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ラルク25thラニバ@東京ドーム4/9(続) [ら行]

私の考えるラルクライヴにおける最強のセットリスト、
みたいな俺得セトリを考えているうちに、気付けばけっこう時間が経っていてびっくりするよ。
好きな曲を選んで23曲くらいに絞るのはわりとできる。
演奏してほしい順番が難しい。季節や場所にも大いによりますね。

さてラルクライヴ、ラニバ25th@東京ドーム、
ライヴレポにしては中立性やら客観性やらを欠いてるかもしれないし、
記憶違いもあるかもしれない。
メモを取ってもないし、もちろん録音機器等は持ち込み不可な筈だから、
これはあくまで私個人のライヴの感想ということで!

ラルクメンバーがめいめい、定位置でライトアップされ、
アラビアンナイト風の、白いひらひらエキゾチック衣装をまとったハイドが中央奥から登場です。
中央の幅の広い階段がライトアップされていて(というか階段自体が発光していた)、
その白い光の階段から降りてくる。
ちょっと宝塚歌劇団的?(宝塚をよく知らないので、違ったらごめんなのだが)
王道直球ど真ん中な登場です。

ハイド、颯爽と駆け下りてくる!……のではなく、
砂漠の王族的な衣装の裾をやや気遣い気味に、
一段一段、光の階段を踏みしめて降りてくるさまが、
楚々としておりましたね!

イントロがいきなり『虹』
歌いだしから、野太いまでに張りのある深めで突き抜ける、すっごい良い発声で、
おおおハイド。
「時は奏で~て♪」の「時は奏……」までの低いトーンから「で~て♪」の裏返る寸前のようで裏返らない
揺らぎがある突き抜けるこの声音の耳心地の気持ちよさよ!
(これラルクが好きな人にはすごく伝わると思うんだが、そうでない人には……伝わるか)
ああ鼓膜が喜んでるよ状態が、ずっと続いて、
これだからラルクやめられないんだ、音がいいのよ……。

虹はライヴの一番最後に歌われることが多い。
ドームは暗転していてすでに暗いし、いきなりクライマックス並みに気分が盛り上がる。
2014年3月の国立競技場ライヴのとき、私が参戦した日は、ラストの曲が『あなた』であった。
『あなた』は良い曲だけれど、それにもかかわらず唯一、
ちょっと前日勢が羨ましかったなあと思ったのは、
初日勢はラストの曲が『虹』だったからで。

ああ良かった今回『虹』を聞けた~ライヴの虹はひときわ良いわ~と、
もうなんかラルク参戦における、当初の目的の半分はクリアしたような心持で、
吸い込まれるように聞いてました。

今回、前日勢のライヴレポなどを極力見ないで、
ただ前日のセットリストだけをサッと確認していったのだが、
(今回、セットリスト迷走気味……?)
実際に参戦してみると、4/9ライヴの、こと前半は迷走気味どころか、むしろ完璧か、
と思って聞いていた。

後半の盛り上げ方には……おもに演出方法に、ん?
や?
ぬ? と感じる部分もあったのだが、それはまた改めて。
まずその前に『Forbidden Lover』が今回いかに良かったか、つらつら書かねばおさまらぬ。

~続く

L'Arc〜en〜Ciel 25th L'Anniversary LIVE 2017/04/09 セットリスト
http://larcworld.net/setlist/larc/25th-lanniversary-live/20170409

ちょっとだけ閑話 [た行]

ラルクのライヴについて続きを書く前に、アニメの忘備録的な。

昨シーズン、面白かったのは断然『ACCA13区監察課』
漫画も面白いが、アニメが漫画の面白さを全く損なわず、
ゆったりとしつつもどこか一点、張りつめている空気感が、だれることなく研ぎ澄まされてました。
あまり多くを語らないが雄弁な登場人物たちが魅力的で、本当に良かった。

今期は、期待していた『神撃のバハムート Virgin Soul』……
あらこれ……一期と基本的に話の筋が全然違うのね……。
一期の、子供の時にファンタジーアニメが大好きだった大人が見てガッツリ楽しい、
大人のためのガチファンタジー、内容もそれなりに大人向けな題材で、
ならず者と金と野望と裏切りが横行する、
小気味良いテンポで進むノリでは、全くないのか……。

脚本家が違うし……大石静はドラマの有名脚本家だけれど、
今回はアニメの台本初挑戦なのでしょうか。
アニメの種類にもよるが、
ドラマとアニメは根本的に見せ場がいろいろ異なる気がする……特にテンポ。
ファンタジーと言っても、こういう、ただキラキラしたファンタジー世界を、
漫然かつ、つぎはぎの展開で見せられたいんじゃないだ私は。

又、今期、期待していた『ベルセルク』2期なのだが、これもう漫画で読んだほうがいいか……。
漫画が名作なのは否応なく伝わってくるのだし。
2期の初回以降、もにょもにょした感触。
以前はマネキンが動いているような3Dアニメであろうと、
圧倒的殺戮(さつりく)と野蛮な世界観、グロでゴアな疾走感に、
3Dアニメ特有の硬さなど気にならなかった。
これが人間ドラマ的な部分にスポットが当たると、
いろいろと違和感が生じてきて、絵のテクスチャーの無理がしんどい。
キャスティングはキャラに合っていると思うので、見続けたいが……。

『進撃の巨人』アニメの2期は、前期に引き続き、安定の絶望感。
ますます嫌な感じの展開になっていくのを、まだかまだかとハラハラしつつ見守ります。

『夏目友人帳 陸』
前シーズンの伍のときに、さすがに五期までくると惰性で続いているだけなのかしら、
作画のクオリティが落ちてます……制作側が力を入れている回と、抜いている回の差が歴然と。
制作側が抜いている回を私自身は漫画で読んで、好きで楽しみにしていたりもしたせいで、
若干がっかり感が否めなかったのですが。
(視聴者の理解力を信じていないような説明や編集が多かったりとか。)
一転して、今回はとても良さそう。嬉しいです。

ラルクのライヴのMCでkenが、
「ライヴがあるとみんなこうして集まってくるやん。けど、ふだんはどこに居んの?」
といった質問を投げかけて、東京ドーム内55000人の観客全員微妙に絶句……
ああはははは……
お茶を濁すようなざわめきが地味に広がりましたが、
「そっか、仕事してんのか」
いや、まあ無論それもあるが、ラルクがライヴしていない、ラルクの曲を聞いてないとき、
ラルク関連のニュースにアンテナを張りつつも、
こちら生きていくためのメンテの合間に、
アニメを視聴したり、刀剣を見に行ったり、その手の計画を練ったりとかしてるんだ……。

ラニバ25th@東京ドーム4/9 [ら行]

一気に書くと長文になりすぎる傾向があるので、わけて書いていこう。

ラルクのライヴで会場全部に屋根があるのは、私は初めてです。
雨もよいの肌寒い日。
東京ドームでほんと良かった……ビバ屋根……空調管理。
いろんな行き方ができますが、私はJR水道橋駅から徒歩数分コース。

会場はトイレが激混みとの情報を、前日ライヴに参戦した人のつぶやき等でちらほらと目にしていた。
なので水道橋駅のトイレへ直行。ラルクファンで並んでましたが、大行列にはなっていないで、
着実に進んでいたし、
東京ドームのJR最寄り駅ゆえに、駅の準備態勢や駅員さんが慣れている感がありました。

で、駅構内から出たとたん、ダフ屋に声を掛けられる。
寝不足で、けっこう寒くて、マスクをしてたので、内気な感じの足取りに見えたのか。
ラルクライヴなぞどこ吹く風よ……みたいな空気を漂わせて歩いてたはずなんですが。
ダフ屋に次ぐ、ダフ屋をかわしつつ進む。

今までラルクのライヴは、味の素スタジアム、日産スタジアム、国立競技場は複数回、
一昨年は夢洲と参戦してきて、ダフ屋に出くわしたのは初めてな気がする。
(東京ドームって治安イマイチなの? 古参の縄張りがある感じだった。)
まあ夢洲に関しては、ラルクファンしか辿りつけない過酷な未開地に展開された、
二夜限りのカジノだったから、ダフ屋とか出没するわけがないんですが……。

で、東京ドームに到着。ドーム自体に行くのは初めてではないのだが、
せ・ま!
狭くて若干、こわくなりました。
むろん、混雑しているせいもあるが、
満員になると、こんなに人でごったがえす設計って、問題ないのか。

セキュリティチェックをして、チケットをもぎってもらい、会場に入ります。
屋根つきの会場は有難いことしきりなのだが、圧迫感も。
そのせいかギュッとコンパクトに感じました。
屋根がある会場ならではの、プロジェクション・マッピングとか凝ったのいっぱいやるのかな……。

ところで私は高いところ大好きっ子で、子供の頃はおかげで怪我も絶えず、
臆病で怖がりだけれど高いところが好きなうえに、たまに無鉄砲なので、
けっこう危険すれすれな、また実際、痛い目に遭ってもきたし、
当然のように馬鹿呼ばわりされてきたものだ
(まあ、確かに必要もないのに、やたらと高い所に上りたがるのって馬鹿ッちゃ馬鹿だよ)。
そうでもなくば、飛行機が好きだ……!
なんて発想に至る筈もないのは、なんとなくお分かりいただけると思うが、
遊園地系も、人並みに高い所を攻めるのは好きですし、
城でも塔でも、なんでもてっぺんは制覇したい、とりあえず天守閣まで登る系です。

が、
この急勾配!
こわ! 
この私が高さにビビるなんて……なにが怖いって、なにもかもが狭い。
梯子並みの急勾配に、足場は狭い段差だらけだし、人はぎゅうぎゅうに多いし、怖いわ。
二階席の一列目などは、立っての観戦・観覧が禁止されている。
手すりというか壁も低く薄いので、実際、立ったら危険なのは一目瞭然なのよ。

私は3塁側・2階席・4列目。
さいわい通路側。救われた。
座って待機するんですが、膝が前の座席の背もたれに、思いっきりぶつかるんだ。
脚をハの字にしたり、斜めに流したりしないと、ぶつかる。にしては、横幅も狭すぎる……。
ふつう、人が座った膝先に、こぶし1~2つ分くらいのスペースは最低でも、あきますよね。
そこが、きっちきちだから、通路側でないかぎり、中途で具合が悪くなったりしても、
滅多に出ていけない。
いったん出たら二度と戻れない感じで、閉所恐怖症を発動しそう。
考えてみれば、東京ドームってけっこう古いんですね。
これはユニバーサルデザインも、びっくりな構造だ……。

周囲が小柄な女性陣だったので、なんとか居られましたが、それでも相当、窮屈でした。
大柄な人とか男性陣とか、海外の人とか、さぞ息苦しさを覚えたのではあるまいか。

どうも1階席はそうでもなかった感じがあるので、
2階席の環境が極端に、居心地が悪く、危なっかしかったのかな。
(1階も2階もアリーナ席も同じ値段です。早い者勝ち。
私は今回は先行予約の初日の開始数分でチケットを押さえられたので、
けっこう良い席に違いないと想像してました。
最終的にはアーティストが全く見られない席も半額程度で売りに出されていたから、
目視できる席が取れただけでも、ラッキーだったのか。)

私の席はアーティストは良く見える位置で、会場の雰囲気も一望できます。
時間がきて、パッと照明が落ち、キャーワーと歓声があがり、
そうか、屋外だといつも明るいうちから演奏するのだが、
この暗くなった所に、ステージ上だけ明りがつくゾクゾク感がつのるのは、ドームならでは。

オープニングの小芝居は、「とうらぶ+文アルですか?」
ようは「刀剣乱舞」と「文豪とアルケミスト*」を掛け合わせたみたいな設定で、
はるか未来、ラルクおよびラルクライヴの歴史的資料? 映像等が何者かに破壊され、
バラバラな破片、かけらになってしまった。
これを2017年に戻って、元通りに搔き集めて直してくる、これが今回のライヴの目的であり使命!
みたいな。
実際、中央スクリーンの画面の四隅には、文アルで見慣れたような歯車が回っていましたね。
ま、ラルクと言えば『鋼の錬金術師』の主題歌を幾曲も提供していて、
アルケミストといえばラルク?みたいなところも無きにしも非ずだから、路線として有りか。

エリー・クランクとは?
謎を提示されて(ラルク・アン・シエルのアルファベットのアナグラムですよね……)
能書きはいいから、そろそろラルクをください!
という絶妙なタイミングで、ライトアップされて、登場です。

======

*


ラルクのライヴ@東京ドーム4/9 [ら行]

25th L'Anniversary LIVE - L'Arc-en-Cielに行ってきた!
楽しみすぎて昨晩は早くから布団に入ってスタンバっていたのに、
本当にワクワクしてきちゃって、
あ、れ……これは、まんじりともできないパターンでは……
眠れなかった。
なので、これから一眠りしてから、ライヴの感想を書く!
本当は今、ほとばしる色々をブログに書きたいんだが、
一昨年、夢洲のラルカジノのライヴから帰って、
一息入れる前に勢いよくカタカタとキーボードを打っている間に、
あれよあれよと熱を出して風邪をひいたので、
まずは、やっとちょっと落ち着いて一休みをしてくることにしようかと。
とりあえず一言だけいうと、
今回(いつも良いけど)Forbidden Loverが演出も含めて死ぬほど良かった。
あともう一言だけいうと、Drink it Downが無かったのは正直、私からすると物足りなかった。

あ、


自分で一から英訳していつか出そう [ニュース]

『カンパニュラの銀翼』英訳版、Silver Wings of the Campanula,
出なくなりました。
これについては経緯等、きちんと詳細をこのブログにアップするつもりです。
実は何度も試みてはいる。
ただどうしても特定の誰かや何かを糾弾、責め、咎める文面にならざるを得ない。
また現在進行形で、きちんとした回答と対処を先方から得られていない部分もあり、
状況を正確に説明しようとすればするほど、難しい。

他の作家はやらないことであれ、
私自身は時間と労力をみっちり費やし、英訳チェックしてきていた分、
いろいろを思い起こすだけで、余りにもストレスフル。

体調にも仕事にも悪影響が出そうなので、ついついブログアップが後回しになってしまっています。
とても残念なのは無論、許しがたく怒りがこみ上げてくるのが、おさまってきたら書こう……と。
でないと読むほうも、読み心地が悪いだろうし。
そう思っているが、いつになるやら。

ぼちぼち折を見て、具合が悪くならない範囲で、冷静かつ淡々と書ける範囲で、
合間合間にブログにアップできたらな、と思っています……。

私ってば精神はわりと壊れない鋼のロックな魂っぽいのですが、
精神がストレスを受けると、
肉体のほうが覿面(てきめん)にダメージを受けてガタガタ壊れてくるっぽい。
そっか、だからロックやパンクよりもゴシックに共鳴しがちなのか。

以前、NYに旅行したときだった、クリスマス・イルミネーションでにぎやかしいけど、
寒くてたまらん夜の街並みを歩きながら、
「だって呪(のろ)いは弱者に残った最後の救いだもん」と話したら、
「あぁ~そういうことかーーー友香がいつも何を言いたいのか、やっとわかった」
と多くを語らずして友人がやけに納得したけど、
ゴシックに共鳴したり憧れたりする人は、この辺がキーなんじゃなかろうか。

精神および魂が強固であれ、肉体が比較的脆(もろ)い立場の者。
逆パターンでもいいですが、
ようは精神力と肉体力のバランスがうまく呼応しない、均等でない者にとって、
惹かれる世界があるんですよ。

肝腎なところ [か行]

http://www.cnn.co.jp/world/35097566.html
→CNN:母子施設跡から多数の遺体、乳幼児や胎児か アイルランド

『黒十字サナトリウム』の舞台背景を地で行っている。六章にチラと出てくる第三別館に近い。
あの章の記述は、無縁仏や乳幼児の埋葬方法やらを調べていく過程で
「ありうる」と感じた設定を、練っていったわけだから、
まあ本当にありうる……わけではありますが……。
『黒十字サナトリウム』の悪名高い第三別館の設定は、
少なくとも第一次大戦よりも以前の東欧のつもりで書いていました。

いっぽうCNNの記事は、さほど昔でないという事実に引く。

アイルランドは寒村とかいうレベルじゃない、貧しい国だったわけだし、
時代背景的に、まぁ言われてみれば当然ありうる……という場所ではありますが。
――アイルランドの堕胎禁止問題は深刻ですし。(参考までに→http://www.christiantoday.co.jp/articles/11918/20130717/news.htm

1925年~61年当時の未婚女性が無理に子供を産んでも、
子供の行く末は少なからず、この保護施設跡に埋められ隠蔽された遺体になる結末を辿ったのか。
当初は、結核や、はしかなどの流行り病で死んだ(もっと昔の時代の子供の)遺体が、
数十人ほど埋められているだろう、と釈明されていたようですが。
悪質なネグレクトがあったことはすでに立証されているので、
ここまで数字が大きいと、保護施設で組織的に子供を始末していた可能性が当然、出てくる。
さもなきゃ、しかるべきお墓があって良いんです。

とっさにギレルモ・デル・トロ制作の2007年のスペイン・メキシコ映画
『永遠のこどもたち』を思い出しました。
あの映画では孤児院の6人。
いっぽう現実のアイルランドは、36年間に796人で、桁が違いすぎるが。

妊娠35週の胎児の遺体もあるということは、
カソリックの修道女施設が、
表向き堕胎を禁止しながら、裏では堕胎をさせていたのだろうか。
社会のひずみは弱者が全部、受け皿となる典型の見本みたいな跡地だ……。

それにしても日本語の記事の文面、人骨の痕跡が「浄化槽に隣接した複数の地下室で発見された」
これ、どういう状態だったのか、曖昧すぎて具体的にさっぱり分からない……。
英語でこんな記事ありえるのかな。

日本語のCNNの記事は、英語の参照元が載っていません。
Amnesty International,
Ireland,
796,
CNN
と、キーワードを入れてググってみたら、一発で出てきました。

→Ireland: Human remains found at former home for unwed mothers and babies
http://edition.cnn.com/2017/03/03/europe/ireland-tuam-human-remains/

まったく同じ記事で、日本語版はこの記事の和訳にすぎないのですが、
思った通り、情報がところどころで抜け落ちているんですよね。
意図的に、表現をやわらげるために情報を抜いているのかと思われる。
たとえば日本の記事は施設名が書いてない。
英語の記事はもちろん、施設名から書いてあります。
St. Mary's Mother and Baby Home。

ほかにも、日本語の記事では「地元の歴史家」とか「カトリック関連団体」とか「修道女」とか、
ニュースとしてそれありなんですか、というふわっとした記述にぼかされていて、
これ以上、深く調べることができないようになっている。

英文記事ではきちんと明記されています。その名前でググれば、もっと詳しい状況がわかる。
たとえばこれ。関連写真17枚。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2651766/We-need-dig-babies-graves-Ground-Penetrating-Radar-reveals-lies-beneath-Tuam-Home-site.html#i-65c945ad26967efd
796人が埋められた土地と、当時の修道女の立派なお墓が対照的。
大量の子供の遺体が埋められたとおぼしき、複数の地点についても図解があります。

これら英語版の記事によれば、しかるべき家族のところに引き取られた子供も存命しているし、
数年間、施設で暮らしたのちに、
自分の子供を引き取れる状態になった生母のところに帰った子供も存命中なのがわかります。
(今でいうペットの保護施設みたいな感じで、育てにくい子から始末されたんじゃなかろうか……。)
子供がまったく居なくなってしまえば、始末しているのが周囲にバレますしね。

でだ。
日本語のCNN記事にある、「浄化槽に隣接した複数の地下室で発見された」という文面ですが、
原文のCNN記事では→Human remains were found in the chambers of an underground structure next to a septic tank which could have been used for sewage storage or treatment

浄化槽と一口に言っても、大規模なものから小規模なものまであるわけで、
septic tank=浄化槽、汚水処理タンク (septic=腐敗物)
sewage storage=下水タンク、汚物タンク
sewage treatment=下水処理

原文からは、単純な浄化槽というよりは、
どちらかというと下水処理施設の汚物タンク、その浄化槽という状況が浮かびあがってくる。

日本語にある「地下室で発見された」という文面だと、
隠し部屋でもあったのか? お仕置にでも使う部屋にでも閉じ込めて、放置したのか?
想像と疑念が交錯する余地が次々と出てきますが、
the chambers of an underground structureと読めば、
これ、部屋とは全然かぎらないじゃん! 

小野不由美の『屍鬼』に出てくる、追いつめられた屍鬼が一斉に逃げこむ、パイプライン。
ああいった所に、施設の子供の遺体をつぎつぎ遺棄していった、とも考えられます。
下水処理の浄化槽に隣接しているなら、
使われなくなった下水道の場合もあるだろう。

浮かび上がってくる光景が、がぜん、異なってきます。

……付記 そもそもhuman remains……


ふわっふわのもっこもこ [最近のお気に入り]

この雛祭り個人的に最高だし、同意する人、少なくないと思います。
https://twitter.com/TokyoZooNet_PR/status/837448420843401216/photo/1
東京ズーネット[公式]‏\ #ひな祭り /


刀剣乱舞、あなたは誰推し? [た行]

わたしは箱推しです。

はじめて全刀剣コンプリートしたのですが、
(アルファベット全角小文字で笑う、けしからん刀剣も、鍛刀で初めてすんなりお目見えである)
反面、楽器がまったく集まらないまま(圧倒的な琴不足)近侍曲が半数もゲットできていない、
我が本丸です。

推し動画。その1もあるんですね。一年以上前にupされていて、そちらも面白いです。
【MMD刀剣乱舞】刀剣CM詰めあわせ その2
http://www.nicovideo.jp/watch/sm30720358


すみずみまでネタがちりばめられていて、エンディングまでみっちり楽しい。
キャスティングが絶妙で、元ネタを知らなくとも、なんかもうとりあえず似合ってる。

こういうMMDのニコニコ動画をシェアしていると、たまに
「あんたが作ったのか」的な問いを投げかけられることがあるが、
残念ながら私にそんな技術はありません。作れたら楽しいだろうなあ。

……ちょっときちんとブログに書くべきことがあるのだが、
書きだすと容易にコルチゾールが激しく乱高下しそうで……一方こういうのは、好いよね。

世代差CM [さ行]

「女の子の持ち物じゃないものを、片づけて」
という動画。
仕切りが上がっていくときの表情の変化に、泣きそうになります……。


https://youtu.be/sIgA1mu5t_8

しかもこれをP&Gがつくってる、(生理用品、中東向け)CM動画っていうのが、すごいわ。
生理用品はほとんど関係ないというか、姿かたちすら出てこないけど、
女の人が主体的に自分を大切にして生きてもいいんですよ、生理用品はそのお手伝いをしますよ、
というメッセージが伝わる。
青いインクが吸収される絵面を繰り返し見させられるよりも効果的。
センスが良すぎる……。

まあこれも、下手をすれば……抑圧されていた世代の母親が、
自由な時代の娘に自己投影して毒親になっちゃう可能性も多々あり、
そういう意味では自由な娘世代も、まだまだ抑圧下の影響にあるともいえるのですが……。
それでも抑圧され偏狭な価値観を強いられているままよりは、ずっと良い。

そういえば私は「料理好きだとか、裁縫が好きだとか、人に言うな」と言われてました。
女らしく女子力を上げろの逆ヴァージョンです。
料理が好きだとか気軽に口にすると、家庭的な性格だと勘違いされやすいし、
事と次第によっては甘く見られたりするから、気をつけなさいと。

なにを馬鹿な……と思っていましたが、
大人になってみると、実際に料理好きをアピールする人は、
家庭的アピールと直結している場合も多く、
単に、任意の食材を煮たり焼いたり混ぜたりこねたりして自分好みの美味しいものを咀嚼したい、
という素直な欲求の意味でなかったりする場面にも多々出くわし、おのずと口を慎んだ。

私の好きな『The English Patient』という映画にも、
知的な魅力あふれるキャサリン・クリフトンが、
″A woman should never learn to sew, and if she can, she shouldn't admit to it.”
と言うシーンがあります。
女が針仕事が好きだなんて言うと舐められるから、できないふりをしてなきゃだめ、
というニュアンスです。
映画の舞台は第二次大戦前後の時代ですけどね……。

Bluetoothのロゴが北欧のルーン文字からきているって今日知った [は行]

リボン結びを縦にしているデザインなんだと思っていた……。

ところで電子レンジで半熟卵を作る方法って成功率・五分五分くらいなのは良いとして、
失敗すると、殻が爆発するのみならず、
オーブンレンジのフラットテーブルが割れるんですね……。
今、眠いからコンロで火を使うのは危ないな……と、
3分の手間を惜しんだ結果、買い替える羽目になるとは。してやられた感が凄い。

先日、すごく久しぶりに身内が家(兼仕事場)に来た。
「以前、来た時よりはるかに片付いてきれいになっているが、でもまだ物でごったがえしている」
といったたぐいのコメントを。
本とCD・DVD、服と靴を整理すればある程度、スペースが確保できると思い込んでいたのだが、
要するに押しなべて物が多目なんですよ。

内側が緋色のベルベット張りで、人型、棺桶サイズ程のケースが床に陣取っている。
「せめて、このチェロを寝かして置いとくのやめたらどう?」
「いや、チェロの健康のためにはケースを寝かして置くほうが安全だし安心。地震も多いし」と私。

『棺担ぎのクロ(ひつぎかつぎのクロ)』という漫画があって、
一巻しか読んだことないが、棺桶を背負って旅をする話だったかと思う。

わたしのチェロケース、ちょっと古いタイプ(軽くて頑丈だが嵩張る、布張りセミハードケース)なので、
チェロケースを担いで歩くと、ほぼまんま「棺担ぎのクロ」状態になります。

『棺担ぎのクロ』って、
旧式のチェロケースを担いで歩いている人を見て、着想を得たのじゃなかろうか?
……そうわたしは勝手に思っているのだが、
実際のところ、どうなんだろ。


事務連絡(本日は晴天なり) [最近のお気に入り]

本艦、本日無事帰投。
厳戒モードは解除。
漸次、通常モードに移行します。


五虎退と鬼切@江戸博「戦国時代展」 [か行]

22日、日曜日、江戸東京博物館の「戦国時代展」で、今度は五虎退と鬼切(髭切?)を見てきました。
五虎退は粟田口の短刀。
鬼切は刀剣乱舞の髭切と同じ刀剣なのかもしれない一振りです。
 
  鬼切の伝承はけっこうほかにもあるらしく、
  この鬼切が「源氏の重宝、髭切さ」と同一なのかというと議論の余地はあるのだろう。
  ただ今回の鬼切のキャプションを読むに、
  「源氏の重宝である」点は、間違いなかった。

大寒特有の極寒が続いている中、日曜日はぽっかり天気が良くて、暖かかった。
真夏と真冬は出足が鈍りがちな私も、ほいほいと出かけた。

着いたのは4時過ぎでしたが、混んでいました。さすが日曜。
おそらく一番混んでいたのは、昼過ぎ2~3時ごろだったのでは。
大量の客が、博物館から駅へと向かって出てくる中で、
一人逆行して江戸博に突き進むわたくし。

この分ならけっこう客も捌けているだろうな……と期待していたのだが、刀剣のところだけ行列が。
刀剣乱舞の刀が目当て、といった感じの閲覧者が3割ほど。
あとは、せっかくだから見ておこうかといった感じの入場客だったと見受けられた。

前回、宗三左文字が置いてあったところに、
正宗の打刀があって、これが一番、切っ先が大きくて派手だったので一番人気で、
人だかりがなかなか動かないのだった。
(正宗の刀剣は、ゲームの刀剣乱舞にはいない刀です……。)

なぜ、わざわざ一か所に目ぼしい刀剣を、まとめて展示するんだろうか、こんなにくっつけて……。
昨今の刀剣人気を鑑みれば、混むことはわかる。事実、行列用のパーテーションも用意してある。
行列をつくるのが一種のステイタス、学芸員の誉、展示成功の証なんだろうか。
アカデミックな分野では、最も見やすい快適な環境を提供することが、
最善策なんだろうと信じていたのですが、
若冲展のあの信じがたい行列といい、
行列こそ集客のステイタス、行列のできるラーメン屋さんと同じ観点なのかもしれない。

まあ各、学芸員とか博物館とか企画展の方針ごとに、きっと差があるんだろうなあ……。

といったようなことを考えながら、周囲の展示物に遠目に目をくれつつ、待つ。
刀剣にたどりつくまで25分ほど待ちました。

宗三左文字を見に行ったときは、パーテーションがあって、人だかりができていても、
平日だったし行列になってはいなかった。
今回はみっちり2列ずつ5レーンになって並ぶ。
皆ある程度、じっくり見ているがゆえに、列になっていた感じ。

私はそこそこ背丈があるので、私が前に立つと後ろの人は圧迫感を受けるかもしれず、
こちらとしても、咳払いとか睨まれたりすると台無しなので、
博物館や美術館では、けっこう前後左右を気にする。
立つ場所と、正面をふさぐ時間を気にしつついるので、じっくり見られないときも多い。
だからいつもは、ガラ空きになりそうな日程と時間帯を極力、狙って行くのだが。

今回は、順繰りに進むぶん、後ろから見えるかチラチラ気にする必要がない。
いざ自分の順番がまわってくると、宗三さんを見に行った時よりも、
自分の持ち時間分は、周囲を気にしないでガン見できました。
正宗の豪快な刀剣が人気だったこともあり、
鬼切なんてガラガラで、
いいの? わたし正面まるまるみっちり占領しちゃっていいの?

粟田口の短刀、五虎退はとにかく華奢でした。
厚藤四郎を見たばかりだったから余計そう感じるのかもしれないが、
身幅も厚みも、厚の半分くらい。
とにかく白い。
鋭利。白さのせいか、鋭利なのがすごく引き立って映る。

刀剣乱舞2017年2月のカレンダーや、今回の戦国時代展のショップにある五虎退の写真では、
黒い地肌と白い刃文がくっきり映っている写真なのだが、
実物はとにかく白いです。
プラチナというよりは、白金めいた白さ。
よくよく近づけば、黒い地肌と白い刃文の差がわかる感じ。
遠目にした時点では、ほぼ真っ白。
白銀の世界の白です。

刀剣乱舞のキャラクターは、有名な持ち主に似せてくる場合と、
刀剣そのものの擬人化もとい付喪神化の場合とがありますが、
五虎退はあきらかに、刀剣そのものの具現化で、だからあの華奢な姿、
肌も髪も淡雪のごとき、あのキャラなんだなあ……と、納得。

でも鞘とかの拵(こしら)えは、ゲーム絵の水玉模様とは全く別物だった。
(歌仙兼定などは歌仙拵えの鞘も、ゲーム上で完璧にそのまんま再現されています。)

――ちなみにゲーム上の、おどおど気弱な短刀・五虎退は、
極めてきたら謎テンションな不思議ちゃんと化していて、面食らいましたが、
「ぼくが死んだら~」と朗らかに語りだすあたり、いいですよね。
極めてきた短刀は、他の大きな刀剣よりも、死に直結した台詞を当然のごとく口にしますね。
短刀って、ほかの刀剣と比べても、戦いの道具とか御神刀になるとかいうより、
切腹したり、御枕刀として用いられる機会が多い。その立場上、死を達観あるいは熟知してる感が、
頼もしくって好きです――。

展示は左から、正宗の刀剣、粟田口の五虎退、長巻(薙刀によく似た大太刀)で、
一番右端が、鬼切でした。

鬼切は遠目にも、あ……あれは鬼切!
舟形というか。舟底を髣髴とさせる反りが深い。
一目で物騒さが伝わってくる太刀でしたが、大太刀といわれても違和感ないくらい。
大きく感じた。
大振りで切っ先が小さい外見は、三日月宗近に似ていました。
だから全体的に優美っちゃあ優美なんだが、
樋(ひ・刀剣の背中側に掘られている溝)が通っている点が、三日月よりも断然、実戦向き。
芯が通っていて、頑丈そう。見るからに物騒で骨がありそう。
鬼切か……そうね鬼くらい斬ったろうね……。
自然、見ているこっちの背筋がしゃんとする感がありました。

名刀や名剣は長時間見ていると生気を吸い取られるとか、
とくに女性は刀と相性が悪いから危険とか、
すごくまことしやかにネット上で出回ったことがあったなあ。
刀剣乱舞由来の刀の展示が始まるよ、となったくらいの時期だったか、
「自分は気分が悪くなったことがある」という実体験と共に語られていた……。

個人差があり、感覚的なもので、一刀両断できはしないが、
あれって一種の「女性が入ってくんな」のステマ的な流言だったのかなあ……と思い至った。
名刀で退散するのは悪霊とかだったりするんですよ。
名刀を見てると女性は気分が悪くなりますって、……え? どういうこと?
また、女性は刃物と縁がないとでも……女性のほうが料理してない? 

私は昔から刀剣好きだったし、
刀剣を見ると気分がスッキリ、モヤモヤが晴れはしても、生気を吸い取られる気はしたことがない。
まあ……そう長時間も拝める機会が無いからな……と思い直したりしてましたが、
刀剣研磨の研ぎ師の女性もいるくらいだし、
刀の大小を寝室の床の間に飾って寝るのが武士のならいで、
だったら武家の奥方なんか一体どうなる……。

そういえばアメリカに留学していたとき、沖縄出身のM子さんという人がいて、
私より3歳年上、けっこう仲良しだった。
「やまとんちゅ……本土の人間は床の間に刀の大小を飾る。
沖縄では床の間には三味線を飾るものなんだよ。
そのくらい精神性が異なっている。むかしっから沖縄の人間は、根っから争いが嫌いなんだよう」
熱く力説されて、ぐうの音も出なかったことならば、あります。


厚藤四郎@東博 [あ行]

先日メリル・ストリープのスピーチをネットで見ていて、えらい感情移入していたらしく、
変な力が背中に入っていて、見終えて椅子から立とうとした瞬間に背筋が攣って激痛。
スピーチを聞いて動けなくなった、文字通りに。
背筋ってちょくちょく結構、使っているのが今になってよくわかります。
寝返りが容易に打てない……。

ところで、一月四日に厚藤四郎を見に、東博に行ったんでした。
上野界隈に繰り出す用事があって、
なぜこんな正月明け早々、まだ松の内だというにだ、憂鬱な野暮用を……と思っていたのですが、
おかげで電車も空いていた。用事も早く済んだ。
天気も良いし、これはラッキーだな……。

浮かれ気分で東博まで足を伸ばしたところ、混・ん・で・い・た!
東博のチケット売り場で並んだのは、今回が初めてでした。
考えてみればまあ当然ですよね……外国人観光客や、家族連れ等々。
まず厚藤四郎がお目当てとは思えない面々で、にぎわっていた。

コインロッカーもほとんど塞がっていて、かろうじて最後の一つ二つにありつけた。

短刀、厚藤四郎は、その名の通り本当に分厚かった。物騒な分厚さ。
短刀だけれどなかなかに重そうで、これは鎧通し、確かにな……通るよな……。
重そうだけれど、長刀とちがって重心が手元に来るので、
振り回す必要はないわけですし、突進すれば使い勝手は良かっただろうなあ。

DSC_0018.JPGDSC_0016.JPG
鎧通しの効果は抜群であったろう。
反りがまったくなくて棟側がほぼ一直線。
右の写真は分厚いのが少し伝わるか……(クリック推奨)。

他にも、物吉貞宗とは違う、貞宗の短刀があったりして、こちらはかなり特徴的な刃文で美しかった。
貞宗は亀甲貞宗もそうでしたが、現物は見るからに露骨なまでに美しいです。
(私の写真が今一つなだけです……。)

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クリック推奨かも。

短刀って包丁っぽい……(包丁藤四郎は見たことがないですが、包丁藤四郎に限らず)
短刀は概して包丁っぽいから、目新しさに欠ける……というイメージがあるのですが、
短刀も美しいものは、本当に美しいんですね。

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場合によっては、お姫様も手にしたからなのか、
長い刀にくらべて、美意識や、こだわりがぎゅっと凝縮されていて、
刃文を手元でじっくり味わえる感が。
物によっては一見して区別がつきやすく、乙な世界。

長刀では、長曽祢虎徹が展示されていました。
ちなみにこちらの虎徹は贋作ではなく、真作の。
『刀剣乱舞』の長曽祢虎徹は新選組の近藤が使っていた贋作設定になっていますよね。
贋作設定は、薩長に歴史修正されていたからで、
実際は真作だったらしい説が。昨年ニュースにもなっていました。
http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14778284006693
(これは有りうると思う。
ただ司馬遼太郎が新選組の歴史的概念を正したっぽい記事になってもいますが、
土方や沖田はさておき、司馬遼太郎の近藤は、本当にダメな感じなんで、そこはどうかと思う……。
司馬遼太郎によれば、土方の和泉守兼定が正真正銘の名刀真作なのに、
近藤は贋作の虎徹だったし、
沖田に至っては、幻の名剣ともいわれる菊一文字を託されるという設定でしたよね……。)

こちらの真偽はともかくとして、
展示されていたのは正真正銘の長曽祢虎徹。
大振りで、いやなかんじの切っ先でした。
今まで見てきた長刀の多くは切っ先がスッと美しい代物で、
これで斬られたら痛くないかも、という優美さを兼ね備えていた。
長曽祢虎徹は図太いというか、こいつで斬られたらドスッときてグサッと刺さって、
エグッとなって、ズンと入って無惨に痛みそう!
俄然ごめんこうむりたい感があった。

DSC_0029.JPGDSC_0026.JPG

東博は今回、酉年にちなんで、鳥にまつわる絵画が特集してあるギャラリースペースがあり、
鳥好きの私には、なにそれ天国じゃん超ラッキーな具合で、いそいそと足を踏み入れる。
おもに鶏一択で、日本画の鶏は目つきやトサカなど毒々しい物も多い。
でもひよこを描いた奴や、チャボとかも居たよ!
まっくろくろすけひよこヴァージョンみたいな、かわいい墨絵がありまして、
写真を撮ろうと思ったら、その絵は写真撮影が禁止でした。

刀剣も、絵画も、蒔絵も……写真を撮ってもかまわない品と、撮影禁止のものとがあり、
NYのメトロポリタンミュージアムの場合、シャッターをたかなければどれもOKだった記憶が。
今一つ理由がわからない。必ずしも作品を守るためという判断基準では無さそうだった。

シャッターをたかないと写せないような暗いところに飾ってある、
光への曝露を気にするタイプの品々ならば、わかるんですが、
お隣のよく似た刀剣は撮影OKで、これはダメなの?
お隣のよく似た墨絵は撮影OKで、これはダメなの?
混在していた。
必ずしもすべてが東博の持ち物ではないようだし、持ち主の意向なのかも。

「東博に初詣」というキャッチコピーが書かれたのぼりが、東博の前に大きく出ていたのですが、
たしかに仏像等もたくさん来ていた。
本来ならば初詣以上にご利益のありそうな、歴史的価値の見るからに高そうな面々が、
大小、ずらっと並んでいたが、展示の仕方が今一つ、面白みに欠けて、
仏像自体が大好きな人なら良いんだろうが、見ているうちに飽きてくる。

これは台湾で故宮博物館に行った時も思いましたが、
東洋の博物館の展示方法が生真面目すぎている、単調なゆえか。

伽藍、天井、台座……いろいろを作り上げていって、画竜点睛的な立ち位置にあった仏像と、
いわゆる「目玉部分」だけ持ってきて並んでいる仏像とでは、
空間の全体像や奥行きとの配慮が違いすぎて、
市場(いちば)に並んでいる生鮮と、ガラスケースの向こうで整然と並んでいる食品サンプルほどに、
差がありました。

本館を出た後、東洋館も寄ってみました。
こちらは一転、がらがら。
コインロッカー自体がなかったので、荷物が重かったせいもあり、
全部を見て回れませんでしたが、初めて目にする代物ばかりで、見どころがありました。

DSC_0064.JPG

こういうのとか。 お金がなっている樹といいましょうか。
絨毯敷のフロアで、靴底に優しい。
すでにあちこち見て回った後なので有りがたかった。

エジプトから寄贈されたミイラとかも……初めて見ました。
さなぎ状態で贈られてきたミイラの容器を上下で切って、蓋と本体という形態にして、
中を展示してあり、果たして良いのか、中の遺体をもろに見せてしまって……。
亜麻布で巻かれてはいるが。

東博に訪れたあと、岩崎邸にも寄ろうと思ったものの、足腰がもう限界で帰りました。
携帯の歩数計をチェックしたら、その日13000歩以上、歩いていた。
私にしては、ものすごく多いのであった。

紙書籍『黒猫ギムナジウム』(講談社ボックス)につきまして [ニュース]

『黒猫ギムナジウム』の本が、現在、品切れ状態です。

一週間ほど前に、アマゾンや楽天ブックス、丸善ジュンク堂などをはじめとし、
すべてのオンライン書店で入手不可能・在庫なしとなっているのを知り、
私に一抹の不安が。

数年前、日本SF新人賞受賞作の『黒十字サナトリウム』で、似たような状況になった時、
版元の徳間書店が私の本を断裁処分していた。
まさか『黒猫ギムナジウム』も同じ末路をたどったのか?

『黒十字サナトリウム』の時は、担当編集者も断裁処分について把握していなかった。
日本SF大賞の贈賞式にお呼ばれして出向いたとき、
担当編集者をつかまえて、かくかくしかじかなのだが、売り切れてるわけはないですよね? 
そう尋ねたところ、
売り切れるはずはない。え、在庫なし? 本当に? アマゾンが在庫を切らしてるだけじゃなくて?

販売部に問い合わせてもらったら、
本は市場に出回っている冊数しかなく、
版元が倉庫に保管しているすべてを、断裁処分にしていたのが判明した。
いくらなんでも見切りをつけるのが早すぎると思いましたが。
売上げの初動で、今後の採算を予測して、倉庫の場所塞ぎだと、見切りをつけられたわけです。

あとで『カンパニュラの銀翼』で、アガサ・クリスティー賞を受賞したとき、
それまでは私の『黒十字サナトリウム』を知らなかったが今こそ買って読みたい、
という読者の方々は結構おられた。
しかし一度は大量に断裁した本を再度重版するほど、出版社は採算度外視で本を刷ったりしない。
断裁した分もカバーできるだけの売り上げが見込めなければ、
版元にとっては重版するだけの帳尻が合わないのです。
今でも『黒十字サナトリウム』の紙の本は絶版のままです。

そのトラウマがあったので、
またか……またなのか~
かなりナーバスな心地で、版元である講談社に問い合わせました。

「講談社倉庫でも現在品切れとなっています」

完売したのか……!
売り切れたのか。そうか……良かった。

2011年、当時の担当編集者に「中里さんの本など出さないほうが、うちにとってはメリットなのが、わからないんですか。売れないとわかっている本を出す必要などありませんからね。黒十字サナトリウムも、初動が悪くて徳間書店で見切りをつけられて、断裁処分になってますよね」
という内容を(キレイ目に要約しました)メール等で悪しざまに言われ……。
編集者のミスで誤字脱字になった部分に、クレームを入れるも、
「それでは重版するときに、思う存分、直してください」(重版なんてなるはずありませんが)
という対応をされて、
私としては、
(すぐには売れなくとも、きちんと自分の信じる物語を丹精こめてつくれば、必ず手に取ってくれる読者はいる。なかには面白さを理解してくれる読者もいるはず。時間はかかっても、きっと)
そう信じていましたが、裏付けられるだけの実績がなかった。

断裁されてしまえば、届くべき人のところにいつかは届くという望みを完璧に断たれるので、
――おお、売りきれたのだったか……。胸をなでおろす。
良い本だと自分が信じた物語は、時間はかかれど、きちんと読者に届けられる、
「初動がすべて」
ではなかったのだと。

昨今、売り上げは初動がすべて、という考えが一般的に蔓延しています。
私の本のように読者を選ぶといわれる作品、シリーズものでなく一冊が長い単行本は、
初動が良くないので初版の刷数がものすごく少ない。
内容如何以前に、売りにくいから、版元はいっぱい刷りたくないんです。
同じ講談社の『みがかヌかがみ』は、『黒猫ギムナジウム』の半分の部数しか刷られていません。

『黒猫ギムナジウム』もこれまでの売り上げ動向などから、
現時点では、すぐには重版をかけられないとのことです。

黒猫ギムナジウム』は、クリーク・アンド・リバー社から、キンドルをはじめ電子媒体で出ています。
昨今は、タブレット端末の性能も上がってきて、かなり読みやすくなっていますし、
人によって生活スタイルは違う。
たとえば入院しているときに思いついた本をすぐさま読みたいとか、
長時間移動中に本を読みたいなんて場合は、
荷物にならないし、人に頼まずに調達できるので、タブレット端末で本を読めるのは便利かと。
いろんなオケージョンに合わせて、いろんな媒体で利用できるのは、捨てたもんじゃない。

ただ、本好きは物語が好きなのと同様に、本という質感が好き。
私自身、本は紙書籍で読めるのがベストな楽しみ方だと感じています。
それに、マイナー作家である私の本までたどりつき、最後まで読んで、好いてくださる読者は、
ほぼ間違いなく「本好き」ではなかろうかと。
だからできるだけ紙の本でお届けしたいと思っています。

一つ、楽観視できることと言えば、
現在の担当編集者は『黒猫ギムナジウム』をわりと好いてくださっている感触が。
重版したい、という思いは共通の意向としてあるので、その分、障害は少ないかなと。

丁寧に読み応えのある本をつくっていれば、初動は悪くとも、じわじわ売れる。
長い目で見れば、結果的に黒字になる。
中里友香の本はそういう売り方が通用するのだと、
そんな実績が一つできたと、分かってもらえたら……。
作者であれ、自分ではどうにもできない部分があるのですが、
再度、紙の本として入手できるようにしたいです。

ひょっとして、


2017年の本命は [最近のお気に入り]


https://youtu.be/wq2yed0t0co
TVアニメ「活撃 刀剣乱舞」第2弾PV | 2017年7月放送開始

これは……楽しみだ……。
正式にタイトルも決まったんだな。
これは幕末組をやったあと、
戦国組とか平安組とか、ある程度いくらでも続けられるんでは?
やったじゃん……!

なお既にずいぶん前にTVCMでも流れた、おなじみの第一弾PVはこちら。
https://youtu.be/kCzgIORknv0
TVアニメ「刀剣乱舞(仮)」第1弾PV | 2017年放送

4月からは待望の進撃アニメの第二期も始まる。
(つかコミックもなんかもう大変な具合で、
これが胸を締めつけられる選択というやつだな……という衝撃を久しぶりに味わいましたよねえ……)

また、私の大好きな漫画『将国のアルタイル』もアニメ化されるらしい。
ワクワクが止まりません。

『将国のアルタイル』は、あの美麗な劇画を、アニメがどこまで再現できるのか。
当初はわりと軽くて甘めの勧善懲悪な路線だったのが、
どんどん過酷かつ面白くなって、読みごたえがある、
あの政治と歴史と地理と民俗と戦争との緩急、かけひきの痛快さ、ほろ苦さを、
アニメがどこまでやれるのか。
画集まで買って素敵な絵だなあと堪能している熱心なファンとしては、大丈夫かな……
と、若干、疑心暗鬼で待っています。
(アルタイルのアニメPVを見た感じだと、現時点では、漫画とイメージが何か違うんですよね。)
漫画が終わっていないし、アニメがやっつけ仕事で結末までやっちゃうことはなかろう。

アルタイル、魅力的な数々のキャラのキャスティングはイメージとかなりぴったりなので、
とりあえず今から視聴待機です。

2017年はアニメ視聴、待ち望んでいた本命が多くて、忙しくなりそう。


宗三左文字@江戸博 [さ行]

先週ですが、江戸東京博物館の「戦国時代展」にて、
友人と、宗三左文字を見にいってきました。
平素は京都の建勲神社に奉納されている宗三さんですが、二週間ほど東京に出張展示なので、
こいつを逃すわけには行くまい。

戦国時代展は全体的に大河ドラマの「真田丸」を意識した構成だったように思います。
といっても、わたしは真田丸をちゃんと視聴していないので、想像で言ってます……。
あの辺のイベントや小道具にスポットを当てていたような……まあ戦国時代展ですし。
花押とかもありましたよ。
展示物は、かなり文書中心だった気もする。

以前おなじ江戸博の「大関ケ原展」で、出張展示の蜻蛉切や骨喰藤四郎を拝んだ時には、
当時の文書もけっこう読めるもんだなあ……やはり日本語だから相当、見当がつく、
そう感じたものだったのに。
今回は皆目わからなかった。
現代文訳が添えてあっても、
どれが、どこの文のことをいってるのだ……と、じっくり解読する気も失せるほどに。

鎧甲冑は、いつ見ても見栄えが良く、存在感があって、渋いけれど華があります。
やっぱり戦場は武士の晴れ舞台だったんだなあというのが、ひしひしと。
梶の葉のモチーフが大きく兜に角状にあしらわれている甲冑が、
相当、恰好良かったです。

屏風絵巻なども金色が鈍光りしていて、雰囲気があるのですが、
全体的に会場が暗すぎた。いまひとつよく見えないのだった。
おそらくは焼け防止で仕方ないのだ……。

お目当ての宗三左文字こと義元左文字は、
木曜の三時過ぎ、わりとすいていて、きちんと見られました。

とにかく展示会場が仄暗いので、
なにもかもを目を凝らしてみる感じだったんですが、
遠くからでも、左端の茎のところに彫り込まれている金象嵌が、
ところどころ鈍光りして、瞬くように目について、ハッとするのであった。
これ、宗三さんじゃない……?

近づいてみると、瞬くように見えたのは金象嵌の剝げ落ちている部分が欠落して映るために、
かえってキランと、気を引くように浮き上がって光っていたからのようで。
何月何日に義元を討ち捕ったり、といった旨が、
ばっちり刻みこまれていた。

暗いうえに、正面しか見えない展示方法になっていて、
裏はおろか、
切っ先側から、刀身の反りの美しさを確かめたりとか、
切っ先の鋭さをなめまわすように眺めたりとかできないので、
刀身とか刃よりも、とかく茎に彫られたその金象嵌が印象的でした。

たしかその金象嵌の刻印を入れる際に、磨り上げられたんでしたっけね?
そのせいだろうか、それとも明暦の大火で焼けたあとに打ち直されたからなのか、
刀身自体は、刃こぼれや使い込んだ感はまったくなかった。

横に大太刀が並んで展示されていて、
太郎太刀のようなえげつない大きさではないけれども、やはり相当に段違いで、でっかいので、
対比で、宗三左文字は端正に凝縮された、小振りの刀剣といった印象でした。
端っこにあったせいなのかもしれません、なんとなく、頑なな雰囲気と仏頂面な佇まいだった。

戦国時代展のあと、常設展も見ました。
かれこれ17年くらい前に人からいただいた、常設展の招待券がタンスの奥から出てきたので、
期限日が入っていないし、
「ひょっとしてこれ、もしかしたら、使えるかもしれないじゃない?」
ドキドキして試したみたら、呆気ないほど全くなんの問題もなく使えたのでした。
通貨並みだな!
すごいな江戸博。

しかも端をもぎらないで、スタンプを突いて招待券を返してくれるのだった。
あなたも、もしもタンスの奥から大昔の招待券が出てきたら、捨てる前に一考を!

で、中はがらがら。
内容はいろんな予算を惜しみなく、つぎ込んだ感がありありとしていて、贅沢で見ごたえが。
豪勢な展示が多く、羽田空港にあるような日本橋の再現とか。
吹き抜け構造が、趣向を凝らしてあるし、退屈しない緩急ある作りこみになっています。
ジオラマもちゃちくなくて、見るからに見栄えのする数々の縮小風景があれやこれやと。

実際のお姫様の駕籠などは、漆に金にと、これでもかという贅を至るところ上品に尽くしてある逸品で立派。
駕籠ってこんなに綺麗なのか。大名の姫様の駕籠だから?

復元されてある、もう少し質素な駕籠(姫様の駕籠がリムジンならば、軽自動車くらい?)には、
実際に乗りこんでみたりもできます。

解説もわかりやすく、かといい子供向けになりすぎたりしていないので、
見方によっては、かなり楽しめます。
夕方に行ったせいもありますが、閉館になってしまって、最後まで見きれなかったので、
広いのかもしれない。
穴場といった感じでした。

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竄透性(ざんとうせい) [さ行]

竄透性(ざんとうせい)という言葉があります。

旧字体の医学書などに頻出する用語です。
薬による特有の香気や臭気をあらわすときに、よく使われている。

いまは亡き祖父母の残り少ない蔵書に『藥種商全書・完・第五十四版』という薬の事典があって、
昭和13年9月15日第54版(初版は大正4年10月1日)、
私のお宝なのですが、
そこで見られる[竄透性]の語が用いられている箇所の、一例がこちら。
(旧字体は現仮名に直しています。)

[クレオソート] (中略)ぶなタールを乾溜(蒸し焼き)して製る。(中略)
形状 無色か或は微かに黄色のある澄明油状の液で、強く光線を屈折し、味は灼(や)かれる様、 竄透性の烟臭を有す。(後略)


この「竄透性の烟臭」ってどんなにおいなんだ、ですが、
端的に言って、正露丸のにおいです。
薬種全書に、烟臭とは煙臭いということで、火事場の跡のにおいである、と書かれていた。
当時の木造家屋の火事場の跡のにおいは、正露丸のにおいがするんですな。

ウィキペディアの、日局クレオソートを引くと、
上記のクレオソートとよく似た記述が出てくる。

抜粋:日局クレオソート
「ブナなどを乾留させる(通常では木炭を作る)際に水蒸気とともに留出する油層(木タール、水を主成分とする上澄み液がいわゆる木酢液)を蒸留して得られる、淡黄色透明で燻製のような臭いのある油状の液体で、代表的には止瀉薬である正露丸の有効成分として用いられている。]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%B1%80%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%88

よく似た文章なのに[竄透性]の記述だけが、すっかり抜けている。
この[竄透性]、ちゃんとした言葉ですが、昨今の文書で見かけない。
それどころか、広辞苑や大辞林など、
いかなる辞書や辞典などにも、言葉が全く載っていない。
(ブリタニカ百科事典は未確認です。)

なんということだ……。

たかだか数十年のうちに、言葉が消える。
流行語とか俗語ならばともかくも。
辞書とは、言葉の意味すなわち言葉の魂を正しく召喚する道具であるから、
辞書が意味を載せなくなったら、言葉の生存率は圧倒的に下がる。
魂を見失った言葉は、この世に存在できなくなるのと、ほぼ同義。

抹殺されてもやむを得なかった言葉——現代では概念自体が存在しない、
あるいは差別的な意味合いが濃厚だとか、もはや使われていない漢字を用いているとか、
そのいずれにも当てはまらない。
なのになぜ消えた……。

数十年足らずで、れっきとした素性の言魂が殺されてよいものか。

言葉狩りに遭ったというよりは、単純に、
「専門用語的に使われることがもっぱらで、
日常で頻繁に使う言葉ではないから、知らなくても困らない。辞書に載せる優先順位は低い」
というだけの理由で、後回しに、黙殺されているうちに、
ここ数十年間で、ほとんど存在の形骸しか残らない語と、化してしまったのではなかろうか。

超、かっこいい言葉なのに。
絶滅危惧種:レッドデータ用語を保護したい、
わたしの言葉に対する庇護欲とも憤りともつかぬ熱意が、沸きあがることしきりです。

[竄透性]は、ほかにもクレゾールなどのにおいを表すときにも使われています。
粘膜を刺激して涙が出そうになるような香気および臭気のときに頻出する。
ハッカ油(メンソール)なんかの香気の描写にも使われている模様。

においのたぐいだけでなく、
たとえば、
→保存齒科領域で專ら使用せられる各種藥物の竄透性に就て
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1780636?tocOpened=1
国立国会図書館デジタルコレクション - 臨牀歯科. 14(6)

→淋巴に於ける固形成分の増加の由來に就て竄透性大なる肝臓毛細管機能に着眼せりhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/fpj1925/33/2/33_2_150/_pdf

等々。
意味は、ですから辞書を引用して説明できないので、
私が一から説明せねばならないのだが、類似の言葉として、
「滲出性」があるかと思う。

しんしゅつ【滲出】
( 名 ) スル
①液体などが外へしみ出ること。
②炎症などの際、血液成分が血管外に出ること。 〔同音語の「浸出」は液体につけた固体から成分が溶け出ることであるが、それに対して「滲出」は液体などが容器や血管の外へしみ出ることをいう〕
~大辞林 第三版~

滲出性というと、
しんしゅつせいたいしつ【滲出性体質】が、
→外部刺激に対して異常に過敏で、滲出性反応を起こす体質。(後略)~大辞林 第三版~

ですので、滲出性:外部刺激に対して異常に過敏で、滲出性反応を起こしやすい性質。
と言えるかと思います。

[竄透性(ざんとうせい)]は限りなく、この[滲出性]に近いか。
ただ滲出性は、おもに液体が外に滲み出ることをいうわけです。
いっぽう[竄透性(ざんとうせい)]は、
液体も気体もどちらでも使えます。
むしろ気体の時に使うのが一般的とすらいえる。

竄透性の竄は改竄(かいざん)とかの竄です。
「竄」は改めかえる意である。
「改竄」と辞書を引くと、そう説明が載っています。

漢字の様子からしても、
[竄透性]=[滲出性]+α(濾出と揮発と浸透と遊走の性質を掛けあわせ、割ったようなニュアンス)
ではないかと。

総じていろいろを鑑みた結果、
[竄透性]=exude(動詞)の兆候が強いこと, effusiveたりうる。
こんな感じが意味として妥当だと思います。
(当初、横文字の薬理系論文の直訳語として使われていたのかなと、思えたりもしたもので。)
effusiveは、ほとばしる状態、
exudeはhttp://eow.alc.co.jp/search?q=exude(英辞郎・日本語)
exude:https://en.oxforddictionaries.com/definition/exude(Oxford Dictionary・英語)

ざっくり言うと、滲み出る+染み出る+発散する+発露、という意味合いになりますが、
言葉の性質上、
[竄透性]は、やや不穏な感じがつきまとう場面で、用いられがちな気がする。

――ここは竄透性と使ったほうが、
時代性や信憑性や説得力、特有の空気感がより色濃く醸しだされる――
そんな場合において、積極的に使っていきたい。
それが絶滅に瀕した言葉に対する救済措置であると、
意気込んでいます。

チェルノブイリの石棺 [た行]

チェルノブイリの石棺補修工事、ようやく形になったとか。

(この作家なんでいきなりこんなこと語りだした、と思った方は、
 これは『黒十字サナトリウム』関連の派生ネタですので、ひとつ。)

2016年11月29日に、新しい姿が公開になったという記事。
http://www.afpbb.com/articles/-/3109574?pid=18516454

当初もっと早くに補強ドームが完成予定だったわけですが、
掛かりますね、歳月。

ウクライナの国立大学であるキエフ大学には、
チェルノブイリの原発事故関連を専門に研究する部門があると、聞いたことがあります。

たぶんキエフ大学のTraining-research center of radiation safetyというのが、
チェルノブイリ原発事故の専門研究部門にあたるのではなかろうか。
ただキエフ大学、英語なのは表層部だけで、リンクを飛ぶと思いっきりキリル文字……。
http://rb.univ.kiev.ua/
Training-research center of radiation safety
(中はがっつりキリル文字で、私には一ミリも理解できない。読めたらかなり興味深そうなのに。)

30年経ったチェルノブイリ原発事故ですら
いまだ全然解決できてはおらず、
研究して対処していかなくてはならない問題が、山積みなのだろう……。
ウクライナは現況、政情不安定な国ですし、
猶更、荷が重そうな、現在進行形の負の遺産です。


飛行機乗りは絶対白シルクのスカーフを巻く [は行]

軽さ重視で丈夫かつ防寒具として最適で、着用している人に負担をかけない、
とすると、飛行機乗りが身に着ける襟巻は当時シルク以外に無かったらしい。

たとえバーバリーのCMであっても、
そこんとこはゆるぎない。
お決まりのバーバリーチェックにしないで、
飛行機乗りお約束のシルクの白いスカーフを巻いているのだ。

フェスティブフィルム・バーバリー
https://youtu.be/6D5IZtDCS5c

バーバリー最盛期は、好みの時代性です。

当時は落下傘も全部、シルクなんですよね。
イタリアの白黒映画『ブーベの恋人』で、
しょっぱなに「落下傘のシルクの余り布が手に入った」と、
ブーベからシルクをもらって、クラウディア・カルディナ―レ演ずる主人公が、
そのシルクでノースリーブのブラウスを縫い、次にブーベと会う時に、着て見せる。

https://youtu.be/WQVIILIZE5M
La Ragazza Di Bube 부베의 연인 1963 OST
英語字幕でも日本語字幕でもほとんど出てこないのだが、ハングル語で出てきました。
当方、ハングル語字幕がまったくわからないのが悔しい……。

日本が絹の原産地だったのと、
おそらくは必要とされる落下傘の数が桁違いだったためもあると思うが、
連合軍側はシルクで賄えなくなって、ナイロン製パラシュートに移行していくらしいのですが……。

イタリアは枢軸国側だったから、シルクの落下傘だったのかな。

いい兄さんの日 [あ行]

今日は「いい兄さん」の日らしいので、
私が「いい兄さんだ!」と思うランキング上位3位を挙げてみた。
尚、自作品のキャラは除き、完結している作品に限っています。

1位:エドガー・ポーツネル
   (「ポーの一族」)
   高一の時に友人のお姉さんから借りたのが初読でしたが、
   生まれて初めて出会う衝撃の「いい兄さん」だった。
   それまでは大体、兄さんというと、妹や弟に意地悪したり、よくてお味噌扱いにしたりで。
   また歴史上の登場人物だと兄が弟を殺し、
   妹を政治利用したり、セクハラ・パワハラするのがデフォルトなので、
   エドガーは衝撃のいい兄さんだった。

   妹や弟キャラは明らかに今ほど市民権を得ていませんでしたしね。
   私がポーの一族を読んだのは、既にオンタイムより遙かあとになってからですが、
   当時ですら、妹や弟は、兄にまとわりつく生意気なウザキャラで無力という扱いが多かった。
   兄は圧倒的父兄力、家督力を持っていたから、
   しもじもの弟妹は可愛がられるといっても、子分とか、よくて家来同然で、
   兄役の優しさ、懐の深さのステイタスを上げる記号としてのみ、存在していた感がある。

   弟妹は本来なんの疑問もなく邪険に扱ってOK、ことと次第によっては虐げてもかまわない、
   という構図に、読み慣れていた。
   だから妹メリーベルのために身を投げだす兄さん像には、天と地がひっくり返ったのでした。
      
2位:ルルーシュ・ランペルージ(ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア)
  (「コードギアス反逆のルルーシュ」&「コードギアス反逆のルルーシュR2」)
   ほぼすべての行動の原動力は、ハンディキャップを負った妹ナナリーが生きやすくなるよう、
   世界を創りかえる……ですから、濃い。すごい。
   この一点は何があっても全然ぶれなかった。終始一貫していて胸を打った。
   いい兄さんだが、同時に、食えない悪い弟である点も大変良かった。

3位:ユリスモール・バイハン
  (「トーマの心臓」)
   ユーリに妹がいたのを忘れてはいけない。病弱の妹がいるんですよね。
   
   待ってね これがあたしよ
   それはハトだよ
   ハトなの

3位までのうち二人の兄さんが萩尾望都の作品だった。
この手のレトロ漫画の兄さんというと、
「キャンディキャンディのステアがいるじゃないの!」と思われるかもしれないが、
私は断然、弟のアーチ派でしたので……。

圏外だけれど言及しておきたいのは、タッチのたっちゃんですが、
あの二人は双子ですから、正確には兄とは少々言い難い。

ナルトのイタチは「実はいい兄さん」だったオチですが、
それまでの「おのれイタチ!」の刷り込みが凄かったので、
今一つ、実はいい兄さん展開に、私は乗り切れないままでいました。

ハガレンのエドは……(この作者、絶対に弟がいますよね……)
と、わかる感が作品に滲み出すぎていたので、ちょっと……。
エドってば、弟の存在によって自尊心が確立している兄さん感が、やや鼻につきました。
アル(弟)は、あくまでエド(兄)の優しさとか強さとか家族愛とか責任感を引き立てるためだけに、
登場させられてる感が強すぎた。そんな弟をもってして、エドをいい兄さんとは少々呼び難い。
作品は文句なく好きです。エドも決して嫌いではない。

輪るピングドラムの冠葉と晶馬は、病気の妹の陽毬のためになんでもする。手も汚す。
ただあの関係性は、三人とも赤の他人なのを承知しながら、
新興宗教テロがらみで、親に捨てられた子供が疑似家族をやらされていたのが本来の姿だから、
果たして「いい兄さん」としていい定義はなんだ? 
となるので、やむなくランク外としました。

「火垂るの墓」の主人公・清太は作中で類を見ない、
痛々しいほどのいい兄さんぶりをみせる訳なのですが、
作者野坂昭如は実体験をもとに、贖罪として作品を描いたらしい。
実生活においては、野坂昭如は幼い妹を殴りもし、食べ物をぶんどり餓死させた、と。
これは有名で、私は中学生のとき国語教師から聞かされました。
こんなまとめもありますね→https://matome.naver.jp/odai/2137860240391360001?&page=1
原作者・野坂昭如が語った ジブリ作品「火垂るの墓」の真実 - NAVER まとめ

そもそも、清太さん、もうちょっとだけ辛抱できなかったのか、
わかるけど、わかるんだけど、あのさもしい意地悪伯母さんにもう少しだけ我慢できなかったか、
節子のために……節子のためよ……と。
複雑な心境になって、素直に、いい兄さん認定できない。

いい兄さん同3位に「ハンター×ハンター」のキルア・ゾルディックも挙げたいところなのですが、
完結してませんので。
キルアは、いい兄さんという以前に、
言動が謎な妹アルカ(弟?)の一番の良き理解者であるのが素晴らしい。
と同時に、兄のイルミやミルキからすると、
キルアがすんごい扱いにくい、異端児で厄介な弟である点も目が離せません。


なお鍛刀小烏丸は我が本丸にもちろん来なかった [最近のお気に入り]

アニメ刀剣乱舞・花丸では、短刀キャラの幼さが強調されて、
のきなみこぞってみんな可愛い。無邪気の塊でほっこりする。
よきかな……よきかな……しきりなのですが、
ゲーム内の短刀はもっと何百年も存在してきた感、
己の刃で人を殺めたり守ったりしてきた矜持を全面的に出しているので、
そういう方面がちょっと懐かしくなった時にぴったりな動画。

左文字三兄弟はゲーム内でもキャラのタッチがほかの刀剣と比べて、やや異色なので、
最初はとっつきにくかったが……。

三兄弟の経験してきたものと目指すものが相反しまくっているので、
三者が膝を突き合わせると、角を突き合わせることになりかねず、
三者がそれをよく理解しているからこそ、
花だの、柿だの、本丸内での噂話だのの世間話に終始するしかない。
目指すものは違うけれど、お互いの在り方を尊び、相手をいとおしく思っているので、
あるいは寡黙になるしかない……といった感がほんと尊い。

実際には三者が抜刀するタイミングは絶対に異なるはずで、
だから三兄弟が抜刀してからの後半のシーンに、
おおおお!


【ニコニコ動画】【刀舞祭:出陣】左文字モノポリー【手描き】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm29087946

絵のタッチが素敵で左文字愛に溢れてる。
そこはかとない中二っぽさが、良い意味で絶妙ではありませんか。
最後に蝶が蜘蛛の巣のしがらみに囚われるのが意味深。
そもそもこういう世界観が大好きだ。

動画が左文字愛にあふれてるのみならず、
コメントのおびただしいまでの左文字愛もすごい。
いちいち頸椎ヘルニア再発しそうな勢いで頷きたくなるものばかりだ。
(おもに――復讐を 権力を 平和を――のコメント)

ところで宗三左文字が抜刀して剣を振り切るときの、
右足の脛のポーズが個人的にグッとくるのは私だけなんだろうか。


言わずと知れたこと [あ行]

では君はアメリカではなんの差別もされずに、心地よく暮らせたんだね、
カリフォルニアは楽園だなあ、
みたいに思っていただいて、半分は正しいけど、
半分は違うかな……と思うのでちょっと付け足しておきます、念のために。

暮らしていく上で、英語を上手く使えない人間に対する白眼視みたいなのは、ものすごく感じました。
英語を上手く使えない人間に対して、心が広かったり優しかったりする人のほうがまれです。
単純にすごい冷たい。率直に物凄く見下されます。
下手するとすごく意地悪な対応や、不誠実な対応をとられかねない。

……おのれ!
と思ったことが無いかといえば、そんなのあるに決まってんじゃん。

留学生同士で、
「母国語しかしゃべれないくせに。母国語の英語を話せるからって一丁前な面して、
どうしてああも威張れるものなのかね。世間知らずってみっともないよね。
英語を上手く話せれば偉いのかよ。ホームレスだって流ちょうな英語しゃべってんじゃん」
と、よく愚痴っていました。

むろんアメリカには、複数の言語を思い通りに扱える人は多数いるけど、
そういう人は概して、英語が拙い相手を決して見下してきたりしないのだった。
超絶寛容だけど、なんでだろう……とか思ってると、
実は両親がアルバニア人で移民二世なんだ、とか。
すごく辛抱強い、なんでだろう……とか不思議な顔をしてると、
実は父親がドイツ人で母親がユダヤ人なんだよ、とか。
あるいは、私は留学経験があるの、
小さいころ海外在住経験があってさ~等々。

逆に言うと、両親がアメリカ人でアメリカ生まれ、英語が喋れない人が身の回りに居ないアメリカ人、
つまりいわゆる「普通のアメリカ人」は、
英語でスムーズなコミュニケーションをはかれない相手をもれなく嫌がる。
大学の教授であっても例外はない。
そう思って、さほど間違ってはいないはず。

英語が下手だと半人前扱いなのは事実ですが、
英語は慣れればある程度、使えるようになる。
おかげで英語が否応(いやおう)なく上達する部分も大きい。
何より、ちょっとやそっとじゃ、心が折れなくなりますし。

人種や性別とちがって、生まれもった存在の根源を見下されたり、
不利益や不自由がデフォルトとして定着している、そんな差別を受けるわけではありません。
気候もいいしね。
そういう点では本当に暮らしやすい所でした。
少なくとも私が住んでいたときは。

ヒラリー独走だとつまらないからマスコミがトランプをすったてて大統領選を盛り上げたツケ [は行]

政治のことは語らないようにしていますが、日本の政治じゃないので、ちょっと。
もちろん私は、
次期アメリカ大統領はヒラリー・クリントンになってもらいたかったです。
(日本人はまあ大抵そうでしょう。)

私が留学していたのは2000年前後ですが、
その時に「アメリカ大統領になれない」ガラスの天井、
たとえどれほど有能であろうと、才覚に恵まれていようとも、
低く設定されたほかの人には見えないガラスの天井に頭がつかえて、
絶対に上に行けないと言われているのが、次の二つのマイノリティでした。
・黒人をはじめとする有色人種
・女性

上記のガラスの天井がある、二種のマイノリティについては、
大学の講義などでも、当然のように語られていたし、
アメリカの一般常識でした。
(併せてフランクリン・ルーズベルトが生涯、車椅子だったことも必ず引き合いに出されるものだった。
……身体的なハンディキャップを持っていても、アメリカ大統領になるにあたって、
半人前扱いされたりはしないのだ。白人男性であるかぎりは、と。)

で、私は、
「いやいや……いくら同じマイノリティといえども、黒人をはじめとする有色人種と比べれば、
女性のほうがまだチャンスあるでしょ。白人女性に限るだろうけど」
と思っていました。
私はカリフォルニア州に住んでいたので、
リベラルな州だし、古くから日本人街のリトルトーキョーがあったりしたお土地柄だから、
差別らしき差別を感じたことはありません。
(というか日本よりも圧倒的に、女性というジェンダーでいるからといって不利益を被らない。)

そんなカリフォルニアでも、黒人はやはり差別されがちなのを知っていた。
低所得者層のかなりが黒人で占められていて、
犯罪者の大半が黒人あるいはヒスパニック系。
これはアメリカで生活していると歴然とわかる事実です。
多くは貧困だから犯罪を犯すのであり、貧困は差別に起因する部分も大きい。

私の通っていた大学(大学院ではなく大学のほう)は、
異常なほど安全でしたが(キャンパスは日本より安全だった)
黒人が極端に少なく(日本人留学生よりも断然少ない)、中産階級の白人が圧倒的過半数でした。
黒人=治安が悪い、犯罪と近い、という印象はぬぐえなかった。

でもオバマ大統領になったときに、
アメリカはガラス天井を一つ突き破ったんだなと思いました。
……と同時に、
あの時点では、民主党内でヒラリー・クリントンが大統領候補に選ばれなかったわけで。
有能な白人女性と、有能な黒人男性ならば、有能な黒人男性のほうがチャンスがあるのか……と、
ちょっと愕然としたりもしたものでした。

でもそれから数年。
今度こそ、きっと! と思いました。
ヒラリー以外に適任な女性候補がそうそう出てくるとも限らない。
女性なら良いという訳でもありませんからね。お飾りじゃないんだから。
大統領の器を持つ経歴と実績がないといけません。

アメリカは王族や皇族がいないので、首相ではなく大統領――この大統領制というのは、
国家の王様を投票で決める民主政治と考えるとわかりやすい。
大統領は、ものすごい権限を持っていて、
数日間なら独断で軍隊を派遣したり、外国を爆撃とか余裕で出来ます。
党や議会や裁判所などの賛同や承認を得られなくともです。

もちろん、すぐ退陣要求をされたりするだろうけど、
退陣を覚悟してなら、政治的にできないことはない。
大統領命令は~絶対!
(よく映画とかで「これは大統領命令です!」という台詞を聞きますが、そういうことです。
 問答無用で、逮捕も恩赦も意のままに、なんだってできるんですよ。勅令なんです。)

ドナルド・トランプはぶっちゃけわりと犯罪者……すくなくとも犯罪者予備軍なので、
きたる1月20日の大統領就任式までに、
たとえばこんな裁判も控えているはず。
→トランプ氏、不動産スクールの詐欺訴える集団訴訟阻止できず
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-08-31/OCR4QW6JIJVH01

こんなのは序の口で、叩けばもっと埃が出るはず。

なので1月20日に就任式が行われるまでは、
本当に大統領になれるのかどうか、私は疑問視したいところです。
(ものすごく私個人の希望的観測の織りこまれたフィルターを通した、しかし曇りなき目で主張)。
トランプが暗殺されるかだってわからないですしね。
べつに、暗殺されればいいなあと思っているわけではありませんよ。

大統領になったとしても、ニクソンのウォーターゲート事件的なスキャンダルがすぐ起きて、
任期を全うせずに、退陣を余儀なくされるのではないか。
としたら、アメリカの大衆が一度は通らなくてはならない、通過儀礼だったんだね。
ヘーゲルの弁証法でも、世情や世論はアップダウンを繰り返すといわれているから、
民主党の大統領が立ったあとは、共和党が大統領になるっていうのが大体の世情の流れで、
こればっかりは避けられない時の運。
そのアップダウンを繰り返すうちに、是正されていくのだから、
もうひと手間掛かるってことなんだろう。
そうだそうだ、きっとそうだね。

べつにアメリカの政治なんて、お前には関係なかろうと思われるかもしれないが、
アメリカがそんな政情不安定で、ユーロもBrexitで不安定なので、
日本円を買う動きが出るのは当然。で、円高に。
円高になるとTOYOTAなどのアメリカ市場を席捲している大企業の株が暴落しやすい。
トヨタをはじめとする大企業の株価が下がると、連動して日本株が全体的に無茶苦茶さがる傾向が。
株価が下がって不景気になると、小説業界はまっさきに苦しくなるんですよ。この桶屋エフェクト。
切実です。

円安になりすぎても、外国旅行や留学などがきびしくなるので、
1$=110円~115円くらいだと、良いバランスで正常に経済が回る、
というのが個人的な見解なのですが……。
(現在1$=105円。)

アルケミスト的要素? [あ行]

先日、ゲームが開始となったDMMの文アル(文豪とアルケミスト)、
始めてみましたが私は早々に脱落。
個人的に、この文豪の顔ぶれにして、
なぜ梶井基次郎、岡本綺堂、小栗虫太郎、坂口安吾らが居ないのか……。
(三島由紀夫が居ないのはやむを得ない。おそらく著作権が切れた文豪を集めているはずだ。)

別に上記の文豪の作品の熱烈なファンではない。
二~三の作品を齧ったことがある程度だけれど、
しかし、梶井基次郎は……
桜の樹の下には~という、
ゲーム的にも美味しそうな名文を編み出した彼がスルーされてるのは、いただけない。
春に新規投入とか、そういう段取りでしょうか*。

文豪が、弓やら刀、銃や鞭で戦うのが頭悪そうで違和感がすごい。
(当時の文豪なんて無茶苦茶インテリやくざな文化人なのに。)
教師をやってた文豪が鞭(教鞭にちなんで)とかなら合点がいくが、
そういうシステムでもなさそうです。
(たぶん、当時の対象読者層の広さ=標的にちなんでいるんだと思うのだが……。
 大衆小説=鞭、純文学系小説=刃、
 随筆や詩や小説など混合技=弓、詩や児童文学=銃……かな。)

文豪ってば、潜書のたびすごい勢いで空腹になるけど、
[おにぎり](にぎりめし)ばっかり食べてるからでは。
いまに脚気になるぞ。図書館にこもって潜書ばかりさせられるんですし。
きょう日、人じゃない刀剣男士だって幕の内弁当を食べられるというのに……。

そもそも文豪の格付けだけど、これなに知名度順?(怒) 
特殊会話が発生しても、あとで聞き直すことができない仕様なのは、
おそらく今後、変わってくるとは思うけど、
いろんなモヤモヤが納まらないので、続けられなかったのでした。

おそらく一番の違和感の理由は、文豪およびマーケティング対象の設定年齢が、かなり低め?
と感じられる点だったかもしれません。
多くの文豪が夭折なのは知ってるけど、没年齢に合わせているわけでもない。
新見南吉とか宮沢賢治とか……児童小説を書いた文豪が少年的ルックスなのは、
理解の範疇といえども……。
いかんせん皆、見た目が似ている。
(似ていてもアニメ・ジョーカーゲームみたいな絵面であれば私も頑張った。)
服装と髪型、小道具などで区別をつけようとするのだが、
だんだんと、もはや声だけが頼りになって――
あ☆髭切だ、あ☆三日月、あ☆エレンだ、あ☆花沢輝気、あ☆マスタング大佐!

数日で脱落したので、断定的に何一つ語れませんが、
小林多喜二と高村光太郎が良さそうなキャラでした。
一番レベルを上げたのは国木田独歩(弓)。
弓と銃は使い勝手が良く、刃と鞭はいまひとつ頼りにならない印象。
有碍書の潜書風景は完成度が高く、素敵だった。
文豪の内番的装いや、冬場の景種に、お炬燵などがあったなら、
或いはテンションがストップ高だったかもしれません。
ただしこのゲームは設定が図書館と司書室がメイン。生活感が覗くことは無さそうです。

*


亀甲貞宗@東博 [か行]

端的に言うと、国宝・亀甲貞宗の刀は繊細かつ端麗。
一見して、胸打つような白刃の光沢が、やや繊弱な印象、
どちらかといえば細身で、スッと筋が通った感じの反りが、
おおお、国宝。
……という気品あふれる美しいたたずまいの一振りでした。

ゲーム刀剣乱舞の亀甲さんについては、私は10月15日くらいにゲット。
我が本丸しては上々の出来!

その少し前に太鼓鐘貞宗、通称・貞ちゃんをイベントマップでゲットし、
あとはひたすら明石国行……明石国行……。
うわごとのように、明石……明石よ……いい加減にもう、へそ曲げてないで出てきてくださるまいか。
イベントマップ2面を突撃しつづけ、ようやくゲットしたのでした。
実装2015年5月1日から、ほぼ一年半の年月を要して、やっとか!
イベントマップは難易度が低かったので、惰性でプレーしていたために、
明石の顕現場面を思いっきり見逃す……。
ともあれ来てくれて嬉しい、明石国行! 
三条大橋をどれほど往復しただろうか! 明石狩りの間に、どれだけの刀剣がカンストしていったか。
どれだけ検非違使が出て、どんだけ虎徹兄弟、源氏兄弟がお目見えしたことか。
どれだけのお守りを発動させたことか!

たびたび開催される明石ドロップイベントでも、いっこうにお目見えする気配はなく、
我が本丸においては、三日月宗近ゲットまでの期間と肩を並べる、
入手困難な、得難き刀剣であった、明石国行。
口調と台詞がいちいちツボである。
平野君となにもかも正反対すぎて、中の人が同じだなどと、知ってからも信じられない。演技の幅。

その感激が冷めやらぬうちに、(翌日でした)
すんなりやってきたのだった、亀甲貞宗。
2016年8/23に実装された亀甲貞宗につきましては、
(どうせうちの本丸にすぐ来てくれる筈ないじゃん)
気長に構えていたので、虚を突かれまして。

現時点、もっとも戦闘困難とおぼしきマップから、2カ月足らずでドロップ。
我が本丸の運を鑑みると、異例の早さ。ボスマスA勝利・20回くらいだったか。
とりあえず「こんのすけ」企業ゆるキャラ上位記念、ドロップ率倍増キャンペーンに感謝。
重畳重畳……なのは、いいんですが、
そんな立て続けに、眼鏡キャラが登場しても、心の準備ができてないし、
飽和状態ですよ、なのである。

そのため「六角形の眼鏡って……亀甲アピールやりすぎじゃない?」
マント裏地と鞘の模様までもれなく亀甲模様とか、
(刀剣というよりは、蜂の巣の妖精みたいなのがきた)
と、そんな精神状態で、亀甲貞宗を見に行った。

ゲームのキャラと、実体の乖離がここまで凄まじい刀剣も珍しいな……
という印象を私は受けました。

実際の国宝刀剣・亀甲貞宗のたたずまいを、
ゲームのキャラに無理やり当てはめるなら、
山姥切国広に、襤褸布のかぶりものを脱いでもらって、
声は骨喰藤四郎で、
「綺麗とか……言うな。さわるな……」
と顔を背けちゃう感じ。
伝わるだろうか。

亀甲マークが茎(なかご)の裏面に、上品かつ秘めやかに彫り込まれており、
今回は裏が例外的に、表を向いて展示されていました。
(東博展示のキャプションにも、その旨が言及されていた。)

このひそやかに亀甲文が入っているところが、ゲーム上のドM設定にマッチしてはいる。
ただし! ゲームキャラの亀甲さんは、
ナルシスト気味自己アピール全開!
思いのほか天真爛漫で元気いっぱい!
ゲーム上の貞宗の刀剣は、もれなくハツラツとしていて陽気ですよね。
物吉貞宗しかり、太鼓鐘貞宗しかり。

刀剣乱舞公式における亀甲貞宗の紹介文、
「気品薫る貞宗の風格。白菊のごとき美青年」
かかる付喪神像は、なるほど実在の刀剣である亀甲貞宗と、たがわない。
またゲームキャラの亀甲さんも、その紹介文と大きく、ずれてるわけでもないのですが、
ゲームキャラの亀甲さんと、国宝の刀剣・亀甲貞宗は、大きく違った。

写真を撮ってきたものの、案の定よく撮れていない。
シャッターを焚けないせいもあるけど、急いで撮るのでピントがぼけすぎ。

2016101915570001small.jpg
2016101915580000.JPG
指裏に亀甲文。

私の携帯の画質が今一つというのも大きいのですが、
ありがたいことに国宝ですので、こちらで確認できます。

http://www.emuseum.jp/detail/100193/001/002?word=&d_lang=ja&s_lang=ja&class=&title=&c_e=®ion=&era=&cptype=&owner=&pos=97&num=3&mode=detail¢ury=
e国寶  刀 無銘貞宗(名物亀甲貞宗)
茎の裏の亀甲紋がお分かりいただけるだろうか。
(サイズ調整できます。表側も見られます。)

実物を生で見ると、静かな感動があります。
東博で11月13日まで展示しているようです。
私が行った10月中旬は、備前長船派・光忠の刀も展示されていました。
燭台切光忠とはもちろん別物ですが、
同じ長船派の光忠なので、燭台切光忠が焼けて黒く煤ける前の姿を想像できます。
乱れ刃(……もとい丁子刃)が華々しい色気を放っておりました。

2016101915580001mitutadaosahunesmall.jpg
光忠のほうは、刃文が少し写真でもわかるだろうか……。
2016101915580002trim.jpg

昨年七夕あたりに、三日月宗近を見に行ったときには、
ゲーム審神者とおぼしき面々がわらわらと。大雨だったので、それでも随分、空いていたようだったが……。
今回は晴れた昼下がりに行ったのですが、
ゲーム審神者とおぼしき人は、おそらく私と、あと(あの人、多分そうだな……)という一人くらい。
お互いに無言でさりげなく、(あの人たぶんゲーム審神者でお目当ては恐らく亀甲さん)と、
互いにチラ見で認識しつつ距離感を保って刀剣鑑賞を終えられる感じでした。
外国人観光客が疲れ切った足どりで、だるそうに漫然と見て回ってる姿が圧倒的に目についた。

ところで余談ですが


インターミッション [最近のお気に入り]

亀甲貞宗を見に行ったよ~の続きを書く前に。

刀剣乱舞―花丸―アニメの本丸の様子を見て、
大変ほっこりしたあとで、何ですが、
ハロウィーンですので、今年もこの動画が恋しくなった。
(去年やたら見ていた。一年が早すぎる。)

ハロウィーン刀剣乱舞MMDだと、この動画が一番好きかもしれません。
刀剣の付喪神ゆえに、悪戯の度合いが洒落にならなそう……
お供え物がないと祟っちゃうぞ……的な、まがまがしさが。


http://www.nicovideo.jp/watch/sm26746091
【MMD刀剣乱舞】鶴丸HappyHalloween
影があったりなかったり細部まで凝っていて、謎めいている。

動画後半の閉塞感が、
副葬品であった鶴丸国永(別名:陵丸とも)が墓暴きで地上に戻されたり、
神社に奉納されていたのを奪われたりしてきたという、彼の遍歴にぴったりで、
個人的にたまらない……のは私だけではないはずだ。
鶴丸国永って、他の刀剣男士たちと最もフランクに手広く仲良く接していながら、
存在感の価値観が反転ネガで、
他者を影としてしか認識していないような危うさを時々覚えます、私は。


無縁坂と不忍池 [ま行]

そういや先週、亀甲貞宗を見に行ったんでした。

上野方面で野暮用があり、午前中からだるいけれども、こなすべき案件でした。
近いから昼下がりに! 亀甲貞宗を! 東博で見てから帰るんだー!
と、楽しみを設定したおかげで、さほど億劫でもなく、足取りも軽くなり、
どれだけ刀剣および刀剣乱舞に癒されているんだろうか、私は。

暑くもなく寒くもなく炎天下でもなく雨でもない、という気候が、
昨今の日本では本当に珍しい部類に入る。
恵まれた天気だったので、てくてく歩いて行ってまいりました。

で、だ。
良い感じの雰囲気の下り坂をてくっていたときに見つけました、無縁坂の標識。
2016101915120001縮小.jpg
2016101915120000縮小.jpg
……無縁坂というと、
さだまさしの曲が有名です。
https://youtu.be/sxdgZhMokXY
グレープ 無縁坂

わたしくしこの歌、諳(そら)んじられます。二番まですらすら出てくる。
さだまさしの歌詞は文章になっている詩なので、スッと入ってきて覚えやすい。
わびしい暗い曲も多く、
わたしは暗い曲であれば何でも聞いた時期があった。
(さだまさしのファンの方々は概して、ほんわか明るい曲が好きなんですよね。
或いはラジオのトークの弾けたテンションだとかが。)

この「無縁坂」は、大抵「精霊流し」とセットで聞くものでして。
https://youtu.be/l8Oo89vah50
H264-01 精霊流し(1976.4.5 長崎市民会館 グレープ解散ライブ収録)

精霊流しはさだまさしの出身地の長崎を強烈に喚起させる内容なので、
無縁坂も、坂の多い長崎が舞台の坂ではないんだろうか。
文京区の無縁坂は、はたして歌の無縁坂なのか……?
無縁坂なんて坂の名前、どこにでも幾らでもありそうだし、
実在の坂というより、観念的な坂道にすぎない気もする。
……と思いながら、サビの

しのぶ~しのばず~無縁坂~ かみしめるような~♪
 ささや~かな……ぼーくの…

脳内で口ずさみながら足を運んでおりましたら、不忍池(しのばずのいけ)が!
2016101915150000.JPG

……ん?

忍ぶ……不忍……無縁坂……なのか!
無縁坂の目と鼻の先に、不忍池があるのだ。
するとこれは歌の無縁坂なのか。
しのばず……は、不忍池と、かけてあったのか。
知らなかった……。

などと今更ながらに発見しつつ、東博に着いたので、
(なにしろこの坂を通ったのも、不忍池の端を抜けたのも一度や二度ではない……
 ラルクのハイドが坂道好きで有名ですが、 「なるほど坂道とは、こうしてみるとなかなか乙な」
 とか感じ入って脳天気に通りぬけてただけでしたよ私は)
亀甲貞宗については次回upします。


行間を読むというのはこういうことだよエリオット [か行]

そうシグモンドも『カンパニュラの銀翼』で言ってました。
(正確には「文間を読むとはそういうことなんだよ、エリオット」)

ポーの『大鴉』に関する考察的な①~の続き。

私は実は、それほどエドガー・アラン・ポーに親しんできたと誇れるものはなく、
留学先の大学の英文学の教本に載っていた
Cask of the Amontilladoについて、
中間試験用の小論を書いて提出したことがあるくらいでした。

今回、文芸作品の翻訳に携わるまで、ポーに関して原文で扱ったのは、
その短編にも満たぬくらいの掌握小説Cask of the Amontilladoだけ。

日本に帰国してからは『アッシャー家の崩壊』(佐々木直次郎翻訳)を、
青空文庫からダウンロードして、これは好きな作品で何度も読んだ。

あとの作品は常識の範囲で知ってはいるけど、通読したことはない、という状態。

日本語でも英語でも、そうまともに読みこんだことはなかった分、
偏った先入観もなく、まっさらな気持ちで深々とポーの文章に真っ向勝負で、潜っていった。

エドガー・アラン・ポーの『大鴉』の行間から私が何を感じとったか、
この作品を訳す上での全体的な色調やトーン(翻訳の方針、出すべき統一感)
隙間から見える景色とは、
端的に言って
「水、水辺」です。
……詩の舞台は、深夜のと或る部屋、暖炉・扉・床・窓辺・机・椅子近辺なのですが。

『大鴉』はざっくり言えば、
あの世とこの世の境目が夜更けに交わるような状況や錯覚を描いていて、
日本的にいうなれば、彼岸と此岸。

実際ポーも、大鴉がどこからどこにやってきたのかを、 
nightly shore
Night’s Plutonian shore
whether tempest tossed thee here ashore

などという語で表している。
彼岸と此岸という意識は、私が勝手に行間から汲み取ったのではなく、
作中でポー自身によって、かなりクリアに言明されているといえるかと。

韻を踏むための技巧のせいもあるとはいえども、
Night’s Plutonian shoreに至っては複数回、出てきます。

又、たとえば扉の上に掛かっている胸像を描写するとき、
placidという、
穏やかな水面を描写するときによく用いられる言葉を出している。

さらには、
as if his soul in that one word he did outpour.
このoutpourという語も、
感情のほとばしりを意味する動詞とはいえ、
水を扱うときの語。

ポーとしても、
水際や水辺といった雰囲気がひたひたと迫るように意識して、
あえて、この手の語を選んで、描いている。

stillness gave no token,
このstillnessも水を思わせますね。
Still water runs deep という諺がすぐ浮かぶ。
(ちなみに私はこの諺が意味深でなんか好き。)

このstillness gave no token,
「水を打ったよう、波風の兆しも見えぬ」
と水を意識して、私は訳しています。
このstillnessという語も『大鴉』の詩で度々、登場します。

詩の最後でも、
僕の浮かばれない影をfloatingという言葉で描写している。
Floatも浮くという、水にまつわる言葉。

逐一、挙げていくときりがない。
作中が、いちいち水を想起させる語で満たされている。

少なくとも私の中では、知らず知らずのうちに、
彼岸と此岸の往来、夜の水際の意識が、
脳内イメージとして蓄積されていたわけです。

訳す当初は、さほど強く意識していたわけではなかったけれども、
なるべく水を意識したいというイメージが、
無自覚のうちに芽生えていたらしい。

推敲する段階ではもう自分でもかなり意識的に、
水辺にこだわって一語一句を選んでいました。

冒頭のWhile I nodded, nearly napping,
「うつらうつらと舟を漕いでいた、まどろみかけていたところ」

うたた寝していた、居眠りしていた、といった系列の表現の中で、
「舟を漕ぐ」という表現をまず選んだ時に、
『大鴉』を訳していく上での雰囲気の方向性が定まったのだった。
あとは、夜の水辺の気配の中から、言葉を掬い上げていく作業。

there came a tapping
「雫のしたたり落つる音」

tapというのはもともと、タップダンスとかのタップ。
カツカツいう音なわけですが、
カツカツ、こんこん、コトコトといった類のオノマトペを安易に使うのは避けたかった。

日本語はオノマトペがかなり特殊というか、豊富にありすぎる。
もとの英語がオノマトペを使っていないので、
「もしもエドガー・アラン・ポーが現在、日本語が母国語になっていて同じ詩を書いたとしても、
絶対このオノマトペを使うと思う!」
と、よほど確信できる、しっくりくる語がない限り、
こと、詩においては、慎重に扱わなくてはいけない、と思っていました。

tapという単語はtap water (水道水)とかのtapでもあります。
やはり液体に関連する語。

tap(タップダンスとかのタップ)とtap(水道水とかのtap)とでは語源が全く異なるので、
はたしてポーがこの同音異義語を意識して、tappingを使ったか――
については、人によって解釈が異なるかもしれませんが、
私は無関係ではないと思った。

私自身が小説を書くときに、同音異義語は時としてかなり意識して用いている。
―隠微と淫靡とか―
―凶器と狂気とか―
―片身と形見とか―

隠微にいやらしい淫靡の意味はないのだが、
そこはかとなくそういったニュアンスを秘めたいときに使う。

凶器を、武器と言わないでわざわざ凶器と書くときには、
使うほうに必ず非があり、その非は、なんらかの狂気を伴うものかもしれない――

という可能性をさりげなく示唆したり、知らず知らずのうちに植えつけたりするときに使います。
なんとなく感じさせる雰囲気を言外に醸し出したいときに、
作家は――少なくとも私という作家は、そういった手法をとることも多い。

片身と形見については、
短編「セイヤク」や「゛極東での若き日々”」で、
実際かなり意識的に使った経験があります。

セイヤクのときには、編者の井上雅彦先生がこの同音異語に、
すぐさまピンと気づいてくださって
「いいですね」とコメントをくださった。

゛極東での若き日々”
においては、担当編集者がむしろ全く気付かず、
「なぜ片身のようなヴァイオリンという言葉を使うのか、単にヴァイオリンで良くないか?」
小説家は書き手のプロ、いっぽう編集者はいわば読み手のプロなので、観点が全く異なるのだ。
(尚、小説家が書き手のプロで、編集者が読み手のプロという、
この認識が双方で食い違うと、仕事をする上でギクシャクしがちだ。)

で、私はここぞとばかりに、かなり熱く、
「ここは片身という語から、形見というイメージを読者にできればそこはかとなく感じてもらいたい。
実際はそうと気づいてもらえずともよい。
知らず知らずのうちに作品の雰囲気にそういう意識を浸透させたい。
そういった意図で、片身という言葉をあえて入れている。
セイヤクという短編では、そこを評価してもらってもいる。そのときのと同じヴァイオリンです!」
と力説して、小説に書いた記憶があります。

小説に限らずとも、日常において語感と語意というのは意外にも作用しあっていると思う。
まったく同音なわけでなくとも、
たとえば「姑息」という言葉を「一時しのぎ」という本来の意味ではなく、
「卑怯な」といったニュアンスで使う、
いわゆる誤用のほうが、現況、7割の日本人に浸透しているらしい。
これは「姑息な」という音の語感が、「こしゃくな」という語感と似ているからでは?

『大鴉』の詩の中でtappingという語に出会ったときに、
私は水や液体のイメージを喚起されつつ、何か打ちつける意味をまっさきに受け取った。
そのニュアンスを的確に表せたら、と思い至ったのが
「雫のしたたり落つる音」

 尚、今回、翻訳し終えた後に、
 過去の訳者の『大鴉』の詩を二編ほど、探して読んでみました。
 いずれも「ほとほとと」という語が用いられていた。
 ほとほとは素敵ですが、
 原文はthere came a tapping
 a tappingなので、1タッピング。
 一方「ほとほとと」だと複数回、物音が鳴ってるような感じが強調される。
 無論a tappingで「ほとほととした音」1セットと考えることもできるし、
 オノマトペは雰囲気音感なので、一回二回とか厳密に数えきれる数量ではないのだが。
 
betook myself to linking fancy unto fancy
「夢幻の淵へと糸を垂らして爪繰った」

「淵」という語を出さなくても訳せますが、
前述の「舟を漕いでいた」という表現と同様に、
水を意識した「淵」という語を使ったほうが、より水際としての統一感が出ます。
押し寄せてくる彼岸と此岸のせめぎあい、
夜の淵の深みのような気配が、
ムードとして色濃く出るかと。

……と、まぁそんな感じで、終始、行間に、
ひたひたと夜の水辺を感じつつ、訳し終えたわけでした。

E・A・ポー (ポケットマスターピース09)
が刊行となったのち、本の編者であり立役者でもある翻訳家の鴻巣友季子氏から
「どのような経緯で、--a tapping--を--雫のしたたり落つる音--
と、中里流に訳すに至ったのか」という質問を戴いた。

「水です」
ちょうどこのブログに書いているようなことを、長々お答えしたところ、

《いいですね。tapと水、水の雫は自然と結びつく》
と、賛同いただけてとても嬉しかった。
《ついでに言うと、rapはlapとも重なる。波がひたひた、のような》
と。

まさに、そうでした! 大鴉の原文は
…napping
…tapping
…rapping
と韻を踏んであって、
rapはラップ音のラップ、連想されるlapは波が打ち寄せる、潮の満ち引きなどをあらわす動詞です。

さらには、
《ガストン・バシュラール「水と夢」にも、ポーにおける水と死と夜についてのimageryについて書かれていた》
とのこと。

……水と死と夜……
なんと私の琴線に触れる語であることよ!
私はガストン・バシュラール「水と夢」という著作を、
恥ずかしながら、まったく知らなかったので、
――読もう!

以来、ひそかに息巻いているのだが、
いまだ実行に移せていません。


ポーの『大鴉』に関する考察的な① [は行]

エドガー・アラン・ポーについて思うところを後で補足アップします、
と、2016年6月19日付のブログに書いてから、はや4ヶ月。
夏が来て、夏が去っていったね。

小説について後で解説するのは、ネタバレを避けられない部分も多いし、
物語を楽しみたいのであって、作家を知りたいわけじゃない! という場合、非常に耳障りかと思う。
よほど伝えねばならないことが浮上してこないかぎり、
なるべく避けたほうが無難かな、というスタンスでいます。
が、翻訳については、ちょっと違う。

特に、今回のエドガー・アラン・ポー作品のように、
古式ゆかしい、すでに和訳された作品が、世の中にあまた発表されて読まれてきている、
年季のいった――言い換えれば、いろんな人の手垢もまたついている――作品の場合は。

一次創作の小説の場合(ノベライズとかじゃなくてです)、
作家は作品の世界観を構築し、登場人物をうみだし、物語を展開する。
その小説のいわゆる唯一の創造神なので、
作家同士が同じ作品の共同作業にあたるということは、まず有り得ない。
(少なくとも私は今までに一度もない)
万一、一次創作の小説において(役割分担をするにしろ)
共同作業をしなければならない事態に至るとしたら、
これはかなり不幸な状況なのだと思う。

唯一創造神がいるかぎり、仮に編集部や批評家などが変な意味をこじつけて、
本来の作品を歪曲させようとしたとしても(顕著な例だと、政治的プロパガンダに使うとかね)、
作家が「違います、正しくはこうです!」といえば、
それが絶対的な答えで、別解釈の余地はありえません。

むろん作家が「ここは読者の皆さん一人ひとりの解釈にゆだねます」といえば、
ゆだねられた読者の分だけ、答えが生ずることにもなる。

「作品としては読者の解釈にゆだねるけど、作者である自分としてはこういう意図で書いた」
と作者が白状すれば、「裏設定」になる。

作者が死んだ後に、
編集や批評家やらが「こういう意味だ」「ああいう意味だ」と、
こぞっておかしな教祖さながら的外れな解釈で売りこんだり、叩いたりした場合は、
「神を穢す」「冒涜(ぼうとく)する」という暴挙にもなるわけです。
やたらと称賛しまくるのも「下手な神輿(みこし)を担ぐ」ことに、ほかなりませんが。
で、熱心な読者やファンは、経典のようにその作品を繰り返し読んで、
あれやこれやと考えたり、思いにふけったり、浸ったりする。

いっぽう翻訳の場合は、訳者は、ふつう自分の作品を訳すわけではありません。
概して別国の、別言語を使う他人の作品を訳す。
訳者の性質は、いかに自分が、その原文の作品の理解者になれるか。
その作品を書いたときの作者(今回だったらポー)の精神を咀嚼できるか。
ポーのこだわりを一言一句に至るまで読み取れるか、とそんな能力や心構えが肝になる。
もちろん語学力が必要ですが、語学力はツールです。

で、ちょっと話がそれますが、作者が死んでいるわけではなく、超健在で、
ばっちり生きて目を光らせているにもかかわらず、
そして「すごく間違ってる、全然ちがっています。
こういう感じではないから。的外れな文章を付け加えて解釈を曲げたり、
重要な部分を大幅に削除したりしないでください」と伝えているのに、
「自分はこう訳したいから訂正は基本、受け入れたくない」というスタンスがもろ見えの、
英訳者・担当者・および英訳会社の態度は、一体どうなんだ。

日本人の作家である私が、『カンパニュラの銀翼(中里友香著)』の英訳文を
きちんと読めっこないと見くびって舐めていた、
(つか舐めている)としか考えられない……。

おかげで徒労感やら腹立たしさやらで、英訳チェック(2度目)に、ものすごく気骨が折れて、
ストレスホルモンのコルチゾールが大量分泌されそうになるので、つい後回しになる。

で、ポーの翻訳です。
ポーが生きていたらポーに訊けるが、1849年10月7日に亡くなっています。
(アメリカは1849年当時すでにグレゴリオ暦だから、当時のちょうど今くらいの季節に死亡です。)
これは訳者によって当然、解釈に、ある程度の差異が出る。
言語の誤差や間違いは簡単に正せようとも、
解釈の誤差は、もはや簡単に正せる云々できなくなっている。
ポーに関しては純粋に楽しむだけでなく、研究している人などもいるので、
訳者・中里友香はこういう視点から、このように解し、このように訳した、
と、ある程度クリアにしておくべきか、と思った次第です。
特に詩「大鴉」は――。

短編「告げ口心臓」は、原文自体がシンプルだから、
さほど、訳者の視点や特色に大きな差は生じない、と楽観視している。
……いや、その『告げ口心臓』ですら、かなり見解の相違があった。
わたしは「やみのいろ」というエッセーで書いたように解釈しています。
つまり「自分を正常だと盲信している狂人の詳細な自供」と。
(ポーはこのほか例えば「ウィリアム・ウィルソン」という短編などでも、
信用できない語り手である主人公が自縄自縛に陥るブーメラン的オチをよく使っていますよね。)

その「告げ口心臓」が『ポケットマスターピース E・A・ポー』の巻末にある池末陽子さんの解説だと、
「超自然的方法での犯罪の暴露」
正反対ともいえる解釈の仕方で、
へーえ……あれを魔訶不思議系な事象として解釈するのか……と驚いた。
(無論どっちにも読み取れるように訳しています。)

『大鴉』の詩に関しては、ポー自体が机上に10年以上、ずーっと置いておいて、
その間、長らく放置していたり、
かと思えば、ああでもない、こうでもないと、こねくりまわしたりした挙句、
書き上げた代物なので(……と、ポー自身があとで語っているのが残っていたかと)、
さらっと読んで内容を訳せば済むという詩ではない。

行間に何があるかを感じ取っていくわけです。
だからこそ訳者によって差異もあろう。ポー自身、行間になにがあるかを感じ取らせたいと思って、
書いた部分も多々あろう、と。

なお昨今、
「英語は本来、文章にして書かれていることを、真っ直ぐそのままに受け取る文化でなりたっている。
日本人は行間を読もうとするからこじれる。曲解して、意味が順当に通じなくなる。よろしくない」
という見解と、
「何を言ってる、read between the lines:行間を読むという表現の語源は、もともと英語だぞ。
英文こそ行間を読んでなんぼ」
という主張とが、飛び交っていますね。

私からすると「どっちも正しいよねー、ケースバイケースだよねー」という感じです。

学術論文や新聞記事、ビジネスレターやレポート(報告書)などは、
書いてあることをまず吟味するのが大前提であり大切です。
書いてある内容を精査もしないで行間を読もうとするのは、
筋違いだし、怠慢だし、ほとんど無意味か、悪影響すらある。

いっぽう、詩とか手紙文とか創作物に関しては行間を読むことは大切だし、必要でもある。
詩に関しては逆に、
大げさに言えば、行間を読ませるために原文が構築されていたりもするくらいだ。

ちなみに日本人がよくやりたがるのは行間を読む、ではなくて、
正確に言えば「裏を読む」だと思う。

古来、日本語の表現に「行間を読む」という言い方は、もともと無かったのでは……? 通じますが。

かわりに、表層的な文面にばかり気を取られていないで、裏まで読む!
という「眼光紙背に徹す」なる表現が古くからありますよね。
(ちなみに私は、この眼光紙背という語が大好きでな。)

この「眼光紙背に徹す」を英文に訳せよといわれたら、
read between the linesを使うのが妥当かと思うし、
逆もまたしかり。
なのだが、厳密にいうと「行間を読む≒裏を読む」であって。
似てるけど違いますよね。
ただ文化的な習慣も考慮すると、この双方が匹敵する。

……長くなったので~続きます~

尚、参考までに


2016年夏アニメの復習(備忘録的な) [最近のお気に入り]

当初は週6本くらい録画予約をしていたのだが、
最初から最後まで毎度、楽しみにして見終えたのは、
(以下順不同)
・モブサイコ100 
・ベルセルク(1期)
・テイルズ オブ ゼスティリア ザ クロス(1期)

上記3本、すべて私としてはダークホース的な作品で、
とりあえず録画しとこう、キャストが豪華だし、
とか、
今さら漫画本を一から読むのは気合が要るからアニメで慣らして、
とか、
絵がきれいだから……
みたいなわりと軽率な理由で、
暇だったら見よっかな、くらいな心構えで見始めたのだった。良い意味で想定外の結果に。

反対に、かなり期待していたアニメが、
なんか合わない、時間が惜しい……。
と、視聴継続を断念する作品もあったりで、前情報から受ける印象なんてわからない。

面白かった3本は、蓋を開けてみたら、
超絶ゴアなダークファンタジーだったり、
剣とドラゴンと白魔術……スーパー王道ファンタジーだったり、
日常異能者学園ものかと思いきや……正統派SFサイコものであったりと、
よくも悪くも、自分の嗜好を目の当たりにする結果に。

自分の好きな分野の作品が、良い質と出来に恵まれることが、そうそうあるとも限らない。
ラッキーでした。

それからベルセルクのセルピコの声が、
聞き覚えがあるけど、思い出せない……
と、キャスティングを確かめて初めて、
(あ……うちの初期刀だ*……)
と、気づいたときの驚きよ。

*