこなくなり、父親も死んで、
田舎町に一人、美女過ぎて女性からは、やっかまれ、
男性からも破廉恥な冷やかしばっかり、
食べ物も腐ったものしか売ってもらえなくなり、食えなくなった挙句、
苦肉の策からマレーナが髪を切る。


Malèna (8/10) Movie CLIP - Malena's Makeover (2000) HD
https://youtu.be/zkBkTx-GL8s

マレーナが歩くシーンは何回かあるけれど、
後半になるにつれて、どんどん洒落にならなく苛酷な展開になっていくのですよね。
この映画はオンタイムで見た記憶が。

最近の『007スペクター』でも、モニカ・ベルッチが妖艶な寡婦役で登場してましたが、
この女優、マレーナの映画以来、そういう役がついてまわっている気がしないでもない。

ビデオで持っているが、
古いビデオデッキの健康状態がやや怪しいこともあり、
なかなか見るきっかけを作れない。
次のもそうです。

† セント・オヴ・ウーマン

The Tango - Scent of a Woman (4/8) Movie CLIP (1992) HD

盲目となった傷痍軍人(アル・パチーノ)のタンゴのダンスがキレッキレで味わい深い。
このころの映画は面白かった。
むろん今の映画も面白いが。
当時は一年に、ほぼ100本は映画を見ていました。
このところ年に10本前後を見てるかどうかも怪しい。
もっと見たい……。



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ここだけの話 [か行]

このたびの新刊
『みがかヌかがみ』
この単行本は、シリーズでも続編でも番外編でもなく、
一篇の独立した小説です。

ですが実は、
『黒猫ギムナジウム (講談社BOX)』にチラッと出てくる共通の人物がいます。

黒猫ギムナジウム165pに出てくる磔刑の侍。
猫目坊にむかって「なあ小僧、首を刎ねてくれ、どういうわけか死にきれぬ……」と声をかけてくる、
案山子のようになった人物。

目縁(まぶち)は死斑で黒ずみ、
散斬り(ざんぎり)になってふりかかる髪から兇暴な眼光が覗いていて、
鳥の嘴(くちばし)に内腑を喰い尽されて、幾日も経った様相なのに、
綺麗な目線をいやにまっすぐ猫目坊へと向ける、彼です。
猫目坊が《お手前様は、もう死んどります》と答える、その相手の人物が、
『みがかヌかがみ』の主要登場人物、
不来方で目を覚ます、雨夜城(あまよ・きずき)にあたる。

『黒猫ギムナジウム』を書いている当初から、
この磔刑の武者について掘り下げて書きたいなあ……と。
ぼんやり考えていました。

裏設定というのか、
ここだけの話。

黒猫ギムナジウム (講談社BOX)

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着せ替え [か行]

色々あっても、その時に書かないとブログって更新できないままに過ぎていきますね。
自転車を10年ぶりくらいに買い替えたよ、やったね!
……というレベルの色々ですが。

友人たまきさんの新作のお人形(今回はエイサ・バターフィールド君似の少年ですよ)を
見にも行きました☆
エイサ君のうちでも『ヒューゴの不思議な発明』の頃のエイサ君という感じです。

「少年時代のイライジャ・ウッドにも似せてる?」
「イライジャは以前、女の子の人形を作った時、ぼんやりイメージしてた」
なるほど! 好きなものって、意図せずとも作品に滲み出るんですよ。

たまきさんのお人形のおとなりに飾ってあった若者のお人形も、
超、とある女優に似てました。
「似てる! あの英国人のちょっと変わった個性派女優に似てる、ええと、ええと……美人なのに(あるいはそれゆえに?)汚れ役が好きなのかエキセントリックな役ばっかり演ずる、中性的なあの……切れ長で瞼がないかんじの、いつもぱっくり目を開けてる感じの」
名前が出なくて、んぐんぐ言っていると、そのお人形の作者登場。

「あ……ティルダ・スウィントンですか? 好きなんです。え、似てますか?」
「似てます。というか、ティルダ・スウィントンがモデルなのかと……」
「いえ、特に……」

ティルダは女性で、人形は男性なのだが。
ティルダ・スウィントンって、元来、全然まばたきしなそうな人です。

たまきさんのお人形にむかってサービスショットをお願いする私。
「この坊ちゃん、セーラー襟の内側、中ってどうなってるの、脱がせられる?」
と変態的な無理を言い、たまきさんに見せてもらう。
セーラー襟のスカーフをたまきさんに結び直してもらうエイサ君似の人形の、
この子……服も自分でまともに着られないで執事にやってもらうだなんて、まったく坊ちゃんね、
という雰囲気が際立って良かったです。

たしか以前も、
ドレス姿の人形に向かって、
「この子どうやってこのドレス着てるのかなあ、この襟元はどうなってるの、見たい……見たいなあ」
と熱烈に眺めていたら、たまきさんが師事してる先生がやってきて、
「実はこうなってますよ~実際にこの時代の女性の服もこんな感じで」
と軽く脱がせて見せてもらったことがあった気が……。
「下は? ペチコートですか、ペチコートだ!」
とかそういやぁキャッキャしてたよね自分。

「お人形って着せ替え欲がわくよね~」(by たまきさん)

まさにそれです。


逆効果 [か行]

次のニュースにびっくらこいた。

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海外経験は漏えいリスク 秘密保護法で内調

 海外で学んだ経験や働いた経験があると、国家機密を漏らす恐れが高まる―。10日施行の特定秘密保護法の制定過程で、同法を所管する内閣情報調査室(内調)がこうした考えを関係省庁に示し、学歴や職歴の調査が必要と強調していたことが7日、共同通信の情報公開請求で開示された政府文書で分かった。

 文書は内調が2011年11月、内閣法制局との会合で示したメモ。

 海外の学校や国内の外国人学校で教育を受けた経験、外国企業での勤務経験も挙げ「外国への特別な感情を醸成させる契機となる」「外国から働き掛けを受け、感化されやすい。秘密を自発的に漏えいする恐れが存在する」としている。
====================

これ、本気?
どんな裏が隠されているのか。

国家の中枢に居る官僚も、
エリートたちは一年やそこらハーバードだかに留学させてもらったりして、
海外の見聞を培うことも珍しくないはずでは。彼らもスパイ視するのか?

で、海外の教育機関や研究機関が合わずに、さっぱり使い物にならなくて帰ってくるか、
あるいは、海外でがっつり学んで学位やら技術やらを会得して戻ってくるかで、
大抵、海外を敵視する人は、海外生活が合わなかったり、
第一外国語が苦手とか、その手の案外、シンプルな理由なのだが、
個人が海外を毛嫌いする権利はいくらでもあれど、
国家が海外を嫌って敵視していては、お話にならない。

海外経験組と、国内派で、派閥争いでもやってるのか?
そもそも《国家機密》を知りうる海外経験者って、
おのずと海外赴任経験のある官僚(大使)とか、外交官とかに限られないか?
その良くわかんない派閥争いのせいで、無関係の多く、優秀な人材までが、
とばっちりを受ける法律が出来るのは勘弁。

要するに、国家がなんかお前気に入らないな、と思った時に、
お、海外経験あるじゃんか、と突っついて、
海外生活を理由にしょっぴける、ってことになってきますよね?
フルシチョフ政権か!
思想が合わないと、シベリア送りにするんですかね!?

国家的な接待をも受けうる、イチロー選手とか、スケートの羽生選手とか、
彼らもスパイ視してチェックすると?

日本の職場の待遇に不満をいだいて、
中村教授のように頭脳と技術とともに、出て行っちゃうパターンもけっこう見られるが、
有能な人にとって魅力的な環境を提供できないからといって、
スパイ視するのは本末転倒ぶりが甚だしい。
そんなこといってると頭脳はどんどん情報とともに流出しちゃうし、
なぜ有能な頭脳が海外に流出するか、その体質を見直して、対策を講ずるべきだろう。

また海外の過激派に与しやすい安直な人とは、
世界を知らない、特定の思想や哲学を持っていない人たち、
いわゆるノンポリ温室育ちのほうが、免疫がないゆえに洗脳されやすい。
案外、容易に感化されやすい傾向を、無視すべきでないのを、ご存じないのか。

国内に居たままでも海外と接することは可能な現代で、
《純粋培養》で育てられた、抵抗力ゼロの脆く軟弱な世界観では、
世界を相手にしたときに、容易に毒される。
赤子の手を捻るように籠絡されうるのに。

海外に対する抵抗力を高めていくためには、
海外で鍛えられている人員こそを登用すべきなのに。
適材適所がある。

過激派組織IS:アイエスや北朝鮮に対する過剰防衛反応なのかなあと、考えてはみるのだが、
海外駐在経験や、海外留学経験を尺度にして、
スパイや危険因子に目星をつけているようでは、
肝心なスパイや危険因子を見逃すことになりかねない。

海外経験者は、海外の良さも、日本の悪さも、
口に出そうと出さなかろうとある程度、身に染みていますが、
同時に海外の悪さも、日本の良さも、一般の一定以上にはリアルに分かっていたりします。

スパイ活動をしたり、情報漏えいに至る、
現在いる状況や所属する組織、国家を裏切るという人は、
現時点の自分の環境に、強い不満を抱いて、ストレスをためている人なんです。
スパイを徴募するスパイマニュアル的な文献を漁ると、このポイントが明確に見えてくるものです。

ストレスのない人などいない。
しかし人間、保身を考えますから、
どんなにストレスをためていても、
自分の存在価値を正しく認めてもらえる環境にあるならば、
人は簡単に裏切り行為に出られないものです。

むしろ自分の立場を顧みず、
裏切り行為に出ても構わないほどに困窮したり、ストレスが蓄積していないかどうか。
追い詰められていないか。
そのストレスリスクの尺度を明確に見極める戦略が練れないかぎり、
不審か否かを海外経験で線引きしても、
的外れな軋轢ばかりを生むだけなのではと思います。

海外経験は運転手の車輪であって、
高濃度に圧縮されたストレスという特殊燃料がないかぎり、暴走しないとしたら、
車輪のある車を軒並み検問チしても無駄で、
燃料をチェックすべきなんです。
暴走するのは車輪のある車ばかりとはかぎらない、
たとえば船の場合だってあるのです。

この良くわかんないニュースを流して、
なにか重要な意図が透けぬように、煙幕でも張っているのだろうか。
真に受けて良いのかどうかすら、悩みます。


「きちんとしてるは好ましいこと。節約は常識かつ美徳(日独共通)」 [か行]

NHKのBSをつけたら、たまたまやっていたドイツのニュースで、
(わたしドイツ語わからないので日本語で見てますが)
どうやらスマフォのアプリで、ジョギングの自己記録をネット上に登録し、
ドイツ中で記録の競走をするのが流行ってるっぽい、というニュースだったようなのだが、
(途中から、しかも流し見してたので、ざっくりとしか把握していない)
おかげで個人情報が、ある程度、駄々漏れらしいのである。
で、その個人情報にアクセスして何がなされているかというと、
企業に雇われた探偵が、
病欠とって休んでる人の、
ジョギング記録を更新してないか、チェックしているというのである。
病欠なのにジョギングしてる形跡があったら厄介なことになるでしょうね――と。

《シュタージかよ!》

と、心の内でわたしは烈しく突っ込みを入れました。
ドイツは東西統一してもうかなり経ちますけど、
国民性って根本的に、そうそう変わるもんじゃないんだな!

これ例えばアメリカだったら、プライバシー侵害であると抗議されるとか、
有給休暇とってるんだから、申告内容と違うアクティビティしてても文句あっかよ、
って感じかと思えるが……どうなんでしょう。
アメリカではなにか問題が生じて、裁判になったりしたときには、
「あなたは病欠と申告して、実はジョギングしてましたよね?」
と根掘り葉掘り、細かく激しく追及されそうだけれども、
ふだんは歴としてある善悪のラインをがっちり守ってさえいれば、
自己責任という名の下に、グレーゾーンはかなり幅が利き、呑気に自由に暮らせるかと。

なので、ドイツの管理社会の風潮を、とても異質に感じます。

そんなドイツさんと日本は国民性がちょっとばかし通ずる、と一部において有名ですが、
アメリカンでカナダ在住のおじいさん(ナチス時代のドイツを知ってるおじいさんで日本で暮らしてた経験もある)に以前そう言ったところ、
全然違う! 日本とドイツは全然ちがう! 一緒にしてはいけない、全然本当にまったくちがうから!
Nooooo!
と、どうやら日本を庇うつもりで、全否定されました。

たしかにドイツにおける鉄壁のルール遵守社会は、
日本の人情(?)と、融通とやらに、左右されるかんじと正反対なのですよね。


雷を避雷針から蓄電できませんか、と教授に尋ねて一笑に付されたことがある。 [か行]

(ちなみに一笑に付した教授は原子力でご飯たべてる系であった。震災前の話である。)

平成22年9月に、361kwhの電気を利用して、8039円が東京電力に領収されていたのだが、
平成26年8月現在、337kwhの電気使用で、10035円請求がくると、軽くへこみます。
使用量が減ってるのに、2000円も多く請求されるなんて、暴利だ……(泣)

2000円分を余計に使って領収されるなら、悲しくもないのだが、
減ってるのに……請求金額が増えている、この骨折り感。
最近は、電気炊飯器を使わずに、ガスコンロに鍋を使って、ご飯を炊いているというのに……。

……ガスで炊いたほうが、かなり上等な電気釜と比較しても、
時間は半分、おいしさは10倍増なので、
積極的にガスを使おうぜって理由で、節電のためとばかりも限らないのだが。

ほかにも節電家電を積極的に導入しているというのに。
これ以上は、この猛暑で、生命維持に関わるし、
自宅で仕事をしている私のような稼業の者には、減らしようがありません。

とかいうと、だから原発再開ですべて解決だよって躍起になる人たちがいるけれど、
そもそも原発なんぞに頼りきって、他の方法をおろそかにして芽を摘んできたから、
ツケがまわって、この有様なのだし、再導入とかもう意味が分からないわ。むう。

といっても、いきなりガスのエネファームを導入する勇気もない、
住居の抜本的な工事全般が苦手で避けたい以上、
このブログで嘆くくらいしか、私には当面、術がない。


吉祥寺バウスシアター [か行]

閉まっちゃったんですね。
終わっちゃったんですね。6月10に。
知らなかった……。

ミニシアター系の貴重な映画館で、
あまり近隣で放映しないマニアックな映画や、
名画座的なロードショーとか、
いまどき珍しいオールナイトとかもやっていたりと、
ヴァラエティに富んで、
吉祥寺のサンロードの中にあって、良い映画館でした。

かといい単館系のみに固執してもいなくて、
スクリーンも複数あり、
ブロックバスター的なポピュラー作品も多数放映してきて、
ある友人と並んで整理券をもらって、ハリポタⅣ『炎のゴブレット』を見たのはここだったし、
またある友人と整理券順に入場して、ヱヴァの序・破・Qを見たのもバウスだったよ……。

かつまた、本気で映画好きが集う映画館といいますか、
ふらっと一人で立ち寄って見るのに、かなり居心地の良い映画館でした。
観客の大半が、ふらっと一人で見に来てるので。
一人で、クリント・イーストウッド監督作の『ミスティック・リバー』を見たのもここだったし、
一人でケン・ローチ監督作の『麦の穂をゆらす風』を見たのもここです。

『麦の穂をゆらす風』は映画自体も良かったけど、
この映画館で見たからよけいに沁みたんじゃないかっていうくらい、
客層が良かったのが、印象に残っています。
映画大好きなんだ、って感じの人たちが男女問わず一人で来て、
めいめい一人で座って、一人で去っていく感じ。

そういうところが、アメリカの映画館みたいで、わたしも好んで行ってました。
(もちろんアメリカ人だって、連れだって映画を見に行くんですが、
アメリカの映画館のほうが一人で見ていても、概して居心地が悪くありません。
あと映画館は夜でもまず安全。映画にのみ興味をもって映画館に来るひとばっかりだから。)

ずっとこの映画館の中に暮らしていたいかんじのひとときを提供してくれる、
映画をまっすぐ見るためだけにやってきて、映画見て、違う世界に入りこんで、
黙って帰っていける映画館でした。



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小手先とは緻密な攻防だ [か行]

ロシア・ソチの冬季オリンピック、
フィギュアスケートやアイスダンスなど、
ちょくちょくテレビで見ています。

で、みんなロシアに寄せてきてる~。

上位選手は、選曲だったり衣装だったり、あるいは両方だったり、演出面において、
開催地ロシアを猛烈に意識して、ロシアに敬意を払っていますね。
端的にいえば、各国選手がロシアっぽい、です。すごく。

ざっくばらんにいえば、ロシア受けをものすごく意識してます。

(ロシア選手はいっぽうロシアっぽさをかなり全面に出してアピールしつつも、
お国芸っぽさがしつこくて辟易されぬよう、
海外ウケもする、ハリウッド映画とかに使われる題材を選んでる者が多いですね。)

ふだん猛烈にアメリカっぽ! ハリウッドっぽい演出がお得意の選手たちであろうと、
軒並み、ロシアっぽい味付けに寄せてきていて、
それが付け焼刃でみっともない露骨な媚び、といえばそうではなく、
ロシア人の遺伝子に組み込まれちゃってどうにも響かずにいられない曲調とか、衣装とかを、
的確に選んできているのかわかります。

うわー、このリズムはロシア的でロシア人好きだよぜったい、
かつ世界中のみんなもロシアの民族や伝統のこういうところは嫌いじゃないよね、
ついでに自分たちもこの手の美意識、好みなんだろうな、
というのを無理なくやっているので厭味がないです。

審査員はロシア人観衆じゃなく、各国のスケートの審査員がジャッジするわけだから、
んなもん点数に反映されないだろうと思われるかもしれないが、
関係があるんじゃないかと、私は思う。

オリンピックってやはり特殊で、
ふだんスケートを見ていない人も観客席にいるだろうし、
観客席が吸いこまれるように鑑賞して、
身を乗りだし、拍手喝采していて波打っていれば、審査員も人間です。
会場の大衆の雰囲気に、猛烈に呑まれます。
テレビで見ている私たちより、きっとずっと呑まれやすいかと。

コンポーネントスコア(演出)のポイントってのは、
観衆をいかに魅了できるかを点数にするようなもんだから、
観衆にプレゼンテーションされ、その反応が顕著に表れている雰囲気に、左右されないわけがない。

前回のカナダバンクーバー冬季五輪でキム・ヨナの点数がやけに高かった、
演目は欧米英語圏の会場でウケのいい『007』だった。
もう会場が沸いてましたもの。あの会場ウケに審査員がすごく左右されていたように見えた。

イタリア・トリノでの荒川静香のすんばらしいプッチーニの演目も、
開催地がイタリアのトリノで、オペラのプッチーニですもの!
イタリアの地元観客の、魂の遺伝子にジャストミートです。

んでもって内容はシノワズリのトゥーランドット! 
(黒髪のアジア人が演じたほうが内容にそぐう。)
いやでも魅了されるところに、あのすばらしい技術と表現力でハートを射抜く、と。

日本人選手嫌いなんだよとか、べつのひいきの選手がいるから気に食わねえんだよ、
というヘンテコなステレオタイプを抱いていたとしても、
かかる狭い料簡を、払拭するくらいの効果はあると思います。

(で、オリンピックというのは皆、国の威信だのなんだので、自国の選手をやみくもに応援して、
他の大会とくらべて、正しく選手の技量が判断できにくい土壌にあるかもしれない)

そういう表現方法を「小手先」とかいってバカにする類の人がいるが、
小手先の集大成が緻密な技巧につながる。

むろんそういうのを嫌って、自分らしさで挑むのも猛烈にカッコいいが、
そこはハードルの高い不利な挑戦を意識したうえで、
それでも有無を言わせぬ、余裕の力量を見せつけてやるんだという意気込みできっといる。

いずれにせよ、そこまで意識できる選手が上位メダルを取ってるんだなあ~

と、想像して見ています。

クレヨンの使い道は [か行]

海外ドラマ『HOMELAND』が面白すぎる。
面白いといっても愉快な話ではまったくないし、いつもけっこう痛々しいが、いちいち良い。

海外ドラマを正座して見るかんじって本当に久しぶり。
わたしはDLifeで見ていますが、TBSでもやってるようです。

7~8年間アルカイダに勾留され、拷問をうけつづけてやっと帰還した復員兵が、
アルカイダに転身していてあっち側のスパイになっている。
そう一人の敏腕だが問題児でもある女性諜報員(クレア・ディーンズ)が疑い、
盗聴するところから始まって、いろいろあるわけです。が、
なんやかんやで今は盗聴してないし、
アメリカでの放送当時に見ていたら……さすがにそこまでしないんじゃ……過激だなあと思ったろう。

実際のところアメリカさんはTVの想像をこえてアメリカ国土を超えて盗聴しまくっていたわけで、
しゃれになっていません。

帰還兵の家族のリアクションとか、それぞれの努力と歩み寄り、擦れ違い、
拷問のトラウマやらCIA内の人間関係とか、
手を抜かないできちんとリアルに盛り上げていく人間ドラマなんだが、
スパイとかテロリストとかの、規模がでっかい犯罪ドラマでもあるので、
緊張感の糸が複雑にからみあっていて切れることなく、まあ見ごたえある。

アメリカのドラマってわりと一話完結で謎が解決し、
人間模様がシリーズを通じて進化していく展開が定石で、
いっぽうこのドラマは緻密なあるある描写と、でっかいストーリー展開で果敢に挑んで、力が入ってます。

取調室で「スパイの名前を書け」と紙とクレヨンを渡すシーンがあって、
なぜにクレヨン?
と思ったのだが、自殺したり、尋問者を攻撃したりさせない用心にクレヨンなんだな。

訓練された工作員が、ボールペン一本、あるいは鉛筆一本で、
尋問者の目を攻撃したり、手の甲に突き刺して机に磔にしたり、頸動脈にぶっさしたりするの、
そういえばいろんな映画で見飽きるほど見てきたものな……。
そろそろCIAも学ばなきゃバカよね……。


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季節感 [か行]

『八重の桜』を見つつ、うんんん~とうなる。

史実での尚之助さん(川崎尚之助)が死ぬのは冬場だったはず……!

3月ではなかったか。
春を間際に夢見ながらも……帝都の桜の季節を間近にしながらも、
まだまだ寒い凍える時節に、肺炎だかで東京で死ぬのですよね。
有名な人じゃないので実際のところその記録がどうなんだかわかんないけど、そういうことになっている。

が、八重の桜では、おもいっきり夏場に……

放映のこの季節感にあわせて晩夏に死んでたように見えたが……。

物語は『八重の桜』っていうタイトル。
その作中で、かつて苦楽を共にした伴侶だった川崎尚之助が、
桜の季節を目前にしながら、寒さの中で、主人公の八重とはなればなれで、
訴訟中さびしく病死するのが史実なのに!
史実かつ劇的かつ象徴的な季節感。
それを、うだるような晩夏にかえちゃう必要性ってあるの!?

(あんまり桜のはなびらヒラヒラ演出が過剰なのもベタで虫唾が走るけれども。
史実なのだし淡々とやってくれれば、それまでの人生に区切りがつけられ、
主人公に新たな予兆を感じさせる季節感が、いやがおうにも演出できるというのにだ。
せっかくボロボロの尚之助さんが、いい感じだったのに。)

歴史ものなのに、季節感をむやみにいじって、
今の季節にあわせて史実を変える演出上の意味ってあるのかしらー。

現代もの(?)の『あまちゃん』だって、いま2011年3月11日をやっているのに。
(9月の防災の日にあわせて、むしろ見事なマッチング)

それまでも『八重の桜』、ちょくちょく色々、史実とされる部分を変えてきているけど……
ドキュメンタリーじゃない大河ドラマなのだし、
ドラマチックにするために必要なのはわかる。
あるいはテレビで万人向けの放映をするために、制限が多いのもすごくわかる。
妥協点を模索しつつもそれでも充分、面白かったのだが……。

今日の季節変更にいたっては、うんんんん……と頭を悩ませるのだった。
冬に死ぬのと、夏に死ぬのと、全然ちがうし、なんの配慮……?

歴史ものであれ、物語ってのは、
この現実から物語の世界観への脳内小旅行なわけで、
物語の季節感が、現実の生活と歩み寄って、敷居を低くするのは時として大事だし、
一見すると気が利いている。
が、あんまり物語が現実に迎合しすぎると、それはそれで茶番に……。

さじ加減ですね。

金貨の価値 [か行]

そういえばラピュタ前半でパズーがムスカにシータを心ならずも引き渡し、
暗黙裡に「この金で手を引け」と諭されて、金貨3枚で、すごすご戻ってきたくだり。
金貨三枚って、1枚一万円くらいで三万円くらい?
ムスカのポケットマネーっぽいし、帰りの交通費+かすり傷を負った治療費くらいかなあ?

かねてよりそう思っていたのだ。

ただそれだと、タイガーモス号にて「ゴリアテを最初に発見したものに、金貨10枚を出すよ」
と聞いて、
乗組員が「10枚!」
とテンションがめっちゃ上がっていたのが、不自然。
十万円だとすると、乗組員が大はしゃぎする報酬としては安い気がする……。

ファンタジー設定なので正確な時代はわからないが、自動車(オートモービル)が珍しいと称されるのだから、1900年ごろかなあ。
当時の金貨の値段を調べても、貨幣価値が違うし、
当時の物価がいまいちわからんのでな……。

あの大きさの金貨はおそらく1オンスでは、と仮定する。
現在1オンス・ウィーン金貨が約15万円で取引されてますね。
現在、金の価値は高騰してますが、
ラピュタ作中で「銀どころか錫さえ出ない」とあるので、たぶん金の価値は今以上だったろう。
1オンス金貨1枚=20万相当と、超ざっくり見積もってみる。
3枚でシータを引き渡してきたとなると、60万円か……。

(これなら、ゴリアテ発見者には金貨10枚のボーナス!=200万円。妥当かな)

え……っ、えぐい!
大事な少女を引き渡したその見返りの額として、60万円。エグイ金額!
パズーさん!

勤労少年なので、労働の苦労を知っているからこそ、
無理やり掌に握らされた金貨を投げつけて捨ててこられなかった……その気持ちは、すっごくわかる。
だけど、「君も男なら聞き分けたまえ」と言われて、60万円を握らされて、
その60万円をポケットに入れてすごすご帰宅……とすると、
非常にリアルで、もはや恥ずべき金額だな……。

命がけで要塞からシータを取り戻すのも、一生懸命な命がけ!
というだけでなく、まっすぐで潔い少年だからこそよけい、
後ろめたさに後押しされた部分はさぞや大きかったろうな……。


クリームティー? [か行]

BSプレミアムでV6の岡田君がナビゲーターをしている『ザ・プロファイラー』という番組で、
アガサ・クリスティーを取り上げていたので見ました。

作品にはあまり触れず、アガサ・クリスティーの女性としてのありかたと作品とを結び付けていた。
さておき、番組内での、デボンシャークリームとジャムをのっけたスコーンが美味そうで、
頭から離れません。ほかの事はあんまり覚えてない。

スコーンにのっけて食べるのってクロテッドクリームじゃないの?
デボンシャークリームっていうんだっけ?
ググってみて、デボンシャークリームが、クロテッドクリームと同じものであると知った驚き。

んでもって、アメリカやカナダで私が食べたスコーン&クロテッドクリームのアフタヌーンティーは、
実はダブルクリームと呼ばれる、エセのクロテッドクリームらしいという屈辱!
(英国以外でのクロテッドクリームはダブルクリームという別物で、
本物のクロテッドクリームは本場英国でもめったに食せないと書かれていたのだよ。)

え、じゃあそのなに、ダブルクリームでも相当美味だったけど、いけませんか。え。

なんだろうこのかんじ、
「炙りトロが好き」と言ったら、
「きみがすし屋で食べてるそれは本物のまぐろじゃない、
本マグロってのは、そうそうここらの市場に出回っちゃいないんだ、
かわいそうに、本物を味わったことがないのだね。
まさかそれを、本マグロだと思っていたのじゃなかろうね?」
と言われるような屈辱ですよ。

このザ・プロファイラーという番組、
私が見たのはダヴィンチ、あと今回のクリスティーなのですが、
作品とか作者のバックグラウンドに出てくる食事の再現があって、
そのアプローチが興味深くて、おいしそう。
個人的には名作にちなんだグルメ番組的位置づけになりつつあります。


仮縫い [か行]

昨日、小説現代が手元に届いて、
小島文美さんの美しい扉絵と挿絵を拝見。

扉絵に人物が描かれなかったのって、私は初めてなのですが、
作中に出てくるキーワードだったり小道具だったりが
魅力的に格調高く配されていて、かっこいいです。
作中でいくつかの小道具がダブルミーニング仕立ての暗喩になっている。
世界観を二重構造にしてるんですが、
そこらへんを的確に再現してくださってあります。

ここは相当深読みしないとたんなる情景描写と見えるだろうなー、
と、そこはかとなく諦めていた部分とかも。
タイトルの回文が意味する、ぐるぐるめぐって終わりにたどり着けるか不安な感じも。

みがかヌかがみ、今回は150枚でいちおう話を締めくくっていますが、
最終章が『仮縫い』というタイトルであるように、
あくまで仮縫い、結んでいません。
おそらく単行本で続けます。



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gai désespoir  [か行]

仕事が一段落ついて、
久しぶりにのんびりネット、うふふふ、
とか見て回っていたら、
Ali ProjectのオフィシャルHP(http://aliproject.jp/blog/index.html)で宝野アリカ(敬称略)が2013/1/9のブログにて『カンパニュラの銀翼』を言及している・・・・・・!

あの「アリカ様」が――アリプロの歌姫が『カンパニュラの銀翼』を今読んでいると?
あわわわわ。

東京で催された数年前のSF大会のとき、ステージ上のアリプロを見て、うぉおおおと思った、
その人が。

『コードギアス反逆のルルーシュ』のed『勇侠青春謳』と
『コードギアス反逆のルルーシュR2』のed『わが臈たし悪の華』をきっかけに知ってから、
その超絶ゴスな歌詞の語彙、世界観にノックアウトされて、
アルバムをごっそり大人買いしたアリプロが――あの歌詞を書いて歌っている宝野アリカ(敬称略)が!

わたしの本を読んでるのか!
う・・・・・・うれしい。
誰が読んでくれてもすごく嬉しいんだけど。
めぐり巡ってる感じがしてうれしい。

アリプロといえば、ごぞんじ歌姫の高い音域と、
秀逸な歌詞と世界観の、もろごっそりゴシックなのが特徴的なのだけれど、
そうでない曲も素敵です。

歌詞のない、インストロメンタルのgai désespoir という曲が『Psychedelic Insanity:サイケデリック・インサニティ』というアルバムの最後に入っている。
この曲を聴いて私は、
日没までつきあって』(SF Japan 2011 Spring収録)
という短編が即座にできたんです。

ファビアンが、日没までにおそらく死ぬであろう血だらけのアルトゥールを自転車の後ろに乗っけて、パリの陽だまりや裏通りの街並みを走るそのひととき、
不幸の間際にして擬似的な幸せであり、ぎりぎり瀬戸際のシーン---
gai désespoirという曲を聴いたとき、
その一連のシーンがよどみなく滾々と一挙手一投足まで脳内で自動再生されて、
感動してわたしは泣きそうになり(・・・・・・音楽の力ってばすごいのだ)
この曲をこのシーンに流して、なんならこの話で映画撮りたい!
と思いをこめて、ほぼ一気に書き上げたんだ。


ALI PROJECT - Gai Desespoir (instrument)

ちなみにgai désespoir とは、いたいけな喜び、
とか、
死守する歓喜、
痛々しい陽気、
捨て身の楽しみ、
とか、たぶんそんな感じ。

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脚色すると [か行]

SFマガジンのインタビューを目にした友人が、
《踏絵みたいだったね》
と、コメントをくれました。

踏絵ほど過酷でなかったけど、
両親のまん間で子供が、
「お父さんと、お母さん、君はどっちが好き? どっちかと末永く一緒に住むならどちらがいい?」
と詰問されるくらいの答えにくさはあった。

ちなみにこの場合、
お父さん=SF、お母さん=ミステリ、
(逆も可)です。

で、私は、ううう(泣)と、
おっとうの親族には、おっかあ似だと陰口を叩かれ、
おっかあの親族には、おっとうの血が出ていると煙たがれ、
そんなの仕方ないじゃん、両方の子なんだもん、

わたしは、わたしなのに、
ゴシックが恋人で、哲学が我が師で、(ついでに漫画と映画とアニメが親友で、純文学は幼馴染)
私は私なのにいいいい、

・・・・・・的なことをつまびらかに語っているという仕儀です。

「では、作中で一番思いいれの深い登場人物は」
という質問も、
「誰を一番手塩にかけて育てましたか。あなたにとって誰が一番かわいいですか」
と、同類項的なね・・・・・。

逆行性読書家 [か行]

すこし前に、『黒猫ギムナジウム』大好きです、とメッセをいただきました。
嬉しかった。

今、第2回アガサ・クリスティー賞受賞作『カンパニュラの銀翼』が刊行されたばかりで、
『カンパニュラの銀翼』絶賛売り出し中なのですが、
私は自分の作品に思い入れが深いのか、過去の作品がいつまでたっても過去にはならない。
作品はずっと自分の内で息づいたまま。とくに黒猫ギムナジウムは、続編があらかた脳内でしあがっているので(・・・・・・まだ文字には一文字もしていないのですが)
続きを読みたいとおっしゃってもらえるのは大変うれしい。
近々はむずかしいですが、いつか必ず実現させられたら、と思っています。
どうぞ気長にお待ちいただければ幸いです!

先週、第2回アガサ・クリスティー賞贈賞式がありました。
そこでも、中央○論新社のかたが
『カンパニュラの銀翼』は未読ですが『黒猫ギムナジウム』が大変面白かった、
とおっしゃってくださって、これまた意外で嬉しい驚きでした。

ですが『カンパニュラの銀翼』が受賞した贈賞式、『カンパニュラの銀翼』全面推しの空間で、
私は思わずあわてて「じゃあカンパニュラの銀翼も読んでください!」と、かぶせてしまった。
デビュー作で日本SF新人賞受賞作の『黒十字サナトリウム』は、『カンパニュラの銀翼』の引き合いに出されることは多くとも、みな『黒猫ギムナジウム』は素通りなので、実は、すごく有難かった。

デビュー作の『黒十字サナトリウム』のときから、無名な私の作品を読んでくださって、
『黒猫ギムナジウム』や、今回の受賞作『カンパニュラの銀翼』までついてきてくださった皆さんには、本当に支えられている気がします。

と同時に、今回『カンパニュラの銀翼』で私の作品にふれた方が、
『黒猫ギムナジウム』とか『黒十字サナトリウム』も読んでみよう、
と作品を遡って発掘してくださるのも、同じくらい嬉しいのを知った。
新しい作品を出すのは、むろん新作を皆さんに読んでもらいたい一心からなのですが、
既出の作品を埋もれさせないためにも実は必要だったのだな、と最近痛感しました。
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『カンパニュラの銀翼』の見本到着 [か行]

第2回アガサ・クリスティー賞受賞作の『カンパニュラの銀翼』が来週10/24刊行されます。
見本が届きました。

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表紙絵は鈴木康士氏。
おずおずと・・・・・・いや実のところはかなりはっきり、
「かねてより八雲探偵の表紙絵がいつも書店で目に留まって忘れられなかったので!
あなたの絵をずっと見てました! 前から好きでした!」
・・・・・的なドキドキ告白をしてみたところ、
びっくり叶えられました。

もちろんお話を読んで描いてくださるのです。
(それは過去の『黒十字サナトリウム』の笠井あゆみ先生にしても、
『黒猫ギムナジウム』のmarucoさんにしても、全文読んだ上で絵にしてくださいます。
もうそれだけでテンション上がる、とてつもなく嬉しいものです。)

今回はさらに私が物語の世界観構築に使ったいろんなスクラップ的なイメージの断片を、
ああだのこうだの編集部を介してお伝えしたところ、
随所に取り入れてくださった形で、しみじみと嬉しいです。
シックで美麗、だが決して華美すぎず、端麗です!

12-10-18_001.jpg
(画素数が高いとSonetさんはアップロードできないので、
携帯で取っているせいもありなんかぼやけて反射しててすまぬ)

構図的に十字架っぽくしてくださっているのは私がお願いしたわけではなく、
鈴木康士氏のもともとの発想からで、ゴシックな空気感を再現してくださったのだ!

裏表紙にひるがえっている黒いマントっぽいものに埋もれるようにしてさり気なく見えるのは、
女性の裸体の背中です。ええあなたの見間違いではない。
よく見ないとわからない騙し絵ふうに上品に存在感があります。
(携帯写真だとわかりにくいが、実物の表紙絵はもっと艶めかしい陰影がクリアです。)

『黒十字サナトリウム』が出来たときも、なにしろ初めての本で興奮したし、
『黒猫ギムナジウム』が出たときも・・・・・黒猫は形にするまでに紆余曲折あり、3冊で出す予定が一冊になったり刊行日が大幅に幾度か変更になったりと、ヒヤヒヤ懸念材料が多かったので、本当に本になったんだー!と、感慨もひとしおでした。

今回は、とにかくなにもかも装丁のすみずみにいたるところまで、できるかぎり作品の世界観を反映した本になった満足感でいっぱい。
この完成度を皆さんにいち早く届けたい。澄みきったおもい。

今までの本は、レーベルが決まっており・・・・・・つまり本のテンプレートが既にあった。
その中でどれだけ私らしい色をだせるか。作品の世界観や空気感をわかりやすく提示できるか。
それだけでも充分に試行錯誤の余地があり、デザイナーさんや、絵師のかたの力量が発揮されてめざましかった。プレタポルテのセミオーダーみたいな感じです。

今回は、なにもかも一からできる。オートクチュール。
つまり、タイトルの色、タイトルの配置、帯のデザイン、表紙の色、レタリング、フォントサイズ、
なにもかも『カンパニュラの銀翼』のためだけに決められる。
それゆえに、私の意向もすみずみまでお伝えできるし、出来るかぎり叶えていただけた。

タイトル字の色にかぎっては、私と、それから大げさでなく早川書房の多くを巻きこんで迷って、
(早川書房の社長まで巻きこんでまで迷って)
そのなかで皆が納得できた一番良いものが形になったと思います。
本作りにおいて、物理的な本の装丁の部分までいろいろ関われたのは初めてでした。

そんな私も、表紙を外した本の本体には漠然としたイメージしか描いてなかった。
既にいろいろ満足していたので、ほぼ関与していなかったのですが、
今日、届いた見本をめくってみて、
鏡かしら窓なのかしら、このデザイン私の好みど真ん中、ド直球。
シックでエレガントだ!

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カバーを取った表紙
本のタイトルが英語で入っています。
カンパニュラの花の色をそこはかとなく想起させます。

12-10-18_004.jpg
カバーを外した裏表紙
著者の名前がアルファベットで入っています。

背表紙もシルバーで、横字タイトル。完璧に美しい。
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白熱灯を当てて撮ったからオレンジっぽい陰影が入ってますけど(笑)

表紙カバーと、カバーをとった本の装丁と、二度おいしい装丁って、前から夢だったんだよ。

それから本を開いた中の扉表紙(・・・・・・とよぶのか?)、
そのつや消しの光沢感とか、透け感とか、文字の配置、縁飾りとかも、
すみずみまでいきとどいて作品の世界観が反映されているのです。

☆文面は、二段組でなく、初の一段組みです!

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香水風景 [か行]

いい香りは誰でも好きなものですが、
個人的に、食事をするとき邪魔になるたぐいの『香り』が苦手で、
私にとってはDiorとかのゴージャス系は、
ややもすると敬遠したくなる、香りに悪酔いするかんじ。
にもかかわらず、Diorの香水のCMがいろいろツボすぎて満腹感。


DIOR "Midnight Poison" Commercial - Eva Green

エヴァ・グリーンという女優は映画『キングダム・オヴ・ヘヴン』のときから、
私からすると「第二のイザベル・アジャーニだ!」という感じで印象深く、
007のヒロインを演じたときも「やっぱりこの女優さん好き」と思ったのだ。
くわえてこの青!    
Museの曲も好きでこのCD擦りきれないよね? ・・・・・・ってくらい聞いたもので、
それら私の「好物」を、ゴシックなテイストでひっくるめて仕上げてあるんだから、もう降参です。



Dior Homme - Un Rendez Vous (by Guy Ritchie starring Jude Law)

この音楽もMuseです。このCMでなにより美しいのは車・・・・・・。
一見すると車のコマーシャルかと・・・・・・。
ジュード・ロウはイケメン、女性モデルも美しく、
だから監督ガイ・リッチーは、
彼ら、もともと美しい人だからべつに美しく撮ろうとかへんな小細工しなくても美しいよね、
とばかり、それより車を綺麗に撮ろうっと! という目線が伝わってくる気がする。

『僕が何者かわかるかい、僕がどこにいたか知っているね、僕も君が何者か、どこにいたかを知っている』
という電話から始まります。
女性が、まるでジュード・ロウの傍らにいるかのような存在感で、
じつのところ電話越しに『二人の私に会わせてあげるわ』
ってなセリフをぬかす。
『もう一人は悪い子のわたしなのよ』
これは男女間におけるイケナイ女、というセクシーなニュアンスを意図しているようで、

『私はとてもこわいわ怯えているのよ』
『こんな電話に出たことを後悔させてあげよう』
だの、二人は意味深な会話をひたすら繰り広げます。
思わせぶりな腹の探りあい。男女の会話に聞こえなくもないが、内実はたぶん違うフィルム・ノワール風。

女のお膳立てにそそのかされて、
電話を切ったジュード・ロウは待ってましたとばかり、ばっちりとめかしこみ、
自分自身の男前ぶりに苦みばしったナルシズムで酔いしれるように、
浮かぬ顔をしながらも、足取りはホイホイと軽やかに出向いていくのだが、
美男美女のランデヴーにもかかわらず、なぜかロマンチックじゃない。セクシーでもない。
さすがガイ・リッチー作。

『あなたは私をわかるかしら、見つけられるかしら』
という女に対して、
ジュード・ロウが、
『あとほんの少しで見つけられるさ』
とこたえる関係性は、
・・・・・・君の本性などとっくにお見通し、嗅ぎつけている、
というニュアンスなのだが、
香水のCMなので『どんな変装をしていても香水で分かる』(それがDior)
ジュード・ロウは、女の罠に気づいて出向いている。
両者が香水でめかしこむのがまさに「武装」

アクセントのある英語で話す東側のこの女スパイ(?)も、
香水を手がかりにジュード・ロウが自分を見つけ出すことは、当然お見通し、
むしろ香水は撒き餌、待ち受ける女のほうがやっぱり一枚上手なのか・・・・・・。
女性が、かっこよくメンズの帽子を被って登場し、素肌に着込んだコートの襟元がはためくとき、
あ・・・・・この女、マジで勝負に来ているぞ。
つまりコートのポケットに突っこんだ女の手は、拳銃を握っているはずで、
この駆け引き一触即発。
どうなるんだジュード・ロウ!?
と深読みできるドラマがあります。続きが見たい。



Charlize Theron Dior Commercial 2011 New Sexy TV Ad J'Adore Dior Parfume - Rue Faubourg Music 2011

グレース・ケリー、マリーネ・デートリッヒ、マリリン・モンローと、
シャリーズ・セロンが共演です☆

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(今日で21周年)・20周年ラルク追加公演@国立競技場5/26(土曜) [か行]

ラルク追加公演@国立競技場5/26はすごく楽しかった。
ひとつ前のブログを読んだ知人が、
「あなたは日産スタジアムのほうが良かったようですね」
とメールをくれて、焦る。
いや楽しかった、ただあまりラルクのライヴで舞い上がってて熱いことばかり書いてもね、
こいつラルクが絡むと痛い奴だな、となるので、クールを装ってみただけのこと。

ライヴの2~3日前に私は階段でかなり派手に転びました。
5人くらいでランチに行き、ランチが終わって、さ、戻りましょうというときに、
暑かったので日傘をさし、階段を降りかけてぐらっと踏み外す。
たぶん眩しくて、うわ……暑い……眩しい、と思った瞬間足元がおぼつかなくなったんですが、
正座?……お姉さんすわり?……膝小僧で5段落ち。

大丈夫!?
と驚かせ、あるいは白けさせかねないわけで、
大丈夫ですー! 行ってください恥ずかしいありえない……
と答える私だが、みんなも転がってる人をおいては立ち去れないよね。
私も、置き去りにされたら、それはそれで、たぶんショゲたであろうかと。
ただ、立ち上がりたくても、痛くてすぐには立てなかった。苦笑い。

怪我はなく、ぴんしゃんしてはいましたが、
翌日には、膝から足首まで両足に、階段に虐待された跡が赤黒く……あるいは黝く、
レールのように走っていて、これがちょくちょく、けっこう痛む。
ところがラルクのライヴ参戦中、3時間ちかくずっと立ちっぱなし、バウンシングしっぱなしなのに、
嘘のように痛くなかったです。

……あ、私、精神論は大嫌いです。
精神論って、どうしてか第二次世界大戦の日本の大和魂みたいな、逆行論なんだろう。
戦場なんて、寝食おぼつかないし、衛生状況最悪だし、
仕事内容だって穴掘ったり人殺したり死にかけたり死んだりで過酷すぎ、
モチベーションが上がるわけなかろう。
軍隊なんてパワハラがデフォルトだし、
たとえ母国愛とか大和魂とかで気合を高めていって100%の実力を出せる気概があっても、
相殺してモチベーション・マイナス-200%なわけで、
軍というのは、兵士のモチベーションがマイナス―200%のときに機能する戦略がなければ、
絶対に戦争に負けるのである。大本営は頭が悪すぎ。

……なんですが、楽しいこと、好きなことをしていると苦痛がすっ飛ぶ、
という精神論は個人的にアリです。

追加公演で、まったく別メニューを企画して、演出を作りこむなんて驚きなので、
この、いたずらまでに労力やら色々をつぎ込んでくれる感じが嬉しいかぎりでした。
たぶん、あれだけ大物になろうとも、そんなにやる意味ない、みたいな逆風もすごいだろうなあと思う。
そんだけ凝ってくれる職人気質だから、全然飽きがこないで、
20年続いてまだますます人が集まり、
往年のファンから新規の若いファンまでもついてくるんだなあ、としみじみ思いました。

ではざっとライヴ自体の感想を。

国立競技場は、味スタや日産スタジアムに比べるとやはり古くて、座席が狭い。
座席に背もたれがないのは驚いた。
階段とか通路とかがいちいち狭い。
というか、味スタや日産スタジアムの設備の使い勝手の良さ、新しさ、美しさは異常。
日産スタジアムのトイレなんて、ピッカピカでホテル並み。数も多いので行列もすぐに解消。
国立競技場のトイレは、入らなくて済むなら入らないほうがよさそうで、私は入らなかった。

聖火台はやはり素晴らしい。
それと5万人強の収容人数なので、かなり近い。
最初、始まる前にメンバーがパレード風にぐるっと車でアリーナをゆっくり一周。

私はアリーナではなく、スタンド席でしたが、
まだ明るいし、各人とアイコンタクトがきちんと取れます。それくらい近いんで、一体感があります。
これは観客にとっては、きゃぁあああ、という感動ものなのだが、
後半、個人的には、ダレてきて、
いいからもう少しスピードあげて、早く演奏をはじめてください……という気分でした。
ライヴへの期待値の高さのあまりにですよ。

yukki-(ドラム)がものすごく淡々とパレード車に乗っていて、
別にクサクサと苛立った雰囲気は見せない、
こういうの苦手、っていう露骨な表情も見せずに、涼しい顔をしていましたが、
内心で、はやくドラムにさわらせてくれまじでドラムドラムドラムという感じが見受けられました。
パレードが終わるといち早く車から駆け降りて、
ステージ上のドラムに足早に駆けより、メンバーを待つか待たずかして、ズンズン叩き出した。
それなりに愛想良く愛嬌をふりまいていたhydeをはじめとするメンバーも、
ドラムが鳴り出すと俄然、スイッチが入るのが、見ていて気分が良かったです。

1. READY STEADY GO
2. GOOD LUCK MY WAY

最初、乗りのいいのをガツンとやって、一気に競技場が盛り上がりました。
どっちもハガレンの曲。
曲調も、曲のイメージも、世界観も当然重なるので、私はいつもちょっと混同し、
あれ、またハガレン?……さっきもやらなかった?
となるので、2曲続けてやってくれて良かったです。

GOOD LUCK MY WAYでhydeが間違えました(笑)

hydeが作詞してhydeが歌う、曲によってはhydeが作曲もしてるので、
ふだんhydeが歌詞違ってたとかいうのを見かけても、
私はまったく気がつかないし、というか、それは歌詞カードのほうが間違ってる。
ライヴ会場での曲は生ものだ。が、今回は、
遙かな虹を超えて~♪
グッドラックマイウェイ信じる道へー♪

この「遙かな」のところで、「グッド……」と歌いかけ、
そのまま突っ走って歌っちゃうと、曲が早く終わっちまう、と、明らかに修正したんで気づきました。
グッド……(うっわ)……かな虹を超えて―♪
攻める調子でうたってたhydeが、やっべ!という顔をしてメンバーの顔をちら見し確認、
メンバーは全くの平常運転で、いいからそのままついてきちゃえよhyde、
というのを、はじめて生で目撃した。

パフォーマーの意地と素顔がチラッと垣間見れて、かえって感動的であった。

3. REVELATION
4. HEAVEN'S DRIVE

このへんはノリノリのロックでガンガンいきました。

5. Vivid Colors

たしかこの曲だった、演出の花の映像がすごくきれいで、拍手が巻き起こる。
個人的には、この花の演出を、日産スタジアムのwild flowerでやってほしかった。

6. In the Air
昨年演奏した味スタで雨だったから、リベンジ、ということで。
(快晴の空を飛翔する疾走感――がある曲なので)

7. 風の行方

この曲、かなり古いので私はほとんどなじみがなかった。
私はhoney・花葬・浸食の3曲が出てきたときに、たまたま留学から帰国していてラルクを知り、
それ以前は存在すら知らなかったので、以前の曲はアルバムをちまちま遡って聞いてはいるが、
わりとさらりと流しているらしい。
いい曲だった、とてもよかった、もっと聞きこもうと心に誓ったのだが、
翌日夜に日曜のセトリを見て、若干落ち込んだ。

日曜日は、ここで『夏の憂鬱』をやったんですね……。
聞きたかった……生で、夏の憂鬱を聞きたかった。
ラルクが夏という言葉を唯一出して……それが憂鬱ってところがたまらなくはまったのだ。
夏といったら憂鬱。眠りを忘れて翼をなくして僕に憂鬱がふりつもる、という中身を、
メランコリックに、懐メロ的曲調で(語幣があるけど後期のチェッカーズっぽい曲調で)
歌いあげてくれるのが好きだった。

hydeは子供のころ、これ以上夏が暑くなったら死のうと思ってたらしいですが、
私は夏に死のうとは思いませんでしたが、
これ以上夏が続いたらもう生きていられないとは毎年毎日思っていました。
おまけに身近に夏大好き夏生まれがいてこれが非常に……夏になると100倍元気=無茶苦茶。
私は当時、全身全霊を傾けて、夏の絶滅を願っていた。
夏に向けたこの時期に、憂鬱だと歌ってくれるなんて、非常に聞き逃した感が募りました。
(ちなみに『夏の憂鬱』のPVは個人的にちょっと……。
当時の時代のせいなんでしょう三文昼ドラ仕立てというか……。)

8. MY HEART DRAWS A DREAM

演出の映像がすごくきれいで、空をめぐる爽快感があった。
PVの映像をもとにしているのかな?
競技場全体でコーラスです。
フランス公演のときに、この曲で会場とコーラスしててえらい盛り上がっているのをテレビで見て、
そんなもんかしらねえ、と思っていたけど、実際にやると感動大会。

(そういえばTravisのCloserのときもそうでした。
コーラスは傍から見るとアホっぽいかもしれないが、やると一体感がすごく出ます。)

9. Driver's High
ノリノリ
たしか火焔演出がすごかったのはこれ。(どうしてこんなにも具体的に思い出せないんだ。)
荒れ狂う楽しい気分に。

10. Caress of Venus

この曲じゃなかったかもしれませんが、どれか一曲、ものすごくなにかバックの音が欠落している、
あるいはなにかの音が(ドラム?)やたら大きくて、
機材の不調なのか曲のバランスが偏って、違和感がありました。
hydeがきれいに歌っていたので、惜しいな、と思ったような。

11. SEVENTH HEAVEN
12. いばらの涙

いばらの涙はライヴだと本当にかっこいい。
ステージ上に、小さなかがり火を半円状に6か所くらい焚いて、
その内側でhydeが歌ったんですが、
魂を悪魔に今まさに持っていかれる感じの曲なんで、火が合う。
この歌詞はなんとなく、オスカーワイルドの『ナイチンゲールと薔薇』の話を彷彿とさせます。
小鳥(ナイチンゲール)が愛する相手に赤い薔薇を届けるために、
白薔薇の棘に心臓をつきさして、薔薇を真紅に咲かせる話。

13. C'est La Vie
14. Shout at the Devil
皮肉屋のノリが好き。

15. Pieces
アリーナ内の正方形の特設ステージで。
大きいステージのほうにはミラーボール演出で、
競技場内キラキラした破片が、水中の灰のようにめぐります。きれい。

国立競技場はスクリーンが正面にしかないので、特設ステージに目をやると、
バックスタンドにいる人以外は、スクリーンが見れない……。
スクリーンを見てると、特設ステージのメンバーの演奏が見えない……。
日産スタジアムはバックにも大きなスクリーンが設置されていたので、親切でした。
国立競技場は聖火を焚くから、背後にスクリーンを設置できなかったのだろう。

16. HONEY
アリーナ内の正方形の特設ステージで。

17. NEO UNIVERSE
18. CHASE
19. XXX
20. Link
21. 虹

第二部?……アンコール……?が、
私としては、ラルクらしい! ラルクの真骨頂と感じる硬派な演出のラインナップ。

比較すると、背景演出の映像は、
日産スタジアムでは、ロックなテイスト全面押しだったので、
今回のほうが私は好み。
PVのイメージをわりとそのまま活用している感もあり、
(Heven's Driveなんて、ところどころ、もろミュージッククリップ)
良くも悪くも曲のイメージが崩れない。

照明は日産スタジアムが断然よかった。これはおそらく施設の設備的な関係もある。

特設ステージに移る前だったか、yukki-のドラムがすごかった。
yukki-のドラムソロが凄いのはまあ有名といいますか、
すごいよねーだよねーといった感じで日産スタジアムのときは流してたんですが、
今回は気迫といい。終わった後、競技場内、すげぇ……すごい……と、どよめきが。

観客の進化度も、めざましい。
Chaseで、日産スタジアムの時は普通に聞いていたのに、国立では、
“I' m chasing you!”
と……コーラス? 掛け声?
を入れる仕様にいつの間に変化してました。
hydeがマイクを傾けるでもなく、ここ数週間のうちによ。

MC
kenの毎度恒例の、ほのぼのした下ネタが封印でした。
月曜日にめざましテレビでラルクのライヴを3分ほどやっていた。
土曜日の公演だったように見えた。
テレビが入っていたから、その点は、おしとやかめに、ふるまったんだろうか?
あるいは、あ、そうだメンバーの親族が来てたからだ。

hyde
「20周年っていっているけど、本当はもう21周年だって……気づいてた?」

……気づいてた。

「まあ、自由気ままなバンドなんでね、勢いのあるうちにやっとかな……」

会場全体、大失笑です。……あはははは……。

「あ、でもここまで来れたんでね、このやり方が一番あってるんだと思います」

yukki-がhydeを指差したのがスクリーンに映し出されて、観客が歓声をあげますと、
hydeが気づいて振り向いて、「なんだこれ、こういうの漫画の1シーンみたいな?」
と笑ってました。

あとまあTシャツネタをめぐるささやかなメンバーのやりとりで、
tetsuyaがわりときれいに落ちをさらっていきました。
「え、だって俺が落ちでしょ、むっずかしいな……」
「なんかすみませんね、流れで、ちょっと(オチを)お願いしていいですか」
というオチに至るまでの些細なやりとりが愉快であった。

全体を通していうと、
チャラい飾り(チアもろもろ)は特にいらない、
ステージ上では本物のアーティストだけで勝負できるんだからそうして、
あと――短い!
21曲が本当はかなり多いのはわかっている。
MCなんて極力なくて、歌いっぱなし演奏しっぱなし、密度が高い。
これ以上やると、ぶっ倒れるかもしれない(……観客も)というのもわかる。
緩急があるので、非常に楽しくノリがいいのだが、その分、あっつう間。
どっぷり浸れる猶予が少なく、贅沢を言うならば、短いですあと3曲やってください……。

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