So-net無料ブログ作成
検索選択

宗三左文字@江戸博 [さ行]

先週ですが、江戸東京博物館の「戦国時代展」にて、
友人と、宗三左文字を見にいってきました。
平素は京都の建勲神社に奉納されている宗三さんですが、二週間ほど東京に出張展示なので、
こいつを逃すわけには行くまい。

戦国時代展は全体的に大河ドラマの「真田丸」を意識した構成だったように思います。
といっても、わたしは真田丸をちゃんと視聴していないので、想像で言ってます……。
あの辺のイベントや小道具にスポットを当てていたような……まあ戦国時代展ですし。
花押とかもありましたよ。
展示物は、かなり文書中心だった気もする。

以前おなじ江戸博の「大関ケ原展」で、出張展示の蜻蛉切や骨喰藤四郎を拝んだ時には、
当時の文書もけっこう読めるもんだなあ……やはり日本語だから相当、見当がつく、
そう感じたものだったのに。
今回は皆目わからなかった。
現代文訳が添えてあっても、
どれが、どこの文のことをいってるのだ……と、じっくり解読する気も失せるほどに。

鎧甲冑は、いつ見ても見栄えが良く、存在感があって、渋いけれど華があります。
やっぱり戦場は武士の晴れ舞台だったんだなあというのが、ひしひしと。
梶の葉のモチーフが大きく兜に角状にあしらわれている甲冑が、
相当、恰好良かったです。

屏風絵巻なども金色が鈍光りしていて、雰囲気があるのですが、
全体的に会場が暗すぎた。いまひとつよく見えないのだった。
おそらくは焼け防止で仕方ないのだ……。

お目当ての宗三左文字こと義元左文字は、
木曜の三時過ぎ、わりとすいていて、きちんと見られました。

とにかく展示会場が仄暗いので、
なにもかもを目を凝らしてみる感じだったんですが、
遠くからでも、左端の茎のところに彫り込まれている金象嵌が、
ところどころ鈍光りして、瞬くように目について、ハッとするのであった。
これ、宗三さんじゃない……?

近づいてみると、瞬くように見えたのは金象嵌の剝げ落ちている部分が欠落して映るために、
かえってキランと、気を引くように浮き上がって光っていたからのようで。
何月何日に義元を討ち捕ったり、といった旨が、
ばっちり刻みこまれていた。

暗いうえに、正面しか見えない展示方法になっていて、
裏はおろか、
切っ先側から、刀身の反りの美しさを確かめたりとか、
切っ先の鋭さをなめまわすように眺めたりとかできないので、
刀身とか刃よりも、とかく茎に彫られたその金象嵌が印象的でした。

たしかその金象嵌の刻印を入れる際に、磨り上げられたんでしたっけね?
そのせいだろうか、それとも明暦の大火で焼けたあとに打ち直されたからなのか、
刀身自体は、刃こぼれや使い込んだ感はまったくなかった。

横に大太刀が並んで展示されていて、
太郎太刀のようなえげつない大きさではないけれども、やはり相当に段違いで、でっかいので、
対比で、宗三左文字は端正に凝縮された、小振りの刀剣といった印象でした。
端っこにあったせいなのかもしれません、なんとなく、頑なな雰囲気と仏頂面な佇まいだった。

戦国時代展のあと、常設展も見ました。
かれこれ17年くらい前に人からいただいた、常設展の招待券がタンスの奥から出てきたので、
期限日が入っていないし、
「ひょっとしてこれ、もしかしたら、使えるかもしれないじゃない?」
ドキドキして試したみたら、呆気ないほど全くなんの問題もなく使えたのでした。
通貨並みだな!
すごいな江戸博。

しかも端をもぎらないで、スタンプを突いて招待券を返してくれるのだった。
あなたも、もしもタンスの奥から大昔の招待券が出てきたら、捨てる前に一考を!

で、中はがらがら。
内容はいろんな予算を惜しみなく、つぎ込んだ感がありありとしていて、贅沢で見ごたえが。
豪勢な展示が多く、羽田空港にあるような日本橋の再現とか。
吹き抜け構造が、趣向を凝らしてあるし、退屈しない緩急ある作りこみになっています。
ジオラマもちゃちくなくて、見るからに見栄えのする数々の縮小風景があれやこれやと。

実際のお姫様の駕籠などは、漆に金にと、これでもかという贅を至るところ上品に尽くしてある逸品で立派。
駕籠ってこんなに綺麗なのか。大名の姫様の駕籠だから?

復元されてある、もう少し質素な駕籠(姫様の駕籠がリムジンならば、軽自動車くらい?)には、
実際に乗りこんでみたりもできます。

解説もわかりやすく、かといい子供向けになりすぎたりしていないので、
見方によっては、かなり楽しめます。
夕方に行ったせいもありますが、閉館になってしまって、最後まで見きれなかったので、
広いのかもしれない。
穴場といった感じでした。

続きを読む


竄透性(ざんとうせい) [さ行]

竄透性(ざんとうせい)という言葉があります。

旧字体の医学書などに頻出する用語です。
薬による特有の香気や臭気をあらわすときに、よく使われている。

いまは亡き祖父母の残り少ない蔵書に『藥種商全書・完・第五十四版』という薬の事典があって、
昭和13年9月15日第54版(初版は大正4年10月1日)、
私のお宝なのですが、
そこで見られる[竄透性]の語が用いられている箇所の、一例がこちら。
(旧字体は現仮名に直しています。)

[クレオソート] (中略)ぶなタールを乾溜(蒸し焼き)して製る。(中略)
形状 無色か或は微かに黄色のある澄明油状の液で、強く光線を屈折し、味は灼(や)かれる様、 竄透性の烟臭を有す。(後略)


この「竄透性の烟臭」ってどんなにおいなんだ、ですが、
端的に言って、正露丸のにおいです。
薬種全書に、烟臭とは煙臭いということで、火事場の跡のにおいである、と書かれていた。
当時の木造家屋の火事場の跡のにおいは、正露丸のにおいがするんですな。

ウィキペディアの、日局クレオソートを引くと、
上記のクレオソートとよく似た記述が出てくる。

抜粋:日局クレオソート
「ブナなどを乾留させる(通常では木炭を作る)際に水蒸気とともに留出する油層(木タール、水を主成分とする上澄み液がいわゆる木酢液)を蒸留して得られる、淡黄色透明で燻製のような臭いのある油状の液体で、代表的には止瀉薬である正露丸の有効成分として用いられている。]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%B1%80%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%88

よく似た文章なのに[竄透性]の記述だけが、すっかり抜けている。
この[竄透性]、ちゃんとした言葉ですが、昨今の文書で見かけない。
それどころか、広辞苑や大辞林など、
いかなる辞書や辞典などにも、言葉が全く載っていない。
(ブリタニカ百科事典は未確認です。)

なんということだ……。

たかだか数十年のうちに、言葉が消える。
流行語とか俗語ならばともかくも。
辞書とは、言葉の意味すなわち言葉の魂を正しく召喚する道具であるから、
辞書が意味を載せなくなったら、言葉の生存率は圧倒的に下がる。
魂を見失った言葉は、この世に存在できなくなるのと、ほぼ同義。

抹殺されてもやむを得なかった言葉——現代では概念自体が存在しない、
あるいは差別的な意味合いが濃厚だとか、もはや使われていない漢字を用いているとか、
そのいずれにも当てはまらない。
なのになぜ消えた……。

数十年足らずで、れっきとした素性の言魂が殺されてよいものか。

言葉狩りに遭ったというよりは、単純に、
「専門用語的に使われることがもっぱらで、
日常で頻繁に使う言葉ではないから、知らなくても困らない。辞書に載せる優先順位は低い」
というだけの理由で、後回しに、黙殺されているうちに、
ここ数十年間で、ほとんど存在の形骸しか残らない語と、化してしまったのではなかろうか。

超、かっこいい言葉なのに。
絶滅危惧種:レッドデータ用語を保護したい、
わたしの言葉に対する庇護欲とも憤りともつかぬ熱意が、沸きあがることしきりです。

[竄透性]は、ほかにもクレゾールなどのにおいを表すときにも使われています。
粘膜を刺激して涙が出そうになるような香気および臭気のときに頻出する。
ハッカ油(メンソール)なんかの香気の描写にも使われている模様。

においのたぐいだけでなく、
たとえば、
→保存齒科領域で專ら使用せられる各種藥物の竄透性に就て
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1780636?tocOpened=1
国立国会図書館デジタルコレクション - 臨牀歯科. 14(6)

→淋巴に於ける固形成分の増加の由來に就て竄透性大なる肝臓毛細管機能に着眼せりhttps://www.jstage.jst.go.jp/article/fpj1925/33/2/33_2_150/_pdf

等々。
意味は、ですから辞書を引用して説明できないので、
私が一から説明せねばならないのだが、類似の言葉として、
「滲出性」があるかと思う。

しんしゅつ【滲出】
( 名 ) スル
①液体などが外へしみ出ること。
②炎症などの際、血液成分が血管外に出ること。 〔同音語の「浸出」は液体につけた固体から成分が溶け出ることであるが、それに対して「滲出」は液体などが容器や血管の外へしみ出ることをいう〕
~大辞林 第三版~

滲出性というと、
しんしゅつせいたいしつ【滲出性体質】が、
→外部刺激に対して異常に過敏で、滲出性反応を起こす体質。(後略)~大辞林 第三版~

ですので、滲出性:外部刺激に対して異常に過敏で、滲出性反応を起こしやすい性質。
と言えるかと思います。

[竄透性(ざんとうせい)]は限りなく、この[滲出性]に近いか。
ただ滲出性は、おもに液体が外に滲み出ることをいうわけです。
いっぽう[竄透性(ざんとうせい)]は、
液体も気体もどちらでも使えます。
むしろ気体の時に使うのが一般的とすらいえる。

竄透性の竄は改竄(かいざん)とかの竄です。
「竄」は改めかえる意である。
「改竄」と辞書を引くと、そう説明が載っています。

漢字の様子からしても、
[竄透性]=[滲出性]+α(濾出と揮発と浸透と遊走の性質を掛けあわせ、割ったようなニュアンス)
ではないかと。

総じていろいろを鑑みた結果、
[竄透性]=exude(動詞)の兆候が強いこと, effusiveたりうる。
こんな感じが意味として妥当だと思います。
(当初、横文字の薬理系論文の直訳語として使われていたのかなと、思えたりもしたもので。)
effusiveは、ほとばしる状態、
exudeはhttp://eow.alc.co.jp/search?q=exude(英辞郎・日本語)
exude:https://en.oxforddictionaries.com/definition/exude(Oxford Dictionary・英語)

ざっくり言うと、滲み出る+染み出る+発散する+発露、という意味合いになりますが、
言葉の性質上、
[竄透性]は、やや不穏な感じがつきまとう場面で、用いられがちな気がする。

――ここは竄透性と使ったほうが、
時代性や信憑性や説得力、特有の空気感がより色濃く醸しだされる――
そんな場合において、積極的に使っていきたい。
それが絶滅に瀕した言葉に対する救済措置であると、
意気込んでいます。


共通テーマ:

チェルノブイリの石棺 [た行]

チェルノブイリの石棺補修工事、ようやく形になったとか。

(この作家なんでいきなりこんなこと語りだした、と思った方は、
 これは『黒十字サナトリウム』関連の派生ネタですので、ひとつ。)

2016年11月29日に、新しい姿が公開になったという記事。
http://www.afpbb.com/articles/-/3109574?pid=18516454

当初もっと早くに補強ドームが完成予定だったわけですが、
掛かりますね、歳月。

ウクライナの国立大学であるキエフ大学には、
チェルノブイリの原発事故関連を専門に研究する部門があると、聞いたことがあります。

たぶんキエフ大学のTraining-research center of radiation safetyというのが、
チェルノブイリ原発事故の専門研究部門にあたるのではなかろうか。
ただキエフ大学、英語なのは表層部だけで、リンクを飛ぶと思いっきりキリル文字……。
http://rb.univ.kiev.ua/
Training-research center of radiation safety
(中はがっつりキリル文字で、私には一ミリも理解できない。読めたらかなり興味深そうなのに。)

30年経ったチェルノブイリ原発事故ですら
いまだ全然解決できてはおらず、
研究して対処していかなくてはならない問題が、山積みなのだろう……。
ウクライナは現況、政情不安定な国ですし、
猶更、荷が重そうな、現在進行形の負の遺産です。


飛行機乗りは絶対白シルクのスカーフを巻く [は行]

軽さ重視で丈夫かつ防寒具として最適で、着用している人に負担をかけない、
とすると、飛行機乗りが身に着ける襟巻は当時シルク以外に無かったらしい。

たとえバーバリーのCMであっても、
そこんとこはゆるぎない。
お決まりのバーバリーチェックにしないで、
飛行機乗りお約束のシルクの白いスカーフを巻いているのだ。

フェスティブフィルム・バーバリー
https://youtu.be/6D5IZtDCS5c

バーバリー最盛期は、好みの時代性です。

当時は落下傘も全部、シルクなんですよね。
イタリアの白黒映画『ブーベの恋人』で、
しょっぱなに「落下傘のシルクの余り布が手に入った」と、
ブーベからシルクをもらって、クラウディア・カルディナ―レ演ずる主人公が、
そのシルクでノースリーブのブラウスを縫い、次にブーベと会う時に、着て見せる。

https://youtu.be/WQVIILIZE5M
La Ragazza Di Bube 부베의 연인 1963 OST
英語字幕でも日本語字幕でもほとんど出てこないのだが、ハングル語で出てきました。
当方、ハングル語字幕がまったくわからないのが悔しい……。

日本が絹の原産地だったのと、
おそらくは必要とされる落下傘の数が桁違いだったためもあると思うが、
連合軍側はシルクで賄えなくなって、ナイロン製パラシュートに移行していくらしいのですが……。

イタリアは枢軸国側だったから、シルクの落下傘だったのかな。

いい兄さんの日 [あ行]

今日は「いい兄さん」の日らしいので、
私が「いい兄さんだ!」と思うランキング上位3位を挙げてみた。
尚、自作品のキャラは除き、完結している作品に限っています。

1位:エドガー・ポーツネル
   (「ポーの一族」)
   高一の時に友人のお姉さんから借りたのが初読でしたが、
   生まれて初めて出会う衝撃の「いい兄さん」だった。
   それまでは大体、兄さんというと、妹や弟に意地悪したり、よくてお味噌扱いにしたりで。
   また歴史上の登場人物だと兄が弟を殺し、
   妹を政治利用したり、セクハラ・パワハラするのがデフォルトなので、
   エドガーは衝撃のいい兄さんだった。

   妹や弟キャラは明らかに今ほど市民権を得ていませんでしたしね。
   私がポーの一族を読んだのは、既にオンタイムより遙かあとになってからですが、
   当時ですら、妹や弟は、兄にまとわりつく生意気なウザキャラで無力という扱いが多かった。
   兄は圧倒的父兄力、家督力を持っていたから、
   しもじもの弟妹は可愛がられるといっても、子分とか、よくて家来同然で、
   兄役の優しさ、懐の深さのステイタスを上げる記号としてのみ、存在していた感がある。

   弟妹は本来なんの疑問もなく邪険に扱ってOK、ことと次第によっては虐げてもかまわない、
   という構図に、読み慣れていた。
   だから妹メリーベルのために身を投げだす兄さん像には、天と地がひっくり返ったのでした。
      
2位:ルルーシュ・ランペルージ(ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア)
  (「コードギアス反逆のルルーシュ」&「コードギアス反逆のルルーシュR2」)
   ほぼすべての行動の原動力は、ハンディキャップを負った妹ナナリーが生きやすくなるよう、
   世界を創りかえる……ですから、濃い。すごい。
   この一点は何があっても全然ぶれなかった。終始一貫していて胸を打った。
   いい兄さんだが、同時に、食えない悪い弟である点も大変良かった。

3位:ユリスモール・バイハン
  (「トーマの心臓」)
   ユーリに妹がいたのを忘れてはいけない。病弱の妹がいるんですよね。
   
   待ってね これがあたしよ
   それはハトだよ
   ハトなの

3位までのうち二人の兄さんが萩尾望都の作品だった。
この手のレトロ漫画の兄さんというと、
「キャンディキャンディのステアがいるじゃないの!」と思われるかもしれないが、
私は断然、弟のアーチ派でしたので……。

圏外だけれど言及しておきたいのは、タッチのたっちゃんですが、
あの二人は双子ですから、正確には兄とは少々言い難い。

ナルトのイタチは「実はいい兄さん」だったオチですが、
それまでの「おのれイタチ!」の刷り込みが凄かったので、
今一つ、実はいい兄さん展開に、私は乗り切れないままでいました。

ハガレンのエドは……(この作者、絶対に弟がいますよね……)
と、わかる感が作品に滲み出すぎていたので、ちょっと……。
エドってば、弟の存在によって自尊心が確立している兄さん感が、やや鼻につきました。
アル(弟)は、あくまでエド(兄)の優しさとか強さとか家族愛とか責任感を引き立てるためだけに、
登場させられてる感が強すぎた。そんな弟をもってして、エドをいい兄さんとは少々呼び難い。
作品は文句なく好きです。エドも決して嫌いではない。

輪るピングドラムの冠葉と晶馬は、病気の妹の陽毬のためになんでもする。手も汚す。
ただあの関係性は、三人とも赤の他人なのを承知しながら、
新興宗教テロがらみで、親に捨てられた子供が疑似家族をやらされていたのが本来の姿だから、
果たして「いい兄さん」としていい定義はなんだ? 
となるので、やむなくランク外としました。

「火垂るの墓」の主人公・清太は作中で類を見ない、
痛々しいほどのいい兄さんぶりをみせる訳なのですが、
作者野坂昭如は実体験をもとに、贖罪として作品を描いたらしい。
実生活においては、野坂昭如は幼い妹を殴りもし、食べ物をぶんどり餓死させた、と。
これは有名で、私は中学生のとき国語教師から聞かされました。
こんなまとめもありますね→https://matome.naver.jp/odai/2137860240391360001?&page=1
原作者・野坂昭如が語った ジブリ作品「火垂るの墓」の真実 - NAVER まとめ

そもそも、清太さん、もうちょっとだけ辛抱できなかったのか、
わかるけど、わかるんだけど、あのさもしい意地悪伯母さんにもう少しだけ我慢できなかったか、
節子のために……節子のためよ……と。
複雑な心境になって、素直に、いい兄さん認定できない。

いい兄さん同3位に「ハンター×ハンター」のキルア・ゾルディックも挙げたいところなのですが、
完結してませんので。
キルアは、いい兄さんという以前に、
言動が謎な妹アルカ(弟?)の一番の良き理解者であるのが素晴らしい。
と同時に、兄のイルミやミルキからすると、
キルアがすんごい扱いにくい、異端児で厄介な弟である点も目が離せません。


なお鍛刀小烏丸は我が本丸にもちろん来なかった [最近のお気に入り]

アニメ刀剣乱舞・花丸では、短刀キャラの幼さが強調されて、
のきなみこぞってみんな可愛い。無邪気の塊でほっこりする。
よきかな……よきかな……しきりなのですが、
ゲーム内の短刀はもっと何百年も存在してきた感、
己の刃で人を殺めたり守ったりしてきた矜持を全面的に出しているので、
そういう方面がちょっと懐かしくなった時にぴったりな動画。

左文字三兄弟はゲーム内でもキャラのタッチがほかの刀剣と比べて、やや異色なので、
最初はとっつきにくかったが……。

三兄弟の経験してきたものと目指すものが相反しまくっているので、
三者が膝を突き合わせると、角を突き合わせることになりかねず、
三者がそれをよく理解しているからこそ、
花だの、柿だの、本丸内での噂話だのの世間話に終始するしかない。
目指すものは違うけれど、お互いの在り方を尊び、相手をいとおしく思っているので、
あるいは寡黙になるしかない……といった感がほんと尊い。

実際には三者が抜刀するタイミングは絶対に異なるはずで、
だから三兄弟が抜刀してからの後半のシーンに、
おおおお!


【ニコニコ動画】【刀舞祭:出陣】左文字モノポリー【手描き】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm29087946

絵のタッチが素敵で左文字愛に溢れてる。
そこはかとない中二っぽさが、良い意味で絶妙ではありませんか。
最後に蝶が蜘蛛の巣のしがらみに囚われるのが意味深。
そもそもこういう世界観が大好きだ。

動画が左文字愛にあふれてるのみならず、
コメントのおびただしいまでの左文字愛もすごい。
いちいち頸椎ヘルニア再発しそうな勢いで頷きたくなるものばかりだ。
(おもに――復讐を 権力を 平和を――のコメント)

ところで宗三左文字が抜刀して剣を振り切るときの、
右足の脛のポーズが個人的にグッとくるのは私だけなんだろうか。


言わずと知れたこと [あ行]

では君はアメリカではなんの差別もされずに、心地よく暮らせたんだね、
カリフォルニアは楽園だなあ、
みたいに思っていただいて、半分は正しいけど、
半分は違うかな……と思うのでちょっと付け足しておきます、念のために。

暮らしていく上で、英語を上手く使えない人間に対する白眼視みたいなのは、ものすごく感じました。
英語を上手く使えない人間に対して、心が広かったり優しかったりする人のほうがまれです。
単純にすごい冷たい。率直に物凄く見下されます。
下手するとすごく意地悪な対応や、不誠実な対応をとられかねない。

……おのれ!
と思ったことが無いかといえば、そんなのあるに決まってんじゃん。

留学生同士で、
「母国語しかしゃべれないくせに。母国語の英語を話せるからって一丁前な面して、
どうしてああも威張れるものなのかね。世間知らずってみっともないよね。
英語を上手く話せれば偉いのかよ。ホームレスだって流ちょうな英語しゃべってんじゃん」
と、よく愚痴っていました。

むろんアメリカには、複数の言語を思い通りに扱える人は多数いるけど、
そういう人は概して、英語が拙い相手を決して見下してきたりしないのだった。
超絶寛容だけど、なんでだろう……とか思ってると、
実は両親がアルバニア人で移民二世なんだ、とか。
すごく辛抱強い、なんでだろう……とか不思議な顔をしてると、
実は父親がドイツ人で母親がユダヤ人なんだよ、とか。
あるいは、私は留学経験があるの、
小さいころ海外在住経験があってさ~等々。

逆に言うと、両親がアメリカ人でアメリカ生まれ、英語が喋れない人が身の回りに居ないアメリカ人、
つまりいわゆる「普通のアメリカ人」は、
英語でスムーズなコミュニケーションをはかれない相手をもれなく嫌がる。
大学の教授であっても例外はない。
そう思って、さほど間違ってはいないはず。

英語が下手だと半人前扱いなのは事実ですが、
英語は慣れればある程度、使えるようになる。
おかげで英語が否応(いやおう)なく上達する部分も大きい。
何より、ちょっとやそっとじゃ、心が折れなくなりますし。

人種や性別とちがって、生まれもった存在の根源を見下されたり、
不利益や不自由がデフォルトとして定着している、そんな差別を受けるわけではありません。
気候もいいしね。
そういう点では本当に暮らしやすい所でした。
少なくとも私が住んでいたときは。

ヒラリー独走だとつまらないからマスコミがトランプをすったてて大統領選を盛り上げたツケ [は行]

政治のことは語らないようにしていますが、日本の政治じゃないので、ちょっと。
もちろん私は、
次期アメリカ大統領はヒラリー・クリントンになってもらいたかったです。
(日本人はまあ大抵そうでしょう。)

私が留学していたのは2000年前後ですが、
その時に「アメリカ大統領になれない」ガラスの天井、
たとえどれほど有能であろうと、才覚に恵まれていようとも、
低く設定されたほかの人には見えないガラスの天井に頭がつかえて、
絶対に上に行けないと言われているのが、次の二つのマイノリティでした。
・黒人をはじめとする有色人種
・女性

上記のガラスの天井がある、二種のマイノリティについては、
大学の講義などでも、当然のように語られていたし、
アメリカの一般常識でした。
(併せてフランクリン・ルーズベルトが生涯、車椅子だったことも必ず引き合いに出されるものだった。
……身体的なハンディキャップを持っていても、アメリカ大統領になるにあたって、
半人前扱いされたりはしないのだ。白人男性であるかぎりは、と。)

で、私は、
「いやいや……いくら同じマイノリティといえども、黒人をはじめとする有色人種と比べれば、
女性のほうがまだチャンスあるでしょ。白人女性に限るだろうけど」
と思っていました。
私はカリフォルニア州に住んでいたので、
リベラルな州だし、古くから日本人街のリトルトーキョーがあったりしたお土地柄だから、
差別らしき差別を感じたことはありません。
(というか日本よりも圧倒的に、女性というジェンダーでいるからといって不利益を被らない。)

そんなカリフォルニアでも、黒人はやはり差別されがちなのを知っていた。
低所得者層のかなりが黒人で占められていて、
犯罪者の大半が黒人あるいはヒスパニック系。
これはアメリカで生活していると歴然とわかる事実です。
多くは貧困だから犯罪を犯すのであり、貧困は差別に起因する部分も大きい。

私の通っていた大学(大学院ではなく大学のほう)は、
異常なほど安全でしたが(キャンパスは日本より安全だった)
黒人が極端に少なく(日本人留学生よりも断然少ない)、中産階級の白人が圧倒的過半数でした。
黒人=治安が悪い、犯罪と近い、という印象はぬぐえなかった。

でもオバマ大統領になったときに、
アメリカはガラス天井を一つ突き破ったんだなと思いました。
……と同時に、
あの時点では、民主党内でヒラリー・クリントンが大統領候補に選ばれなかったわけで。
有能な白人女性と、有能な黒人男性ならば、有能な黒人男性のほうがチャンスがあるのか……と、
ちょっと愕然としたりもしたものでした。

でもそれから数年。
今度こそ、きっと! と思いました。
ヒラリー以外に適任な女性候補がそうそう出てくるとも限らない。
女性なら良いという訳でもありませんからね。お飾りじゃないんだから。
大統領の器を持つ経歴と実績がないといけません。

アメリカは王族や皇族がいないので、首相ではなく大統領――この大統領制というのは、
国家の王様を投票で決める民主政治と考えるとわかりやすい。
大統領は、ものすごい権限を持っていて、
数日間なら独断で軍隊を派遣したり、外国を爆撃とか余裕で出来ます。
党や議会や裁判所などの賛同や承認を得られなくともです。

もちろん、すぐ退陣要求をされたりするだろうけど、
退陣を覚悟してなら、政治的にできないことはない。
大統領命令は~絶対!
(よく映画とかで「これは大統領命令です!」という台詞を聞きますが、そういうことです。
 問答無用で、逮捕も恩赦も意のままに、なんだってできるんですよ。勅令なんです。)

ドナルド・トランプはぶっちゃけわりと犯罪者……すくなくとも犯罪者予備軍なので、
きたる1月20日の大統領就任式までに、
たとえばこんな裁判も控えているはず。
→トランプ氏、不動産スクールの詐欺訴える集団訴訟阻止できず
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-08-31/OCR4QW6JIJVH01

こんなのは序の口で、叩けばもっと埃が出るはず。

なので1月20日に就任式が行われるまでは、
本当に大統領になれるのかどうか、私は疑問視したいところです。
(ものすごく私個人の希望的観測の織りこまれたフィルターを通した、しかし曇りなき目で主張)。
トランプが暗殺されるかだってわからないですしね。
べつに、暗殺されればいいなあと思っているわけではありませんよ。

大統領になったとしても、ニクソンのウォーターゲート事件的なスキャンダルがすぐ起きて、
任期を全うせずに、退陣を余儀なくされるのではないか。
としたら、アメリカの大衆が一度は通らなくてはならない、通過儀礼だったんだね。
ヘーゲルの弁証法でも、世情や世論はアップダウンを繰り返すといわれているから、
民主党の大統領が立ったあとは、共和党が大統領になるっていうのが大体の世情の流れで、
こればっかりは避けられない時の運。
そのアップダウンを繰り返すうちに、是正されていくのだから、
もうひと手間掛かるってことなんだろう。
そうだそうだ、きっとそうだね。

べつにアメリカの政治なんて、お前には関係なかろうと思われるかもしれないが、
アメリカがそんな政情不安定で、ユーロもBrexitで不安定なので、
日本円を買う動きが出るのは当然。で、円高に。
円高になるとTOYOTAなどのアメリカ市場を席捲している大企業の株が暴落しやすい。
トヨタをはじめとする大企業の株価が下がると、連動して日本株が全体的に無茶苦茶さがる傾向が。
株価が下がって不景気になると、小説業界はまっさきに苦しくなるんですよ。この桶屋エフェクト。
切実です。

円安になりすぎても、外国旅行や留学などがきびしくなるので、
1$=110円~115円くらいだと、良いバランスで正常に経済が回る、
というのが個人的な見解なのですが……。
(現在1$=105円。)

アルケミスト的要素? [あ行]

先日、ゲームが開始となったDMMの文アル(文豪とアルケミスト)、
始めてみましたが私は早々に脱落。
個人的に、この文豪の顔ぶれにして、
なぜ梶井基次郎、岡本綺堂、小栗虫太郎、坂口安吾らが居ないのか……。
(三島由紀夫が居ないのはやむを得ない。おそらく著作権が切れた文豪を集めているはずだ。)

別に上記の文豪の作品の熱烈なファンではない。
二~三の作品を齧ったことがある程度だけれど、
しかし、梶井基次郎は……
桜の樹の下には~という、
ゲーム的にも美味しそうな名文を編み出した彼がスルーされてるのは、いただけない。
春に新規投入とか、そういう段取りでしょうか*。

文豪が、弓やら刀、銃や鞭で戦うのが頭悪そうで違和感がすごい。
(当時の文豪なんて無茶苦茶インテリやくざな文化人なのに。)
教師をやってた文豪が鞭(教鞭にちなんで)とかなら合点がいくが、
そういうシステムでもなさそうです。
(たぶん、当時の対象読者層の広さ=標的にちなんでいるんだと思うのだが……。
 大衆小説=鞭、純文学系小説=刃、
 随筆や詩や小説など混合技=弓、詩や児童文学=銃……かな。)

文豪ってば、潜書のたびすごい勢いで空腹になるけど、
[おにぎり](にぎりめし)ばっかり食べてるからでは。
いまに脚気になるぞ。図書館にこもって潜書ばかりさせられるんですし。
きょう日、人じゃない刀剣男士だって幕の内弁当を食べられるというのに……。

そもそも文豪の格付けだけど、これなに知名度順?(怒) 
特殊会話が発生しても、あとで聞き直すことができない仕様なのは、
おそらく今後、変わってくるとは思うけど、
いろんなモヤモヤが納まらないので、続けられなかったのでした。

おそらく一番の違和感の理由は、文豪およびマーケティング対象の設定年齢が、かなり低め?
と感じられる点だったかもしれません。
多くの文豪が夭折なのは知ってるけど、没年齢に合わせているわけでもない。
新見南吉とか宮沢賢治とか……児童小説を書いた文豪が少年的ルックスなのは、
理解の範疇といえども……。
いかんせん皆、見た目が似ている。
(似ていてもアニメ・ジョーカーゲームみたいな絵面であれば私も頑張った。)
服装と髪型、小道具などで区別をつけようとするのだが、
だんだんと、もはや声だけが頼りになって――
あ☆髭切だ、あ☆三日月、あ☆エレンだ、あ☆花沢輝気、あ☆マスタング大佐!

数日で脱落したので、断定的に何一つ語れませんが、
小林多喜二と高村光太郎が良さそうなキャラでした。
一番レベルを上げたのは国木田独歩(弓)。
弓と銃は使い勝手が良く、刃と鞭はいまひとつ頼りにならない印象。
有碍書の潜書風景は完成度が高く、素敵だった。
文豪の内番的装いや、冬場の景種に、お炬燵などがあったなら、
或いはテンションがストップ高だったかもしれません。
ただしこのゲームは設定が図書館と司書室がメイン。生活感が覗くことは無さそうです。

*


亀甲貞宗@東博 [か行]

端的に言うと、国宝・亀甲貞宗の刀は繊細かつ端麗。
一見して、胸打つような白刃の光沢が、やや繊弱な印象、
どちらかといえば細身で、スッと筋が通った感じの反りが、
おおお、国宝。
……という気品あふれる美しいたたずまいの一振りでした。

ゲーム刀剣乱舞の亀甲さんについては、私は10月15日くらいにゲット。
我が本丸しては上々の出来!

その少し前に太鼓鐘貞宗、通称・貞ちゃんをイベントマップでゲットし、
あとはひたすら明石国行……明石国行……。
うわごとのように、明石……明石よ……いい加減にもう、へそ曲げてないで出てきてくださるまいか。
イベントマップ2面を突撃しつづけ、ようやくゲットしたのでした。
実装2015年5月1日から、ほぼ一年半の年月を要して、やっとか!
イベントマップは難易度が低かったので、惰性でプレーしていたために、
明石の顕現場面を思いっきり見逃す……。
ともあれ来てくれて嬉しい、明石国行! 
三条大橋をどれほど往復しただろうか! 明石狩りの間に、どれだけの刀剣がカンストしていったか。
どれだけ検非違使が出て、どんだけ虎徹兄弟、源氏兄弟がお目見えしたことか。
どれだけのお守りを発動させたことか!

たびたび開催される明石ドロップイベントでも、いっこうにお目見えする気配はなく、
我が本丸においては、三日月宗近ゲットまでの期間と肩を並べる、
入手困難な、得難き刀剣であった、明石国行。
口調と台詞がいちいちツボである。
平野君となにもかも正反対すぎて、中の人が同じだなどと、知ってからも信じられない。演技の幅。

その感激が冷めやらぬうちに、(翌日でした)
すんなりやってきたのだった、亀甲貞宗。
2016年8/23に実装された亀甲貞宗につきましては、
(どうせうちの本丸にすぐ来てくれる筈ないじゃん)
気長に構えていたので、虚を突かれまして。

現時点、もっとも戦闘困難とおぼしきマップから、2カ月足らずでドロップ。
我が本丸の運を鑑みると、異例の早さ。ボスマスA勝利・20回くらいだったか。
とりあえず「こんのすけ」企業ゆるキャラ上位記念、ドロップ率倍増キャンペーンに感謝。
重畳重畳……なのは、いいんですが、
そんな立て続けに、眼鏡キャラが登場しても、心の準備ができてないし、
飽和状態ですよ、なのである。

そのため「六角形の眼鏡って……亀甲アピールやりすぎじゃない?」
マント裏地と鞘の模様までもれなく亀甲模様とか、
(刀剣というよりは、蜂の巣の妖精みたいなのがきた)
と、そんな精神状態で、亀甲貞宗を見に行った。

ゲームのキャラと、実体の乖離がここまで凄まじい刀剣も珍しいな……
という印象を私は受けました。

実際の国宝刀剣・亀甲貞宗のたたずまいを、
ゲームのキャラに無理やり当てはめるなら、
山姥切国広に、襤褸布のかぶりものを脱いでもらって、
声は骨喰藤四郎で、
「綺麗とか……言うな。さわるな……」
と顔を背けちゃう感じ。
伝わるだろうか。

亀甲マークが茎(なかご)の裏面に、上品かつ秘めやかに彫り込まれており、
今回は裏が例外的に、表を向いて展示されていました。
(東博展示のキャプションにも、その旨が言及されていた。)

このひそやかに亀甲文が入っているところが、ゲーム上のドM設定にマッチしてはいる。
ただし! ゲームキャラの亀甲さんは、
ナルシスト気味自己アピール全開!
思いのほか天真爛漫で元気いっぱい!
ゲーム上の貞宗の刀剣は、もれなくハツラツとしていて陽気ですよね。
物吉貞宗しかり、太鼓鐘貞宗しかり。

刀剣乱舞公式における亀甲貞宗の紹介文、
「気品薫る貞宗の風格。白菊のごとき美青年」
かかる付喪神像は、なるほど実在の刀剣である亀甲貞宗と、たがわない。
またゲームキャラの亀甲さんも、その紹介文と大きく、ずれてるわけでもないのですが、
ゲームキャラの亀甲さんと、国宝の刀剣・亀甲貞宗は、大きく違った。

写真を撮ってきたものの、案の定よく撮れていない。
シャッターを焚けないせいもあるけど、急いで撮るのでピントがぼけすぎ。

2016101915570001small.jpg
2016101915580000.JPG
指裏に亀甲文。

私の携帯の画質が今一つというのも大きいのですが、
ありがたいことに国宝ですので、こちらで確認できます。

http://www.emuseum.jp/detail/100193/001/002?word=&d_lang=ja&s_lang=ja&class=&title=&c_e=®ion=&era=&cptype=&owner=&pos=97&num=3&mode=detail¢ury=
e国寶  刀 無銘貞宗(名物亀甲貞宗)
茎の裏の亀甲紋がお分かりいただけるだろうか。
(サイズ調整できます。表側も見られます。)

実物を生で見ると、静かな感動があります。
東博で11月13日まで展示しているようです。
私が行った10月中旬は、備前長船派・光忠の刀も展示されていました。
燭台切光忠とはもちろん別物ですが、
同じ長船派の光忠なので、燭台切光忠が焼けて黒く煤ける前の姿を想像できます。
乱れ刃(……もとい丁子刃)が華々しい色気を放っておりました。

2016101915580001mitutadaosahunesmall.jpg
光忠のほうは、刃文が少し写真でもわかるだろうか……。
2016101915580002trim.jpg

昨年七夕あたりに、三日月宗近を見に行ったときには、
ゲーム審神者とおぼしき面々がわらわらと。大雨だったので、それでも随分、空いていたようだったが……。
今回は晴れた昼下がりに行ったのですが、
ゲーム審神者とおぼしき人は、おそらく私と、あと(あの人、多分そうだな……)という一人くらい。
お互いに無言でさりげなく、(あの人たぶんゲーム審神者でお目当ては恐らく亀甲さん)と、
互いにチラ見で認識しつつ距離感を保って刀剣鑑賞を終えられる感じでした。
外国人観光客が疲れ切った足どりで、だるそうに漫然と見て回ってる姿が圧倒的に目についた。

ところで余談ですが


インターミッション [最近のお気に入り]

亀甲貞宗を見に行ったよ~の続きを書く前に。

刀剣乱舞―花丸―アニメの本丸の様子を見て、
大変ほっこりしたあとで、何ですが、
ハロウィーンですので、今年もこの動画が恋しくなった。
(去年やたら見ていた。一年が早すぎる。)

ハロウィーン刀剣乱舞MMDだと、この動画が一番好きかもしれません。
刀剣の付喪神ゆえに、悪戯の度合いが洒落にならなそう……
お供え物がないと祟っちゃうぞ……的な、まがまがしさが。


http://www.nicovideo.jp/watch/sm26746091
【MMD刀剣乱舞】鶴丸HappyHalloween
影があったりなかったり細部まで凝っていて、謎めいている。

動画後半の閉塞感が、
副葬品であった鶴丸国永(別名:陵丸とも)が墓暴きで地上に戻されたり、
神社に奉納されていたのを奪われたりしてきたという、彼の遍歴にぴったりで、
個人的にたまらない……のは私だけではないはずだ。
鶴丸国永って、他の刀剣男士たちと最もフランクに手広く仲良く接していながら、
存在感の価値観が反転ネガで、
他者を影としてしか認識していないような危うさを時々覚えます、私は。


無縁坂と不忍池 [ま行]

そういや先週、亀甲貞宗を見に行ったんでした。

上野方面で野暮用があり、午前中からだるいけれども、こなすべき案件でした。
近いから昼下がりに! 亀甲貞宗を! 東博で見てから帰るんだー!
と、楽しみを設定したおかげで、さほど億劫でもなく、足取りも軽くなり、
どれだけ刀剣および刀剣乱舞に癒されているんだろうか、私は。

暑くもなく寒くもなく炎天下でもなく雨でもない、という気候が、
昨今の日本では本当に珍しい部類に入る。
恵まれた天気だったので、てくてく歩いて行ってまいりました。

で、だ。
良い感じの雰囲気の下り坂をてくっていたときに見つけました、無縁坂の標識。
2016101915120001縮小.jpg
2016101915120000縮小.jpg
……無縁坂というと、
さだまさしの曲が有名です。
https://youtu.be/sxdgZhMokXY
グレープ 無縁坂

わたしくしこの歌、諳(そら)んじられます。二番まですらすら出てくる。
さだまさしの歌詞は文章になっている詩なので、スッと入ってきて覚えやすい。
わびしい暗い曲も多く、
わたしは暗い曲であれば何でも聞いた時期があった。
(さだまさしのファンの方々は概して、ほんわか明るい曲が好きなんですよね。
或いはラジオのトークの弾けたテンションだとかが。)

この「無縁坂」は、大抵「精霊流し」とセットで聞くものでして。
https://youtu.be/l8Oo89vah50
H264-01 精霊流し(1976.4.5 長崎市民会館 グレープ解散ライブ収録)

精霊流しはさだまさしの出身地の長崎を強烈に喚起させる内容なので、
無縁坂も、坂の多い長崎が舞台の坂ではないんだろうか。
文京区の無縁坂は、はたして歌の無縁坂なのか……?
無縁坂なんて坂の名前、どこにでも幾らでもありそうだし、
実在の坂というより、観念的な坂道にすぎない気もする。
……と思いながら、サビの

しのぶ~しのばず~無縁坂~ かみしめるような~♪
 ささや~かな……ぼーくの…

脳内で口ずさみながら足を運んでおりましたら、不忍池(しのばずのいけ)が!
2016101915150000.JPG

……ん?

忍ぶ……不忍……無縁坂……なのか!
無縁坂の目と鼻の先に、不忍池があるのだ。
するとこれは歌の無縁坂なのか。
しのばず……は、不忍池と、かけてあったのか。
知らなかった……。

などと今更ながらに発見しつつ、東博に着いたので、
(なにしろこの坂を通ったのも、不忍池の端を抜けたのも一度や二度ではない……
 ラルクのハイドが坂道好きで有名ですが、 「なるほど坂道とは、こうしてみるとなかなか乙な」
 とか感じ入って脳天気に通りぬけてただけでしたよ私は)
亀甲貞宗については次回upします。



共通テーマ:音楽

行間を読むというのはこういうことだよエリオット [か行]

そうシグモンドも『カンパニュラの銀翼』で言ってました。
(正確には「文間を読むとはそういうことなんだよ、エリオット」)

ポーの『大鴉』に関する考察的な①~の続き。

私は実は、それほどエドガー・アラン・ポーに親しんできたと誇れるものはなく、
留学先の大学の英文学の教本に載っていた
Cask of the Amontilladoについて、
中間試験用の小論を書いて提出したことがあるくらいでした。

今回、文芸作品の翻訳に携わるまで、ポーに関して原文で扱ったのは、
その短編にも満たぬくらいの掌握小説Cask of the Amontilladoだけ。

日本に帰国してからは『アッシャー家の崩壊』(佐々木直次郎翻訳)を、
青空文庫からダウンロードして、これは好きな作品で何度も読んだ。

あとの作品は常識の範囲で知ってはいるけど、通読したことはない、という状態。

日本語でも英語でも、そうまともに読みこんだことはなかった分、
偏った先入観もなく、まっさらな気持ちで深々とポーの文章に真っ向勝負で、潜っていった。

エドガー・アラン・ポーの『大鴉』の行間から私が何を感じとったか、
この作品を訳す上での全体的な色調やトーン(翻訳の方針、出すべき統一感)
隙間から見える景色とは、
端的に言って
「水、水辺」です。
……詩の舞台は、深夜のと或る部屋、暖炉・扉・床・窓辺・机・椅子近辺なのですが。

『大鴉』はざっくり言えば、
あの世とこの世の境目が夜更けに交わるような状況や錯覚を描いていて、
日本的にいうなれば、彼岸と此岸。

実際ポーも、大鴉がどこからどこにやってきたのかを、 
nightly shore
Night’s Plutonian shore
whether tempest tossed thee here ashore

などという語で表している。
彼岸と此岸という意識は、私が勝手に行間から汲み取ったのではなく、
作中でポー自身によって、かなりクリアに言明されているといえるかと。

韻を踏むための技巧のせいもあるとはいえども、
Night’s Plutonian shoreに至っては複数回、出てきます。

又、たとえば扉の上に掛かっている胸像を描写するとき、
placidという、
穏やかな水面を描写するときによく用いられる言葉を出している。

さらには、
as if his soul in that one word he did outpour.
このoutpourという語も、
感情のほとばしりを意味する動詞とはいえ、
水を扱うときの語。

ポーとしても、
水際や水辺といった雰囲気がひたひたと迫るように意識して、
あえて、この手の語を選んで、描いている。

stillness gave no token,
このstillnessも水を思わせますね。
Still water runs deep という諺がすぐ浮かぶ。
(ちなみに私はこの諺が意味深でなんか好き。)

このstillness gave no token,
「水を打ったよう、波風の兆しも見えぬ」
と水を意識して、私は訳しています。
このstillnessという語も『大鴉』の詩で度々、登場します。

詩の最後でも、
僕の浮かばれない影をfloatingという言葉で描写している。
Floatも浮くという、水にまつわる言葉。

逐一、挙げていくときりがない。
作中が、いちいち水を想起させる語で満たされている。

少なくとも私の中では、知らず知らずのうちに、
彼岸と此岸の往来、夜の水際の意識が、
脳内イメージとして蓄積されていたわけです。

訳す当初は、さほど強く意識していたわけではなかったけれども、
なるべく水を意識したいというイメージが、
無自覚のうちに芽生えていたらしい。

推敲する段階ではもう自分でもかなり意識的に、
水辺にこだわって一語一句を選んでいました。

冒頭のWhile I nodded, nearly napping,
「うつらうつらと舟を漕いでいた、まどろみかけていたところ」

うたた寝していた、居眠りしていた、といった系列の表現の中で、
「舟を漕ぐ」という表現をまず選んだ時に、
『大鴉』を訳していく上での雰囲気の方向性が定まったのだった。
あとは、夜の水辺の気配の中から、言葉を掬い上げていく作業。

there came a tapping
「雫のしたたり落つる音」

tapというのはもともと、タップダンスとかのタップ。
カツカツいう音なわけですが、
カツカツ、こんこん、コトコトといった類のオノマトペを安易に使うのは避けたかった。

日本語はオノマトペがかなり特殊というか、豊富にありすぎる。
もとの英語がオノマトペを使っていないので、
「もしもエドガー・アラン・ポーが現在、日本語が母国語になっていて同じ詩を書いたとしても、
絶対このオノマトペを使うと思う!」
と、よほど確信できる、しっくりくる語がない限り、
こと、詩においては、慎重に扱わなくてはいけない、と思っていました。

tapという単語はtap water (水道水)とかのtapでもあります。
やはり液体に関連する語。

tap(タップダンスとかのタップ)とtap(水道水とかのtap)とでは語源が全く異なるので、
はたしてポーがこの同音異義語を意識して、tappingを使ったか――
については、人によって解釈が異なるかもしれませんが、
私は無関係ではないと思った。

私自身が小説を書くときに、同音異義語は時としてかなり意識して用いている。
―隠微と淫靡とか―
―凶器と狂気とか―
―片身と形見とか―

隠微にいやらしい淫靡の意味はないのだが、
そこはかとなくそういったニュアンスを秘めたいときに使う。

凶器を、武器と言わないでわざわざ凶器と書くときには、
使うほうに必ず非があり、その非は、なんらかの狂気を伴うものかもしれない――

という可能性をさりげなく示唆したり、知らず知らずのうちに植えつけたりするときに使います。
なんとなく感じさせる雰囲気を言外に醸し出したいときに、
作家は――少なくとも私という作家は、そういった手法をとることも多い。

片身と形見については、
短編「セイヤク」や「゛極東での若き日々”」で、
実際かなり意識的に使った経験があります。

セイヤクのときには、編者の井上雅彦先生がこの同音異語に、
すぐさまピンと気づいてくださって
「いいですね」とコメントをくださった。

゛極東での若き日々”
においては、担当編集者がむしろ全く気付かず、
「なぜ片身のようなヴァイオリンという言葉を使うのか、単にヴァイオリンで良くないか?」
小説家は書き手のプロ、いっぽう編集者はいわば読み手のプロなので、観点が全く異なるのだ。
(尚、小説家が書き手のプロで、編集者が読み手のプロという、
この認識が双方で食い違うと、仕事をする上でギクシャクしがちだ。)

で、私はここぞとばかりに、かなり熱く、
「ここは片身という語から、形見というイメージを読者にできればそこはかとなく感じてもらいたい。
実際はそうと気づいてもらえずともよい。
知らず知らずのうちに作品の雰囲気にそういう意識を浸透させたい。
そういった意図で、片身という言葉をあえて入れている。
セイヤクという短編では、そこを評価してもらってもいる。そのときのと同じヴァイオリンです!」
と力説して、小説に書いた記憶があります。

小説に限らずとも、日常において語感と語意というのは意外にも作用しあっていると思う。
まったく同音なわけでなくとも、
たとえば「姑息」という言葉を「一時しのぎ」という本来の意味ではなく、
「卑怯な」といったニュアンスで使う、
いわゆる誤用のほうが、現況、7割の日本人に浸透しているらしい。
これは「姑息な」という音の語感が、「こしゃくな」という語感と似ているからでは?

『大鴉』の詩の中でtappingという語に出会ったときに、
私は水や液体のイメージを喚起されつつ、何か打ちつける意味をまっさきに受け取った。
そのニュアンスを的確に表せたら、と思い至ったのが
「雫のしたたり落つる音」

 尚、今回、翻訳し終えた後に、
 過去の訳者の『大鴉』の詩を二編ほど、探して読んでみました。
 いずれも「ほとほとと」という語が用いられていた。
 ほとほとは素敵ですが、
 原文はthere came a tapping
 a tappingなので、1タッピング。
 一方「ほとほとと」だと複数回、物音が鳴ってるような感じが強調される。
 無論a tappingで「ほとほととした音」1セットと考えることもできるし、
 オノマトペは雰囲気音感なので、一回二回とか厳密に数えきれる数量ではないのだが。
 
betook myself to linking fancy unto fancy
「夢幻の淵へと糸を垂らして爪繰った」

「淵」という語を出さなくても訳せますが、
前述の「舟を漕いでいた」という表現と同様に、
水を意識した「淵」という語を使ったほうが、より水際としての統一感が出ます。
押し寄せてくる彼岸と此岸のせめぎあい、
夜の淵の深みのような気配が、
ムードとして色濃く出るかと。

……と、まぁそんな感じで、終始、行間に、
ひたひたと夜の水辺を感じつつ、訳し終えたわけでした。

E・A・ポー (ポケットマスターピース09)
が刊行となったのち、本の編者であり立役者でもある翻訳家の鴻巣友季子氏から
「どのような経緯で、--a tapping--を--雫のしたたり落つる音--
と、中里流に訳すに至ったのか」という質問を戴いた。

「水です」
ちょうどこのブログに書いているようなことを、長々お答えしたところ、

《いいですね。tapと水、水の雫は自然と結びつく》
と、賛同いただけてとても嬉しかった。
《ついでに言うと、rapはlapとも重なる。波がひたひた、のような》
と。

まさに、そうでした! 大鴉の原文は
…napping
…tapping
…rapping
と韻を踏んであって、
rapはラップ音のラップ、連想されるlapは波が打ち寄せる、潮の満ち引きなどをあらわす動詞です。

さらには、
《ガストン・バシュラール「水と夢」にも、ポーにおける水と死と夜についてのimageryについて書かれていた》
とのこと。

……水と死と夜……
なんと私の琴線に触れる語であることよ!
私はガストン・バシュラール「水と夢」という著作を、
恥ずかしながら、まったく知らなかったので、
――読もう!

以来、ひそかに息巻いているのだが、
いまだ実行に移せていません。



共通テーマ:

ポーの『大鴉』に関する考察的な① [は行]

エドガー・アラン・ポーについて思うところを後で補足アップします、
と、2016年6月19日付のブログに書いてから、はや4ヶ月。
夏が来て、夏が去っていったね。

小説について後で解説するのは、ネタバレを避けられない部分も多いし、
物語を楽しみたいのであって、作家を知りたいわけじゃない! という場合、非常に耳障りかと思う。
よほど伝えねばならないことが浮上してこないかぎり、
なるべく避けたほうが無難かな、というスタンスでいます。
が、翻訳については、ちょっと違う。

特に、今回のエドガー・アラン・ポー作品のように、
古式ゆかしい、すでに和訳された作品が、世の中にあまた発表されて読まれてきている、
年季のいった――言い換えれば、いろんな人の手垢もまたついている――作品の場合は。

一次創作の小説の場合(ノベライズとかじゃなくてです)、
作家は作品の世界観を構築し、登場人物をうみだし、物語を展開する。
その小説のいわゆる唯一の創造神なので、
作家同士が同じ作品の共同作業にあたるということは、まず有り得ない。
(少なくとも私は今までに一度もない)
万一、一次創作の小説において(役割分担をするにしろ)
共同作業をしなければならない事態に至るとしたら、
これはかなり不幸な状況なのだと思う。

唯一創造神がいるかぎり、仮に編集部や批評家などが変な意味をこじつけて、
本来の作品を歪曲させようとしたとしても(顕著な例だと、政治的プロパガンダに使うとかね)、
作家が「違います、正しくはこうです!」といえば、
それが絶対的な答えで、別解釈の余地はありえません。

むろん作家が「ここは読者の皆さん一人ひとりの解釈にゆだねます」といえば、
ゆだねられた読者の分だけ、答えが生ずることにもなる。

「作品としては読者の解釈にゆだねるけど、作者である自分としてはこういう意図で書いた」
と作者が白状すれば、「裏設定」になる。

作者が死んだ後に、
編集や批評家やらが「こういう意味だ」「ああいう意味だ」と、
こぞっておかしな教祖さながら的外れな解釈で売りこんだり、叩いたりした場合は、
「神を穢す」「冒涜(ぼうとく)する」という暴挙にもなるわけです。
やたらと称賛しまくるのも「下手な神輿(みこし)を担ぐ」ことに、ほかなりませんが。
で、熱心な読者やファンは、経典のようにその作品を繰り返し読んで、
あれやこれやと考えたり、思いにふけったり、浸ったりする。

いっぽう翻訳の場合は、訳者は、ふつう自分の作品を訳すわけではありません。
概して別国の、別言語を使う他人の作品を訳す。
訳者の性質は、いかに自分が、その原文の作品の理解者になれるか。
その作品を書いたときの作者(今回だったらポー)の精神を咀嚼できるか。
ポーのこだわりを一言一句に至るまで読み取れるか、とそんな能力や心構えが肝になる。
もちろん語学力が必要ですが、語学力はツールです。

で、ちょっと話がそれますが、作者が死んでいるわけではなく、超健在で、
ばっちり生きて目を光らせているにもかかわらず、
そして「すごく間違ってる、全然ちがっています。
こういう感じではないから。的外れな文章を付け加えて解釈を曲げたり、
重要な部分を大幅に削除したりしないでください」と伝えているのに、
「自分はこう訳したいから訂正は基本、受け入れたくない」というスタンスがもろ見えの、
英訳者・担当者・および英訳会社の態度は、一体どうなんだ。

日本人の作家である私が、『カンパニュラの銀翼(中里友香著)』の英訳文を
きちんと読めっこないと見くびって舐めていた、
(つか舐めている)としか考えられない……。

おかげで徒労感やら腹立たしさやらで、英訳チェック(2度目)に、ものすごく気骨が折れて、
ストレスホルモンのコルチゾールが大量分泌されそうになるので、つい後回しになる。

で、ポーの翻訳です。
ポーが生きていたらポーに訊けるが、1849年10月7日に亡くなっています。
(アメリカは1849年当時すでにグレゴリオ暦だから、当時のちょうど今くらいの季節に死亡です。)
これは訳者によって当然、解釈に、ある程度の差異が出る。
言語の誤差や間違いは簡単に正せようとも、
解釈の誤差は、もはや簡単に正せる云々できなくなっている。
ポーに関しては純粋に楽しむだけでなく、研究している人などもいるので、
訳者・中里友香はこういう視点から、このように解し、このように訳した、
と、ある程度クリアにしておくべきか、と思った次第です。
特に詩「大鴉」は――。

短編「告げ口心臓」は、原文自体がシンプルだから、
さほど、訳者の視点や特色に大きな差は生じない、と楽観視している。
……いや、その『告げ口心臓』ですら、かなり見解の相違があった。
わたしは「やみのいろ」というエッセーで書いたように解釈しています。
つまり「自分を正常だと盲信している狂人の詳細な自供」と。
(ポーはこのほか例えば「ウィリアム・ウィルソン」という短編などでも、
信用できない語り手である主人公が自縄自縛に陥るブーメラン的オチをよく使っていますよね。)

その「告げ口心臓」が『ポケットマスターピース E・A・ポー』の巻末にある池末陽子さんの解説だと、
「超自然的方法での犯罪の暴露」
正反対ともいえる解釈の仕方で、
へーえ……あれを魔訶不思議系な事象として解釈するのか……と驚いた。
(無論どっちにも読み取れるように訳しています。)

『大鴉』の詩に関しては、ポー自体が机上に10年以上、ずーっと置いておいて、
その間、長らく放置していたり、
かと思えば、ああでもない、こうでもないと、こねくりまわしたりした挙句、
書き上げた代物なので(……と、ポー自身があとで語っているのが残っていたかと)、
さらっと読んで内容を訳せば済むという詩ではない。

行間に何があるかを感じ取っていくわけです。
だからこそ訳者によって差異もあろう。ポー自身、行間になにがあるかを感じ取らせたいと思って、
書いた部分も多々あろう、と。

なお昨今、
「英語は本来、文章にして書かれていることを、真っ直ぐそのままに受け取る文化でなりたっている。
日本人は行間を読もうとするからこじれる。曲解して、意味が順当に通じなくなる。よろしくない」
という見解と、
「何を言ってる、read between the lines:行間を読むという表現の語源は、もともと英語だぞ。
英文こそ行間を読んでなんぼ」
という主張とが、飛び交っていますね。

私からすると「どっちも正しいよねー、ケースバイケースだよねー」という感じです。

学術論文や新聞記事、ビジネスレターやレポート(報告書)などは、
書いてあることをまず吟味するのが大前提であり大切です。
書いてある内容を精査もしないで行間を読もうとするのは、
筋違いだし、怠慢だし、ほとんど無意味か、悪影響すらある。

いっぽう、詩とか手紙文とか創作物に関しては行間を読むことは大切だし、必要でもある。
詩に関しては逆に、
大げさに言えば、行間を読ませるために原文が構築されていたりもするくらいだ。

ちなみに日本人がよくやりたがるのは行間を読む、ではなくて、
正確に言えば「裏を読む」だと思う。

古来、日本語の表現に「行間を読む」という言い方は、もともと無かったのでは……? 通じますが。

かわりに、表層的な文面にばかり気を取られていないで、裏まで読む!
という「眼光紙背に徹す」なる表現が古くからありますよね。
(ちなみに私は、この眼光紙背という語が大好きでな。)

この「眼光紙背に徹す」を英文に訳せよといわれたら、
read between the linesを使うのが妥当かと思うし、
逆もまたしかり。
なのだが、厳密にいうと「行間を読む≒裏を読む」であって。
似てるけど違いますよね。
ただ文化的な習慣も考慮すると、この双方が匹敵する。

……長くなったので~続きます~

尚、参考までに


2016年夏アニメの復習(備忘録的な) [最近のお気に入り]

当初は週6本くらい録画予約をしていたのだが、
最初から最後まで毎度、楽しみにして見終えたのは、
(以下順不同)
・モブサイコ100 
・ベルセルク(1期)
・テイルズ オブ ゼスティリア ザ クロス(1期)

上記3本、すべて私としてはダークホース的な作品で、
とりあえず録画しとこう、キャストが豪華だし、
とか、
今さら漫画本を一から読むのは気合が要るからアニメで慣らして、
とか、
絵がきれいだから……
みたいなわりと軽率な理由で、
暇だったら見よっかな、くらいな心構えで見始めたのだった。良い意味で想定外の結果に。

反対に、かなり期待していたアニメが、
なんか合わない、時間が惜しい……。
と、視聴継続を断念する作品もあったりで、前情報から受ける印象なんてわからない。

面白かった3本は、蓋を開けてみたら、
超絶ゴアなダークファンタジーだったり、
剣とドラゴンと白魔術……スーパー王道ファンタジーだったり、
日常異能者学園ものかと思いきや……正統派SFサイコものであったりと、
よくも悪くも、自分の嗜好を目の当たりにする結果に。

自分の好きな分野の作品が、良い質と出来に恵まれることが、そうそうあるとも限らない。
ラッキーでした。

それからベルセルクのセルピコの声が、
聞き覚えがあるけど、思い出せない……
と、キャスティングを確かめて初めて、
(あ……うちの初期刀だ*……)
と、気づいたときの驚きよ。

*


アンケートの結果発表!(当ブログ読者の世代) [ニュース]

一ヶ月前のブログの記事でアンケートをお願いしました、
結果を発表いたします!

10代 : 3%
20代前半 : 20%
20代後半 : 14%
30代前半 : 17%
30代後半 : 9%
40代前半 : 16%
40代後半 : 6%
50代前半 : 6%
50代後半 : 3%
60代前半 : 3%
60代後半 : 3%

年代別に割合を示すとこのような結果が出ました。
(ここにない年回りは投票が無かった。)

で、結果を割合順に上から表すと、

1) 20代前半
2) 30代前半
3) 40代前半
4) 20代後半
5) 30代後半
6) 40代後半/50代前半
7) 10代/60代前半/60代後半

……となりました!

思っていたよりも積極的に参加していただけた気がする。
みんなスーパースルーするかなあと危惧していたので、嬉しかったです。
漠然と想像していたとおりの部分もあれば、
数字できちんとデータ化されて出てくると、意外に思える部分もある。
とても参考になりました。
ありがとうございました。

そういえば、この一ヶ月間にブログのアクセス数が、
従来の3分の一くらいまで減ったのは、
更新しないことによって、巡回ボット系のアクセスが減ったにすぎないのか。
それとも実際にブログ読者が、更新がないせいで来なくなったのか、
そこんとこ、現状がちょっと摑めない。


このブログ始めて8年目にしてなんなんですが [ニュース]


http://bcrosssanatorium.enq1.shinobi.jp/vote_form/125184/
よろしければ、大まかで良いので年齢を教えてください。
ほんの通りすがりの人でも問題ありません。
自称○○歳とかでも御本人の心が痛まない範囲ならば当方とくに気にしません。

ただ正しいデータを取れたほうが、
ブログ上で「こんなの共通言語だよね」
「いやここは注釈をつけたほうが親切かな」
みたいな部分で、話をしやすくなるというだけの話だ。

基本的に一つのアンケートにつき、一回以上の投票はできない仕組みなってるかと思います。
アンケート掲示期間は、とりあえず9/9~10/9の一箇月としてみます。
一箇月後に結果を発表する予定です。
アンケート集計中は結果が見られません。
よろしく。


Measles, Mumps, Rubella [ま行]

アメリカの大学に留学した時、
わたしはひとまず語学留学し、
その後、四年制の本科に入ったのですが、
大学の本科の新入生健康診断において、がっつり予防注射を打たれました。

語学留学においても、日本の保健所で健康診断を英語で書いてもらって、
留学先に提出するのが渡航前の必須項目だったですが、
そのときの印象は「アメリカの学校は結核に神経質だ」でした。
肺のレントゲンも添付したし(←うろおぼえ)
BBCとかツベルクリン反応とか、その辺の過去の接種歴等を、そっくり洗われた。

たぶんエイズやHIVなどがさほど珍しくなく、
結果的に、結核などの感染症が珍しくもないのだろうと、勝手にわたしは推測した。
昨今は日本でも結核流行の再燃がさほど珍しくないが、
当時は、まったくそんなことはなかったので、「うわぁアメリカ……」と強烈に思いました。

ちなみに、結核の痕跡があると受け入れてもらえないケースが多い。
学校が受け入れないのではなく、おそらくは国の基準で受け入れないのでは。
完治という証明ができなければいけないはず。
留学生の友人は、子供のときに結核に罹って肺に微弱な影が残っていたために、
入学のタイミングがずれて、おかげで留学が数年遅れたと、その面倒くささを語ってました。

むろん結核関連だけでなく、
シュワルツ株(麻疹ワクチン)を何歳児に受けたとか
母子手帳とかまで引っ張り出してきて、診断書を書いてもらって、ただでさえ、けっこう面倒なのだ。

で、数か月の語学留学のときはスルーだった予防接種が、
本科では診断書をパッと確認された瞬間に「はい、あなたはこっち」
わたしは大学のヘルスセンターで、
「注射を受けてください」と。

"Really?"

わたしが地味に悲鳴を上げたとき、後列のアメリカンの学生数人が、
うわ、こいつかわいそう、気の毒といった同情を込めた感じに、くすっと笑ったのを覚えてます。
まあ確かに、気弱な感じに控えめ伏し目がちでいた留学生(わたし)が、
目を見開いて突如はっきり
「まじですか!?」
といったのでウケたんだろう。

問答無用で受けさせられた予防接種がMeasles, Mumps, Rubellaの三種混合。
Measles(麻疹:はしか)
Mumps(三日ばしか おたふく)
Rubella(風疹)
いわゆるMMRだったかと。

私は幼少期にシュワルツ株の麻疹ワクチンを複数回打っていた記録があったし、
風疹も中学の時に接種を受けたし……みたいな感じで、
どれも日本では免疫があると認められている状態だったので(当時、二十歳くらい)

なんで注射打つんだー、日本人を未開地の病気無知とか思ってんの、え?

甚だ不本意だった。
今ほどひどくなかったけれども、当時からアレルギー体質ではあったので、
いきなり海外でわけわからん予防接種を受けさせられて、
拒絶反応でも出たらどうしてくれると、うろたえた。
(中学生のとき風疹の予防接種を受けた折も、
体調に不安があって学校では受けられずに、
近くの医療機関に保護者と出向いて受けたくらいだったので。)

アメリカの大学の保健室で、「はい寝て」と、カウチに寝かされ、
さっさと腕を消毒され、キュッと注射液をおしこまれて、
何事もなくおしまい。
ありがたいことに体調も悪くならなかった。
ちなみに無料。
(というか留学生はたしか健康保険料みたいなのをアメリカ人より多めに支払う設定で、
すでに込みこみと言いますか。)
男女問わず上記のMMR(風疹こみ)の接種を受ける。

大学院に進んだ時も、学校を替えたので同様の健康診断があり、
また注射を受けさせられたらたまんない、
と、大学から健康診断の紙をコピーしてもらっておいて、提出した。
「これは助かる。コピーで問題ない。パーフェクト!」
と重宝され、注射を重複して打たれることもなく、

むやみやたらと日本人に注射打つわけじゃないんだアメリカ……

と知ったのでした。

日本に帰国して社会人になってからチラホラと、
このごろになっては、やたらと、
抗体の有効期限がうんぬん、
風疹だの、麻疹だのの流行について耳にします。
で、留学当時アメリカで問答無用とばかり予防接種を受けさせられた理由を痛感する。

日本は島国だし、
実際、いろんな伝染病や病害虫を水際で堰き止めている。

いろんな人種が揃っている多民族国家で、
各大陸を行き来しまくっている(=同時に病気も行き来するのが日常)
そういう生活が何世紀もにわたって根付いている土壌とちがう。

だから「自分がきちんとしていれば大丈夫だ」
という観念が根強いけれど、
伝染病は自分がきちんとした生活を送っていても伝染します。
だからこそ伝染病なのだ。

そうなると病気に感染した人を元凶として責めまくる村社会的な傾向が強いが、
無論、必要に応じて隔離対策は絶対重要ですが、
そんなことより予防接種をもっと周知して、
大人になっても、ある程度、半強制的に受けさせるようにしたほうが、安心だし現実的。
やがてオリンピックもするんだから、必要なんでは?

あ、それから――


『視線』 [さ行]

先月、鈴木康士氏の画集が出ましたね!
鈴木康士氏は、私の著作『カンパニュラの銀翼』の単行本の表紙、文庫本の表紙、
両方ともを描いてくださった装画家です。


鈴木康士画集 視線

私は楽天ブックスで先月注文ゲットし、
わりと気軽に、ひゃっほう楽しみ~とページを開いたら、
『カンパニュラの銀翼』の装画が、
どーん!
と出てきて、うわぁァッ……!
嬉しい喜びに体温が上がりました。
エアコンの設定温度を一度下げねばならぬほど。

最初はちょっと上ずって、若干、目線がすべり気味に、どんどんページを繰って次を見たくなるのを、
かろうじてこらえているうちに、今度はなんかゾクゾクきて、
エアコンの設定温度を一度戻さねばならぬほどに。

好きな装画家さんの画集を買って、
ページを開いたときに、自分の作品の表紙絵が出てくるインパクトって、
なんかすごくて言葉にならなく。
まじで語彙力ログアウト。

画集のタイトルが「視線」であるように、
描かれる人物の視線がいちいちゾクっと妖艶で。
冷たい透明感にみなぎっていて、そこはかとなく突き放すような空気感と、
惹きつける吸引力との距離感が、素晴らしいのだ。

神永学氏との対談も掲載されており、
そこで鈴木氏が、神永学氏の小説の登場人物「八雲」について、
「瞳が赤いっていう特徴しか、外見についてほとんど書かれてない。
小説であればインパクトがある特徴だと思うが、イラストだと瞳はものすごく小さいので、
どうやって特徴を引き立たせるか、苦労した」
といったようなことを語っておられます。

インパクトを出すために、大きめに誇張するといった稚拙な表現にしない、
バランスを崩さず、特徴を出すために、創意工夫があるんだな、やっぱり~。

『カンパニュラの銀翼』の装画を引き受けていただいたときに、
担当編集者を通じて、お伝えしたか、
それとも鈴木康士氏に直接メールか何かでお伝えしたか、
あるいは伝えようと思ってやめたのか、よく覚えていないのだが、
――鈴木さんの描く人物は、男性は男らしくかっこよく、
あるいは女性は女らしくフェミニンな色香たっぷりなのにもかかわらず、
女性も男性もちょっと中性的な空気感を漂わせていて。
通常、男性のイラストレーターが女性を描くと、
わりと、どうしても性的アイコン的なパーツが大きく誇張されやすい。
線もしつこくなりがちで、
女性から見ると、違和感が募ったり、時には嫌悪感すら抱かされたりするときもあるのに。
そういう、いやらしい部分が全く感じられない、透き通った魅力があります。

……にもかかわらず、女性も男性もリアルに具現化されていてなお美しく、
骨に芯が通っていないとか、血が通っていないような感じはなく、
したたるような影があって、そのバランスがたまらなく素晴らしいんだ――。

だからこそ『カンパニュラの銀翼』のシグモンドが描かれるにあたって完璧だったのだ。

人物像のシルエットのバランスとか、そういったことは、だから当時もかねてより、
良いなぁ~と私は認識していたのだが、
今回、画集を見て、あらためて感じたのは、
デザイン的なセンスが――背景とか小道具とかそういったもろもろ、ひっくるめて――
一つ一つ緻密で凝っていて、手を抜いてなくて。
絶妙に配置されているんですよね。
カンパニュラ~の単行本でいうなら、小鳥とか、懐中時計とか……etc,
小鳥を手にしたシグの片手が、手袋をはめてるの、さりげなくほんと心憎いんですよ。
これは私の小説の――この物語の表紙なんだ、と実感できるんです。作者も読者も。

どうやって描いてるんだろう……と思っていたら、
付録の特典データCDが、かなり雄弁にそのあたりも見せてくれるのであった。

ものによっては幾層にもレイヤーをわけて、人物や背景や小道具などを描き分けて、
そのレイヤーを統合するまでに、さまざまにバランスを見ながら、
「どんぴしゃ」な一枚絵を仕上げるのだなあ……。

その過程がデータCDで見られるのが、かなり勉強になるし、
見ごたえあります。

『カンパニュラの銀翼』に関していえば、
文庫版の制作過程がデータCDに収録されています。
カンパニュラ~の文庫版は、封蝋をモチーフにした窓枠の内側に、
シグモンドやエリオットやクリスティン、
またベネディクトを想起させる黒い木立……塔のような影が、描かれます。

窓枠に切り取られた空間に、
主要登場人物を3人も配し、でもなお、せま苦しくなく、世界観の奥行きを感じさせるには、
そうか、こうやって描いたのか……!

シグモンドの全体像を、
風でひるがえるコートの空気感みたいなものまで、いったん描いているんですね。
最終的には窓枠や、窓枠の外の黒いベタで塗りつぶしてしまうとわかってる部分すらも。

だからこそ窓の向こう側に見える人物であっても、
四コマ漫画の絵みたいになってしまわず、
動きの一瞬をとらえたような空気と奥行きの深さが伝わってくるんだ。

『カンパニュラの銀翼』のスピンオフ「風切り羽の安息」
この短編がミステリマガジンに掲載されたときも、
ぎりぎりのスケジュールの中、扉絵を描いていただいたのですが、当初は雑誌のモノクロ絵。
これがほんのり彩色を施されて画集に載っていたりもします。

描き下ろし絵や、個展に展示された絵なども数々あり、
海外のグラフィックノベルっぽいテイストなのも。
あとまた、各イラストに添えられている、
粟粒のごとき小さい活字のコメントが、面白い。


特急列車 [た行]

昨日の日曜、大人になってから初めて特急に乗車。

子供の時は特急電車は珍しくなかったのに、
新幹線の台頭にともない、利用エリアの特急の本数自体が激減。
自分で切符を買って電車に乗る年齢になってから、特急利用の機会がなくなった。
(最後に特急に乗ったのって、たぶん私が九歳の時で、身内の納骨の折だった。)

一日一本、出るか出ないか。
猫バスほどはレアじゃないけど……という特急電車を調べておいて、みどりの窓口にて発券。
いざ乗るにあたって、まず改札地点で挙動不審に。

新幹線ホームで乗りこむんだっけ?

やや、特急が発車する7番線って、掲示板に出てないぞ……。
あと3分後には発車なんだが……。

よく普通電車の駅のホームで、
「特急電車を先に通します」というアナウンスとともに特急車両が通過していく姿を、
あああーーーなんか腹立たしい気がする……と、じりじり見送ることは多いのだから、
当然、普通のプラットフォームから出るのが常識だったのに。
理解するのに、しばし戸惑う。

なんだかんだで無事に乗りこみ、発車して、車掌さんが乗車券チェックに巡回するのを、
――だよね! 普通のエリアから発車するから、Suicaだけで入れちゃうしね。
飛び乗ってから車内で特急券を購入する乗客もいるだろうしね、外せないルーティン! 大変だ!
内心いちいち感心しては、小さい驚きをもって迎えるのであった。

車内販売が行き来するのを横目に見ながら、
連れに「これは飛行機の飲料・軽食サービスとはちがって、有料なかんじ?」
と確認して、いささか引かれる。
だって聞くは一時の恥だもの。
相手に恥かかすような質問をやたらと訊きはしませんがね。
新幹線が有料なのは知ってたが、確認だよ確認。
特急の特別感に、脳内やや混乱が続くのだった。

で、子供の時も感じたが、特急は普通の線路をスピードを上げて走るせいか、けっこう揺れが独特。
快速や新幹線よりも、乗り物酔いをしそうな不安感がよぎる1時間であった。


歌仙兼定登場@永青文庫 [か行]

実物の歌仙兼定を見にいってきました。

7/9日から始まった歌仙兼定の展示、
混むかもしれないと、7/14日、すいてる昼時を狙って友人と行きました。
おかげで暑かった! 

あまりに暑く、ぶっ倒れるのも馬鹿らしいと満場一致(二人ですが)で早稲田駅からタクシーを拾う。
複数人で行く場合、この手段はこの時期、かなり有効かと思います。
普段インドア派すぎるというのもあるのだが……
あそこまで暑いと思考回路が正常に機能しないので、炎天下で迷うのも、無理だ!
東西線早稲田駅から1000円区間でした。

永青文庫界隈は、早稲田大学や日本女子大やらのキャンパスが連立。
永青文庫近辺になると、にわかに鬱蒼と深緑に囲まれて、別世界。

永青文庫は、もともと細川邸のうち事務所だった建物を再利用しているようで、
使用人達の詰め所とか、屯所とかそういう感じだったのか?
当時の洋館の面影を色濃く残していて、ややさびれた感も、味わい深いです。
階段の手すりの位置が異常に低いのに驚く。

館内は美術品があるので、猛烈涼しい。
公式ページにもあるように、上着持参が賢明です。
永青文庫は美術館といっても小ぢんまりしているので、
ひょっとしたらコインロッカーないかな……と危惧していたのだけれども、
ばっちり完備されていて、かなり助かった。

歌仙兼定は展示期間が長いので、私が行ったときは、さほど混んでいませんでした。
ありがたい。じっくり堪能できます。

四階から展示となっており、四階から二階までが展示場。
下に降りてくるという順路で、歌仙兼定は四階の奥・中央に。
薄暗い、もと洋館の古めかしい空間に、ライトが当たっている展示品が並んでいて、
天井が高くゆったりしていて居心地がとても良かった。

歌仙兼定は印象として、打刀としては小振りでした。
《片手で振れるように寸法がやや短くなっている》と説明書きに。
――細川家の目録には脇差の項に書きこまれてありました。
「大振りの脇差」として通用するサイズ感です。

まっすぐ一本気な歌仙っぽく、刀身はやや図太めでまっすぐ。
先端にかけて若干の反りが入っています。
(切ッ先は猪首だったか。うろおぼえ。)

細川忠興が、部下の不調法を罰するためやら、悋気に任せて、三十六人斬ったから、
三十六歌仙になぞらえて、歌仙兼定なわけですが、
細川家側の記録にその旨は明示されて残ってはないとか……
(細川家の性分として代々語って誇れることでもないだろう)

ごくわずかに微細な刃コボレも見られて、使いこんだ感がひしひしと伝わる刀身でした。
そのせいか若干、刃先はよく研ぎこんだ庖丁の風合いに見えないこともなかった。
まさに人斬り庖丁感です。

刀身にひきかえ鮫皮(……エイかも)を漆で燻した鞘が、白と黒のある種天然の水玉模様*で、
スタイリッシュかつポップでおしゃれでした。
この歌仙拵えの鞘、のちに「肥後拵え」と呼ばれたものが、ほかにも何点も展示してあって、
軽そうで、使い勝手も良さそうだった。
鮫というと、文字通り鮫肌でブツブツざらざらが残っている仕立てが一般に多いと思うのだが、
つるっと平ら(エイだから? 燻して漆でコーティングしてるから?*)
エナメルっぽい質感に映る。
ごてごてした飾りがないこともあり、洗練されてます。

今回は展示のお題目が「歌仙兼定登場」なだけあって、歌仙兼定に関連する展示となっており、
細川家というと茶道具の目利きというイメージがあった分、
茶道具のたぐいの展示がなかったのが、私としては少々、残念だった。

とはいえ大半は刀ですが、石棺なみな長持の数々や、
当時の自筆のカルタ(百人一首が書いてあった)とか、
和太鼓——これが、きらびやかではないのだが、色合いがシックで上品な風格が極まっている。
また梨地に秋の花々、川が流れている、蒔絵のほどこされた、今でいうピクニックセット(徳利とか重箱とかが小さい箪笥状にしつらえらえれている)のとか、
ほんともう、風流かつ雅の極み。
華美過ぎず、かといいワビサビの過ぎた野暮ったさがない。
今回、目にしたのは細川家伝来の逸品のうちのごく一部なのだろうけど、
終始一貫して細川家の毛色って、ほんと良いセンスしてらして……と感じる、
私好みでした。

そんな中で、一振り、今まで私が目にしてきた太刀の中で一等好きだ、
運命的な出会いに匹敵するくらい一目ぼれだ……
という大振りのとてつもなく美しい太刀がありまして、
歌仙兼定につられて行ったのに、わりと記憶に焼き付いているのは、その一振りの太刀であった。
国宝・豊後国行平・作

http://www.eiseibunko.com/collection/bugu3.html
これですね。

写真で見ると、いまひとつよく存在感が伝わってこないのだが、生の刀身は素晴らしくきれい。
死神みたいな変な模様が柄ちかくに彫りこまれてるのが謎でしたが。
これの役行者っぽい人物は、永青文庫のコレクションHPによれば、
実際は裏なんですね……。
表に配置されていましたよ。
たぶん銘を見せるためなのだろう(この作者は裏に銘を入れる人らしい。)
展示は裏側に倶利伽羅龍が入った状態で置かれていた。実際は倶利伽羅龍が表なのだな……。

永青文庫は、刀の表裏とか、置き方に関しては、はっきりいって、しっちゃかめっちゃか。
柄(茎側)が左だったり右だったり……自由すぎる。
見せたい面を表にするためといえど、どちらかに揃えてくれねば……せめて注意書きを添えてくれ。
どんな刀だろうと、刃が上向きに置かれていた気がする。
ちょっと、どうなのと思うのだった。
(それとも細川家独自のこだわり展示法だったりするんだろうか……)

豊後国行平作の太刀は、
刀身がプラチナめいた白っぽい輝きを放って、ややほっそりとしつつも大振りで、
弓なりの反り具合の優美さといい、
切っ先が、異空間を切り裂いて時空に溶けいるくらい滑らかに研ぎこまれており、
息を呑む美刀。
……ほしい。
いや見られただけでもうれしい。

歌仙兼定と関係がないものとしては、踊り場にあった書棚とか、
近世になって細川家の人がフランスに8年留学していたときの数学のノートが興味深かった。
目をみはる麗筆なペン字で、フランス語で数式などをノートにとってあり、
フランスに8年もいれば書けるか……? とも考えたが、
自分を鑑みるに、
私は足掛けで9年くらい(実質いたのは正味6年ですが)アメリカに居たけど、
英語でこれほどきれいにきちんとノートテイキングできたかと言えば、
比べ物にもならない。足元にも及ばない。
もっといえば、日本語でもあそこまで完璧なノートを取れたことはない。

おそらくは、当時も西洋の授業法として、
板書きをひたすら書き写せばよいというスタイルではなかった筈だろう。
仮に後でまとめなおして書き直したのだとしてもだ、
ただ由緒と財力ばかりの「ええとこのぼんぼん」とは格が違うインテリぶりを、
さりげなくもまざまざと見せつけるノートでした。

永青文庫の季刊誌95を買って帰りました。
季刊誌95は写真の色味も綺麗。

今回の展示《歌仙兼定登場》の図録も売っており、
図録と一緒に季刊誌を購入している方々が多かった気がします。

図録もオールカラーで、展示品すべてが載っていたかと思いますが、
私からすると説明文の入れ方が斜めになっているレイアウトが違和感があったのと、
写真が小さく、かつまた実物と比べて写真の色がかなり見劣りするので、控えました。

以前ゲットした石切丸や小狐丸が載っていた石切劔箭神社の図録は、
図録の写真自体がすごくきれいで、文面も鑑賞に値する出来栄えだったので、
そういうのをイメージしていたが、あくまで思い出アイテムにとどまる感じ。
思い出アイテムとしてなら図録も買って損はないのかも。

永青文庫を出たあと、徒歩五分弱の新江戸川公園にある松聲閣(しょうせいかく)へ。
永青文庫から新江戸川公園はつながっていて、木々の中を歩くので、
階段も多く足場は悪いけれど、暑くはなかった。
松聲閣はもともと細川家の学問所だったそうです。
今は一般利用できるようになっていて、文京区の人ほんとラッキーだな!
いろいろ補修されて畳はまだ青々として、新しい畳の匂いがしていました。
すごく急勾配な階段とか、狭い廊下や縁側などは、昔の日本邸宅の趣が随所に。

お目当ては歌仙兼定のイラストレーター・ホームラン拳氏の描きおろしイラストの展示。
等身大の歌仙兼定のパネルと並んで、イーゼルに展示されていました。
描きおろしイラストは、歌仙さんが持つ歌仙兼定の鞘と刀身の再現率が半端なかった。
さすが公式・永青文庫とのコラボ! まごうことなき歌仙さんと歌仙兼定だ。

等身大パネルは予想より大きかった。衣装がかさばる系ですしね。
歌仙さん、等身大パネルだと顔が小さく、背がすらっとしたのが際立って、美丈夫でした。

*追記


たなばた(七夕) [た行]

七夕なので、
ちょっと『みがかヌかがみ』の話をします。

天女目(なばため)姫
作中「夢浄土」の段に登場する主要人物の一人である、
この天女目という名は、稀少苗字として実在します。

青天目(なばため)氏、
「青女房」の段に登場する主要人物の一人である、
この青天目という名も、稀少苗字として実在します。

昔からある稀少苗字ですよね。
作中で天女目姫と青天目家は関連がある苗字として語られます。

で、皆さんおそらくお気づきの通り、
七夕(たなばた)という単語が、
なばため、
という語と語感的に、かなり類似であるように、
このお話、七夕にまつわる風習がかなり密接に関わってきます。
裏テーマ、裏設定みたいな扱いで、七夕の風習・由来に絡む事象がちらちら垣間見え、
干渉してくる。

表題の『みがかヌかがみ』は、本来の鏡の意味であると同時に、
「夢浄土」の段における不来方と、
「青女房」の段における大正時代、
この二つの世界を隔て、かつまた結び――中核をなしている、とある井戸の隠喩でもある。
この因縁の井戸が絡んで引き起こされる物語世界の経糸(たていと)と横糸を成す題材の一つに、
七夕(たなばた)が有るんです。
(七夕だけじゃないけど)

なので!

今くらいの季節が最もタイムリーな季節柄かなあと思われる。
積読してたり、気になるけどどうしようか……と逡巡しているかたは、
ぜひとも七夕をきっかけに、積極的にお手に取ってみていただけると、
しっくりくるかも、だ!

尚、この『みがかヌかがみ』
牧 眞司氏著の『JUST IN SF(本の雑誌社)』という書評本で、取り上げられております。

牧眞司(敬称略)の個人的見解による、
○冒険○幻想○青春○内宇宙
などのアイコンが『みがかヌかがみ』に当てはまり、中でも
○時間・次元
というアイコンがついているのが、私的にグッときた。

今までも私の著作に関して、
新聞や雑誌を含め、ちら……ほら、と書評をつづってくださる奇特なプロの批評家がいらしたが、
いずれもとても有りがたいの一言に尽きるものの、
……きっと、作者でもなければ本当に些細な部分なのかもしれない、
ちょっとした読み間違い等が散見されるのが常だった。
大筋はあってるのだが。

『カンパニュラの銀翼』のシグモンド・ヴェルティゴのことを「英国貴族」と書かれていたりとか、
(実際はシグモンドは欧州貴族で、英国人であったことはない)
『黒十字サナトリウム』の龍司を「ロシア人との混血」と書かれていたりとか、
(実際は龍司はドイツ人の血が入っていて、ロシア人の血が入っているのは湊だ)
いずれも異なる書評家のかたなのだが、そういった微妙な読み違いなのか書き間違いなのか、
たぶん時間的な制約とかもあって、急いで仕上げているんだろう……
というケアレスミス?も少なくなかった。

批評というのは当然のことながらその性質上、
作者当人の目には一切触れずに書かれ、発表となる。
発表となっても、まず知らされることはない。
なので、たまたま何かの折に私の目に触れて、はじめて、
「お、おや!? これ、違ってるんだけど……」となった時には、間違った情報がすでに出回った後。

ですんで、こんな素敵な書評を書いてもらえた、
そう胸を張って、もろ手を挙げて喜べる書評に残念ながら、あまり出会ったことがなかった。
ま、私の話は情報量が多いんで仕方がないか……。

ところが!
今回の牧氏の批評に関しては、
「すべてにおいて的を射ている!」
読み違いのたぐいは一切なく、
これほど的確な書評に出くわし、私がびっくりしたくらい。
一読しただけでは読み手にスルーされるかもしれないなと思っていたような深い部分まで、
内容を隅々まで、きちんと汲み取ってもらえていて、
素直にとても嬉しかった!
ちゃんと通じている読者がいる。

『みがかヌかがみ』は何しろ発行部数が少ないので、
取り扱い書店もまれでしょうし、
刊行から半年ほどたって、
在庫僅少となっている本屋さんも多いとは思いますが……。

七夕の短冊にうっかり「何か」を願うとよろしくないということも書いてあります。
もちろん小説なんで、どこまでが民俗・風習における史実として妥当で、
どこからが物語の範疇なのかは、
読者の読解力にゆだねられています。

余談


即行マイリス [最近のお気に入り]

刀装発動の演出がかっこよく、ニトロみを感じる。
自軍側のメンツが、わが本丸の一推しカンスト組とかなり重なる(三日月がくる前はこんな感じ)、
対する演練相手のメンツがこれまたわが本丸推しカンスト組とかなり重なる、
まったく相手に不足なし、微妙な力バランスの駆け引きがもうほんとたまらん胸熱展開。


http://www.nicovideo.jp/watch/sm29159939

「こいつら大阪城掘ってるんじゃないかな?」というコメントに激しく同意。
全員の「らしい」表情もさることながら、
戦闘中の三日月の軽やかでゆるぎない足の踏みこみかたとか目をみはる。

演練相手を見た瞬間におのおのが、あー手ごわいのに当たったぽくね?
という顔になって、相手側に「やぁ」って手を振ったりしてるところなど、
戦闘以外もエンディングまですみずみ至るところ心憎いです。


ついに出ます ~E・A・ポー~ 翻訳本 [ニュース]

po20160607_1.jpg
『E・A・ポー』 集英社ポケットマスターピース09(集英社文庫)
・ 2016年6月23日刊行
・ ISBN:978-4087610420

エドガー・アラン・ポー作品の集大成となる翻訳本。
集英社のポケットマスターピース09『E・A・ポー』
全部で次のような新旧訳者による豪華ラインナップで、このたび刊行となります。

poeobiLINEUP.png

わたし中里友香も、ポーの代表作である詩『大鴉』と、短編『告げ口心臓』を翻訳しています。
「ポー訳者の末席に座すものです。微力ながら、末永く読まれるよう全力を尽くしました」
粟田口・前田藤四郎くん(刀剣乱舞)の台詞っぽく言える感じ。

解説やエドガー・アラン・ポーの年譜なども含め、総ページ832頁にものぼる密度の濃い文庫本。
見本が手元に届いた。
ぶ厚いよ!

わたしが『大鴉』と『告げ口心臓』を翻訳した際に受けた印象や、
一言一句を訳しあげたうえで当該作品をどう解釈するか。
私なりの見解や深読みをしたためた短いエッセー
やみのいろ
(講談社『メフィスト2015 VOL.2』「日常の謎」というコーナーに掲載)
こちら現在、講談社のウェブ上で無料公開となっていて読めます。
http://kodansha-novels.jp/mephisto/daily/55/

このエッセーが掲載された2015年8月当時は、
ポー翻訳本の刊行予定が2016年10月に先送りになった時でした。
2012年時点でお話をいただいて、翻訳作業を終えていた私は、
再三にわたって刊行予定が先送りになるたび、
こういう古典の翻訳って、ずいぶん気が長いプロジェクトなんだな~と
「長生きしないとやってられませんね!?」と目を白黒させたもんです。今となっては良い思い出だ。
のちに2016年6月と少し刊行予定が前倒しになって、今回、その通りに刊行と相成りました。

初校まではずいぶん前に終えていましたが、
再校と念校を終えたのはついこないだで、
その時にもけっこう手を入れたので、
冷却期間を置いて翻訳文を推敲しなおせたのは良かった。
期間分だけ翻訳の精度と練度がなお高まった。

ちなみにエッセー「やみのいろ」には『大鴉』『告げ口心臓』のネタバレがあります。
古典とはいえ一応、要注意。

ポーの翻訳本を、このエッセーと併せてお読みいただくと、
あるいはいっそう解釈の幅が広がったり深まったりして楽しめるかもしれません。

(ポーに関して思うところを一度で書ききると若干長くなるので、後日また補足アップする予定。)

→ポーの『大鴉』に関する考察的な①


絵空事とは異なる次元 [あ行]

先日の金曜日に地上波で映画『ゼロ・グラビティ』(Gravity)をやっていたようで、
私はこの映画、相当、好きです。

近年、我ながら珍しく、ど真ん中ストライク、映画館で打ちのめされて帰ってきた作品で、
後半なんて映画館のシートにぐったり寄りかかって泣きまくっていたもんです(感動以前に、人間としての根源的な恐怖感に打ちひしがれたせいで。さすがにこんな極限状態は無理だよマジでもう太刀打ちできない怖すぎる……と)。
たいていの人が似たような体験をしたかと思います。

DVD化されたとき、すぐさま、そこそこ年配の身内に「見て! 良いから見て!」
と持っていって半強制的におすすめして帰ったのだが、
「見ました」というメールが、あまりにも的外れな感想しか返ってこなかったのだった。

だからつい、
「最近どんな映画を見ても、ぼんやりした感想しかわかないみたいだけど、あんまりにも何を見ても何も面白くない……というのがたびかさなって度を超すなら、体調が悪いか、認知症のはしりか、鬱病かもしれません」
と本気で心配してメールしちゃったくらいである。

それくらい、この映画は年齢や性差を問わず、人間の根源的な恐怖とか帰巣本能とかに訴える、
いい意味でハリウッドだからこそできる普遍性の高い作品だと信じて疑わなかったのだ。

しかし先方の感想は、
「あなたほど宇宙に夢中じゃないし、正直、宇宙のことが良くわからないので、へーえ無重力空間って、こんな感じなのですかね? まさかまさかこんな次から次へとよくもまあ、悪いアクシデントばっかり考えつくものですよね、ある意味でこれも一種の御都合主義的展開」
というのが素直なリアクションだった。

上記のようなリアクションはかなり稀なんじゃないかと、今でも私は思っているが、その人によれば、
「ジョージ・クルーニーが呆気なく退場で、生きて帰ってきたと思ったら、なんかアレだし」
みたいな。

やや、そこは確かにストーリー上、要となる部分でもあるけれども、
そこが映画の感想を左右しないというか、
むしろ、ああいう立ち位置が、実に心憎いキャンスティングなんじゃないか……。

私より年齢が上の世代は、よほどの「宇宙大好き」洗礼を受けていないかぎり、
宇宙に対する憧れも恐怖もさして抱いていないというか、
宇宙について常識的に、知識や想像力が欠如しているのかもしれない……。
私の世代では中学の時「将来、宇宙飛行士になりたい」という理系の女友達とかがいた。

ゼロ・グラビティは、
SFにおけるフィクション部分と、現実に起こりうる境目ギリギリのリアルさが際立っており、
だからこそ手に汗握り、
理系じゃないけど宇宙は普通に好きな私からすると、ノックアウト感が募るのだが。

何がSFで、何がリアルか、その差すらもきちんと区別できない人には、
異空間における単なるパニック映画にしか映らなく、
孤立無援おつかれさん映画としか受け入れられない。

「そもそも宇宙飛行士なんて、大統領よりも、オリンピック選手よりも少ない、
選ばれたごく少数の人しかなれない雲の上の人間だし。——文字どおり雲の上の」
という感覚しか持ち合わせていない人にアピールするのは困難な作品で、ハートウォーミングなお約束が皆無。
その媚のない部分が、余計に魅力的なのかもしれない。

国立情報学研究所というところで私は非常勤で勤務していた時期があるのですが、
そこでは『国際宇宙ステーション搭乗 宇宙飛行士候補者募集』
というリーフレットが誰でも自由に入手できる場所に普通に置いてありました。

こないだ念願の本棚を買って、ようやく搬入と転倒防止器具の設置が済み、
私は今かなり大々的に、本やら、ためこんだ様々なプリントアウトなどを整理している真っ最中。
作業効率を上げるために、やらねばならない雑務だったのを後回しにしすぎていたので仕方ないが、
仕事場が現況てんやわんやで、わりと原稿が手につかなくて困っている。
その作業中に、当時(2008年)の宇宙飛行士候補者募集のリーフレットを見つけた。
スキャンしてみました。こちら2枚ではなくて表面と裏面です。

宇宙飛行士募集2008JAXA.jpg
(クリック推奨。原寸大で見られます。)

宇宙飛行士2008JAXA.jpg
(クリック推奨。原寸大で見られます。)

2008年当時の募集以来、JAXAは2016年現在までに募集をかけていない(たぶん)。
年がら年中、募集していて応募できる職業ではない。
いっぽうで、年齢制限も性別制限もなかったりする。

こういう謎資料をクリアファイルに無造作につっこんで棚に積んでおく癖があるので、
仕事場がどんどん紙に侵食されてきて格闘中なのですが、
これをちょっと読むだけで夢が広がったり、逆に、夢が潰えたりする部分がある……というのは貴重。

この応募条件を見ながら、
(自分には宇宙飛行士に応募するのに、何と何と何の条件を満たせていないか)
(仮に、これと、これと、これをクリアしたとして、さらに数ある資格者の中から万一にも試験の結果、採用されたとしても、訓練業務の一環としてロシア語も習得か。まあ宇宙だものな、英語とロシア語が共通語か)
等々、ほんの一端でも具体的に想像できる余地があるというのは捨てがたい。

宇宙飛行士といえば=「雲の上の人」
ではなく、
どういう資質が重宝され、自分よりも何が秀でて適格であるとされ、必要最低条件としてどんな訓練をこなすのか。
積極的に情報を集めなくとも漠然としてではなく身近で自然に触れえる情報の質が、
物語をどれだけ満喫できるか否かを左右する部分は否めないのかも……。
と思ったりしながら、この手の資料を処分すべきタイミングを逸するのである。



共通テーマ:映画

遠征失敗…… [あ行]

二週ほど前、若冲展待機列を目にしてあっけなく尻尾を巻いて帰ったわけですが、
ブログを書いてしばらくしてから、
「あ……なんでその足で、国立西洋美術館のカラヴァッジョ展を見に行かなかったのかな私は? 失敗したね!」
と気づいたのだった。

昨日の月曜日、上野方面に出かける予定があった。
そこで用事が済んだあと、まず、あんみつ屋の「みはし」に寄って腹ごしらえ。
みはしに行くのは初めてです。
上野界隈では有名なあんみつ屋さんですが、最近知った。
「みはし」って何だろうこのなじみ深い響き……
あ、『黒猫ギムナジウム』にて猫目坊が幼少期を過ごしたのが「三箸屋(みはしや)」だ。
三箸屋のほうは甘味処とはいいがたい場所だが、ある意味「お茶屋」と無関係な場所でもない。

……で、みはし上野本店に。

まず、ふわっと卵が入っているお雑煮(http://www.mihashi.co.jp/menu/ozouni.html)をいただく。
写真のイメージよりお椀が大きかった。
削り節の香りが立って、焼いたお餅といい香ばしく、お雑煮好きだけど外でお雑煮を食する機会って考えてみると殆どなかった。
季節を問わず食べたい系なので、アツアツをありがたく平らげます。
そのあとクリームあんみつを(http://www.mihashi.co.jp/menu/cream-anmitsu.html)。
写真のイメージから受ける印象より、これも一鉢が大きい。

あんみつって、好物でもなかったんですが、ソフトクリームの冷たさと、
冷たすぎない餡やみつ豆や求肥(ぎゅうひ)との絶妙なコンビネーションで、
甘いけど甘すぎず、冷たいけどキンキンではなく、何もかもが頃合いで、美味しい。

で、いざカラヴァッジョ展へ!
事前にHPをチェックして、まだやってると確認済みです。
念のため時間もチェックしておいた。問題ない。

ブータン展を開催中の上野の森美術館をわき見しつつ、国立西洋美術館に到着。

閉まってた。

月曜日、思いもよらない休館日……。
いや、美術館や博物館や図書館関係は、そうよね月曜日、要注意だったのに。

おまけにです、精神的にショックだったようで、上野駅の改札でSUICAを紛失。

いやその……チャージ金額が足りなかったので、券売機でチャージしようとしたら、
《ただいま一万円は使えません》

なに?
これからオリンピックやるとか、国際都市の設備投資とかいってるのに、そもそも券売機の少なさが異常だし(……外国人観光客に取り囲まれて日本人がほとんどいない。日本人は切符じゃなくてみんなSUICAやおサイフケータイなどを使うので)
両替機も見あたらない。
なのに一万円が使えないってどういう了見なんだ……どうしたらいいんだ。

大きいお金しかなかったので途方に暮れ、戻ってきた一万円を手にして、近くのコンビニへ。
仕方なく、欲しくもなかったおにぎりを一個買う。
お金を崩して券売機に舞い戻り、チャージしようとしたら、
パスケースに入れていたはずのSUICAが無かったんです。

あー……あれだねー、さっき券売機で戻ってきた一万円を取ったときだね。
SUICAのほうを忘れたんだな。
まぁちょっと面倒な考えごとで頭がいっぱいだったせいもあるし(←言い訳)、
歩きすぎて横っ腹が痛かったし(←言い訳)、
その場で窓口の駅員さんに問いあわせると「届いてます」

迅速!

「お名前と身分証を」

名前を言って、運転免許証を見せて、返ってきた私のSUICA!
紛失時間、5分弱です。

「これ、受け取るの放置して吸いこまれてしまったんでしょうか?」
アメリカではATMにて、ATMカードを放置して取り忘れた場合、
一定時間を置いたのち、ATMの機械がカードを自動的に吸いこむ仕組みになっています。
次のATM利用者が悪意ある人だったら不正利用のリスクが高くて危険なので、
銀行側が保管しておいてくれるのです。

SUICAもそういうシステム?

「通りがかりのお客様が、取り忘れだと届けてくださったものです」
「うわー……ありがとうございます」

その後はどこにも寄らず、家に帰りました。

ささやかな収穫物といえば、不忍池の蓮。
二週ほど前はショボい有様でしたが、今は葉が青々と茂りつつあり。
とはいえ小学校低学年のとき、もっと見渡すかぎり行っても行っても蓮池に感じたんですが、
縮小したのかな。
こうもささやかだったろうか……?

子供目線を思い起こして、しゃがんで写真を撮ってみたら、
写真に映った蓮池は、けっこう視野を埋めつくす臨場感でした。

2016060614100000.jpg
2016060614110001.jpg

(いずれもクリックすると拡大します。)

『黒猫ギムナジウム』キンドル化 [ニュース]

いまから遡ること4年半前になる2011年12月1日に講談社BOXから刊行されました、
『黒猫ギムナジウム』
このたびクリーク・アンド・リバー社という電子書籍リーダー用に特化した会社の部門からキンドル化。
講談社Boxは帯の意味合いを兼ねたボックス(外箱)の中にソフトカバーの本が入っているという、
やや扱いずらい代物なのが特色で、
ゆえにデザインが特殊なのですが、
電子化にあたって、marucoさんの当時の装画を活かしたまま、デザインをリニューアル。
金箔風の背景をほどこした題字の字体など、気に入っています。
色も今回のほうが紙本の表紙よりも、本来あるべく色味で断然きれいに出ている気がします。

51FD6xDH8jL._SX342_BO1,204,203,200_.jpg
書名:黒猫ギムナジウム
価格:900円(税込972円)
刊行日:2016年5月20日

この作品は初出の序章~第四章までが連載作品でしたので、
連載当時、第一~第四章の扉絵はカラー絵だったのです。
(実際は当初から一冊分を書き上げており、それを連載という形で小分けにして発表していました。)
第五章~八章を書き下ろしという形にして、一冊の本にまとめて出版するにあたり、
カラー仕上げだった第一~第四章のmarucoさんの扉絵もモノクロになっていました。

その扉絵部分も、今回marucoさんのカラー版で復刻です!
外箱に描かれていたラフ絵も、作品内にちゃんと収録されております。

元来、紙の本、大好きっ子の私なので、
電子書籍化するなら電子書籍化ならではのメリットや利点が加味されていないと、
おさまりがつかない。
(紙書籍では二段組みの体裁も、キンドル版はもちろん一段組で読みやすく。)

アマゾンKindle楽天Koboを皮切りに、紀伊國屋Kinoppyなどの電子書籍リーダーでも順次、読めるようになります。

電子化にあたり、単行本における誤字・脱字等を修正しました。
修正できる機会に恵まれて良かった。
というのも『黒猫ギムナジウム』での脱字は、意味が正反対に読み取れる脱字であり、
(詳しくは当時のブログ:http://blackcrosssanatorium.blog.so-net.ne.jp/2011-12-03-1
これは当時、初校も再校も終わった段階で、
当時の担当編集者に心無い変更を強いられ、
ぎりぎり妥協できる範囲まで、なんとか変更を加え、メールで伝えた部分のうち一箇所が、
編集者のミスにより脱字で反映された。
――という苦い思い出が。

この本の出版には他にも本当に苦労しました。
版元によって諸々の判断基準は異なるので、
出版社の指針とあれば仕方あるまいと、なんとか苦慮して対応した。
実際のところは講談社の指針でもなんでもなく、
当時の担当編集者が、私の表現方法に逐一ケチをつけたいだけだった。
……と、後々わかった。

私の小説を毛嫌いしていた人だったが、プロの編集者としての仕事は期待していた私も認識不足だったのだろう。
古いバージョンの原稿が校閲に回っていて間違って届いたりとか序の口。
ミスが多発するだけでなく、悪意もあった(この小説の一体何が面白いんですか、売れる実績がない作家の本を出すのに、なんで主張するんですか、と度重ねて言われたりと)、無益なストレスが多かった。

そういった点を含めて、細かい箇所まで、今回すみずみまできちんと思い通りに直せて、
やっと一区切りがついた思い。
といっても当時も体調を崩すまで粘り強く頑張って、試行錯誤のうえできるかぎり初志を通したので、
大体的にがっつり手を入れた部分はありません。
読者にとっては、微細な修正かも。

本当はこのあるべく状態で、紙本での文庫化を目指したいし、
できれば、今はもう講談社の担当編集者が変わっているので、
当時よりも良い環境で、ぜひとも続きを書きたい。

電子書籍には当然デメリットもあり、書体が明朝とゴシックの2種しか選べない。
紙の本で、怜士朗が白雪に宛てた手紙部分の書体などは、
キンドル版ではゴシック体になってしまったりと、惜しいところもあり。

『黒猫ギムナジウム』(講談社)は絶版ではなく、紙媒体の本がまだ市場に出回っています。
一般書店ではもうあまり取り扱われていませんが、
取り寄せあるいはネット書店では入手可能です。
やっぱり本といえば紙!派のかたがたは、
上記の誤字脱字等をやんわりを踏まえたうえで、
これを機に改めて紙書籍を手に取ってくださると、嬉しい。

追記(2016/7/28)



共通テーマ:

若冲展脱落です [さ行]

昨日の金曜日、上野界隈に出かける用事があり、
帰りにそうだ東京都美術館で開催中の若冲展に寄っていこうと思い立つ。
若冲は、花鳥風月をモチーフにしつつも毒々しいまでに精巧華麗というイメージで、
一度きちんと見ておきたかった。

混んでいるのは知ってました。

その前の週末で3時間待ちとか、
又18日(水曜)のシルバーデー?とかいう一定年齢いった人が無料で見られる日には、
激混みのニュースがちらほらと耳に入っていた。

でもなんでもない平日金曜の昼下がり。
並んだとしてもまあ30分くらいか。
私だいたいこういうの運が良くて、激混みのニュースが流れていても、
スッと雲の切れ間みたいな時間帯にすんなり入れることが多いんです。
(人と生活パターンの時間配分が少しずれているのと、
雨の日に行動するのが嫌いじゃないせいもあるかもしれない。)
徒歩圏内だったので東大近辺から不忍池を抜けて精養軒から動物園裏を通って……
歩きやすい靴を履いているし、天気も暑すぎず風は肌寒いくらいだし、
ポカリスエット、帽子とサングラスさえあれば何とかなるでしょ……。

甘すぎた。

着いたのは午後3時前でしたが「210分待ち」。
2時間10分じゃないからね。
210分だから。
3時間半待ち。
レア4太刀を手伝い札なしで鍛刀しても、まだお釣りがくるんです。

チケットを持参していなければ、チケット売り場でも待ちます。
(わたしは事前にチケットを買ったとして万一、入れなければ無駄になると思ったので、買わないで出向いた。)

ここまで混んでいると、中に入っても人間の頭を拝む形になり、きちんと見られないし、
宮内庁所有とかの通常、お目に掛かれない代物がごっそりまとめて展示になってる分、
生きているうちに一度は拝んでおきたい系の参拝者、
御開帳とか参詣とかメッカとかに通ずる苦行と御利益的な趣きを呈しているので、
即Uターン。
諦めました。

それにしても整理券を出さないのは、すぐ近くにある他の美術館や博物館に集客を奪われぬよう、足止めを食らわすための、東京都美術館の目論見か。
日頃、東博や上野の森美術館に客足を奪われている鬱憤を晴らして、見せびらかそうとしたのか。
……そう疑いたくなるレベルです。

展示の終わり際ゆえ激混みに拍車がかかっていたけれど、当初はここまで混んでなかったはず。
早い時期に行けばよかった。
映画とかだと、ドル箱メガヒット作でも終わり際になればなるほど空くんだが……。

ここまで長い行列というと、愛地球博の万博を思い出しました。
「早いうちはガラ空きだったよ~地元民ばっかが何回も足を運んでたもんね、俺なんかもう10回は来てる」とか、話しかけられたのだった、そういえば行列の渦中であの時は(知らない人に他意なく話しかけられると、あ、東京とは違うな?と実感します)。
《後半必ず混む》というよりは、メディアの取り上げる時期にも左右されるのだろう。やっているのを知らなきゃ見にいきようがないんだし。

2016052014420000kakou.png

並んでいる人の顔を隠す加工をほどこそうとしたら、吹き出しみたいになってしまった。
思い思い好きな台詞を入れてね。

今後もブログは通常営業 [か行]

Ask.fmを始めてから、
信じられないくらいに当該ブログのアクセス数が激減し、
たまに検索ワード(包丁・殺傷力とか、東尋坊・行き方とか)に引っかかって、
事故的にやってくる人くらいしか、立ち寄らなくなったようなのですが、
このブログは今後もこれまでの不定期ペースで続けていきます。
(むしろAsk.fmに既に飽きかけている。フォントやフォントサイズを変更できないし、自動生成される質問は似たり寄ったりだ。)

元来、物凄くニッチなブログですので、
アクセス数を気にしてはいなかったんですが、
カウンターが壊れたかしら?
というほどなんで……これは何か誤解されている気がしました。



共通テーマ:blog

『南阿蘇水の生まれる里白水高原駅』の由来水源 [ま行]

熊本地震の後、水源枯れる 「日本一長い駅名」由来の地

http://www.asahi.com/articles/photo/AS20160425000359.html
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20160425000360.html
http://www.asahi.com/articles/photo/AS20160425001528.html
(朝日新聞デジタル)

スライド式になっているので一つのリンクをクリックすると、
あとは矢印で3枚見られます。

水源があったころの写真と、現状との差に唖然とします。
こういう実態も徐々に明らかになってくる頃ですね……。