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特急列車 [た行]

昨日の日曜、大人になってから初めて特急に乗車。

子供の時は特急電車は珍しくなかったのに、
新幹線の台頭にともない、利用エリアの特急の本数自体が激減。
自分で切符を買って電車に乗る年齢になってから、特急利用の機会がなくなった。
(最後に特急に乗ったのって、たぶん私が九歳の時で、身内の納骨の折だった。)

一日一本、出るか出ないか。
猫バスほどはレアじゃないけど……という特急電車を調べておいて、みどりの窓口にて発券。
いざ乗るにあたって、まず改札地点で挙動不審に。

新幹線ホームで乗りこむんだっけ?

やや、特急が発車する7番線って、掲示板に出てないぞ……。
あと3分後には発車なんだが……。

よく普通電車の駅のホームで、
「特急電車を先に通します」というアナウンスとともに特急車両が通過していく姿を、
あああーーーなんか腹立たしい気がする……と、じりじり見送ることは多いのだから、
当然、普通のプラットフォームから出るのが常識だったのに。
理解するのに、しばし戸惑う。

なんだかんだで無事に乗りこみ、発車して、車掌さんが乗車券チェックに巡回するのを、
――だよね! 普通のエリアから発車するから、Suicaだけで入れちゃうしね。
飛び乗ってから車内で特急券を購入する乗客もいるだろうしね、外せないルーティン! 大変だ!
内心いちいち感心しては、小さい驚きをもって迎えるのであった。

車内販売が行き来するのを横目に見ながら、
連れに「これは飛行機の飲料・軽食サービスとはちがって、有料なかんじ?」
と確認して、いささか引かれる。
だって聞くは一時の恥だもの。
相手に恥かかすような質問をやたらと訊きはしませんがね。
新幹線が有料なのは知ってたが、確認だよ確認。
特急の特別感に、脳内やや混乱が続くのだった。

で、子供の時も感じたが、特急は普通の線路をスピードを上げて走るせいか、けっこう揺れが独特。
快速や新幹線よりも、乗り物酔いをしそうな不安感がよぎる1時間であった。


歌仙兼定登場@永青文庫 [か行]

実物の歌仙兼定を見にいってきました。

7/9日から始まった歌仙兼定の展示、
混むかもしれないと、7/14日、すいてる昼時を狙って友人と行きました。
おかげで暑かった! 

あまりに暑く、ぶっ倒れるのも馬鹿らしいと満場一致(二人ですが)で早稲田駅からタクシーを拾う。
複数人で行く場合、この手段はこの時期、かなり有効かと思います。
普段インドア派すぎるというのもあるのだが……
あそこまで暑いと思考回路が正常に機能しないので、炎天下で迷うのも、無理だ!
東西線早稲田駅から1000円区間でした。

永青文庫界隈は、早稲田大学や日本女子大やらのキャンパスが連立。
永青文庫近辺になると、にわかに鬱蒼と深緑に囲まれて、別世界。

永青文庫は、もともと細川邸のうち事務所だった建物を再利用しているようで、
使用人達の詰め所とか、屯所とかそういう感じだったのか?
当時の洋館の面影を色濃く残していて、ややさびれた感も、味わい深いです。
階段の手すりの位置が異常に低いのに驚く。

館内は美術品があるので、猛烈涼しい。
公式ページにもあるように、上着持参が賢明です。
永青文庫は美術館といっても小ぢんまりしているので、
ひょっとしたらコインロッカーないかな……と危惧していたのだけれども、
ばっちり完備されていて、かなり助かった。

歌仙兼定は展示期間が長いので、私が行ったときは、さほど混んでいませんでした。
ありがたい。じっくり堪能できます。

四階から展示となっており、四階から二階までが展示場。
下に降りてくるという順路で、歌仙兼定は四階の奥・中央に。
薄暗い、もと洋館の古めかしい空間に、ライトが当たっている展示品が並んでいて、
天井が高くゆったりしていて居心地がとても良かった。

歌仙兼定は印象として、打刀としては小振りでした。
《片手で振れるように寸法がやや短くなっている》と説明書きに。
――細川家の目録には脇差の項に書きこまれてありました。
「大振りの脇差」として通用するサイズ感です。

まっすぐ一本気な歌仙っぽく、刀身はやや図太めでまっすぐ。
先端にかけて若干の反りが入っています。
(切ッ先は猪首だったか。うろおぼえ。)

細川忠興が、部下の不調法を罰するためやら、悋気に任せて、三十六人斬ったから、
三十六歌仙になぞらえて、歌仙兼定なわけですが、
細川家側の記録にその旨は明示されて残ってはないとか……
(細川家の性分として代々語って誇れることでもないだろう)

ごくわずかに微細な刃コボレも見られて、使いこんだ感がひしひしと伝わる刀身でした。
そのせいか若干、刃先はよく研ぎこんだ庖丁の風合いに見えないこともなかった。
まさに人斬り庖丁感です。

刀身にひきかえ鮫皮(……エイかも)を漆で燻した鞘が、白と黒のある種天然の水玉模様*で、
スタイリッシュかつポップでおしゃれでした。
この歌仙拵えの鞘、のちに「肥後拵え」と呼ばれたものが、ほかにも何点も展示してあって、
軽そうで、使い勝手も良さそうだった。
鮫というと、文字通り鮫肌でブツブツざらざらが残っている仕立てが一般に多いと思うのだが、
つるっと平ら(エイだから? 燻して漆でコーティングしてるから?*)
エナメルっぽい質感に映る。
ごてごてした飾りがないこともあり、洗練されてます。

今回は展示のお題目が「歌仙兼定登場」なだけあって、歌仙兼定に関連する展示となっており、
細川家というと茶道具の目利きというイメージがあった分、
茶道具のたぐいの展示がなかったのが、私としては少々、残念だった。

とはいえ大半は刀ですが、石棺なみな長持の数々や、
当時の自筆のカルタ(百人一首が書いてあった)とか、
和太鼓——これが、きらびやかではないのだが、色合いがシックで上品な風格が極まっている。
また梨地に秋の花々、川が流れている、蒔絵のほどこされた、今でいうピクニックセット(徳利とか重箱とかが小さい箪笥状にしつらえらえれている)のとか、
ほんともう、風流かつ雅の極み。
華美過ぎず、かといいワビサビの過ぎた野暮ったさがない。
今回、目にしたのは細川家伝来の逸品のうちのごく一部なのだろうけど、
終始一貫して細川家の毛色って、ほんと良いセンスしてらして……と感じる、
私好みでした。

そんな中で、一振り、今まで私が目にしてきた太刀の中で一等好きだ、
運命的な出会いに匹敵するくらい一目ぼれだ……
という大振りのとてつもなく美しい太刀がありまして、
歌仙兼定につられて行ったのに、わりと記憶に焼き付いているのは、その一振りの太刀であった。
国宝・豊後国行平・作

http://www.eiseibunko.com/collection/bugu3.html
これですね。

写真で見ると、いまひとつよく存在感が伝わってこないのだが、生の刀身は素晴らしくきれい。
死神みたいな変な模様が柄ちかくに彫りこまれてるのが謎でしたが。
これの役行者っぽい人物は、永青文庫のコレクションHPによれば、
実際は裏なんですね……。
表に配置されていましたよ。
たぶん銘を見せるためなのだろう(この作者は裏に銘を入れる人らしい。)
展示は裏側に倶利伽羅龍が入った状態で置かれていた。実際は倶利伽羅龍が表なのだな……。

永青文庫は、刀の表裏とか、置き方に関しては、はっきりいって、しっちゃかめっちゃか。
柄(茎側)が左だったり右だったり……自由すぎる。
見せたい面を表にするためといえど、どちらかに揃えてくれねば……せめて注意書きを添えてくれ。
どんな刀だろうと、刃が上向きに置かれていた気がする。
ちょっと、どうなのと思うのだった。
(それとも細川家独自のこだわり展示法だったりするんだろうか……)

豊後国行平作の太刀は、
刀身がプラチナめいた白っぽい輝きを放って、ややほっそりとしつつも大振りで、
弓なりの反り具合の優美さといい、
切っ先が、異空間を切り裂いて時空に溶けいるくらい滑らかに研ぎこまれており、
息を呑む美刀。
……ほしい。
いや見られただけでもうれしい。

歌仙兼定と関係がないものとしては、踊り場にあった書棚とか、
近世になって細川家の人がフランスに8年留学していたときの数学のノートが興味深かった。
目をみはる麗筆なペン字で、フランス語で数式などをノートにとってあり、
フランスに8年もいれば書けるか……? とも考えたが、
自分を鑑みるに、
私は足掛けで9年くらい(実質いたのは正味6年ですが)アメリカに居たけど、
英語でこれほどきれいにきちんとノートテイキングできたかと言えば、
比べ物にもならない。足元にも及ばない。
もっといえば、日本語でもあそこまで完璧なノートを取れたことはない。

おそらくは、当時も西洋の授業法として、
板書きをひたすら書き写せばよいというスタイルではなかった筈だろう。
仮に後でまとめなおして書き直したのだとしてもだ、
ただ由緒と財力ばかりの「ええとこのぼんぼん」とは格が違うインテリぶりを、
さりげなくもまざまざと見せつけるノートでした。

永青文庫の季刊誌95を買って帰りました。
季刊誌95は写真の色味も綺麗。

今回の展示《歌仙兼定登場》の図録も売っており、
図録と一緒に季刊誌を購入している方々が多かった気がします。

図録もオールカラーで、展示品すべてが載っていたかと思いますが、
私からすると説明文の入れ方が斜めになっているレイアウトが違和感があったのと、
写真が小さく、かつまた実物と比べて写真の色がかなり見劣りするので、控えました。

以前ゲットした石切丸や小狐丸が載っていた石切劔箭神社の図録は、
図録の写真自体がすごくきれいで、文面も鑑賞に値する出来栄えだったので、
そういうのをイメージしていたが、あくまで思い出アイテムにとどまる感じ。
思い出アイテムとしてなら図録も買って損はないのかも。

永青文庫を出たあと、徒歩五分弱の新江戸川公園にある松聲閣(しょうせいかく)へ。
永青文庫から新江戸川公園はつながっていて、木々の中を歩くので、
階段も多く足場は悪いけれど、暑くはなかった。
松聲閣はもともと細川家の学問所だったそうです。
今は一般利用できるようになっていて、文京区の人ほんとラッキーだな!
いろいろ補修されて畳はまだ青々として、新しい畳の匂いがしていました。
すごく急勾配な階段とか、狭い廊下や縁側などは、昔の日本邸宅の趣が随所に。

お目当ては歌仙兼定のイラストレーター・ホームラン拳氏の描きおろしイラストの展示。
等身大の歌仙兼定のパネルと並んで、イーゼルに展示されていました。
描きおろしイラストは、歌仙さんが持つ歌仙兼定の鞘と刀身の再現率が半端なかった。
さすが公式・永青文庫とのコラボ! まごうことなき歌仙さんと歌仙兼定だ。

等身大パネルは予想より大きかった。衣装がかさばる系ですしね。
歌仙さん、等身大パネルだと顔が小さく、背がすらっとしたのが際立って、美丈夫でした。

*追記


たなばた(七夕) [た行]

七夕なので、
ちょっと『みがかヌかがみ』の話をします。

天女目(なばため)姫
作中「夢浄土」の段に登場する主要人物の一人である、
この天女目という名は、稀少苗字として実在します。

青天目(なばため)氏、
「青女房」の段に登場する主要人物の一人である、
この青天目という名も、稀少苗字として実在します。

昔からある稀少苗字ですよね。
作中で天女目姫と青天目家は関連がある苗字として語られます。

で、皆さんおそらくお気づきの通り、
七夕(たなばた)という単語が、
なばため、
という語と語感的に、かなり類似であるように、
このお話、七夕にまつわる風習がかなり密接に関わってきます。
裏テーマ、裏設定みたいな扱いで、七夕の風習・由来に絡む事象がちらちら垣間見え、
干渉してくる。

表題の『みがかヌかがみ』は、本来の鏡の意味であると同時に、
「夢浄土」の段における不来方と、
「青女房」の段における大正時代、
この二つの世界を隔て、かつまた結び――中核をなしている、とある井戸の隠喩でもある。
この因縁の井戸が絡んで引き起こされる物語世界の経糸(たていと)と横糸を成す題材の一つに、
七夕(たなばた)が有るんです。
(七夕だけじゃないけど)

なので!

今くらいの季節が最もタイムリーな季節柄かなあと思われる。
積読してたり、気になるけどどうしようか……と逡巡しているかたは、
ぜひとも七夕をきっかけに、積極的にお手に取ってみていただけると、
しっくりくるかも、だ!

尚、この『みがかヌかがみ』
牧 眞司氏著の『JUST IN SF(本の雑誌社)』という書評本で、取り上げられております。

牧眞司(敬称略)の個人的見解による、
○冒険○幻想○青春○内宇宙
などのアイコンが『みがかヌかがみ』に当てはまり、中でも
○時間・次元
というアイコンがついているのが、私的にグッときた。

今までも私の著作に関して、
新聞や雑誌を含め、ちら……ほら、と書評をつづってくださる奇特なプロの批評家がいらしたが、
いずれもとても有りがたいの一言に尽きるものの、
……きっと、作者でもなければ本当に些細な部分なのかもしれない、
ちょっとした読み間違い等が散見されるのが常だった。
大筋はあってるのだが。

『カンパニュラの銀翼』のシグモンド・ヴェルティゴのことを「英国貴族」と書かれていたりとか、
(実際はシグモンドは欧州貴族で、英国人であったことはない)
『黒十字サナトリウム』の龍司を「ロシア人との混血」と書かれていたりとか、
(実際は龍司はドイツ人の血が入っていて、ロシア人の血が入っているのは湊だ)
いずれも異なる書評家のかたなのだが、そういった微妙な読み違いなのか書き間違いなのか、
たぶん時間的な制約とかもあって、急いで仕上げているんだろう……
というケアレスミス?も少なくなかった。

批評というのは当然のことながらその性質上、
作者当人の目には一切触れずに書かれ、発表となる。
発表となっても、まず知らされることはない。
なので、たまたま何かの折に私の目に触れて、はじめて、
「お、おや!? これ、違ってるんだけど……」となった時には、間違った情報がすでに出回った後。

ですんで、こんな素敵な書評を書いてもらえた、
そう胸を張って、もろ手を挙げて喜べる書評に残念ながら、あまり出会ったことがなかった。
ま、私の話は情報量が多いんで仕方がないか……。

ところが!
今回の牧氏の批評に関しては、
「すべてにおいて的を射ている!」
読み違いのたぐいは一切なく、
これほど的確な書評に出くわし、私がびっくりしたくらい。
一読しただけでは読み手にスルーされるかもしれないなと思っていたような深い部分まで、
内容を隅々まで、きちんと汲み取ってもらえていて、
素直にとても嬉しかった!
ちゃんと通じている読者がいる。

『みがかヌかがみ』は何しろ発行部数が少ないので、
取り扱い書店もまれでしょうし、
刊行から半年ほどたって、
在庫僅少となっている本屋さんも多いとは思いますが……。

七夕の短冊にうっかり「何か」を願うとよろしくないということも書いてあります。
もちろん小説なんで、どこまでが民俗・風習における史実として妥当で、
どこからが物語の範疇なのかは、
読者の読解力にゆだねられています。

余談


即行マイリス [最近のお気に入り]

刀装発動の演出がかっこよく、ニトロみを感じる。
自軍側のメンツが、わが本丸の一推しカンスト組とかなり重なる(三日月がくる前はこんな感じ)、
対する演練相手のメンツがこれまたわが本丸推しカンスト組とかなり重なる、
まったく相手に不足なし、微妙な力バランスの駆け引きがもうほんとたまらん胸熱展開。


http://www.nicovideo.jp/watch/sm29159939

「こいつら大阪城掘ってるんじゃないかな?」というコメントに激しく同意。
全員の「らしい」表情もさることながら、
戦闘中の三日月の軽やかでゆるぎない足の踏みこみかたとか目をみはる。

演練相手を見た瞬間におのおのが、あー手ごわいのに当たったぽくね?
という顔になって、相手側に「やぁ」って手を振ったりしてるところなど、
戦闘以外もエンディングまですみずみ至るところ心憎いです。


ついに出ます ~E・A・ポー~ 翻訳本 [ニュース]

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『E・A・ポー』 集英社ポケットマスターピース09(集英社文庫)
・ 2016年6月23日刊行
・ ISBN:978-4087610420

エドガー・アラン・ポー作品の集大成となる翻訳本。
集英社のポケットマスターピース09『E・A・ポー』
全部で次のような新旧訳者による豪華ラインナップで、このたび刊行となります。

poeobiLINEUP.png

わたし中里友香も、ポーの代表作である詩『大鴉』と、短編『告げ口心臓』を翻訳しています。
「ポー訳者の末席に座すものです。微力ながら、末永く読まれるよう全力を尽くしました」
粟田口・前田藤四郎くん(刀剣乱舞)の台詞っぽく言える感じ。

解説やエドガー・アラン・ポーの年譜なども含め、総ページ832頁にものぼる密度の濃い文庫本。
見本が手元に届いた。
ぶ厚いよ!

わたしが『大鴉』と『告げ口心臓』を翻訳した際に受けた印象や、
一言一句を訳しあげたうえで当該作品をどう解釈するか。
私なりの見解や深読みをしたためた短いエッセー
やみのいろ
(講談社『メフィスト2015 VOL.2』「日常の謎」というコーナーに掲載)
こちら現在、講談社のウェブ上で無料公開となっていて読めます。
http://kodansha-novels.jp/mephisto/daily/55/

このエッセーが掲載された2015年8月当時は、
ポー翻訳本の刊行予定が2016年10月に先送りになった時でした。
2012年時点でお話をいただいて、翻訳作業を終えていた私は、
再三にわたって刊行予定が先送りになるたび、
こういう古典の翻訳って、ずいぶん気が長いプロジェクトなんだな~と
「長生きしないとやってられませんね!?」と目を白黒させたもんです。今となっては良い思い出だ。
のちに2016年6月と少し刊行予定が前倒しになって、今回、その通りに刊行と相成りました。

初校まではずいぶん前に終えていましたが、
再校と念校を終えたのはついこないだで、
その時にもけっこう手を入れたので、
冷却期間を置いて翻訳文を推敲しなおせたのは良かった。
期間分だけ翻訳の精度と練度がなお高まった。

ちなみにエッセー「やみのいろ」には『大鴉』『告げ口心臓』のネタバレがあります。
古典とはいえ一応、要注意。

ポーの翻訳本を、このエッセーと併せてお読みいただくと、
あるいはいっそう解釈の幅が広がったり深まったりして楽しめるかもしれません。

(ポーに関して思うところを一度で書ききると若干長くなるので、後日また補足アップする予定。)

→ポーの『大鴉』に関する考察的な①


絵空事とは異なる次元 [あ行]

先日の金曜日に地上波で映画『ゼロ・グラビティ』(Gravity)をやっていたようで、
私はこの映画、相当、好きです。

近年、我ながら珍しく、ど真ん中ストライク、映画館で打ちのめされて帰ってきた作品で、
後半なんて映画館のシートにぐったり寄りかかって泣きまくっていたもんです(感動以前に、人間としての根源的な恐怖感に打ちひしがれたせいで。さすがにこんな極限状態は無理だよマジでもう太刀打ちできない怖すぎる……と)。
たいていの人が似たような体験をしたかと思います。

DVD化されたとき、すぐさま、そこそこ年配の身内に「見て! 良いから見て!」
と持っていって半強制的におすすめして帰ったのだが、
「見ました」というメールが、あまりにも的外れな感想しか返ってこなかったのだった。

だからつい、
「最近どんな映画を見ても、ぼんやりした感想しかわかないみたいだけど、あんまりにも何を見ても何も面白くない……というのがたびかさなって度を超すなら、体調が悪いか、認知症のはしりか、鬱病かもしれません」
と本気で心配してメールしちゃったくらいである。

それくらい、この映画は年齢や性差を問わず、人間の根源的な恐怖とか帰巣本能とかに訴える、
いい意味でハリウッドだからこそできる普遍性の高い作品だと信じて疑わなかったのだ。

しかし先方の感想は、
「あなたほど宇宙に夢中じゃないし、正直、宇宙のことが良くわからないので、へーえ無重力空間って、こんな感じなのですかね? まさかまさかこんな次から次へとよくもまあ、悪いアクシデントばっかり考えつくものですよね、ある意味でこれも一種の御都合主義的展開」
というのが素直なリアクションだった。

上記のようなリアクションはかなり稀なんじゃないかと、今でも私は思っているが、その人によれば、
「ジョージ・クルーニーが呆気なく退場で、生きて帰ってきたと思ったら、なんかアレだし」
みたいな。

やや、そこは確かにストーリー上、要となる部分でもあるけれども、
そこが映画の感想を左右しないというか、
むしろ、ああいう立ち位置が、実に心憎いキャンスティングなんじゃないか……。

私より年齢が上の世代は、よほどの「宇宙大好き」洗礼を受けていないかぎり、
宇宙に対する憧れも恐怖もさして抱いていないというか、
宇宙について常識的に、知識や想像力が欠如しているのかもしれない……。
私の世代では中学の時「将来、宇宙飛行士になりたい」という理系の女友達とかがいた。

ゼロ・グラビティは、
SFにおけるフィクション部分と、現実に起こりうる境目ギリギリのリアルさが際立っており、
だからこそ手に汗握り、
理系じゃないけど宇宙は普通に好きな私からすると、ノックアウト感が募るのだが。

何がSFで、何がリアルか、その差すらもきちんと区別できない人には、
異空間における単なるパニック映画にしか映らなく、
孤立無援おつかれさん映画としか受け入れられない。

「そもそも宇宙飛行士なんて、大統領よりも、オリンピック選手よりも少ない、
選ばれたごく少数の人しかなれない雲の上の人間だし。——文字どおり雲の上の」
という感覚しか持ち合わせていない人にアピールするのは困難な作品で、ハートウォーミングなお約束が皆無。
その媚のない部分が、余計に魅力的なのかもしれない。

国立情報学研究所というところで私は非常勤で勤務していた時期があるのですが、
そこでは『国際宇宙ステーション搭乗 宇宙飛行士候補者募集』
というリーフレットが誰でも自由に入手できる場所に普通に置いてありました。

こないだ念願の本棚を買って、ようやく搬入と転倒防止器具の設置が済み、
私は今かなり大々的に、本やら、ためこんだ様々なプリントアウトなどを整理している真っ最中。
作業効率を上げるために、やらねばならない雑務だったのを後回しにしすぎていたので仕方ないが、
仕事場が現況てんやわんやで、わりと原稿が手につかなくて困っている。
その作業中に、当時(2008年)の宇宙飛行士候補者募集のリーフレットを見つけた。
スキャンしてみました。こちら2枚ではなくて表面と裏面です。

宇宙飛行士募集2008JAXA.jpg
(クリック推奨。原寸大で見られます。)

宇宙飛行士2008JAXA.jpg
(クリック推奨。原寸大で見られます。)

2008年当時の募集以来、JAXAは2016年現在までに募集をかけていない(たぶん)。
年がら年中、募集していて応募できる職業ではない。
いっぽうで、年齢制限も性別制限もなかったりする。

こういう謎資料をクリアファイルに無造作につっこんで棚に積んでおく癖があるので、
仕事場がどんどん紙に侵食されてきて格闘中なのですが、
これをちょっと読むだけで夢が広がったり、逆に、夢が潰えたりする部分がある……というのは貴重。

この応募条件を見ながら、
(自分には宇宙飛行士に応募するのに、何と何と何の条件を満たせていないか)
(仮に、これと、これと、これをクリアしたとして、さらに数ある資格者の中から万一にも試験の結果、採用されたとしても、訓練業務の一環としてロシア語も習得か。まあ宇宙だものな、英語とロシア語が共通語か)
等々、ほんの一端でも具体的に想像できる余地があるというのは捨てがたい。

宇宙飛行士といえば=「雲の上の人」
ではなく、
どういう資質が重宝され、自分よりも何が秀でて適格であるとされ、必要最低条件としてどんな訓練をこなすのか。
積極的に情報を集めなくとも漠然としてではなく身近で自然に触れえる情報の質が、
物語をどれだけ満喫できるか否かを左右する部分は否めないのかも……。
と思ったりしながら、この手の資料を処分すべきタイミングを逸するのである。



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遠征失敗…… [あ行]

二週ほど前、若冲展待機列を目にしてあっけなく尻尾を巻いて帰ったわけですが、
ブログを書いてしばらくしてから、
「あ……なんでその足で、国立西洋美術館のカラヴァッジョ展を見に行かなかったのかな私は? 失敗したね!」
と気づいたのだった。

昨日の月曜日、上野方面に出かける予定があった。
そこで用事が済んだあと、まず、あんみつ屋の「みはし」に寄って腹ごしらえ。
みはしに行くのは初めてです。
上野界隈では有名なあんみつ屋さんですが、最近知った。
「みはし」って何だろうこのなじみ深い響き……
あ、『黒猫ギムナジウム』にて猫目坊が幼少期を過ごしたのが「三箸屋(みはしや)」だ。
三箸屋のほうは甘味処とはいいがたい場所だが、ある意味「お茶屋」と無関係な場所でもない。

……で、みはし上野本店に。

まず、ふわっと卵が入っているお雑煮(http://www.mihashi.co.jp/menu/ozouni.html)をいただく。
写真のイメージよりお椀が大きかった。
削り節の香りが立って、焼いたお餅といい香ばしく、お雑煮好きだけど外でお雑煮を食する機会って考えてみると殆どなかった。
季節を問わず食べたい系なので、アツアツをありがたく平らげます。
そのあとクリームあんみつを(http://www.mihashi.co.jp/menu/cream-anmitsu.html)。
写真のイメージから受ける印象より、これも一鉢が大きい。

あんみつって、好物でもなかったんですが、ソフトクリームの冷たさと、
冷たすぎない餡やみつ豆や求肥(ぎゅうひ)との絶妙なコンビネーションで、
甘いけど甘すぎず、冷たいけどキンキンではなく、何もかもが頃合いで、美味しい。

で、いざカラヴァッジョ展へ!
事前にHPをチェックして、まだやってると確認済みです。
念のため時間もチェックしておいた。問題ない。

ブータン展を開催中の上野の森美術館をわき見しつつ、国立西洋美術館に到着。

閉まってた。

月曜日、思いもよらない休館日……。
いや、美術館や博物館や図書館関係は、そうよね月曜日、要注意だったのに。

おまけにです、精神的にショックだったようで、上野駅の改札でSUICAを紛失。

いやその……チャージ金額が足りなかったので、券売機でチャージしようとしたら、
《ただいま一万円は使えません》

なに?
これからオリンピックやるとか、国際都市の設備投資とかいってるのに、そもそも券売機の少なさが異常だし(……外国人観光客に取り囲まれて日本人がほとんどいない。日本人は切符じゃなくてみんなSUICAやおサイフケータイなどを使うので)
両替機も見あたらない。
なのに一万円が使えないってどういう了見なんだ……どうしたらいいんだ。

大きいお金しかなかったので途方に暮れ、戻ってきた一万円を手にして、近くのコンビニへ。
仕方なく、欲しくもなかったおにぎりを一個買う。
お金を崩して券売機に舞い戻り、チャージしようとしたら、
パスケースに入れていたはずのSUICAが無かったんです。

あー……あれだねー、さっき券売機で戻ってきた一万円を取ったときだね。
SUICAのほうを忘れたんだな。
まぁちょっと面倒な考えごとで頭がいっぱいだったせいもあるし(←言い訳)、
歩きすぎて横っ腹が痛かったし(←言い訳)、
その場で窓口の駅員さんに問いあわせると「届いてます」

迅速!

「お名前と身分証を」

名前を言って、運転免許証を見せて、返ってきた私のSUICA!
紛失時間、5分弱です。

「これ、受け取るの放置して吸いこまれてしまったんでしょうか?」
アメリカではATMにて、ATMカードを放置して取り忘れた場合、
一定時間を置いたのち、ATMの機械がカードを自動的に吸いこむ仕組みになっています。
次のATM利用者が悪意ある人だったら不正利用のリスクが高くて危険なので、
銀行側が保管しておいてくれるのです。

SUICAもそういうシステム?

「通りがかりのお客様が、取り忘れだと届けてくださったものです」
「うわー……ありがとうございます」

その後はどこにも寄らず、家に帰りました。

ささやかな収穫物といえば、不忍池の蓮。
二週ほど前はショボい有様でしたが、今は葉が青々と茂りつつあり。
とはいえ小学校低学年のとき、もっと見渡すかぎり行っても行っても蓮池に感じたんですが、
縮小したのかな。
こうもささやかだったろうか……?

子供目線を思い起こして、しゃがんで写真を撮ってみたら、
写真に映った蓮池は、けっこう視野を埋めつくす臨場感でした。

2016060614100000.jpg
2016060614110001.jpg

(いずれもクリックすると拡大します。)

『黒猫ギムナジウム』キンドル化 [ニュース]

いまから遡ること4年半前になる2011年12月1日に講談社BOXから刊行されました、
『黒猫ギムナジウム』
このたびクリーク・アンド・リバー社という電子書籍リーダー用に特化した会社の部門からキンドル化。
講談社Boxは帯の意味合いを兼ねたボックス(外箱)の中にソフトカバーの本が入っているという、
やや扱いずらい代物なのが特色で、
ゆえにデザインが特殊なのですが、
電子化にあたって、marucoさんの当時の装画を活かしたまま、デザインをリニューアル。
金箔風の背景をほどこした題字の字体など、気に入っています。
色も今回のほうが紙本の表紙よりも、本来あるべく色味で断然きれいに出ている気がします。

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書名:黒猫ギムナジウム
価格:900円(税込972円)
刊行日:2016年5月20日

この作品は初出の序章~第四章までが連載作品でしたので、
連載当時、第一~第四章の扉絵はカラー絵だったのです。
(実際は当初から一冊分を書き上げており、それを連載という形で小分けにして発表していました。)
第五章~八章を書き下ろしという形にして、一冊の本にまとめて出版するにあたり、
カラー仕上げだった第一~第四章のmarucoさんの扉絵もモノクロになっていました。

その扉絵部分も、今回marucoさんのカラー版で復刻です!
外箱に描かれていたラフ絵も、作品内にちゃんと収録されております。

元来、紙の本、大好きっ子の私なので、
電子書籍化するなら電子書籍化ならではのメリットや利点が加味されていないと、
おさまりがつかない。
(紙書籍では二段組みの体裁も、キンドル版はもちろん一段組で読みやすく。)

アマゾンKindle楽天Koboを皮切りに、紀伊國屋Kinoppyなどの電子書籍リーダーでも順次、読めるようになります。

電子化にあたり、単行本における誤字・脱字等を修正しました。
修正できる機会に恵まれて良かった。
というのも『黒猫ギムナジウム』での脱字は、意味が正反対に読み取れる脱字であり、
(詳しくは当時のブログ:http://blackcrosssanatorium.blog.so-net.ne.jp/2011-12-03-1
これは当時、初校も再校も終わった段階で、
当時の担当編集者に心無い変更を強いられ、
ぎりぎり妥協できる範囲まで、なんとか変更を加え、メールで伝えた部分のうち一箇所が、
編集者のミスにより脱字で反映された。
――という苦い思い出が。

この本の出版には他にも本当に苦労しました。
版元によって諸々の判断基準は異なるので、
出版社の指針とあれば仕方あるまいと、なんとか苦慮して対応した。
実際のところは講談社の指針でもなんでもなく、
当時の担当編集者が、私の表現方法に逐一ケチをつけたいだけだった。
……と、後々わかった。

私の小説を毛嫌いしていた人だったが、プロの編集者としての仕事は期待していた私も認識不足だったのだろう。
古いバージョンの原稿が校閲に回っていて間違って届いたりとか序の口。
ミスが多発するだけでなく、悪意もあった(この小説の一体何が面白いんですか、売れる実績がない作家の本を出すのに、なんで主張するんですか、と度重ねて言われたりと)、無益なストレスが多かった。

そういった点を含めて、細かい箇所まで、今回すみずみまできちんと思い通りに直せて、
やっと一区切りがついた思い。
といっても当時も体調を崩すまで粘り強く頑張って、試行錯誤のうえできるかぎり初志を通したので、
大体的にがっつり手を入れた部分はありません。
読者にとっては、微細な修正かも。

本当はこのあるべく状態で、紙本での文庫化を目指したいし、
できれば、今はもう講談社の担当編集者が変わっているので、
当時よりも良い環境で、ぜひとも続きを書きたい。

電子書籍には当然デメリットもあり、書体が明朝とゴシックの2種しか選べない。
紙の本で、怜士朗が白雪に宛てた手紙部分の書体などは、
キンドル版ではゴシック体になってしまったりと、惜しいところもあり。

『黒猫ギムナジウム』(講談社)は絶版ではなく、紙媒体の本がまだ市場に出回っています。
一般書店ではもうあまり取り扱われていませんが、
取り寄せあるいはネット書店では入手可能です。
やっぱり本といえば紙!派のかたがたは、
上記の誤字脱字等をやんわりを踏まえたうえで、
これを機に改めて紙書籍を手に取ってくださると、嬉しい。

追記(2016/7/28)



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若冲展脱落です [さ行]

昨日の金曜日、上野界隈に出かける用事があり、
帰りにそうだ東京都美術館で開催中の若冲展に寄っていこうと思い立つ。
若冲は、花鳥風月をモチーフにしつつも毒々しいまでに精巧華麗というイメージで、
一度きちんと見ておきたかった。

混んでいるのは知ってました。

その前の週末で3時間待ちとか、
又18日(水曜)のシルバーデー?とかいう一定年齢いった人が無料で見られる日には、
激混みのニュースがちらほらと耳に入っていた。

でもなんでもない平日金曜の昼下がり。
並んだとしてもまあ30分くらいか。
私だいたいこういうの運が良くて、激混みのニュースが流れていても、
スッと雲の切れ間みたいな時間帯にすんなり入れることが多いんです。
(人と生活パターンの時間配分が少しずれているのと、
雨の日に行動するのが嫌いじゃないせいもあるかもしれない。)
徒歩圏内だったので東大近辺から不忍池を抜けて精養軒から動物園裏を通って……
歩きやすい靴を履いているし、天気も暑すぎず風は肌寒いくらいだし、
ポカリスエット、帽子とサングラスさえあれば何とかなるでしょ……。

甘すぎた。

着いたのは午後3時前でしたが「210分待ち」。
2時間10分じゃないからね。
210分だから。
3時間半待ち。
レア4太刀を手伝い札なしで鍛刀しても、まだお釣りがくるんです。

チケットを持参していなければ、チケット売り場でも待ちます。
(わたしは事前にチケットを買ったとして万一、入れなければ無駄になると思ったので、買わないで出向いた。)

ここまで混んでいると、中に入っても人間の頭を拝む形になり、きちんと見られないし、
宮内庁所有とかの通常、お目に掛かれない代物がごっそりまとめて展示になってる分、
生きているうちに一度は拝んでおきたい系の参拝者、
御開帳とか参詣とかメッカとかに通ずる苦行と御利益的な趣きを呈しているので、
即Uターン。
諦めました。

それにしても整理券を出さないのは、すぐ近くにある他の美術館や博物館に集客を奪われぬよう、足止めを食らわすための、東京都美術館の目論見か。
日頃、東博や上野の森美術館に客足を奪われている鬱憤を晴らして、見せびらかそうとしたのか。
……そう疑いたくなるレベルです。

展示の終わり際ゆえ激混みに拍車がかかっていたけれど、当初はここまで混んでなかったはず。
早い時期に行けばよかった。
映画とかだと、ドル箱メガヒット作でも終わり際になればなるほど空くんだが……。

ここまで長い行列というと、愛地球博の万博を思い出しました。
「早いうちはガラ空きだったよ~地元民ばっかが何回も足を運んでたもんね、俺なんかもう10回は来てる」とか、話しかけられたのだった、そういえば行列の渦中であの時は(知らない人に他意なく話しかけられると、あ、東京とは違うな?と実感します)。
《後半必ず混む》というよりは、メディアの取り上げる時期にも左右されるのだろう。やっているのを知らなきゃ見にいきようがないんだし。

2016052014420000kakou.png

並んでいる人の顔を隠す加工をほどこそうとしたら、吹き出しみたいになってしまった。
思い思い好きな台詞を入れてね。

今後もブログは通常営業 [か行]

Ask.fmを始めてから、
信じられないくらいに当該ブログのアクセス数が激減し、
たまに検索ワード(包丁・殺傷力とか、東尋坊・行き方とか)に引っかかって、
事故的にやってくる人くらいしか、立ち寄らなくなったようなのですが、
このブログは今後もこれまでの不定期ペースで続けていきます。
(むしろAsk.fmに既に飽きかけている。フォントやフォントサイズを変更できないし、自動生成される質問は似たり寄ったりだ。)

元来、物凄くニッチなブログですので、
アクセス数を気にしてはいなかったんですが、
カウンターが壊れたかしら?
というほどなんで……これは何か誤解されている気がしました。



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『南阿蘇水の生まれる里白水高原駅』の由来水源 [ま行]

熊本地震の後、水源枯れる 「日本一長い駅名」由来の地

http://www.asahi.com/articles/photo/AS20160425000359.html
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20160425000360.html
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20160425001528.html
(朝日新聞デジタル)

スライド式になっているので一つのリンクをクリックすると、
あとは矢印で3枚見られます。

水源があったころの写真と、現状との差に唖然とします。
こういう実態も徐々に明らかになってくる頃ですね……。


Ask.fmはじめました [Ask]

Ask.fm(質問回答サイト)に登録しました。
べつにブログのネタがマンネリがちで困ってるとか、そういうんじゃなくて。
そういうんじゃないから。

Ask.fmに登録している人は匿名で気軽に質問できるはずなので、
気が向いたら気ままに質問してみてください。

私も気が乗ったタイミングで、答えられる質問にはなるべく答えていきます。
質問をお待ちしてます。

https://ask.fm/YuKaNakazato


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刀剣博物館に行ってきた [た行]

『刃文~一千年の移ろい~』
見てきました。

明石国行が展示されているのは知っていた。
が、我が本丸(『刀剣乱舞』)には居ないし、
出足が鈍っており。

明石国行が展示されていなかったとしても、
刀剣博物館には行きたいと思ってはいたのだが、
二の足を踏んでいたのは、まず場所がややわかりにくい(←方向音痴)。
HPを見ても、土地勘ないし、いまいち良くわからない……。
寒いさなかに木枯らしに吹かれながら道に迷うのは厳しい。

おまけに午後4時までに入館しないと入れない……博物館にしては早いのでは?
午後4時半には閉まる。
金曜だろうと祝日だろうと遅くまでやってないんです。

ですが友人が、
「刀剣博物館は刀剣を見せることに特化していて、
展示方法が最適化されている気がする。
刃文がなにより、くっきりきれいに見えた」
といった内容をしたためていたのを読んで、俄然、好奇心が刺激される。

行かねば! これは!

アクセスですが思っていたほど悪くはありませんでした。
私は初台駅から行きました。
方向音痴の私は悪あがきせずに、交番でお巡りさんに即行、訊きました。
運よく、婦人警官が応対してくれ、
道順の説明は、やはり圧倒的に女性から聞くほうが私には腑に落ちる。
(男性のお巡りさんに道を聞いて、さらに迷ったこと数知れず。)
あっけないほどすんなりたどり着けて、大変助かった。

明石国行の展示は今日までですが、
いつも何かしら刀剣の企画展をやっているので、
これから行く人が、私レベルの方向音痴だった場合として、参考までに道順を記しておきます。

1、初台駅の新国立劇場側の出口に出る。
2、新国立劇場を左側に見つつ、右側の幹線道路および高速道路に沿って、1分くらい歩く。
 すると、目につく一番大きい交差点で山手通りにぶつかる。これをわたる。
3、交差点を吉野家(牛丼チェーン店)方面にわたる。
4、吉野家とライオンズマンションの間にある坂道を下る。
 坂道はかなり急な下り坂で、まるい滑り止め加工がついているタイプの道。
 周囲はちょっとした住宅街。
5、坂道をほとんど下りきったところの電柱に、「刀剣博物館は左側」と表示が出ているので、左折。
 (ポストの手前の電柱。ポストを越えては下り過ぎです。)
6、左折してすぐの電信柱に「刀剣博物館は左側」と表示が出ているので、また左折。
7、なんかちょっとした工事をしていて、ひるみますが、工事現場を横目にしつつ、坂を上る。
(さっきくだってきた下り坂の一本隣の道を、ほんのちょっとだけ逆行して上る形。)
8、工事現場→民家?→刀剣博物館となり、刀剣博物館の白い外観が右手側、すぐ見えてきます。
 文字が書いてあるのですぐわかる。博物館というよりは事務所っぽい感じの建物です。

展示室は2階で、広さは羽田空港ディスカバリーミュージアムの倍くらい?
さして広からず、かといい狭からず。

展示内容は99%刀剣です。鎧甲冑も一揃えあったが、
歴代の刀剣が並んでいて、
ものすごい充実度。

刀剣を見るのに最適化されている、という表現も納得でした。
展示物との距離感が良い。とにかく見やすい位置に配置されている。

照明がおそらくは普通の白熱球?……なので、若干、黄色みがかかって、
たとえば青白い地肌はより明るく、
青黒い刀身の鋼っぽい色味などは、黒々と映る気がしますが、
その分くっきり、刃文との境目が対比でよく見えます。

明石国行は大きくて存在感のある太刀でした。
今まで、刀剣乱舞のキャラクターの印象と、刀身の実物の印象がマッチしている気がしたのって、
私はあんまりないんですが、
(それはそれで面白いからいいんです)

……あ、でも骨喰藤四郎は薄幸そうな、繊細に白々と光る美しさと、
殺傷力の高そうな洗練された感じがキャライメージとブレてないと思ったし、
燭台切光忠も、真っ黒に煤けて金のはばきが残っている外見がそれっぽいと思ったので、
物によります。
でも骨喰藤四郎は薙刀直しの脇差ゆえに、
先端までスッと鋭利な曲線を優美に描いているのが妖しげで魅力なのに、
刀剣乱舞の絵だと、切っ先に角度がついて描かれているのが気になってきたりとか……。
(そんなこといったら現存してない刀剣などは想像で描かれているわけで、
ゲームの範疇だし、問題はない。)

太刀・明石国行の実物は、キャラの明石国行の外見と同一視できる印象を受けました。
(写真撮影不可なので、印象と記憶だけで語ってます。)

刀の手元側、鍔(つば)に近い部分に、
三鈷杵(さんこしょ)の彫刻が小さくほどこされているのが目印。
全体的に黒が勝っている、すらっと大振り、ふてぶてしい存在感を放つ刀剣でした。

刀剣博物館が良かったのは、
特色のわかりやすい配置でもって、刀剣が新旧・刀種ともに、よりどりみどり。
刃文の説明も過不足なくわかりやすく、
並列している英文表記もきちんと過不足ない。
展示物によっては、「これは彫り物を見せるために裏面を出しています」といった記載も的確に明示されている点。
東博の三日月宗近みたいに、しれっと裏面を出して展示されていた気持ち悪さとかが、皆無。

他にも鮫皮でこしらえた柄の装飾品とか、見ていて興味深いものばかり。

個人的にはやはり私は脇差が特に好きなんだなあ……と。

なにしろ太刀は大きいですが、太刀の時代は、馬上の戦いを想定していて、
日本の馬上の騎士は、欧米の馬上の騎士とちがって、盾を持って戦わないから、
長々と大きい刀身の棟の大半は、斬るためというより、盾の役割かと。
そのせいか攻守とも備えた安定感が、若干、面白みに欠けるきらいも。

短刀は純粋に庖丁に似すぎている。

脇差は得物を振り回すのに丁度よさそうな手ごろ感……にしては、
刀身まるごと目の前の相手を確実に斬るために存在している。
守備で耐えしのぐ余地をさほど顧みず、
ただ切っ先に全殺傷力を込めまくっている鋭利な仕立てが、
硝子越しに見ていても危ういし、美しいです。

今回、なにかの試験に出るのか、
説明書きをノートにメモりつつ、
あるいは内容をスマフォの辞書でひいてググり閲覧しつついる方々が多かった。

各刀剣の刀相書きとして添えられている文面が、
古式ゆかしい刀剣カタログに用いられていたであろう、
《重ね厚く、よく詰んで無地風となり鉄色黒味を帯び、尖り刃が連なり三本杉風になり、
小沸つき、匂口締まりごころとなり、僅かに砂流しかかる》(←とある刀剣サイトから抜粋)
みたいな、
(半分くらいはニュアンスで汲み取ってるんだけど、読んでで美しいよね)
特有の言い回しでツラツラと列記されていたのも趣あった。

刀剣博物館は、若干、古ぼけた建物ですが、
展示内容は大いに充実していました。
ちなみにエレベーターはMax3人乗りで、すごく狭い。
ものすごく時間がかかって一フロア分を移動する。
階段を使ったほうが安心かも。
わたしは帰りに乗って、一瞬、不安に憑かれた。


ゲットー解体と『シンドラーのリスト』 [か行]

私がアメリカに留学していたのは2000年前後ですが、
(大学院留学中に9・11が起きたのだった)

留学中の当時、3月のこのあたりの日曜の夜には、必ずと言ってよいほど、
映画『シンドラーのリスト』をノーカットで、みっちりテレビが放映したものでした。
最近この時期にアメリカに居る習慣がないから、わからないけど、
ひょっとしたら今でもそうなのかどうか。

日本が終戦記念日近辺に『火垂るの墓』をノーカットでやったり、
夏休みとか冬休みなど、大きな休みに、ラピュタやトトロや魔女の宅急便やら、
懐かしのジブリアニメをノーカットで放映する風物詩みたいに
『シンドラーのリスト』はノーカット。3時間以上。
たしかFOXが、しかもCMを全く挟まなかった。

大きな場面切り替えの部分で、
~ただ今、ごらんの番組は映画『シンドラーのリスト』こちらの会社が提供してます~
と隅にちっちゃく出すくらいで、全編、全面リスペクト。

ジブリアニメがノーカットなのは、まぁ言ってみればテレビ局側のサーヴィスですが、
シンドラーのリストの場合、がっつりR指定映画ですんで、
土日のゴールデンタイムに、テレビでお茶の間に流せない映画のたぐいなんです。

アカデミー賞を総なめにすると、そのへんが治外法権的な扱いになるというか、
題材的に、ものすごくシリアスでもあるし、
「これ下手にカットすると面倒くさいから全編そっくり提示する、きちんと見ろ」
テレビ局が使命みたいな感じでやっていた印象を受けた。少なくとも私は。

で、題材が重いから、うっかり見るのはやめとこう……と思っていても、
ついテレビをつけたときに見はじめると、もう全部見なければならなくなる。
私を含めた留学生連中の大半が、けっこうそんな感じでいました。

描かれている題材と中身の重要性もさることながら、
映画としても物凄く魅力的にできていて、
重すぎる題材でも長い映画でも最後まできっちり惹きつけて見せる起伏と執念があるし、
技法としても、曲も画面も役者もみんな溶けこんで一つになって世界を作り、映画を構成している。

私が一番最初に見たのは、
日本で高校生だった時、友人3人と映画館に繰り出してで、
いろいろ衝撃で胸がいっぱいで無口になって映画館を出たのだった。
いっぽう友人の一人は「良い映画を見るとおなかが減る」といって、
すぐにクレープを買って、糖分を補給していたのを思い出します。

『シンドラーのリスト』
なぜこの時期にテレビで流すかというと、
題材となっているポーランド・クラクフのゲットー解体が3月13日、14日中心に執行されたからです。

ユダヤ人が殺されるシーンは、いかなる場面でも度肝を抜かれるし、
アウシュヴィッツのシャワー室のシーンはもちろんなのですが、
見ていて一番きつかったのは、3月に起こったゲットー解体の場面。
……なにしろアウシュヴィッツまでいくと、ある程度あきらめもついてくる。

ゲットーの時点では、家や財産を没収されたとはいえ、
最低限といえどまだ人間らしい生活を送っているので、
希望が残っている。
そこに突然ナチスが踏みこんでゲットーを解体しにくるところが、すごく堪(こた)える。

Itzhak Perlman - "Schindler's List Theme"

https://youtu.be/WPsAR9Sx-JQ

家屋敷に住んでいるユダヤ人を、
トランクに荷物をまとめさせ、まずゲットーに住まわせて、
次に、住んでいるゲットーを解体して、夫婦も家族も男女ばらしてアウシュヴィッツ送りにして、
アウシュヴィッツで強制労働に従事できなくなると、ガス室送りに。

その要所要所で、規格外をひたすら殺し、
その場その場の殺害を免れさせたとしても、
坂道を転げ落とすようにして、ユダヤ人を貶めていく過程の、
まず家、宝飾、服、次に髪、死なない順に身ぐるみはいでいって最後にガス室に送る。
一見、無軌道な殺戮と、
ナチス特有の几帳面な緻密さのコンビネーションでひたすら病的、片時も気が抜けない。
(ジャーマン・シェパード犬や、聴診器やらの、ドイツのお家芸である技術の結晶を
ユダヤ人狩りに遺憾なく発揮しすぎる描写も背筋が凍る。)

労働力がほしいから奴隷労働に就かせるとか、
財産没収が目当て、
いやキリスト教化が真の目論見だとか思っていると、
結局のところ民族浄化が最終目的だったんだなというのが、知っているけど途方もない。

当時、わたしは親世代にまで、せっせと『シンドラーのリスト』を、お勧めし、
アメリカでビデオを買って、見てない友人には個別上映会も辞さなかったのだが、
この映画、意外にも人によっては不評。

親世代は、
「ドイツ人でナチ党員のオスカー・シンドラーじゃなくて、彼の下で働くユダヤ人の眼鏡かけたおじさん(ベン・キングスレーがやってたイザック・シュターン)この人を主役にしたら良かったのに」
シンドラーが女好きで遊び人だったのが、気に食わなかったご様子。

……シンドラーが単なる人道家だったり、聖人君子だったりしないナチ党員な史実が面白いのに。
(私は『コルチャック先生』は申し訳ないが途中で寝た。座席が悪くて字幕が見えなかったせいもあるけど。)

聖人君子でなくとも、人道家でなくとも、まっとうな感性の持ち主なら、
ナチスがやってるユダヤ人殺戮を目の当たりにしたら「信じられねー」わけで、
そこで尻込みしなかったのは、シンドラーに博打うちとホラ吹きたる才覚があったから。
真っ向勝負でナチス相手どって戦って勝てっこないと知っているシンドラーは、
手ごわいナチスの高官を相手に、賄賂と買収、汚い手段を使ってでも、
ユダヤ人を助けていく、そこが味わい深い。

拝金主義で、お金の力を行使する快感が大好きなシンドラーだからこそ、
金の力の旨味を最大限に利用する。
全資産をなげうって、ユダヤ人助けに乗り出して、
ナチ高官のアーモンと駆け引きし、取り引きに至る。
淡々と描かれる人間ドラマとしても見ごたえがあるのだ。

ところで、ユダヤ人殺戮ナチスもの映画で必ずといって出てくる、
ユダヤ人がゲットーに移されるとき、ドアの近くで細長い留め金を引っこ抜くシーン。

私は当初、ユダヤ人はドアの蝶番の芯に、ゴールドを使っているのかと思っていました。
歯に金(きん)をかぶせて仕込んでたり、とにかく財産を隠し持つことにぬかりないので、
こんな意外なところに金を使って隠す風習があるのか……
蝶番の芯を外しちゃったら、ドアをうまく開けられないし、Not Welcomeってことで、
家を奪われる者の、せめてもの抵抗か、
と勝手に感心していたのだ。
実際はメズーザー(Mezuzah)という小さいお経が刻まれた厄除けであり、
信仰の証なんですね。

かなり最近まで知らなかった。


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やらない理由を探し中 [や行]

『ブラッドボーン』というゴシック世界ぎゅんぎゅんのゲームをやりたくて逡巡している。
たいていはゲームのムービーを視聴して世界観を確認し、
ま、自分でやらなくていっか、
と流してきていたんだが、これはプレイしたい。

ゴシック世界のゲームはたいてい悪魔色やゾンビ色が強いけれど、
ブラッドボーンはどっちかっていうと吸血鬼系が濃厚な予感もするし……
(特殊な輸血液を補給しながら戦うとか)。
廃墟っぷりが美しく病んでるし、
おまけに口コミでは好評。やらない理由が今一つ見あたらない。



しかしこれまで私はゲーム機を所有してゲームをプレイしたことがないので、
かなり清水(きよみず)の舞台から飛び降りる意気込みが必要なんである。
なにしろ友人が、かえすがえすも「ゲームは時間とお金を吸い取る悪魔の箱」
安易に手を出してはいけないと、
自らの体験に基づいて、親身に忠告してくれるので、
掟のように肝に銘じてきていたのだ!

ゲームは最近で言えば刀剣乱舞沼に若干片足を突っ込んでいるけれど、
あれは軽微なブラウザゲーだし、
あとかつてのルームメイトの家のWiiでもって、マリオで遊んだくらい。
スーパーマリオはけっこう難しく、心折れかけた。
ゲームとはこれまでも意識的にかなり距離を置いていて、
のこる記憶はファミコン時代にまでさかのぼり、
すっごい子供の頃、親せきの家で「ギャラガー」というシューティングゲームをやった覚えが……。

ブラッドボーンはPlay Station 4のゲームなので、まずプレステ4を買わないと。
ブラッドボーンのゲームのソフト自体は数千円なので、
よっしゃやろう!
と前向きになっていたところ、
プレステ4が想像していたより高額なんで、えっ……
怯んでいる。

こんなの時間もお金も余ってる貴族の遊びじゃありませんか。
わたしは、しがない吟遊詩人みたいなもんなんだから、そんな……
でも吟遊詩人も折々のサロンの遊びをたしなむ必要が……。

かなり迷っています(……前向きに検討中ともいえよう)。

問題は時間をどう工面するかで、
刀狩りに費やしている時間を半分でもブラッドボーンにまわせば……。

刀剣乱舞もこういう重厚な装いで再構築してくれないかと願っているんだが、
スマフォ展開するなど、さらなる軽装化をはかるらしく、方向性が真逆であることよ。



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ゴシック映画ばかりを見てきたわけではない [か行]

たまにほとんど発作的に、衝動的に見たくなる古い映画というのがあって、
そのために場所をとるビデオテープだったり(時代を感じる)、
DVDだったりをどれも持ってはいるのだが、
一から全部見てると時間がなくてキリがない。
そんなときにYouTubeは、実にありがたい。
結構な確率で、見たいシーンだけ選りぬきで見られるし……

と、時間を有効利用しているつもりで気が付けば4時間とか経ってるの、
本当勘弁して欲しいよね...。

† シェルブールの雨傘

https://www.youtube.com/watch?v=Zs1NmsA-n-Y

往年の少女漫画や昼ドラは、
この時代の洋画の影響を、もろ受けまくりなのだなあというのも感じつつ、
カトリーヌ・ドヌーヴが可憐を極めていて見入る。

徴兵で別れわかれになった若いカップルが、
なんかいろいろあって、
ガソリンスタンドで再会するラストシーンにと↓。


Les Parapluies de Cherbourg (Finale)
https://youtu.be/JFSsUasp9dw

男のほうは別の女性との間の息子に、フランソワと名付けてて、
先に結婚しちゃったカトリーヌ・ドヌーヴは、彼との間の娘に、フランソワーズって名付けてるとか、
男のほうが、あえて傘一つさしかけてやらないところが、あぁ……まだ好きだから恨んでるんだなぁ。
等々、いろいろ皮肉で、ほろ苦い。

私は2000年あたりにデジタル・リマスターDVDがアメリカで発売になったとき、
初めて見たのだった。
古い映画は、だるかったりしがちなのに、
昨今なじみの映画の原風景的なシーンも多いので、
懐かしいやら、新鮮やらで、今でもたまに見たくなります。

† 太陽がいっぱい(ラストシーン)

Plein Soleil (Scène de dernière) : Alain Delon
https://youtu.be/eFOJfVo7XqI?t=2m18s

このラストシーンはビデオ時代もう本当に何回見たかわかりません。
アラン・ドロンが冒頭あたりでは、猫をかぶってたのが、
どんどん本領発揮しだして、このエンディングを迎える。
ラストの眩しい刹那的な感じが大好きだ。

† マレーナ

Malèna (3/10) Movie CLIP - Causing a Commotion (2000) HD
https://youtu.be/ZTAVOF3D4vY

マレーナ(モニカ・ベルッチ)が町を歩く有名なシーン。

夫が戦争で帰ってこなくなり、父親も死んで、
田舎町に一人、美女過ぎて女性からは、やっかまれ、
男性からも破廉恥な冷やかしばっかり、
食べ物も腐ったものしか売ってもらえなくなり、食えなくなった挙句、
苦肉の策からマレーナが髪を切る。


Malèna (8/10) Movie CLIP - Malena's Makeover (2000) HD
https://youtu.be/zkBkTx-GL8s

マレーナが歩くシーンは何回かあるけれど、
後半になるにつれて、どんどん洒落にならなく苛酷な展開になっていくのですよね。
この映画はオンタイムで見た記憶が。

最近の『007スペクター』でも、モニカ・ベルッチが妖艶な寡婦役で登場してましたが、
この女優、マレーナの映画以来、そういう役がついてまわっている気がしないでもない。

ビデオで持っているが、
古いビデオデッキの健康状態がやや怪しいこともあり、
なかなか見るきっかけを作れない。
次のもそうです。

† セント・オヴ・ウーマン

The Tango - Scent of a Woman (4/8) Movie CLIP (1992) HD

盲目となった傷痍軍人(アル・パチーノ)のタンゴのダンスがキレッキレで味わい深い。
このころの映画は面白かった。
むろん今の映画も面白いが。
当時は一年に、ほぼ100本は映画を見ていました。
このところ年に10本前後を見てるかどうかも怪しい。
もっと見たい……。



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ニコニコとピクシブはもう見ないと決めてる……んだ [最近のお気に入り]


http://www.nicovideo.jp/watch/sm28141915

平野藤四郎は境遇も恵まれてるゆえ、これといった思い入れはなく、
ゲームのしょっぱな、前田藤四郎君と混同して連結してしまった口である。
前田君はマントと小鳥好きなところが可愛い。

その後なかなか平野君が来なかったので、入手するまでの間、
手を焼かせやがって、
くらいに思っていた。

歌詞の「冬はいいけど夏は嫌」を、豊臣側のいち兄(一期一振)が口ずさむと、
曲の解釈が根底から変わって、
これ……冬の陣はいいけど、大阪夏の陣はいやだって意味だ……。

そうしてみるとひとつひとつの「冬」と「夏」の語が重い。
場面に潜む世界観がいちいちやるせない。
平野君が背負ってる罪悪感が痛ましい。
何度目でも夏が疎ましいのか。



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余談 [や行]

信条や思想が自分に近い登場人物で、
物語における肝を語るキーパーソンの場合、
(……性格や外見ではなく、あくまでも信条や思想が自分と通ずる部分がある場合)
長台詞を語っているうちに、作者の地が滲み出てしまうと小説として興ざめなので、
思えばわりと意識的に、声のトーンや、容姿などをきっちりイメージ作りして挑んでいるかも。

みがかヌかがみ』の場合、
瀬〆の叔父様:cv諏訪部順一(敬称略)

青天目氏と瀬〆の叔父様は声がそっくりなので、
必然的に青天目氏も、cv諏訪部順一(敬称略)で脳内再生しながら書いていました。

担当編集者の一人に、「cv諏訪部さんのつもりでした」と明かしたら、
ああ~良いですね♪
という反応でした。

声優方面にそんなに詳しいわけではないものの、
諏訪部さんに限らず声優さんはいろんなタイプの声を演じ分けますよね。
ならば諏訪部順一(敬称略)といったってどれ系の声の諏訪部さんか。
Youtubeを漁って、一番イメージに近い声質だなというのは、こちら。


https://youtu.be/wiP4_UwBvAM
悪魔のリドル 8話冒頭 

無論、小説本という形態で物語世界を表した以上、
登場人物の声をどうイメージするか等、それこそ読者の感性にゆだねられている。
これが正解とか不正解とかではない。
ただ作り手としては、こういう声音をイメージしつつ、口調を紡ぎだしておりました。

あと、獄卒・石渡連水はcv遊佐浩二(敬称略)。
京言葉風で、一から十まで胡散臭そう、イメージカラーが白、得体のしれぬ曲者といったら、
cv遊佐さんの声以外に、しっくりくる声色を思いつくだろうか。
いや思いつかない。

なお夢浄土の全編にわたり重宝される太刀・石渡連水のほうは、
さまざま刀剣の展示場を徘徊していた私が、
……これ! これがまさしく脳内刀剣・石渡連水だ!
と思う太刀に出会い、すでに小説は書き上げていたけれど、
執拗に写真に撮った携帯画像が出てきたので、画質が今一つですが一部を以下にアップ。
(クリックすると拡大します。)

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この太刀には赤字で文字が刻まれているが、
これで文字がなければ、まさに石渡連水!
(比べる対象がないので写真だとサイズがわかりにくいですが)
大きさとか色味とか反りとか刀身の姿、太からず細からず身幅尋常な存在感、
もろもろが、図太い品格と、清潔感が共存していて、
切ッ先とかまで、まさにイメージが具現化されて目の前に存在したようだったです。

人によっては、日本刀なんてどれも同じに見えるかもしれないが、
ほら例えば、こちらの刀剣と比べてみたりすると、相当、様相が異なるでしょ。

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てやっ!!!

Friendsでチャンドラーが名前を間違って覚えられてて訂正できない話があったけど [は行]

毎年、きちんとした年賀状をくれる友人が、
ここ数年、私の名前・中里友香の宛名部分を、
「中里由香様」とくれる。
高校時代からの友人なので、けっこう長いこと友達やってるし、
このブログにも登場の(大沢たかおファンの)友人である。

すごく字がきれいで、硬筆も筆もいずれも高い位の段持ちで、清楚な達筆。
……なのだが、宛名と住所部分が印刷になって、
賀状部分に一筆、直筆で気の利いたメッセが添えてある感じのスタイルになってからだったろうか。
私の名前が、
(すごい左右対称だな……)
という体裁で届くのだ。

「これって会った時にでも機会があったら訂正してみてよいものかなあ。
揚げ足取るようだし、私は賀状メール派で、年賀葉書で出してないから、そんな奴がおこがましいかな。最初に放置しちゃったから言うタイミング的にも……」
当初は、今まで正しかったし、今年だけのミスだろう、と思っていたのである。
数年続いて、これはどうしたもんだろうか、と思い始めたのだが、
「今更どうかなあ……」

そう、共通の友人で、人形作家のたまきさんに軽く相談してみたところ、
「私ならサラッと言っちゃうかも。字が違ってたよー、今度は直しといてね~って」
「そっかー。でもなんか言いにくい。私も彼女も同じ血液型で、この血液型はこの件は訂正されたら何か傷つく」
「そうなんだ(笑)」
「仕事関係の事務的なミスなら間違いなく躊躇なく指摘するよ。友達だから、ここは有耶無耶に」
「でも社会人なんだし。そこは友達だから間違われると余計に……」
「そう、気になるのよ~」
 ……はぁ。

「ポッと出の知り合いじゃないし、私の本を買ってくれてるわけだから、私の名前をわかってるとは思うのよ。メールでやりとりするときも、私はわりとローマ字表記で書くことが多いけど、彼女にはわざわざ日本語表記フルネームで中里友香って書くようにしてるのね」

汲み取ってね的なジェスチャーなのだが、汲み取ってくれる気配は見られないまま、毎年……。
「あれかな、宛名プリントだけ業者に頼んでて、業者が勝手に間違ってデータ化して、それを毎年更新しているととかかな。自分で簡単に直せないんじゃないのかな。だとしたら見て見ぬ振りを……」
「いや友香さん、いずれにしても、そのくらい簡単に訂正できることだよ」
「だよねえ……」

直接、切り出せないからブログに書いているわけではなく。
なにしろ彼女はこのブログを読んでいない。
些末な事だからこそ、わざわざ切り出しにくいんです。
わりとなんでもはっきり言えるんだが、こればっかりは(笑)
気にしすぎか。


デビュー作 † 黒十字サナトリウム † キンドル版・配信開始 [ニュース]

黒十字キンドル表紙.png
† 黒十字サナトリウム †

紙媒体で絶版となっていた『黒十字サナトリウム』がアマゾン・キンドルで登場です。
徳間書店からではなく、クリーク・アンド・リバー社の電子書籍に特化した部門から販売となります。
……と書くと、まるで徳間書店と袂を分かつ状態になったのかと勘繰られそうですが、
クリーク・アンド・リバー社から声をかけていただき、
徳間書店に快諾をもらって、キンドル化と相成りました。

笠井あゆみ先生が描いてくださった当時の表紙絵を活かし、デザインをリニューアル。
色味も、より原画に近い形で、出してもらっています。
笠井あゆみ先生が、私の物語を読みこんで細かいところまで描き切ってくださった華やかな絵に、
文字通りの黒十字をあしらって、
ゴシック小説であることが、以前より伝わりやすいかと。

徳間書店のSF新人賞受賞作の本は奇をてらった結果なのか、
カバー絵=帯という構造。
絵に宣伝文句が被って、
宣伝文句も見にくいし、誰が得するんだろうこの不思議デザイン……。

おそらく……といっても100%わたしの推測にすぎないが、
日本SF新人賞の創設された当初は、
これでも「斬新な」装丁であったのかもしれない。
でも次第にその新鮮さも損なわれてきて、
表紙なのか帯なのか実際のところ扱いやすさも、いま一つ。
一度は刷新することになったのではあるまいか。
だから、私の一つ前の受賞者の作品は、白い表紙で、一般的な書籍の形になったのでは。

ところがいきなり体裁が変わったせいで、
日本SF新人賞の受賞作を応援していた人たちから不評だったとか。
で、元に戻すことになって私の作品が刊行となったという流れかと思われ。

今回、電子書籍リーダー用に刷新するにあたり、
以前よりもデザインに自由がきいたおかげで、
『黒十字サナトリウム』紙書籍ではカットされていた、
ナースドリーの黒いくるみボタンが並んだ、白くカッチリとした袖口も、きちんと見えるように。

また、右下にいるマントの男の鞄(かばん)も入っています。
わたしは今回、初めて、表紙で切られてしまっていた部分を見るに至り……感動。
それまでマントの男が誰なのかずっとわからないままでいたのだ。
教授かな? アンテックなのかな? 誰なんだろう……

鞄を携えているなら間違いなくアンテック・ランセット、
第六章「絶望を罠にかける」に登場する哀れなアンテク!

『サイコパス』の槙島聖護が「紙の本を買いなよ」と口上をぶつそのずっと前から、
断固、本と言ったら紙の本だよと主張しつづけているわたしとしては、
正直、このたびのキンドル化に、当初は懐疑的だったのです。が、
笠井先生の美しい絵の隠れた部分を発掘できただけで、もうキンドル化する意味は見出せたと思っています。

もちろん、笠井あゆみ先生が私の物語の内容を逐一、的確に再現してくださった絵巻の全体像も、
電子書籍の巻末に、再録しています。
今のデザインだと、レイナの上半身と下半身が分断されてしまうので、
全体像でつながったレイナもきちんと見られる仕様にしました。

この絵、本のカバーの時には気づきにくいのですが、
ミシィカを取り巻くバラは白バラで、
レイナのところで、ほんのり赤みがさして、
湊や龍司あたりになるとローズ色に濃く染まっていくのですよ。

ミシィカとレイナ(もっといえばお母さまの少女時代)あたりは白だったのが、
吸血鬼の血の契約でどんどん赤く染まっていくという、なんてドラマチックな仕掛けだ!
(もっというと吸血鬼になっちゃった人には薔薇が、そうでない人には薔薇がない。)
薔薇一つを描くにしても、漫然と描かずに、物語の意味合いをこめてくださるあたり、
見れば見るほど凝っていて、
笠井あゆみ先生、心憎い。

電子書籍リーダーの利点としては、
背景色や文字サイズを変えられることです。
従来の電子媒体だと、本のページを画像として処理していたにすぎないので、
『黒十字サナトリウム』の二段組の、字が詰まっていて読みにくい体裁であることに変わりはなく、
おまけに紙の本でもないから、長編の読書に耐えうるものであったかどうか甚だ疑問。

そんなマイナス点が解消されています。

黒十字白背景文字大.png
《第三章》
背景白地・文字サイズ大きめだと、こんな感じ。

『黒十字サナトリウム』二段組よりも、
電子書籍リーダー版のほうが読みやすい……。
紙書籍派のわたしとしては、若干の敗北感を禁じえない。

でも槙島いわく
「紙の本を買いなよ。本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある。(中略)精神的な調律。チューニングみたいなものかな。調律する際大事なのは、紙に指で触れている感覚や、本をペラペラめくった時、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ」

この点に関しちゃ、紙媒体に勝るものは無いが!

黒十字3章スクショ.png
同じ《第三章》
背景セピア設定で、文字を小さくするとこんな感じ。

画像処理とはちがうので、
文字を小さくすると、
改行位置はそのままに、文字が順繰りに詰まっていく。
字列の字面も変わります。
この仕様にするために、いろいろと手間暇がかかることを、
今回、身をもって知りました。

紙の本を専用の機械で読み取って電子化するのだが、
99.8%くらいの精密度なので、
何百万という文字がある中だと、相当な誤字が発生する。

《耄碌:もうろく》が、《毟碌:もうろく》となっていたり。
毟→むしる、ですから思いっきり誤字なんだが、
機械が似てると認識して、その手の誤入力をする。

《柩:ひつぎ》なんて、何ヵ所《枢》と変換されていたことか!
枢=枢機卿の枢、枢木スザクの枢。
枢は柩ではない、断じて。
物語の性格上《柩》という字が多いし、
紙にプリントアウトできない状態で、
これらを拾っていく作業は神経がすり減りました。
《瀉血:しゃけつ》が《潟血:しゃけつ》と記されていたりだとか、
挙げていったら、きりがないが、
すごい間違いが、しれっと平気な顔してまぎれている。
ルビは正しく振ってあるし、
人間の入力ミスとは違うので、
砂金から黄鉄鉱を見つけ出し、取り除くような地道な作業。

目を皿にしてチェックする過程で、
紙の原文に潜んでいた誤字に関しては、くまなく発見・訂正できました。

いっぽうで機械が犯した誤字・入力ミスに関しては、
(私のみならず入力オペレーターの人の目も、当然通しているのですが、)
誤字がすり抜けてしまっていないかどうか、
いまだ若干の不安は拭いきれません。

電子書籍リーダーで利用できる文字タイプが限られているため、
リーダビリティを考慮しつつ、文字下げにしてみたりだとか、
通常とは異なる、電子書籍リーダーならではの神経を使う局面がちょくちょく発生しました。

通りの瓦斯灯に青い灯が入ったとき.png
《第五章》
個人的には黒背景に白字設定が、一番読みやすい。
物語の世界観にもしっくり馴染む。

SF Japanに掲載された《番外編:逆十字入門》で、
笠井あゆみ先生に描いていただいた扉絵+挿絵2点も、収録させていただきました。
本の時にも入れられるなら入れたかったが、その頃はそこまで気が回らなかった。
たっての願いがかなって嬉しい……。

扉絵として再現できて、読者の方々も、きっと喜ばしいはずです。
雑誌掲載時にはタイトルや煽り文句が入っていたので、
笠井あゆみ先生に再度、原画を送ってもらって、クリアな状態で見られるようにして収録しました。

逆十字入門扉.png
(右クリック禁止)

実際は原寸大で見られます。

逆十字挿絵.png
(右クリック禁止)
わたしはこの挿絵が大好きです。

挿絵はほかにもあと一点あります。

Amazonキンドルを皮切りに、楽天KoBoなどでも順次、配信となります。
今回、電子化用にと声をかけていただいた折、
「紙書籍にもなんらかの好影響があるかもしれません。何もしないよりは」
というのが殺し文句でした。
いつか紙で再販を、せめて文庫化できたらという野望はいまだに抱いています。



共通テーマ:

ここだけの話 [か行]

このたびの新刊
『みがかヌかがみ』
この単行本は、シリーズでも続編でも番外編でもなく、
一篇の独立した小説です。

ですが実は、
『黒猫ギムナジウム (講談社BOX)』にチラッと出てくる共通の人物がいます。

黒猫ギムナジウム165pに出てくる磔刑の侍。
猫目坊にむかって「なあ小僧、首を刎ねてくれ、どういうわけか死にきれぬ……」と声をかけてくる、
案山子のようになった人物。

目縁(まぶち)は死斑で黒ずみ、
散斬り(ざんぎり)になってふりかかる髪から兇暴な眼光が覗いていて、
鳥の嘴(くちばし)に内腑を喰い尽されて、幾日も経った様相なのに、
綺麗な目線をいやにまっすぐ猫目坊へと向ける、彼です。
猫目坊が《お手前様は、もう死んどります》と答える、その相手の人物が、
『みがかヌかがみ』の主要登場人物、
不来方で目を覚ます、雨夜城(あまよ・きずき)にあたる。

『黒猫ギムナジウム』を書いている当初から、
この磔刑の武者について掘り下げて書きたいなあ……と。
ぼんやり考えていました。

裏設定というのか、
ここだけの話。

黒猫ギムナジウム (講談社BOX)

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おもてなし感 [あ行]

金曜日、羽田空港美術館ディスカバリーミュージアム(第二旅客ターミナル3階)に行きました。

モノレールに乗ったりと、羽田はアクセスにどうしても交通費がかさみがちなんだけど、
入場料無料と太っ腹な羽田空港美術館。
美術館はかなり小ぢんまりしている一室で、広くない(石切さんの宝物庫展と同じくらい)。

第19回企画展「徳川ミュージアム所蔵品精選 TOKUGAWA IEYASU 天下泰平の軌跡」
メインのお目当ては燭台切光忠でした。
フラッシュをたかなければ写真撮影もOKです。

燭台切光忠は、関東大震災で焼失したと思われていただけあって、
黒く煤けて独特の存在感。
刃文を写した古文書らしき文献も添えられていた。
美術館のポスターに、刀剣のポスターが貼ってあって、
燭台切光忠のかつての刃文を写した古文書の絵図面とよく似た写真の一振りが。
「光忠」とあったので、あぁかつては燭台切光忠もこんな感じだったんだろうなあ……と。
黒地に、水しぶきのあがった波のような白い刃文がひだをなして波打っていて、伊達で艶やか系。

ほかもいずれも「本当に結構なお道具をお持ちで……」
という徳川由来の所蔵品。
水戸の印籠とか。
くだんの印籠の元ネタの逸品かぁ。

羽田空港には、修学旅行生とおぼしき制服姿の高校生の団体が居て、
中には空港らしく荷物がカートだったりする姿もあり、
友人(高校時代からの友達)と、
「修学旅行に飛行機とは」
「ハイカラっすよね」
「わたしなんて京都と奈良」
「超、京都と奈良」

美術館を見終わって、
終点(つか始発)である第二旅客ターミナルから、
モノレールで2~3駅・浜松町寄りにある「羽田空港国際線ビル」で、いったん下車。

ここには展望台というよりもしろ展望バルコニーと言える、広々とした展望デッキがあって、
そこでしばらく国際線の飛行機の発着を眺めてました。
すっごい気持ちよかった。

次から次、一分毎くらいに飛行機が飛び立っていくので、
飛行機好きのわたしからすると、たまらない。
好物がパノラマで展開されてます。

自分が飛行機に乗る立場だと、
広いガラス窓越しに、飛行機が飛び立つのを見て待っているときは、わりとだるい。
また見送りに行くときには、自分も飛行機に乗って旅立ちたい熱があおられて、わりと凹む。

そういうしがらみや、時間的な焦りとか、荷物やお土産や天候の心配、一切から解放された状態で、
お天気な空っ風を浴びつつ能天気に発着を眺めるのは、爽快感がとてつもなかった。

ケータリング貨物で機内食を積載していたり、
到着した飛行機に、ボーディングブリッジの四角い蛇腹が伸びていって接続されたりだとか、
こまごまとした所も、俯瞰で眺めていると、いちいち新鮮。
風力発電の白い風車も見えました。
わたし、日本で生風車を見たの初めてだ。

昼下がりでしたが、日が短い。
日が落ちて暗くなってからも、離発着を眺めにデッキに出ました。
外なので夜はさすがに寒かったが、景色がぐんと変わってまた高揚した。
装飾イルミネーションの夜景とは違って、
ライトアップされた一種工業デザイン的な光彩の点滅がSF的ともいえるストイックな美しさ。

スカイツリーも東京タワーも遠くに一目瞭然で、
スカイツリーの、先端のとんがってるところから光線の矢を放っていくみたいなイルミネーションは、
良くも悪くも、おもちゃみたい。

一緒に行った友達は、最先端テクノロジーのガジェットとか好きなのに、
飛行機を乗り物として信用していないらしいのです。
「理屈ではわかっていても、感覚的に、あんな鉄の塊が空を飛ぶなんて……」
「なんでそこだけ原始人みたいなの!?」
そんな友人も、おもむろにスマフォを取り出して、カシャッ カシャッ
シャッターを切ってました。

ロングビーチに居た大学院時代、
車を運転して10分くらいのところにシールビーチという海岸があって、
9月10月と2か月間、わたしは毎日、雨の日も風の日も……(ロングビーチはその時期まず雨が降らないので、雨の日はほぼなかった)夕暮れ時の海岸線に行って、一人で日没を眺めに通ってたことがあります。
その時期、咳が止まらなったのだが、海風を浴びているときだけ、これがまったく出なくなるので。
なんかその時の感覚に近い広がりがありました、展望デッキ。
近くにあるなら毎日通いたい……。

この展望デッキは、鎌谷 悠希の漫画『少年ノート』4巻で、
ゆたか少年と、ウラジーミル少年が再会して、
歌をうたって駆けていくシーンの舞台でしょうか……?
(手元に漫画が無いんで、あやふやです)

羽田はいつ来ても清潔感にあふれ、
内装も色々と小洒落ていて、
おもてなし感満載。
モノレールからローカル駅(浜松町)に着いたとたんの落差がエグかった。


新作の単行本~みがかヌかがみ~明日刊行 [ニュース]

講談社から新刊の単行本が出ます。

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みがかヌかがみ

● 講談社/422ページ
● ISBN:978-4062197830

明日、11月10日に発売となります。
(お住まいの地域や、ネット書店の取り扱い開始日などによって、発売日に誤差があります。)

アマゾンの登録情報だと426ページとなっているのだが、
実際、本の最後のページにふってあるのは422ページなので、
これってどういうことなのかよくわからない。
ざっくり400ページ強という認識で良いのだけれど。

物語の本文が始まっているのは7ページからとなっており、
7ページまでには目次や化粧扉などが入っていて、
真っ白のページを差し引くと、目次やタイトルページを含めて419ページとかくらい。

426って数字は一体どこから出てきたのか……。
(あとがきもないしね。)

完結している一冊としては、今までで一番短い一冊です。
しかし編集部からは「長いですのでね」「長いですしね」と、たびたび指摘されるのであった……。
でもちゃんと一段組で収まっている。

今回、本の字面のレイアウトは選べたので、
かなり読みやすさを重視して決めました。
ページの端っこにふってある数字フォントがおしゃれ。
『カンパニュラの銀翼』の目次におけるページ表記の数字も大好きでした、
その数字フォントとかなり似ています(似ているけれど同じではない)。
数字がただ横に並んでるのではなく、組み合わせによって、
微妙に配列の仕方が異なってみえるようなフォントです。
ゼロを縦長の0ではなく、円い漢字風の〇に近づけてもらったりしているのが、
ささやかなこだわりの一つであるのです。
(周囲が横書きなら問題ないのだが、縦書きの場合は、丸っこいゼロのほうがしっくりくる。)

●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・○・●・○・●・○・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●

~内容紹介~

 大正時代、五月。
 月里見紗葵子(やまなし・さきこ)は茶道の名家を訪れる。
 訪れた家は天女目(なばため)姫の命で掘られた井戸を守り、姫の言い伝えとともに継承する一族――青天目家(なばため)家。
 昔、この地に井戸をもたらしたという、年端もゆかぬ天女目姫。聡明で峻烈な姫は、干ばつで苦しむ民衆に生贄を禁じ、かわりに井戸掘りを命じる。
 工事は難航し、民の怒りを受けて、姫は井戸の完成を条件に、人柱として命を絶たれる。

 死に堕ちた者が行き着く不来方(こずかた)にて、雨夜城(あまよ・きずき)が目を覚ましていた。
 自らの記憶と引きかえに刀を手に入れた彼は、死なせてしまった美しき天女目姫の奪還と救済に身を賭して挑む。

 生者と亡者、二つの世界がいびつに交差する。めぐり会い、別れ――比類なき因縁奇譚。

●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・○・●・○・●・○・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●・○・●

2013年2月号の小説現代に発表した中編『みがかヌかがみ』に加筆修正し、
このたび第二章、第三章を書き下ろして完結。
(その時のブログ→http://blackcrosssanatorium.blog.so-net.ne.jp/2013-01-22
http://blackcrosssanatorium.blog.so-net.ne.jp/2013-01-24

昨年2014年11月には一冊分に書きあげて編集部に渡していたのですが、
ようやく今秋、刊行に漕ぎつけました。

刀にまつわる描写がわりと頻繁に出てくるのですが、
ですのでけっして昨今流行のオンラインゲーム・刀剣乱舞に触発されたわけではなく(笑)
ゲーム開始前に、すでに書き上げていました。
かつまた刀剣乱舞のおかげで刊行に漕ぎつけたわけでもなく……
さまざまなスケジュールが噛み合わず、今に至りました。

とはいえ刀描写なんて、今まで喜んでくれる人がどれだけいるか、
自己満と言われればまぁ自己満……という感じだったのが、
今は刀剣描写や剣技描写やらに抵抗ない読者が増えているかもしれない。
とすると喜ばしいかぎり。

刊行までに時間を要しましたが、そのぶん完成度の高い小説に仕上がったと思っています。

装丁は、色合わせや絵柄の流れなどアンティーク着物風を意識したものに。

文芸色の強い表紙絵は、今回編集部からおススメされた、にしざかひろみさんの作品。
小説『みがかヌかがみ』の物語内に出てくる草花を、何層にもあしらってもらいました。
インクペンと水彩で描かれているはずですが、まるで銅版画のような趣に。
広げるとこんな感じ。現代日本画や屏風絵などの風合いと言いましょうか。

2015110921490000.png

今回の表紙の女性は、物語内の特定の誰かではありません。
いままで私の小説本の表紙に描かれる人物は、物語の主要人物でしたが、
このたびは英語でいうところのアノニマスやJane Doeに近い。
登場人物の要素をいくつか取り入れた、いわば誰でもないモナリザ的な女性です。

今まででいちばん発行部数が少ないです。お早めにお手に取ってくださいますよう――。

石切丸と小狐丸(石切劔箭神社) [あ行]

ラルカジノ・ライヴ往路のブログを書いている間に、あれれ……?
ワリワリと咽が猛烈に痛みだし、
風邪だ……。
潜伏期間があるので、べつにラルカジノで風邪に罹ったわけではないだろう。
思い当たる節と言えば、たぶんジュラシック・ワールドを見た映画館だ……。
まあちょっと、はしゃぎすぎました。

風邪ひくの4年ぶりくらいだったので、ひいてもおかしくない頃合いですよね、
と、3~4日寝込み……

正確に言うと、風邪のひきはじめに「とあるもの」でうがいをし、
そのうがいに使ったものにアナフィラキシーショックを起こしてちょっと死にかけ、
具体的には「毒殺未遂」症状と言いますか、
全身が臓器を裏表にひっくり返そうとするので、
体からエイリアンがバリバリ体を破って出るんじゃないかと思うほど痛みました。
心筋あたりが痛みだした時には、さすがにこれはマズいんじゃないかと感じた。

「とあるもの」はごく一般的な飲料で、
最近になって、食物アレルギーを起こすので飲めなくなっていたことは自覚していた。
劇症性の食物アレルギーの場合、今までまったく大丈夫でも、
ある日突然なることもあって、
なったら最後、一生治ることはない(……と医者に言われた。あくまでも劇症性の品目においては)。
うがいであれば、問題なかろうと油断していた。そもそもまるで意識してなかった。
殺菌効果が高いので、風邪のひきはじめには、是非こいつでうがいをば、
と、散見される飲料でもあったので、
ガラガラうがいをしただけだったのに。
粘膜からも摂取するんですねー。考えてみればそうですよね。

あとで医者に「そのまま死んだとしても珍しい話じゃなかったんだよ。なんでうがいしちゃったかな!」と説教されましたが、
「……熱でイマイチきちんと頭が働かなくて、この咽の痛みをなんとかできるならば、飲まなきゃいいのかと思いまして……」

持ち直してきたので、
ラルカジノの詳細や、石切劔箭神社について出だしをupし終えたあたりで、
今度は、治りぎわの風邪と、季節性のアレルギーが合体し、偽ぜんそく症状に。
しゃべっては噎(む)せ、寝ては咳きこみ、起きては咳きこむ。コホン、ぜー。
医者に行ったりしているあいだに、数週間が経っていた。

実は以前、8年間くらいずーっと、その手の、偽ぜんそく症状だったのだが、
大きい病院とかにもあちこち行ったものの、ちっともよくならなかったので、
諦めてほぼ放置していた時期がある。
影響するのは花粉と気圧なのだが、日本っていつもなんか飛んでて、いつも気圧が不安定なのよ。

当時はもう、通りの歩きタバコの煙に、嫌味でやってるんじゃなくて本気で咳きこむし、
車の排気なんて悪夢だし、
オサレなレストランとかでテーブルにキャンドルがあると、
うるさく咳きこむばかりなので、店員さんにキャンドルを下げてもらう始末。
百貨店の香水売り場を通るたびに噎せる、
新聞紙広げたときのインクのにおいで噎せる、
「香ばしいね~」←え……煙い、
ネイルやるときはマスクをかけて頼んでいたし、
石油ファンヒーター、石油ストーヴ……あ? 嫌がらせか……
ベープとか、衣類防虫剤(ナフタリンみたいなの)は、虫の前に私が音を上げるのであった。 
挙げればキリがない、考えてみればわりと普通じゃなかった。

慢性の不健康は、命に別条がない場合、良くも悪くも精神的に慣れるもので、
こんなもんだろう、と甘受するようになっていたのだが、
今の呼吸器専門のお医者に行きつき、
数週間の投薬で、あっさり完治したのだった。
今までなんだったんだ、というほど簡単に。
医者の見立てと薬は、ほんとにピンキリ、体質との相性もあります。

その後、3年間ほどまったく咳知らずで、
咳の仕方を忘れた頃合いに、久しぶりの懐かしい感覚ではあったものの、
思い出して有りがたい心地でもないのだった。
咳に対する耐性もすっかり失くしていたし、こんなに疲れるもんだったか……。

で、続きのブログを書くまでに一か月を要しましたが、
遅ればせながら、
先月の、石切劔箭神社の宝物庫展について今さら書く気満々です。

石切剣箭神社は予想以上に加持祈祷のメッカで、
厄払いやら、安産祈願やらの、
由緒正しき、いにしえの神社でした。
宝物庫展は、穂積殿に位置するところでやっていました。

石切劔箭神社(境内案内図)
http://www.ishikiri.or.jp/annai/

私の経路で語るなら、
本殿を参詣して、
崇敬会館で宝物庫展の場所を聞き、
授与所と本殿の間の通路(なにがしの祈願の小さい蝋燭がずらっと並んでいる)を抜けて、
その奥に入っていった。

神社などの宝物庫展は、靴を脱ぐところも多いですが、
靴を脱ぐこともなかった。
外国の人を連れて行ったりするのに、穴場で良いかも。
(欧米人はとかく外で靴を脱ぐのを露骨に嫌がり、
かなり日本の文化に馴染んでいても、服を脱がされるがごとくに難色を示す人が多いので。)

石切劔箭神社は、京都や浅草のように観光用に作りこまれた営業的な顔はなく、
素朴で質実剛健。かなり古式ゆかしいが、
儀礼的な堅苦しさはなく、あくまでも庶民的。
実にいい感じのたたずまい。

宝物庫展をやっていた一階から半地下(?)は、
発掘跡を一部そのままショーウィンドウで展示している、
神社とは思えない博物館的な構造になっていました。
一見、すんごく広い展示場なのかと思ったら、そんなことはなかった。

宝物庫の展示物のかなりが銅鏡でした。
古墳時代とか邪馬台国とか、そういう時代の銅鏡です。
レプリカとか写しとかではなく、
当時のほんまもんの銅鏡。

もともとこの石切さん、
古墳時代レベルの祭事の場所を礎にして、神社になっていたらしく、
法通寺という古代寺院の跡に建てられているんですね。
全く知らなかった。
この法通寺というのが、謎の古代寺院らしく、かなり古代ロマンをあおる場所らしきことが、
石切さんに置いてあったパンフ(近畿大学文芸学部文化・歴史学科が発行している)で判明。

近年、敷地内で穂積殿を建てたときに、
銅鏡やら、棗玉(なつめだま)の首飾り、法通寺の瓦などが発掘されたらしく、それらを展示しつつ、
御神体の石切丸(神剣)やらの刀剣も併せてお披露目。

宝物庫展の展示場は10人くらいの参列者が列になって、順ぐりに展示物を見て回る。
10人ほども入ると、展示室はわりと混み合う広さです。

銅鏡や、ヒスイ色した棗玉は、
ふーん……と流して見るわたし。
とはいえ、銅鏡はどれも丸鏡の背中(模様が描かれている面)が表に出ているだけでなく、
ショーケースに伏している鏡面部分も見えるようになっている。
ショーケースの内側の底辺が鏡張りになっている展示で、
(あ、この銅鏡は本当に鏡だったんだ)
と、わかります。

そうでもないと銅鏡は、大きい文鎮みたいで、
これ本当に鏡? 
という把握しがたい感じになるので、細かいところまで、さりげなく行き届いている陳列です。

で、肝心の刀剣に。

まず太刀・小烏丸(こがらすまる)の写しが。
太刀と言ってもかなり小さい。
太刀というと大きいイメージがありますが、
鎌倉以前の一般的な長刀は基本、ぜんぶ太刀であり、
打刀という存在が、当時そもそも無いといっても過言でない。
脇差はあくまでコンパクト、こいつがどんどん大きくなっていって、
もうそれ太刀じゃない?的なサイズになったのはずっと後年で、
だから薙刀でなく、大太刀でもない平安時代の長い刀といったら全部太刀です(たぶん)。
小烏丸は、よく鶴丸国永と引き合いに出されて、語られてますよね(鳥つながりの白黒で)。
見るからにほっそりとした一振り(66センチ)でした。
先端が槍に近く、ただ刀らしく全身が反っていて、道具っぽかった。

来国俊の短刀もありました。
来派でも、刀剣乱舞に出てくる来国俊の短刀とは別物らしい。

いよいよ展示場中央の島に石切丸と小狐丸が!
まごうことなき本物です。
中央のケースにあるので、表も裏も見られます。
同じショーケースに、大小という感じで、
上に石切丸、下に小狐丸と並んで展示されてました。

石切丸、刀剣乱舞では大太刀となっていますが、実際の神社では太刀と分類されていました。
太刀とあったが、刀剣乱舞の石切丸に相違ない。
(刀剣乱舞の公式刀剣カレンダーでも、ここ石切神社の石切丸が載っています)。

御神刀であり、ご神体なので、写真撮影はできませんでしたが、
本当に大きく、立派な刀(刃長76.1センチ)。

三条の刀の特徴ともいえようか、
切っ先がシュッとすぼまり小さめなので、豪快には見えない。品があります。

小狐丸は、ぱっと見た瞬間の印象といえば、
三日月宗近にそっくり!
小さい!
「三日月宗近より一まわり小さい、三日月宗近」
という感じ。
三日月宗近と同じ刀匠の手による太刀だと、一目でわかる。

何がそうも似ているかというと、
切っ先です。
東博の三日月宗近はかなり大きい刀でしたが(刃長80センチ)、
スリムに見えて、大振りに感じなかったのは、
切っ先がシュッと小口で上品だから。
小狐丸も然り、同じフォルムで先細にしまっている、スッと慎ましやかな切っ先で、
三日月宗近よりひとまわり、ふたまわりほども小振り(刃長53.8センチ)。

ゲーム内では「大きいけれど、小狐丸」と名乗るそうですが
(……うちの本丸には居ないからよくは知らんが)、
小狐丸という名前は伊達じゃない、小さい太刀です。
小狐丸という名前だけれど、太刀なのだという「大きい」であり、
石切丸と比べるならば、3分の2ほどもあったかどうか。
とはいえ50センチ余りあり、
また平安人は平成人よりも小柄だったでしょうから、
十分に太刀として通用したろう。

石切丸と小狐丸は、いずれも三条らしさはあるものの、
三日月宗近と小狐丸ほど、激似ではない……。

小狐丸と三日月宗近は三条宗近・作。
石切丸は三条有成(三条宗近の息子ともいわれている)作なのだそうだ。
なるほど。そんな感じです。

ゲームでも、小狐丸と三日月宗近が同じイラストレーターの絵によるものなのは、
そのあたりを考証してあるんでしょうね、きっと。
そういえば小狐丸の紋は、石切劔箭神社の紋と酷似したモチーフが使われていますよね。
(石切丸の紋は似ても似つかないが。)

宝物庫展では、
刀剣乱舞に登場していない、
かつまた石切丸のように重要美術品の神剣などでもなければ、
小狐丸のように能に登場するわけでもない、
いわゆる無名の、しかしとても美しい1600~1700頃に打たれた「忠國」という脇差(50.6センチ)が展示されておりまして、
切っ先が大きく、乱れ刃の刃文があでやかで派手だけれど、
乱れ刃=女形という刀剣乱舞の刷り込みイメージが必ずしも該当しない。
妖艶な人斬り庖丁ビジュアル系が、異彩を放っておりました。
歴史的に有名な人物が使っていたとかでもなく、
刀剣乱舞に実装されることはまずないだろうが、かっこいい……良い脇差だ……素敵。
人だかりが無いのを良いことに、熱心に見ていましたら、
道すがら駅から一緒に来てくれた、おばあさんに、
「あんさん、刀、好きなん?」
と言い当てられました。

宝物庫展には神輿(みこし)も展示してあって、
おばあさんの話によると、夏にはこの神輿を担いだ先頭を、
神主さんが白馬に乗って、市中をねり歩くんだそうです。
「このあたりじゃとても珍しい、東京じゃどうかしらんけど、このあたりじゃねえ」
いやいや東京でも珍しいです。そんなの見たことありませんもの、聞いたのすら初めてです。

宝物庫展を見終えて、
北授与所で「石切劔箭神社御神宝」の図録をゲット。
もちろん石切丸も小狐丸も、展示してあったものすべてが全頁カラーで載っている46ページ。
1200円だったか。拝観料もなかったのだし、即買い。
やった……! 

本殿のところに戻ってきて、おばあさんとちょっと名残惜しく、ご挨拶を。

――あんさんに会わんかったら、わたしこんな宝物庫展なんて毎日来てても知らなかったわ
――ここまで一緒に来られて、本当に良かったです。とっても助かりました
――気ぃつけて
――お気を付けて、お元気で!

さっぱりと別れて、
私は駅に向かいました。
帰りは下り坂、新石切駅にすぐ着きました。

大阪人はどことなくアメリカン気風? [あ行]

大阪で一泊し、
9/23日13時10分新大阪発の新幹線のぞみで東京に帰る予定。
それまでに、ちょっと大阪のどこかに行ってみたい……。
そう思っていた私は、当初、海遊館を考えていたのですが、
海遊館のHPを確認すると、案の定、ものすごい混みよう。

せっかく大阪まで来ているのだし、
大阪じゃないと行けないところ……行きたいところ……

《石切劔箭神社:いしきりつるぎや神社》はどうだ!
刀剣乱舞の石切丸(大太刀)、小狐丸(太刀)のモデルとなる刀剣が御神宝として存在し、
地元の人には石切さんと呼ばれて親しまれている。石切神社を訪れてみようと思い立った。

キャラの発祥地や元ネタをたどる、いわゆる聖地巡礼が、
ここではほんと文字通り聖地巡礼なので、一瞬、躊躇する。
そもそもいくら石切丸や小狐丸という刀があるにしろ、
ただ神社にお参りにいったところで、当の刀を拝めるわけじゃ……

HPで調べてみたら、なんと! 
9月20日~23日にかけてだけ、限定的に宝物庫展示を行っていると!

なにこの運命的巡りあわせ。
今までのなんだかんだ結構、生きてきてる人生で、
大阪まで自発的に乗り込んできたのは、初めてである私が、
たまたま一泊する、その日程に合わせたかのように、
宝物庫、展示してるのね! 刀、拝めるのね! 
僥倖、ほんとに僥倖なんで、こんなの行かないわけがない。

石切さんには、石切駅と新石切駅とのアクセスがある。
新石切駅のほうが駅から徒歩5~7分と近い。
ハイアットの最寄り駅・中ふ頭

コスモスクエア駅で乗り換え

大阪市営中央線・一番線の電車に乗り、
16駅、しめて所要時間46分。

一度乗り換えればいいだけ、行き方もわかりやすい。
帰りは新大阪に着かなければまずいが、新大阪へのアクセスも悪くなさそうです。

ならば!
新石切側から攻めよう!
朝8時半すぎに出発しました。

ところで大阪の人はみんな歩くの速いの?
ハイアットの最寄り駅である《中ふ頭》まで「徒歩三分です」とホテルの人に教えてもらうも、
3分なんかじゃ絶対無理だし、常にそんな感じでした、大阪。
わたしはハイヒールでもなければ、そこそこ歩くの速いのだが、
歩きやすい靴にもかかわらず、
大阪人の徒歩概念は上り坂とか、ものともしないのか。

さて目的の電車に揺られて、カタカタと進み、
大阪市営中央線は、時間帯なのか、進む方面なのか、終始がら空きでした。
駅についてみると、山がそこそこ迫っていました。
海側から山側へ来たのだ。

事前にネットでググっておいたのだが、
駅にコインロッカーがあるかないか、サイズや値段がわかるという、
今は本当に便利になった。調べによれば新石切にコインロッカーはある。

軟弱な私は、場合によっては荷物を送ろうか、タクシーを使おうかとも考えていたのだが、
実際に着いてみると、たしかに300円のコインロッカーが。
連休中で埋まっているかと心配だったが、
ニ、三、使われているだけで大半は鍵がついている。良かった。
大きなボストンバック一個は問題なく入るサイズで、
さっそくここに泊りの荷物を押し込み、
新石切駅に降りた。出口5番。
快晴。暑かった。

帽子にサングラス姿でうろうろ。
出たとたんに、石切さんへの方角がまったくわからない。
駅の出口までは、石切神社は5番出口、
と書かれていたので、
もうすこし看板的な表示が出ていると期待していた。人通りも極めて少なく、途方に暮れ、
行きがかりの私服女子高生らしき人に尋ねるも、
「えっと~」と彼女も周囲の看板らしきものをぐるりと目で探し、「ごめんなさい、知らないです……」
「いいんです。すみませんでした」

若い人は知らないっぽい。
今度は駅からすぐの交差点を渡ってきた、おばあさんに尋ねました。
「石切神社ってどっちに行ったらいいかわかりますか」
「これから私も行くとこです、一緒、行きましょう」
「あ……はい!」
救世主到来です。

おばあさんは茶色い晴雨両用の日傘をさしていて、私にさしかけてくれる。
わたしは帽子もサングラスもしているし……でもわりと、もやしっこなんで、
日傘をさしかけてもらえると、やはり暑さをしのげる。
しかし、私はおばあさんよりも背丈があるので、おばあさんはのびあがっている。
「あの、大丈夫です。では、持ちましょう」
私が傘の柄にやんわりと手を伸ばすも、
「いやいややや、あんさんほんとスタイル良くてまぁ」
と、断固謝絶、親切な上に褒めてまでくれて、どうしたらいいんだ私は。
素直に、えへらえへらと喜びながら、おばあさんの歩幅に合わせてくっついて進みました。
久しぶりの孫気分で。
普段は見知らぬ人と、こんなふうに同行することはまずないですが、即座に安堵してノコノコくっついていく、こういう時の人を見る目が、私は我ながら優れている、というか運が良いのだ。

「どちらからいらっしゃったん」
「東京から……」
「えぇ……!!?」
「いや、あの用事が! 用事(ラルク)があって! 今日帰るんです、その前に、どうしても来たくて」
「あらーいい所きたわ、あんさんほんと、良いところいらっしゃったわ」
「そうですか?」
えへへ、と喜ぶ。

この石切神社、刀剣乱舞をやっているかたはご存知だろう、
石切丸が、しょっちゅう加持祈祷のことばかり口にして、
戦いよりも加持祈祷が優先、
というか戦いそのものも、穢れをいかに断ち切るかにかかっている。
石切丸のセリフの十中八九が加持祈祷にまつわる中身であるように、
加持祈祷に特化している。厄払い、病魔を祓う専門の神社であるのだと。

(なお、小狐丸のキャラについては知る由もありません……うちの本丸に出現してませんので……。)

「やっぱり今の時代は癌でなくなる人が多いでしょ、
命にかかわるといえば、やはりがんが一番多いねえ」
「そうですよね……」
「たとえば息子がガンになって治療や手術を受けることになったとしたら、
親はそのとき何をしてやれるって。何もできない、そんなとき、
やはり石切さんに通って、手を合わせる、そういう拠り所なんだって、
先日、新聞にも載ってましたよ」
と、おばあさん曰く。

「ほんと、そうでしょうね」
上っ面な返事ではなく、
わかる超分かる、家にも子供のころ生死にかかわる病人が居たから、この思考回路は身近に知っている、
という内心を込めつつ、寡黙に同調します。

病気、病魔の悩みならなんでも祓ってくれるのが石切神社らしい。
東京からはるばる来るなんて、身内に重篤な病気の人がいると思われたら、なんかすまない。
「この期間に限って宝物庫展をやっていて、それが目当てなのだ」
私は早々に打ち明けました。

「そんなん好きなん?」
「はい、わりと」

こっちのが近いからこっち通っていきましょう、と。
おばあさんは歩調がしっかりしていて、つかつか進む。
心臓が悪いから石切さんに毎日通っているそうで、毎日、一時間半、歩いているそうです。
「……毎日、一時間半……!」
オウム返し。そうだよ今日は休日なのに、休日もだ、凄い。
「はちじゅうしぃやで、わたし」
「え、お……若く見えますね!」
最近のお年寄りは、見た目が若いというのは知っていたので、
こう見えて、77、78くらいでいらっしゃるかなあ、と思っていたけど、
84には全然見えませんでした。

孫が東京にいるけど東京にはめったに行かんわねえ、
そうなんですね~

などと、のんきにおしゃべりしつつ、上り坂を10分かそこら、
(気分的には上り坂なんで、15分くらいかかった気もする)
のぼっていくと、神社が左手に!

石切劔箭神社
http://www.ishikiri.or.jp/

それまで閑散としていたのに、神社に来たら、俄然、人が。
賑わっている。
ぎゅうぎゅうではないが、なかなか混んでいました。
お賽銭を入れるまでに、2、3列は待つ感じ。
ぎっしりとした行列になっているわけではなく、まばらな、ふんわりとした列なので、
皆、ゆるい人垣をかいくぐりお賽銭を入れて、てんでに手を合わせる感じ。
頃良い盛況ぶり。
休日だから、普段より人の出があるらしい。

そういえば、おばあさんは、うんと手前の鳥居をくぐる時点でも小さく一揖(いちゆう)してましたね。
何気なく普通に通っちゃったわたしは、おっと……と立ち止まり、そういった小さなチグハグを経て、
手を清めて、そのあとお賽銭を入れて、
二拝、二柏手、一拝礼で合掌……と、
おばあさんの見よう見真似でわたしも手を合わせていると、
せっかくきたんだから、どうせなら鈴も鳴らしたら、と促される。
ガランがらんがらん、と太い縄に自分が振り回されるようにして鈴を鳴らして、
なむなむ……じゃなかった、祓えたまえ、きよめたまえ……。

おばあさんが宝物庫展の場所を尋ねてくれ、(完璧に孫状態。助かりました)
おばあさんと一緒に宝物庫展を見ることに。
拝観料はなんと無料で、
ちょっとした別区画への閾(しきい)を超える感じで、
たしか一度階段を上がり、
それから半地下……? 程度まで階段を下りていきました。

~つづく


共通テーマ:旅行

ラルカジノ本番@9/22大阪夢洲 [ら行]

さてラルカジノ@9/22大阪夢洲。
私のシートは23Kブロック。
中央よりやや後ろ。かなり端(Ken側)でした。

16時25分。ラルクがリムジンでライヴエリアに入場。
ラル札(ラルクのメンバーの顔が描かれた1ドル紙幣風のお札)が、
ぶわっとばらまかれ、舞い上がる中、バブルなイメージでリムジンが入ってきた。

きゃぁぁぁあ!と観客が総立ちで沸いたのだが、
何に沸いていると思えばラル札に沸いており、
取れる人はお札をおっかけてキャッチしようとし、
……え?
いやいや待て待て、アーティストが入場してるぞ、ほんまもんが目の前にいるのに、
追いかけるのはお札?
エセ札とはいえ、お札の力ってすごい……。
花吹雪や、銀テープなら、ここまでみんな追いかけないよね……。

ラル札は、ハイド札もあれば、ユッキー札も、Ken札も、てっちゃん札もあるので、
皆、ほしいのはわかる、花吹雪やテープと格が違うのではあるのだが。
ハイドをはじめ皆、微妙な顔をしてました。苦笑い。

各自がステージにつく。
ユッキーはターバン姿で、ドラムセットのところにいるからよくわかる。
Kenも白いスーツ姿が遠くからでもよくわかる。
Tetsuyaも、ショッキングピンクのベースが、遠くからだと赤くよく見えて、目星をつけられる。
ハイドの衣装が赤系のトランプ(?)の柄物で、これが背景の演出画像とまじりあって、
ブラウン管テレビの色の色彩混合みたいになって、まったく見えない。

たいていハイドが一番、遠くからでも見える恰好をしているもので、
ひらひらと上着の裾が長かったりするから、
ハイドが動くたび(彼が一番よく動いてくれる)、
ひら、ひらっと輪郭がきらびやかさなふちどりを演出するのだが、
今回、最終日の登場衣装、まったくの迷彩状態。

スクリーンに大きく映し出されるハイドは黒い眼帯姿で登場。
なので、スクリーンを見ていればいいのですが、
実際の人物と、スクリーンに映し出される姿とを交互に見比べ、
双方を視野にいれて全体像を把握したり、スクリーンのズームで眺めたり……ということをしたい、
ライヴ参戦ならではで。
しかしハイドに関しては、最初のほう、全くそういう真似ができない、
ハイドを探せ状態で始まりました。

01.SEVENTH HEAVEN
02.Driver's High

いきなりノリのよいメジャーなナンバーで始まります。

03.Pretty girl

三曲目にしてハイドが間違えました(笑)
この瞬間に、まず来てよかった~と思うから不思議だよラルク。

「けど いつもそこまで~」
と歌い、
しばらく間奏が入るべきところで、「そう いつもここまで~」
突っ走って歌い続けたハイド。
二番は「けど いつもそこまで~ そう いつもここまで~」
と続けて歌うんですが、一番では先走りすぎなのです。
間違えるときはいつも突っ走って間違える感が、ファンとしては楽しい。
突っ走って歌い切ったところで、ハイドが、
え……? あ、
あ~

という顔になり、あぁぁぁやっちまった感いっぱいで頭部に手をやったとき、
観客は大喜び(私も含め)。
一気になごむ。大失笑。
普通、アーティストが間違えると、ピリッと緊張感が走ったり、違和感でザワついたり……
ところがラルクのライヴだと、皆、よっしゃ見れたぞやったぜラッキーと会場全体がどよめくのである。
DVDなどでは、間違えたところがスマートに編集されていることがほとんどなので、
ライヴならではの、素に近いアドリブの仕草が見られるから、
みんなこの手のハプニングが大好きだ。

そのあと、ふて寝を装い、ステージに横たわって、頬杖ついて歌って見せるハイドが、
それでも野太い声が出ているところに、かえってほれぼれとなり、会場は余計に沸くのであった。

ここで短いハイドのMC。
登場時のラル札に「みんな、めっちゃお金に心奪われてた、目奪われた」
といったようなことを言及するほど、あれはちょっと想定外な感じでしたよ、確かに。
初日の発言で一気にネット上で拡散されてました、おなじみの(?)
「お金で何でも買えるわけじゃない。お金で買えるものは~」
「ほとんど~」
二日目最終日には、ほぼコール・アンド・レスポンス状態に。

04.Blurry Eyes
05.flower
06.and She Said

このへんは割と初期の、すがすがしい爽やかな、ノリのよいメジャーな曲。
なんとなく私はチェッカーズ風味のラルク、という感覚でつい聞いてしまいがち。
そのころ私はがっつり留学中で、
オンタイムではあんまり知らなかった、あとから遡ってアルバムで聴いた曲。
観客がみんな一緒に口パクして口ずさむ系のノリです。

07.ROUTE 666

ダークでロックで好きな曲。
イントロが始まったとたん、どわ~ッと会場がどよめいて沸く。
2番以降あたりから、Tetsuyaのベースがべべべべーべべべべべべべンと響いて、
横隔膜にズンズンくるのが、物凄く心地よかった。

ここでKenの恒例下ネタ、短いMCが入ったかと。
下ネタって狭い空間で、限られた人員で繰り広げられると最低なのだが、
東京ドーム5倍の広さの夢洲で、5万人を相手に、マイクを通して発言される下ネタは、
たとえいかに下品でくだらなかろうと、ご挨拶でしかなく、皆、やんわりとあたたかく見守る。

よく昔のアニメで、遠くの船に合図を送らねばならないのに適切な布がなく、
女性がスカート脱いで振る、みたいなのがあったんだが、
そんな感じに近いかも。
やだあいつスカート脱いでふるなんて卑猥……下品……誘ってんの、
とは絶対ならない、そういう感じです。
もはや勇気に近い。

08.HEAVEN'S DRIVE

ここで後方のセカンドステージに移動。たしかこの時点でハイドが白い衣装に着替えてきたかと。

かつてDVDで見ていたときは、このステージ移動がいつもイマイチ意味が分からなかったのだが、
ライブに行くようになって、ひしひしと有難味を感じるのだった。
これがラルクの醍醐味の一つでもある。
後方シート側でも生で良く見える。

セカンドステージで演奏されている間中、わたしは肉眼で見てました。スクリーンではなく。
ただ、ほとんどの人はスクリーンで見たいらしく、スクリーンは前方にしかないので、
後方ステージ上でハイドがMCをするにも、歌うにも、観客は振り返って前方スクリーンを見ていて、
ハイドは観客の背中に向かって、しゃべり、歌い、という構図が今回すごく違和感があった。
後方にもスクリーンがあったら便利なのに(味スタか日産スタジアムのときは有ったかと……)。

そのせいか、どうなのか、ハイドがしまいには、
ステッキに留まっているオウム(剥製かと)を合いの手にして、作り声で喋りだし、
ハイド「……こいつ、めっちゃ便利」

「みんなこんな所までほんとよく来たよね……僕なら来ません」
と、ハイドが「……ほんとすごいラルヲタだよね……」と嬉しそうに笑い、
ラルクを語るとき、ラルク・アン・シエルのメンバーは誰でも、
自分一人では決してラルクではなく、
4人集まってラルクなので、どことなくラルクを少しだけ客観的な、俯瞰的な言い方で語るのである。
(……いや待て、ラルヲタってTetsuyaが大嫌いな言い方では)
と思ってたら、「すごいドエルですね」と言い直してました、ハイド(笑)
ターバン姿のユッキーを見ながら「ユッキーは気分良いときしかターバン巻きませんからね」
星形のついた衣装のTetsuyaを見ながら「てっちゃんは気分良い時しか星の衣装着ませんから」

09.Wind of Gold
10.It's the end
11.MY HEART DRAWS A DREAM

MY HEART DRAWS A DREAMは毎度恒例の、サビ部分後半を会場全体で合唱です。

海風に吹かれつつ、風を感じるナンバーで。
だいぶ日が落ちてきて、あたりは薄闇に。

ここで再び正面のステージへ。

12.trick

ドラムのユッキー含めて、このナンバーだけ全員ギターを持って、
最初ユッキーから、順々に皆が、ヴォーカルをやった。

全員でギターをひっさげ、ギターのネックを持って立ったとき、
化け物退治でそれぞれが、マグナム、ライフル、マシンガン、バズーカで戦ってたのが、
全員同じサイズの機関銃をかまえて、一斉射撃を始めるみたいな、
物騒で不穏なカッコよさが立ち込めた。

13.REVELATION

”曖昧な 理想~♪”
というフレーズで、皆、
Yeah! いえい!
″愛を 示せ~♪”
てやっ! 
って感じに腕を振り上げたり、サイリウムを掲げたりする。むろん私もやる。

14.CHASE

ここでほぼ完ぺきに日没を迎え、前方のステージはキラキラしく光線を放ち、
華やかな演出画面が映し出されて、
それでも何が美しいかと言えば、後方に暮れなずんでいる真っ赤な夕焼けで、
おどろおどろしいくらいに赤い。
ハイドがステージから真正面の夕焼けを感じて歌っているのがわかる。

KenもTetsuyaも、またいつもストイックな感じなドラムを繰り広げるユッキーですらが、
皆、テレビなどでは見られないのびやかさ、
すんごく気持ちよさそうに、すがすがしい朗らかさいっぱいで演奏していて、
周囲には、海と、夕焼けのすごい赤が西側に残っている広ーい夜空と、
荒れ野原と、5万のファンと(スタッフと)、あとラルクだけ。

目障りな邪魔なものが一切ない。
あとただ音楽があるだけ。
この自由な感じがたまらない……この解放感が野外の良さ、
自分たちだけの音楽がどこまでも続いていくような疾走感なのか~
と実感しました。そこだけラルク天国、ラルカジノの楽園色に染まってくる。

15.XXX

この色っぽいムーディなナンバーは盛り上がりますが、
画面に映し出される演出画像の一部が、女性ダンサーのくねくね踊りで、
この演出が、場末ストリッパーとか、安キャバレーとかの色で、
一昔前のカラオケボックスに流れる画面みたいで安っぽかった。
あえて……なのだろうが、
XXXの耽美さはこの手の、場末の安酒とネオンの、レトロみだらなエロさと正反対の妖艶さ……

もうライヴ自体が楽しくて、曲はいいし、ライティングで目がくらむし、
正直、演出画像の端っこなんてどうでもよく、
男女とも、ほぼみんなハイドを見てますし、わたしもハイドを見ることにしましたが、
(この演出、てっちゃん嫌いそう……すごく苦手そう……!)
つか私がこの手の演出をラルクでやられると苦手なんだな、と内心でチラッと思っていました。
実際のところTetsuyaがこの演出をどう思っているかなんて知る由もないのですが、
Anemoneという曲のPVの演出を正直すごく、好ましくない!
と思っていたらしいTetsuyaですから、
だとすると、これはAnemoneのPVと通じると。

しかしXXXは魅惑の曲なので、また野外だとそういったことも、たいして気にはならない。

16.TRUST

今回のライブは終始この手のポジティヴな曲調なのがほとんどでした。
野外の解放感と、曲の伸びやかさがベストマッチ。
音響としては、野外は音が散ってしまいがちなので、
ずっしり聞きこむ系の濃いバラードなどは、合わないのかも。

ここでハイドのMC。
ハイドはずっと、おしゃれ眼帯をしていて、
(いや……たしかに私、眼帯キャラ好きだけども……だけれども)
顔で言うなら、ハイドの一番の魅力は何といっても目、両目じゃないか?
両目が見たい~と思っていましたら、
いつの間に眼帯を外して両目に。
その魅力たるや……自分の両目の目力の素晴らしさを存分にわかっていて、
だからこそ眼帯を外すだけで、うわ……美人……という演出の効果を最大限に発揮する。
特殊効果なみに成立するという、
なんとも心憎い技でした。

両目の本気モードで、観客全員がハイドの美しい両目のとりこになりつつ、新曲の発表を聞く。
「……夏らしいシングルをと……思っていたんですが……今になり……」
大丈夫だよギリギリまだ夏でいけるきっと*。

17.Wings Flap 新曲

明るいメジャー系のさわやかな曲で、
ここではないどこかに連れて行ってくれそうな飛翔感に、ちらっと切なさがよぎって、
ラルクの良さは、目の前の現実とは違うどこかにつれていってくれそうな、
現実逃避力の高い世界観。
旅たつ、飛び立つ、羽ばたく、その手のフレーズがもともとラルクの曲には多いのですが、
この、どこかに行ってしまおう感、風にさらわれて行こう感が、野外にぴったりな上に、
とてもラルクらしい新曲でした。

18.Lies and Truth
19.Link
20.HONEY
21.STAY AWAY
22.READY STEADY GO

このへんはもう、こってこてにラルクです。

暗くなる前は、野外ゆえに解放感はあるものの、
観客とラルクとの視線のばらつきのようものも生じて、
共通の音楽を介在してはいるものの、
てんでが勝手に楽しんでるような、
クラブでラルクの生演奏で、好きに踊ってるみたいな感じでもあった。

完全に夜になり、照明によって観客の目線もステージ一点に集中し、
終盤にかけてのラストスパート。

ハイドもほかのメンバーも、ライヴ後半ゆえ体力的にきつくなってきているに違いないのに、
終盤特有の観客の熱に押され、溢れたぎるパワーがすごくて、
この刹那的なひと時がライブコンサートの中で超絶、楽しい。

この終盤、本来、息切れしているであろうに違いないのに、
どこから出てくるのか、ぐわーっと歌うハイドの歌声がどんどん威力を増す感じが、たまらない。
もっと、もっとだ、ああ終わらないでほしいなあと思うわけです。

「さて永遠に終わらなければいいんだけど……終わりの時は来るもので……」
といったハイドの発言があって、
そういえばハイドが夢洲(ゆめしま)を、「行くぜ、ゆめしま~」とか言ってたわけですが、
ゆめすと呼んで、
「ああ……これ今まで何度、間違ったか……」とか言い直していたときに、笑いが起こった、
私を含め、皆、安心していたんだと思う。
関西出身のラルクでも、夢洲はなじみのない、今宵かぎりの特別エリアなのだ。
「こんなところに集まって、こんな夜は一生忘れないよね」
忘れません。

23.Pieces

ラストにPiecesが聞けるのは本当に嬉しかった。
と同時に、ああこのライブは終わりなんだな……と実感します。

最後に花火があがり、ハイドが投げKissしてラルカジノは終わりました。

帰りのシャトルバスに同乗している人たちが、皆、髪色がアッシュで、
アッシュな髪色はやってんのかな?
と思いつつ、ホテルに帰り着いてみたら、靴から脛当たりまで砂で真っ白になっていて驚いた。
帽子を脱いだら、帽子で隠れていた部分の髪色と、髪の裾のアッシュ具合と歴然と差がついており、
ハロウィンで裾に白っぽいエクステをしている人みたいになっていた。
砂埃凄かったんだ……。

*(シングル発売は真冬らしいです・笑)



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往路→ラルカジノ:L'ArCASINO@大阪夢洲野外LIVE 2015 9/22 [あ行]

行ってきましたラルカジノ!
私が行ったのは最終日の9/22火曜(9/21が初日)。
いやぁ、今回は会場にたどり着くまでが、正直なところ過酷でした。

そもそもラルクがライヴやるよとフレが出たときに、
まず大阪のホテルと、大阪までの交通手段を手配できるか、予約できるかが第一関門。ラルクのライヴチケット自体の先行販売よりも、数か月前にである。
会場は制限退場なので、場合によってはライヴ終了から3時間かかりますと。
その場合、どう考えても東京に帰ってこられない。いろいろ目算をたててはみたが、泊り以外に方法がない。

シルバーウィークのど真ん中、しかも夢洲。どこです、そこは、なんて読むの?
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに近い埋め立て地・ゆめしまで、
なぜよりにもよって激混みするシーズン、
かような場所でやるんでしょうかねと不平タラタラ思ったのは内緒(もう時効よね)。

いや、もちろんガチでいうなら、
ソロでそれぞれ今まさにガンガン活動しまくっているラルクメンバー全員のスケジュールが合うのがこの時期だったんだろうとか、
暑すぎて急病人続出するような時期を避け、寒すぎで急病人続出するような時期も避け、
野外でライヴやれる季節というのが日本ではものすごく限られているとか、
公共交通手段がある程度確保できるアクセスの場所を、
しかも虫やら蛇やらの被害が心配なあまりライブに集中できない……とかいう危険の少ない場所で(それでもでっかい熊蜂が一匹飛んできた一瞬、自分を含め周辺がピリピリと不穏になりました)、
避雷針を立て、大雨程度ならば決行なんで、そのとき大雨が降っても全員が安全に帰宅できる交通手段を確保できる、
一度に5万人を集客でき、そのための設備を用意できる、
ラルクのメンバーがライヴを気持ちよくできる場所。

そんなこんなを考慮に入れたうえで、
人類未踏ならぬバンド未踏的なことをやってのけるのが好きなラルクがパフォーマンスするとなると、
時と場所が実に限られるのだろうとか、そんなことは、承知のうえでだ。 

アリーナとかも屋外ですが、
今回の夢洲のような完全野外、私は参戦したことがない。
ラルクが野外ライヴしていた昔のDVDを見るたび、
いいなぁ……あの時のあの場所に行けた人たちマジ、僥倖だなぁ……。
野外ライヴは絵になるし、いっそう羨ましさを煽る。
そう、かねがね痛感していたからこそ、行こうと心は決まっていたが、ハードルも高かった。

ラルカジノ特設ホームページを確認するにつけても、
これは体力に自信がなく、野外が苦手な人は不向きなので遠慮すべしと、
直接的表現はないが、再三にわたって示されているわけで、
……はたして私が野外を得意としていたときが一度としてあっただろうか。

チケットを無事に発券してから、ふと真面目に真剣に具体的に気にかかりだす。
事前に脳内でいろいろ想定してみたつもりではあるが。大丈夫なのか。

高校時分ですでに茶道部でごまかしようもなくインドア派でしたし、
中学の時の部活はバドミントン部だったりで、
スポーツやってもあくまでインドア。
野外なんてちょっとした恐怖です。(なによりもトイレ環境が一番に恐怖。)

アメリカに留学して、野外の良さを少しは理解しましたが
(……欧米人は何かっていうとすぐ外で楽しみたがるので)
少なくともカリフォルニアとか、あるいはカナダの西側などは、
湿度温度、もろもろ込みの天候の環境が、日本と比べて段違いでいつでも良いんです。

体調管理、体調管理……
前日なんて緊張と不安のあまりに食事もまともにのどを通らないレベル。横になっても、眠れない。
ぶっちゃけ数年前の自分の授賞式の前日のほうが、よほど心穏やかにスヤスヤ眠れていたぞ。
いつだってライヴ前日はワクワクして、眠り浅いよの、浮かれポンチ病なのですが、
そんなご機嫌なふらふらとは異なり、今回は心配すぎて眠れない。
案の定、当日の体調はすぐれないのであった。

そもそも大阪を良く知らなかった。
修学旅行で駅に降りたことがあったかな、通過しただけだっけなという程度で、ほぼ初めて。
ラルクの夢洲会場へのシャトル発着場所コスモスクエア駅も、コスモ・スクエアと気づくまで、
コスモス・クエア……クエアってなんだろ……何語だろう……ってくらい分かってない。
私には、なまじな海外よりも、よほど不安感をあおる都市なのだった。

おまけに夢洲、てんで良くわからない。
埋め立て地で、なーんにもない、住んでる人とか誰一人としていないわけで、
その手のまったく想像もつかない僻地に向かうのが、はっきりいって嫌であり、
ラルクがライヴやるのでなければ行きたくもないのです。

ライヴ一日目に参戦した人たちが、ツイッター等で当日の様子をあれこれアップしていて、
この生情報が、ものすごく役立ちました。
9/21の夜にこの情報に触れ、これで具体的に対策を立てられた。

――つまりトイレは案の定過酷で、建設現場などに置いてあるボックス型のが並んでいる状態。どこもかしこも万博も顔負けの長蛇の列であることとか(……そりゃそうだよ、トイレ完備のアリーナですら行列だもの)、雨でないのは幸い、ライヴ日和の好天、そのぶん砂利と砂がものすごい埃っぽいからマスクがあると良いとか、靴もそのつもりで行けとか、シャトルバス発着場所近辺にはコンビニも自販機もすぐ見当たらない(……あったとしても、万人単位分あるわけない)飲み物は各自、持参していかないとピンチであるとか、日中暑いから帽子は必須とか、日が暮れると寒いから上着持参必須とか。

わたしはポカリスエットを一本完全に凍らし、一本そのままで持ち、あとホッカイロも持参。
旅先で食べ慣れないものを、食べ慣れないタイミングで、
雑に噛み砕き、胃に流しこむと、消化不良を起こしかねない。
万一、おなか壊したり吐き気なんぞ催したら、このトイレ環境劣悪なエリアでライヴどころの騒ぎじゃない。
わたしは乗り物のうちでもバスが猛烈に苦手で酔いやすいので、
前日からやんわりと食を絶ちつつ、当日は朝6時半から絶食しました。

脱水症状を起こすと大変やばいし、尿毒症でも起こしたら洒落にならないので、
常にポカリスエットをちびちびと飲み続け(12時間で500ミリを2本あけるペースでした)、
胃カメラするよりはポカリ飲めるから余裕かな。
空腹なので、のぞみ内のエアコンが寒くてこたえる。
まさか使うまいと思ったカイロを開封して実装し、
……ライヴパフォーマンスしてくれるのはラルクであって、
わたしは無事にたどり着けさえすればよい。元気にその時間を過ごせればよいのだ、
登山したり遊泳するわけじゃなし、いっくぜ~!

新大阪に12時23分に到着。行く先々で女性トイレがものすごい行列。
通常、誰でもそうでしょうが、日常生活の行動範囲内で、どこにどういうトイレがあるか常に頭にインプットしていますよね。混雑状況とかも。それが旅行先というのはよくわからないから、とりあえずあったら行っとこう、という人も多いし、本当に長旅でピンチで我慢していた人たちもいるし、そういう人の連なる行列に出くわすたびに、待つのはたとえ15分程度であれ、ストレスがすごい。
なんせこのシルバーウィークによ!

頭のどこかでいつもトイレの心配です。

新大阪から大阪まで向かうも、通常ならば所要時間5分とかからぬ一駅の電車が、
茨城(と聞こえたけどそんなことはないか?)どこぞで発生した人身事故で30分~50分の遅れ。
それでも動いていたのでよかった。
本来5分のところを途中で停まって20分はかかった気がする。
大阪駅から出発する、ホテル・ハイアット・リージェンシーまでのシャトルバス13時に乗れなかった。

発着場所を案内所で聞き、
(事前に地図を調べて持参していたが、混雑した初めての大阪駅、方向音痴気味の私に、わかるはずもないのだった)
次に出るのが13時30。待つ。ひたすら待つ。
30分足らず、普段ならどうってことないのだが、
不慣れだし、旅の荷物を持っているし、ライヴ参戦が控えているので、
ただとにかくガード下の、ガードレールのところで突っ立って待つ。日陰でよかった。

ウェスティンやリーガロイヤルホテルのシャトルバスは頻繁に、
しかもきちんとしたのが行き来していましたが、
ハイアットはバンであり、30分に一回で、なかなかに不便。
補助席も全部使って、待ってた人員が全員かろうじて乗り込む状態。
チェックインできたのが14時過ぎ。
少し慌てました。

ここからラルカジノのライヴ会場に向かうのだが、
会場には公共の交通手段はなく、ラルカジノのシャトルバスに乗る。
その発着場所・コスモスクエアには、
14時までに着くのが推奨、と公式ツイッターが前日に発表していたのですよ。
ライブは16時から。
道中の所要時間は15分程度なのだが、なにしろ人数が多い。

部屋でライブ用に荷物を入れ替え、身支度を準備万端にして再出発。
ハイアットからコスモスクエア駅はわりと近いので、発着場所に15時前には到着。

行列を覚悟していたが、ピークを越しており、
ラルカジノ用シャトルバスがものすごく頻繁に、ものすごい台数行ったり来たりしてたので、
停滞していなかったのは気分的に、すごく救われました。

発着場所はもっぱらTシャツに長ズボンの女性スタッフが案内してくれ、
いやいやでも、ダラダラでもなく、砂埃にまみれて暑い中、女性スタッフが皆きびきびと行動しているのだった。
バスに乗り込み、シャトルバスに揺られて、夢洲特設会場へ。

この道中を行き交うのはラルクのシャトルバスだけ、渋滞等はなく、びゅんびゅん進みました。
周囲は舗装道路と、あとはひたすら荒野と海。
海と言ってもリゾート地の海ではなく、埋め立て地の海なので、もう殺伐としているといったらない。
どこまで進むのか、目算がつかない荒れ野を突き進む。
店一軒あるでなく、ラルカジノの華やかな看板が目に入っても、ときめかない。
不安が増すばかり。
バスを降ろされても、会場までけっこう歩き、会場に着いてもトイレは案の定ものすごい行列で、
心の底から絶食してきてよかったと、これほど感じたことはない。

せめてアリーナクラスでやってくれ、今後はアリーナでと強く願うのであった。

帽子にサングラス、日が照ると暑いので凍らしたポカリを首に当て、
会場は、特設遊園地と縁日状態でしたが、砂埃が煙っていて、何一つ輝かしく見えず、
15時20分くらいには会場の座席に着いてました。
開演は16時の予定ですが、いつも25分遅れで開始するのが通例なので一時間待機。

会場内、やはりいつもよりは男性陣が多かった。
女性は二の足を踏みますよね。
来ている女性陣は、常よりもかなりの割合でどこから見てもラルクのファンと一目でわかる。
前から見ただけとか、後ろから見ただけとかじゃなくて、どこから見てもわかるグッズ装備。
確かに、ここまで隔絶した場所に来ちゃったら、誰の目を気にする必要もないのだ。
わたしも泊りなんだし、昨年のライブグッズ、通販ゲットしたTシャツに着替えてくるべきであったのか……

この……砂にまみれたパイプ椅子、行列、キッチュを目指した張りぼての世界のために、
こんなところまで来てしまって……気おくれがする、
正直もう帰りたい気がするかも。
映画ダークシティの「シェルビーチ」の看板なみに、張りぼてに見えましたし、
映画バクダットカフェ並みに砂っぽくて見渡すかぎり途方もなく居場所がないし、
ハーメルンの笛吹きに誘われてゾロゾロきちゃった、大きな子供って感じで、
ほんとちょっと死にたいくらい、意気消沈。
前後左右に座っている人たちも皆、すごい無言、ぐったり、げんなりしている気配。
こんなにも周辺近隣を気にしなくて良い環境なのだから、
せめてラルクの曲やPVが、ガンガン掛かっていれば元気も出そうなものなのに。

……ラルカジノというカジノの設定なので、ルーレットとスロットの回る効果音が、
場を盛り上げるために耳障りに流れているだけで、かえって空回りして騒がしいばかり。
日が翳ってきて、涼しい海風が吹いてきてくれたのが最大の救いでしたが、
その分よけいに、この張りぼての世界に連れてこられてしまった、虚しさが募り、げっそり……。

それがだ。
ラルクのライブが終わる前には、帰りたくない……! 終わらないでほしい……!
最終日、今宵かぎりの竜宮城ラルカジノ、
永遠に続いてほしいと心の底から全身でそう切に願っていたんだから、すごいよラルク。
魔法か。
いや魔法だと後々、醒めたり色褪せたりするマジックで一時的だが、
いまだ醒める気配はない。魔力だ。

ラルク登場により、ライヴ会場がラルクという存在で一気に、スパーンと、
このうんざり気分を払拭したかというと、必ずしもその手の無条件の神っぽさでもなかった。
存在もだけど、やはりライヴの中身が良かった、そうでなきゃ来ないよこんな無理してまで。
そりゃまあラルクが出てきた時点で、即、総立ち。
わたしも7割がた晴れやかな気分に一変してましたが、
特効薬が血をめぐるみたいな効果のまわりかたをした今回のライヴ。
何段階か効き目の段階と、周期のような階層があり、
これがMAXだな、と思うとさらにぐるっとまわって次のMAXに行くぜ、
という経路をたどって、
終盤手前あたりの新曲披露で、
……これだからラルクのファンはやめられないんだ、と爽やかに強く自覚するのであった。

今まで私が行ったラルクのライヴは、
ここに魔法陣を敷いたら、すごい純度の高いでっかい賢者の石の結晶ができそう、
という会場の研ぎ澄まされた空気感が充満する感じがありました。
今回は、ゴシックや高踏的にしびれるような陶酔感とは対極。
野外のちょっと泥臭い、ロックでキッチュで原点回帰っぽいカジュアルなラルクであり、
解放感、楽しさ発散がすごい。ラルク主催の宴(えん)たけなわ・もちろん酒類ゼロで。

ほぼ飲まず食わず眠らずでフラフラのはずなのに、
いまラルクきめてる最中だから、超元気だから!
細かいことはどうでも良くなる、エネルギーがすごかったよ、野外。

……ちなみに、これはあくまで私個人の感じかたですから、ほかの人がどう思ったかは知らない(笑)

以前の自分のライヴレポまがいのブログ記事をふりかえってみたときに、
《ハイドは金のラメを織り込んでいる衣装》と記述している。
でもどうやら、あとでオフィシャルが出した写真等で確認するに、ラメは入ってないのかも……
照明のせいだったのか、その時の雰囲気で私にはキラキラまじりに映ったのか……

と、今回もそういうのは多分にあるかも。

よくライヴの感想で「号泣した」と書いているツイッター等を見かけもするが、
私が行ったライヴで、実際に号泣している人を目の当たりにしたことは一度もないんで、
あれは主に心の中の心象風景的なことを語っているのか?
(DVDとかではそんなシーンも見かけますが)。

目的がバラバラな烏合の衆ではなくて、皆一つの楽しみのために集まっているので、
一体感があるとはいえ、
やはり会場は広い。人数も多い。
場の空気感がもう誰が泣いてても全然わかんない感じなのかもしれないが。
「号泣した」という書きこみを見かけるたびに、
いつもちょっと、(え……なに、そんな感じなの)と、
引き気味になったりする、あまのじゃくな私なんですが、
なんだかんだで超絶楽しい……元気になれる、超良かった、
というのが押しなべて私のバイアスを通した今回のライヴ参戦体験です。

長くなったので、具体的な曲目等の感想は、
~つづく♪



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初文庫化『カンパニュラの銀翼』 [ニュース]

第2回アガサ・クリスティー賞受賞作、文庫化です。



『カンパニュラの銀翼』(ハヤカワ文庫JA)
http://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000012818/
535ページ/2015年9月17日刊行

文庫化にあたり、単行本における誤字・脱字等を修正しました。

以前、当ブログでも書きました、ラテン語のスペルミスもちゃんと直しました。
修正できる機会に恵まれて良かった。
また単行本で〈ウェーバーの法則〉と二回連続して出てくるところ。
等しい重さの二つの物体は小さいほうが重たく見えるという錯覚は〈シャルパンティエ効果〉なの……。
いずれも英訳版をチェックしていたときに発見したミスでした。
英訳版は4月に英訳チェックの初校を仕上げてから、
(……いやゲラで届いてないので、ラフのチェックか)
なんら音沙汰もないので、どうなってるのかわかりませんが、
はからずも今回の文庫化の予習として、逐一、細かく見直す良い機会とはなった。

文庫本と、単行本とは、字面の見え方がちがうので、リーダビリティが若干、異なってきます。
文庫本でも単行本と同じリーダビリティを保てるように、
改行位置や句読点を変更し、字面を調えたりといったような手は加えております。

文章字体の言い回しを変えることは、よくよくでなければしていません。
ごくまれに、やっています。
例えば、単行本では改行して、
「大丈夫だと元気なところをトミーに見せたら」
となっているシーン。
文庫本だと改行しないで、「大丈夫だと元気な姿をトーマスに見せてやったら?」

表紙絵を描いてくださったのは、単行本のときも魅力的な表紙絵にしてくださった、鈴木康士氏。
単行本の時とはまた違った趣の表紙絵となっており、必見。
文庫版の表紙絵、どなたにお願いしますかというお問い合わせが編集側からあったとき、
「……? 鈴木さんに決まってるじゃありませんか、いやむしろ鈴木さんダメだからこその、お問い合わせなのだろうか、NG食らったんでしょうか私」と、内心で動揺を覚えたほどで。
鈴木さんほど『カンパニュラの銀翼』のシグモンドをばっちり的確に表現してくださる人はまずいまい。

窓枠は封蝋のモチーフになっており、そこが個人的にものすごくグッときます。
色々なメッセージが紙片で届く、その幾枚かは封蝋で留まっていたにちがいなく、
そんなところを窓枠で再現とは、心憎い演出……。
何点かラフ画を拝見させてもらったのですが、
黒の背景に封蝋の窓枠を目にしたら、もうほかに迷う余地はなかったです。

この封蝋の中央十字のしつらえの、重厚感あるテクスチュアの格好よさ。
左上の窓の奥に、うっすらと見える風景が醸しだす距離感。
絵の中に吸いこまれそうな奥行きがある、とても素敵なカバー絵です。

黒いシックな背景と、窓の世界の色とを邪魔せぬよう、
封蝋の赤味を再現していただくにあたって、
「ドライトマトのオイル漬けのドライトマトの色くらいでお願いします」
という私の面倒くさい注文にも、
クリスティンがつけていたブローチの形、
そのとき着ている服のデザインに至るまで、
こまごまとしたところまで気を配っていただいております。

表紙絵のエリオットは、一見すると、私が思い描いているエリオットと違っています。
私のイメージでは、もう少しスラッとのびやかで、笑顔が優しく思慮深そう。
まだ荒削りの素朴さも残る、チャーミングな若い男。
ただのインテリじゃない、よく見ると、目の奥に野心的な光がチラつく。

この表紙絵のエリオットは、アンドリューの仮面をつけているときのエリオットです。
いつも伏し目がちで能面さながらの無表情を装っている。
正体を隠しおおして、内実では萎縮しているがゆえに、なんとはなしに、ぎこちない。
そんな頃のエリオットですね。

シグモンドの美しさは言うにおよばず……
単行本も素敵でしたが、
ヨーロッパ的な空気感は、文庫版の表紙絵のほうがいっそう濃く伝わってくるようです。



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当初は妹のオムライスメッセが予言能力開花の暗示かと思ってた [た行]

あ、Charlotteの1-6話、振り返り上映・一挙放送を、8/15日にやる!
今期のアニメでかなり楽しんで見てる作品です。
もしもまだ知らなくて、見てみようと思った人がいたらぜひ、この機に!

http://live.nicovideo.jp/watch/lv230744111
「Charlotte(シャーロット)」1話~6話上映会

おそらく今が折り返し地点だから、
今後どうなるか、何ともわからないけど、
少なくとも6話まで、わたしはかなり好きである。

6話までの、わりとほのぼの展開のうちに、わずかよぎる不穏なフラグのバランスと、
頻繁に繰り広げられる丁々発止のやりとり? が、小気味よくて。

7話からの、過酷展開必須な感じが、なんとも心の準備を要する……。

日常の謎 [ニュース]


メフィスト 2015 VOL.2 (講談社ノベルス)

メフィスト 2015 VOL.2 (講談社ノベルス)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2015/08/06
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


本日発売の『メフィスト』 2015 VOL.2 「日常の謎」 という見開き2ページのコーナーに、
エッセイを寄稿しています。
作家自身がかねがね興味を抱いている題材にまつわる謎などを書くコーナー。
わたしはエドガー・アラン・ポーの翻訳をした際、遭遇した謎について、
やみのいろ
というタイトルで書いています。
116-117pに掲載されております。

一か所、
再校のときに書き加えた117p上段の≪等々≫の文字が意図していない太字になっております。
この≪等々≫部分は、改行一字下げしたつもりが、そのへんもうまく伝えきれておらず、
思ったとおりに反映されていなかった。
再校の段階になって新たに手をいれるのは、よくよくの修正点でもないかぎり、
あまり賢明でないとわかっているのだが(確認できないので)、
ついちょくちょく手を入れたくなる性分(それでより良くなる場合も多々ある)。

誤字脱字でもなく、内容に差しさわりがでるわけでもなく、体裁の問題なので、
ここで言わなきゃ、おそらく誰も気にしないレベルなのですが、自戒も込めてひっそり告白しておこう……。

内容は、謎について語るだけでなく、
けっこうあっさり私なりの答えを提示し解説を試みたりしているので、
トピックの性質上、ネタバレ要素もあります。
そこはネタバレというよりは、必要な情報として受け止めていただきたい。

1840年代に書かれたポーの短編や詩なので、
170年ほども経って今さらネタバレって言わないか。
「告げ口心臓」なんて「耳なし芳一」顔負けのネタバレ・タイトルだからね、原題がそもそも。
むしろ言わずもがな教養の範疇か……。

実際の翻訳本は、
このブログで告知したように、本来、今年9月に発表される予定だったのですが、
来年の10月に発刊が延期となったもよう。
わたしはとっくに初校まで仕上げてるんですが、
アンソロジー翻訳本ですので、
皆さん、多忙な方ばかりで、
ポーの和訳版の発表は後回しになったようです。

私は翻訳分野で新米だし、遅れられるはずもなく、
長編執筆を含め他のすべての仕事を後回しにしかねない勢いで、
気合入れまくって一人で結果的に場違いなくらい早く仕上げてたみたいで(笑)
張りきりすぎだったかな。

実際の翻訳本を読みこむ前の予備知識、
前情報といった感じで今回のエッセイに目を通していただけると、
あるいは倍、何層にもわたってお楽しみいただけるかもしれません。

追記(2015/10/5)



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